降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

2017-01-01から1年間の記事一覧

エピローグとしての生

以前デモクラシーナウを観ていると、その年におこった様々な出来事や大国の狂気を立て続けに流している動画があった。 はっきりいって酷いものだった。世界はなんで自ら終末を求めるような歩みをこんなにも着実にすすめているのだろうと思わされるようなもの…

年内最後の当事者研究

今年最後の当事者研究、終了しました。今年ご参加いただいた方、ありがとうございました。 今日は、いつも通り振り返りと気分体調から始まって、これからの自分助けプランを考え、最後は何が自分の生きることを充実させることをつくるのかという哲学カフェ的…

通路の詰まりと回復 菊地直子さんの手記から

自己不信と他者不信は別々のことではない。それらは自分が閉じていなければ既に開いていつも息づかせる流れを運びこんでくるいわば「通路」の状態のことを指していると思う。 ironna.jp 気づいてみれば自分が閉じているためにその感じ方が作り出されるのだが…

当事者研究というスタンス

FBから菅原さんの演劇の感想のリンクでやってきた方は下記へ。 kurahate22.hatenablog.com さて、今年はこれまで考えてきたことをまとめる本を出そうと思う。3年前の記事から基本同じことを書いているが、自給とは何かということが明確化し、回復から学びと…

菅原直樹さんの「カメラマンの変態」を観に行った。

前日の終活ゼミに続き、菅原直樹さんの公演「カメラマンの変態」を観に岡山へ。 oibokkeshi.net 今自分がいる現在の世界の物事はとても確固たるもののように見える。他人のきらびやかさやステイタス、幸運もまた確固たるものに見える。だが大きな時間の流れ…

1月の終活ゼミ・ワークショップと昨日の報告

昨日、終活ゼミ4回目を行いました。終活ゼミは現在哲学カフェを基調にしています。哲学カフェ的にやる時間は、老いや死の準備というよりは、老いや死が先延ばしにしたり不問にしている自分の底の求めや救いを明確にするのに適した媒介であるところを使って…

「休日」というイデオロギー

「祝日日数世界一だから日本人は休み過ぎ?」は本当かを検証してみる - 井を出た蛙の生中継「休日」とか「余暇」は現在の社会構造や労働が人にとって本来的なものであり、その構造の妥当だと前提した言葉だと思う。そうでないとその時間は余りでもないし、暇…

当事者研究 振り返り2

当事者研究を3つの場でやっているのだが、12月は振り返り月間ということで、1年の振り返りをやってもらっている。僕はどの場でも一緒にやるので3回以上やるわけだが、無駄がないと思う。吟味すること、整理することには何も無駄がない。やったらやった分だ…

「老後」を心配する人としない人 終活ゼミワークショップ

終活ゼミ・ワークショップ。 ワークをやるとき「老後」を心配する人と別に心配していない人がいる。どちらでもいいと思っている。 重要だと思うのは、心の詰まりがあるならそれを取り除いていくこと。何が心の詰まりになっているのか。「老後」を心配してい…

関わること そこねること

ケア塾茶山、西川さんの星の王子さま読書会に。 飛行士の質問に答えない王子さまの場面から、フィールドで折に触れた話しは聞くが訊いてまわることをしない人類学者や、傾聴の暴力性の話しなどがされる。人と関わることが援助や相手の喜びにつながることであ…

当事者研究 人との関わり

当事者研究、人との関わりについてちょっとまとめておこうと思う。 集団とか人間関係がもともと得意とかいうことはない。得意になったらいいなという憧ればあるが、無理やりそのためにエネルギーを注ぐほどの動機はない。話す場は昨年に比べたら明らかに充実…

当事者研究 振り返り

当事者研究を1年やってみた年だった。 ◇話しをする場が足りなかったことについて 話しができる場と回数が増えた。やる前は話す場が少なすぎるという感じだった。ただまだ十分に話しができているかと振り返ると、自分の内面的な話しができる場はあるのだけれ…

12月の終活ゼミ予定です。

先月からはじめた終活ゼミワークショップ。 12月は17日(日)と23日(土)の13時〜16時で場所はちいさな学校鞍馬口です。 マイノリティと高齢者は社会においてあるべき姿として課されている「普通」にならない、できない(できなくなる)という地平において…

「健全な」逸脱のために

月3回ぐらいのペースだが、身体教育研究所の稽古に通って3ヶ月になる。 カラダ系のことは3日坊主が多いけれどそれでも続けられるのは、自分の探ってきたことと通じて、また探っていくことの手がかりになる実感があるからだろう。 あと教えてくれる方とのフ…

「明日」の支配から解放されていくために 終活ゼミ。案内文

明後日から終活ゼミを開始します。 全ての活動は、終活の一部分として位置づけられる。ずっとやっていくので、今回来れない人も関心があったら打診ください。 明日なきところは、実は「普通」から排除された人たちが同じ地平に立てるところ。明日への隷従か…

