降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

2015-09-01から1ヶ月間の記事一覧

文化 打ち消しのアート やさしさを作りだす反逆として

暴力は何もしなくても現れ出てくる。幼児が無邪気に虫を殺すように自然に存在していて、そして放っておくだけで増幅し、蔓延するだろう。そうでなかったならば、本来の意味での積極的平和という言葉がつくられる必要もない。 強いものは意図をしなくても、意…

こころのイメージ

友人とのやりとりのなかで、こころのイメージは、腸内の微生物環境のようなものと書いたのだけれど、もう少し言葉にしたくなった。 シロアリは、非常に消化しにくいセルロースを高効率で分解する微生物を体内に住ませて共生している(最近では自分でも消化酵…

循環を自分にひきつける サバイバルとエンパワメント

自給とは何か。糸川勉さんに畑を教えてもらいはじめた時からずっと考えている。僕にとって「自給」は糸川さんの言葉であって、自分の言葉ではない。 糸川さんの考える自給は、単に自分の食べる野菜を自分でつくるということにとどまっていなかった。この資本…

<お誘い>持続可能な社会づくりカレッジに参加します。

「話し合いのできる人になりあっていく」善意と未来をつくる前向きな意思を持って集まった人たちなのに、なぜ関係性がこじれていくのか。 「あの人はあれをやらない」とか「ああすべきだ」とか個々の要求水準を人にあてはめ、不満をたかぶらせていく。ルール…

「自分たちが確たる正解を持ってないのに声をあげていいのか?」

「自分たちが確たる正解を持ってないのに声をあげていいのか?」9月1日に京大で行われた自由と平和のための京大有志の会の動画をみた。 Broadcasting live with Ustreamwww.ustream.tv 安保関連法案に反対するママの会の西郷さんの冒頭のスピーチ。 僕が最も…

季刊紙の原稿 京都のらびと学舎通信

左京区界隈で配られているフリーぺーパーに寄稿しているのですが、それをブログにも転載することにしました。結局どこに書いても同じことしか書いていませんが。 ーー 秋風の吹くころになり,自給の畑も冬の準備に忙しくなっています。 自給という言葉は僕に…

話し 金沢へ

11年前に行っていた自由学校の詩の講座で一緒だった金沢の友人の家に。兼六園に行ったり、21世紀美術館に連れて行ってもらったりしながらぽつぽつ話す。 転機にある人は妥協がない。身体的な飢えがあってさらにさらに確かめようとする。一方で僕もまたいつも…