降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

11/28ワーキンググループのあとに考えたこと

世間が当事者に発言の資格を認めるのは、当事者が痛みを持っているからだと思う。たとえ傍観者となっている人でさえ、痛みが発露されるその瞬間には釘づけとなり一体となってそこに没入してしまう。それは自身が自身から乖離させた痛みをその人が自分の代わ…

11/20ワーキンググループをふりかえる

今日行われたワーキンググループで考えたこと。 1 べてぶくろ、近代、社会運動内部において繰り返される人権侵害、当事者からの経験の簒奪などについて → 浦河べてるの家の存在から自分自身は多くを得た。しかし性暴力被害の隠蔽に当事者研究を使い、被害当…

11/8 リードイン 感想

リードイン。 リードインは鶴見俊輔がやっていたとされる集まりで、他者の言葉と自分の言葉を持ち寄って場にシェアするもの。(しかし実際の場に出たことがないので、決まったかたちを知らず、色々実験的にやり方を微調整しながらやっている。) 今回は自分…

南区DIY読書会 『環境と対話 地域と当事者を繋ぐ試み vol.2』 発表原稿

10/12(月) 南区DIY読書会 発表:「環境と対話」研究会編 『環境と対話 地域と当事者を繋ぐ試み vol.2』 前置き:「環境と対話」研究会は『性暴力と修復的司法』の著者である小松原織香さんが主催する研究会。研究会は関東と関西で行われていて僕は関西で行…

香害と脱うさぎ化 非人間化された状況を人間化していくこと、文化をとりもどしていくこと

カライモブックスさんで香害について話す。自分も行き違う人や隣家からのシャンプーのにおいもきつく軽い頭痛がでる。一方で他の人がきついと思うファブリーズとかのニオイ消しの香料や整髪料はまだ気にならない。男性のニオイ消しはCMで異性に嫌われると煽…

尊重は相手のためか 学びの疎外と文化の不在

読書会や話の場で思うこと。 人権や尊重という言葉はあっても中身は空洞化されている。人権とは何か、尊重とは何かはなんとなくのニュアンス以上に知る必要もないと認識されているに等しいだろう。かたちだけの言葉はむしろ実態を後退させ、現状を変えないも…

「理解できる/できない」「愛せる/愛せない」 心理主義をやめることと尊重

自分が持っている「価値観」は自分のものだろうか。理性的な判断と吟味のうえでできあがった妥当なものであり、正当なものであるだろうか。 パウロ・フレイレは現社会において支配的な人たちの価値観を人々が内面化すると指摘している。強い者への憧れがあり…

マイクロアグレッションという陵辱

無自覚な差別意識の吐露についての話になる。本人は自分が差別意識を持っているとは思っていないが、受けたほうは屈辱の経験として記憶される。丸一俊介さんは、マイクロアグレッションとは「日常的な侮蔑や見下し」ととらえている。そしてその侮蔑や見下し…

パペットマン

明確な攻撃や差別発言ではないけれども、それを聞いたり見たりする人を消耗させていく言葉がある。 場において相対的に「弱い」人の立場に対して、自分はできる、やっている、(「望ましい」状態に)なっている、義務を果たしているというような「強い」価値…

錯覚の民主制のなかで

毎月、大家さんに家賃を渡しにいく日は、お互いの問題意識を話す機会にもなっている。 今日は宮城県大崎市の市民条例(大崎市話し合う協働のまちづくり条例)の話しを聞かせてもらった。大崎市の行政は、よくある他の地域の行政とは違い、積極的に主役を降り…

現秩序への反逆としての人権概念

福祉や教育、人権啓発系などの団体が内部では人権侵害している話しがよく聞かれる。企業や大学などのハラスメント委員会や相談機関みたいなものが、実態としては被害者の人権を守るよりももみ消し機能として設置されている話しもまた。 日本には「みんなの迷…

認識の変遷 「場づくり」から「結果的な接点づくり」へ 

大学時代、四国八十八ケ所めぐりをやってみて思ったことは、人は適切な環境とそれを生かす媒体(まるごとの存在が保証されながら同時に固まってしまった自分が揺り動かされる状況が併存するような。)があれば、そこで自律的に変化や回復をしていくというこ…

当事者研究ネットワークに求めたいこと 「当事者研究の悪用」への向き合いを

被害者の告発によって、閉じたコミュニティ内では、主催者やスタッフのような、より強い立場にあるものによって、当事者研究が場でおこった問題を被害者当人の責任に転換し、もみ消すために悪用されうることが明らかになった。 note.com ここでおこっている…

6/26『被抑圧者の教育学』読書会ふりかえり

出てきた話題 ・「被抑圧者と共にあることはそれ自体がラディカルであり、中途半端な姿勢では許されない」ということがどういうことだろうか。 →社会から搾取される少女たちの支援をしている一般社団法人Colaboの仁藤夢乃さんの講演を思いだす。仁藤さんは教…

当事者研究界隈、どうなっているのか(6/24追記)

note.com べてるの家の関連施設、べてぶくろで地域住民との間で性暴力被害がおこった。被害者のブログによると、被害者の訴えをきいたべてぶくろスタッフRは訴えを公にするとべてぶくろが地域でやっていけなくなるとして、被害者を黙らせようと働きかけ、そ…