イリイチ『コンヴィヴィアリティのための道具』 11/16南区DIY研究室読書会感想

木曜日は南区DIY研究室で開催されたイリイチの読書会に参加した。本はイリイチの『コンヴィヴィアリティのための道具』。 この語コンヴィヴィアリティの意味合いは微妙なものがあって、日本語にはこれといった適訳が存在していないようである。「自律共働」…

当事者研究 パーティの苦手さ

パーティや飲み会などの場が苦手だ。雑談とか日常会話に関心がなくてしたくないというのと、そこに興味深い人がいても、そもそも質問とかが思いつかないという状況がある。 状態: ・緊張 → 人に話しかけるのがまず大変 ・圧倒されている → 質問が出ない ・…

11/23、25 終活ゼミ。 ワークショップ参加者募集

生き方を「行き方」ではなく、「帰り方」だと考えたとき、そこへの向かい方はどう変わるでしょうか。 生きることを自分や他人が決めた何かの頂点にたどりつくことだと考えたとき、頂点にたどり着いたその後のことはフェイドアウトとしてしか存在しないようで…

哲学カフェで何をやっているか

これまで当事者研究でやった哲学カフェは、まずその言葉を聞いて自分に浮かび上がるものをベースにしてそれがどのように成り立っているのかを見ていくようにしてきました。 哲学カフェで何かいい発見があったとして、それはたぶん最初に思い浮かんだものがよ…

これからの調整

台風で家に閉じこもっている。やっていたゲームもアンインストールした。時間を持て余す。 当事者研究の日を設けて、別々の3グループを月に1〜2回やっていて、それで満足いく話しの場があるけれど、まだそれだけでは足りないようだ。もう少し、軸になって…

自給

自給とは何か。ずっと言葉にしようと考えてきた。 糸川勉さんに出会い、その言葉と実践を聞き、見て、糸川さんが畑ができなくなった後もずっと考えている。 みずから、あるいはおのずから給うこと。必要なものを自分に提供すること。サバイバルであり、力を…

倉田めばさんのことば 移行的状態としての到達と回復

薬物依存症の回復というものがプログラムの実践や行動の先に訪れるものだと信じてやまない人は厄介だ。よくなろうと歩き始めている今この瞬間こそが回復なのに。 倉田めばさんは薬物依存からの回復者で、大阪ダルクセンター長。釜ヶ崎芸術大学の講師などもさ…

哲学カフェ 「政治について」 働きかけと秩序 オープンダイアローグを参考に

長福寺で行われた哲学対話「政治について」に行ってきた。 朝9時からの開始で場を囲む人はスタッフをいれて9人。コミュニケーション・ボールというほわほわの玉を使って、それを持っている人が話せるという設定。 国や選挙などに関わるいわゆる政治と日常的…

高円寺界隈の「マヌケ」とべてるの家の通じるところ

臨床心理の学科にいた時は、なぜそこで得ている知見から他分野のものを見ないのかと思っていた。それをしないために自身の相対化もできない。次に文化人類学に移って心理的なことも踏まえたことを考えようとすると、「それは心理の話しでここでは共有されな…

関西当事者研究交流集会に

べてるの家から生まれ、各地に広がりつつある当事者研究。 大阪では去年にその全国交流集会があって、参加した知り合いからとてもよかったと聞いていた。今回は全国ではなく関西地区の交流集会ということで行われたようだ。 npo-sone.jimdo.com 集会のだいぶ…

報告 哲学カフェ 信頼から中動態へ

18日に哲学カフェをやりました。当初「友人とは」をテーマにしていたのですが、場の状況に合わせて友人に関わる「信頼」とは何かでやりました。人を信頼するという時の信頼とは具体的にどういうことなのか。自分を傷つけたり、危害を加えない状態が変わらず…

稽古のレポート3

自転車で転んだあばらも3週間ぐらいするとくしゃみしても痛くなくなった。 今回は座法と臥法(がほう)をやった。座り方と寝方。 ただ座ってはいけないのか、何をしようとしているのかと思っていたのだけれど、やってみて思ったのは意識状態が変わるなとい…

稽古のレポート2

身体教育研究所の稽古、3回目に行ってきました。 野口晴哉さんはいわゆる天才で、できるのが当たり前で説明できない。息子である裕之さんはどうしたら晴哉さんに近づけるのかという問いのもとに設定したのが、明治の人の体≒晴哉さんというものだったようです…

自意識とは何か 自意識からの自由

心理学科に入った頃は心の構造を理解すれば自分がわかるかと思っていたが、どうもそうではないようだった。無意識とは意識できないものであり、そこに直接のアプローチはできない。考えてどうこうなるものは意識できるところしかない。 自意識とは何かが状況…

充実の裏返しとしての根源的苦しみ 救い

先の投稿、一度に一通り書こうと思ったけれど、書けなかったところも多かったので補足。 自分が生きていくという時に、力が弱いように感じていた。社会に放り出されたところでまるで生きていける気はしなかった。根性も能力も何もないが、自分を動かすもの、…