自意識の植民地としての身体 打ち消しと間接性

ある催しで、参加者が私はもう上手いダンサーの踊りを見て面白いと思えなくなったということを言っていたのを時々思い出す。 自分のことを動的な関係性そのものとみるのではなく、完結した、閉じた主体だとみなすとき、自分は環境に対して(一方的に)働きか…

私の探究・研究相談室レポート 回復が回復する 探究と時代からの解放

昨日の私の探究・研究相談室では場についての話しが比較的多かった。 世間一般では、主体というのは個人のことだと思われている。が、僕の認識ではむしろ場のほうが主体なのではないかと思う。 なぜなら個人が更新されていくために場が必要であるだけではな…

人間化の過程 意味から解放された場所としての人間

昨日の読書会。 フレイレは、人間の使命とは「より全き人間であろうとすること」だろうという。しかし「より全き人間」という言葉がまるでピンとこない。全きとは言葉通りにとるなら、完全で欠けたところがないということだろう。 完全。結局そういうものが…

フレイレから「生きづらさ」を考える

あらためて、フレイレを通して「生きづらさ」を考えてみるとどうなるだろうか。まず「生きづらさ」という言葉について、『居るのはつらいよ』の東畑開人氏はSNS上で次のように述べている。 「生きづらさ」という言葉って、心理学ブームが下火になり始めた200…

使い捨ての関係と体験の剥奪

読書会を一緒にやっている河本さんの投稿から。 www.facebook.com 自然のものなので野菜ができる具合は常にばらつきがあると思う。畑をやっているとできるときは過剰なほどできる。しかし受け取り手の需要は決まっている。ということは、こういうお任せ型で…

2020年畑オープン日のお知らせ

京都のらびと学舎では、2020年6月〜11月の間、畑のオープン日をもうけます。月曜日のおおよそ11時〜14時の間に岩倉幡枝町の畑にはだいたい誰かがいるので、畑の様子を見物したり、希望があれば作業に参加したりできます。 これは特に何かを教えたり伝えたり…

大きな畑を

岩倉の畑をはじめたころからお世話になっている方が高齢になってその方の畑もぼちぼち終わろうかというようなことを話されているそうだ。 いつも野菜や苗を自家消費以上にたくさん作って人にあげられている。その量が多すぎていつももらいきれない。何の銘を…

フレイレ 真正なる言葉 「パチンコは賭博ではない」から

フレイレの読書会。 別の2つの読書会でも僕はフレイレをやっているので、三重にフレイレをやっている。 フレイレは以下のようにいう。 行動の欠落は空虚な言葉主義を招き、省察の欠落は盲目的な行動主義を招く。真正ならざる言葉は現実を変革する力をもたず…

心の攣(つ)りに対してできること

日常で出会うこと、連想したことなどがきっかけとなって、これまでもなんども繰り返さてきた苦しい感覚や責められる感じなどが再現され、一度その状態がくるとなかなか元に戻らないとき。 筋肉が攣(つ)って、しばらくどうしようもなく痛みを経験させられる…

ブルーシートの服について(1):非礼拝的オーラを読んで

山口さんの文章を読んで、生きているものとは何かについて、もう一度整理したくなった。 note.com 僕は去年、ある読書会でピーター・シンガーの『動物の解放』を読んだ。僕が担当したところは、鶏や牛や豚が工場畜産の現場において、人間の経済性のためにど…

揺り動かしにいく 君島久子「ほしになったりゅうのきば」

中学以前は割とよく本を読んでいたけれど、その後読めなくなった。大学になっても日常的に読めるのは絵本ぐらいの文量で、それがしんどくない限度だった。 文化心理学という講義があって、絵本や民話の分析がレポート課題になった時があり、長谷川摂子作、片…

すでに巻き込まれている世界で

読書会で発表者からシェアされたことを振り返る。 フーコーによる自由主義と新自由主義の違いが話されていたのだけど、自由主義の段階では、あくまでも国という枠組みの下に資本があったけれど、新自由主義においては国と資本の立場は逆転し、資本が主人とな…

他者を受けいれるとはどういうことか

「階段の上の子供」という谷川俊太郎の詩がある。 階段の上の子供 谷川俊太郎 階段の上の子供に君は 話しかけることが出来ない 泣くことが出来るだけだ 階段の上の子供が理由で 階段の上の子供に君は 何も与えることが出来ない 死ぬことが出来るだけだ 階段…

ことばを獲得していくこと

日本ではパウロ・フレイレはあまり浸透しなかったとされる。 そこで思い出されるのが、知り合いの年配の教員の方々が話されていたこと。彼らによると林竹二は、部落差別への向き合いではなく、(学校)教育の充実を選んだという。 林は、社会「運動」のよう…

第三者の取り戻し 意思でコントロールする対象としての「自然」ではなく

当事者研究的に人間について考えてきて、人間はそもそも欺瞞的なものであって、個人であっても組織であっても、自分ではその自己疎外性(自分で自分をダメにしてしまうこと)を乗り越えることができず、それを破壊する存在である他者が必要であるという認識…