降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

南区DIY読書会 『環境と対話 地域と当事者を繋ぐ試み vol.2』 発表原稿

10/12(月) 南区DIY読書会

発表:「環境と対話」研究会編 『環境と対話 地域と当事者を繋ぐ試み vol.2』

前置き:「環境と対話」研究会は『性暴力と修復的司法』の著者である小松原織香さんが主催する研究会。研究会は関東と関西で行われていて僕は関西で行われる際には参加している。(コロナ流行以後は集まりは休止中。)ピーター・シンガー『動物の解放』や宇井純『自主講座「公害原論」の15年』などの読書会や水俣の民間団体相思社や滋賀県の石けん運動に携わる方をゲストとして呼んでいる。修復的司法は人間間の対話の技法であるが、小松原さんは自然と人間との間の修復的司法(あるいは修復的正義)という観点をもって前衛的に新しい領域を踏み込もうとされている。

 

 研究会に参加する前から小松原さんには関心があり、ツイッターでたまにリプライしたりさせてもらっていた。小松原さんに関心を持ったのは回復というテーマへの関心、水俣への関心(僕の場合は水俣全般というより水俣の漁師の緒方正人さんへの関心が大きいが。)が通じることがあり、さらに小松原さんが自分の研究をすすめるために既存の領域の外にでて探究されているということがあった。

 

振り返ってみて、もし小松原さんが既存の領域の外に向かおうとされていなかったら、たとえ水俣や回復への関心が共通項としてあったとしても、活発な研究会でのやりとりや自分の感覚や思考が受け止められていると感じることはなかったのではないかと思う。思考もまた一旦誰かに受け止められることによって次に進むと感じる。少なくとも僕個人においては一人で勝手に考えて進めていけるというものではないと思う。

 

研究会のなかでは小松原さんから様々なお話しを聞いたが、印象に残っているのは環境問題というのは、既存の学問領域がカバーできなくなった諸物が投げ込まれるような領域であるというお話だった。既存の考えではもはや対応できないことがあり、それは換言すればこの時代のパラダイムが行き詰まっているということであると思う。

 

その時、先に進んで行こうとするならば、既にあるパラダイムにおさまって研究をすすめることでは、糊口をしのぐには功を奏しても、新たな知見をもたらすことはできない。そして僕は社会問題の当事者というものは、ある種この時代のパラダイムにおさまることでは救われない存在なのだと思う。たとえ世間や既存領域に認められなくても自らが救われるために必要なものにたどりつこうとするのが時代には救われない当事者なのだと思う。

 

世間や権威に承認されなければ意味がない、認められなければ与えられる機会も少なく不利であり報われないともちろん一方で誰しもが思うわけだが、探究のなかで自分が新しいものの見方に更新されることは、自分の精神的な生命力を賦活し、更新する。

 

こと自分に関しては自分の精神的なサバイバルのために自分にあるもの、アクセスできるもので状況を救っていくしかなかったし、その探究自体によって植物が根を深く地中におろし、乾いた表土の下にある水を吸収する力を増すことだという実感はもっている。持たないもの、認められないものが救われるためには、さらに探究すること、探究の環境を整えることが必要だろう。そしてその原動力は自意識の努力というものであるよりは、「存在の飢え」といえる切実さからくるように思う。

 

◇紹介(あるいは感想)
序文「思考が生まれる場」としての研究会 小松原織香
 →「成果」を求めない場として設定した研究会が結果として「成果」を生んだ。「環境について対話すること」ではなく「対話する環境を設定すること」で思考が生まれてくる会になった。第2巻は第1巻に比してもっと自由奔放だ。それぞれが独自の世界を勝手に展開している。

 

【調査報告】小泉初恵(水俣病センター相思社)
既存の社会で自分のいる場所を見つけられなかった若者たちが水俣に「よそ者」としてやってきた。時代の矛盾を集約して受けた水俣には、時代の閉じた欺瞞に亀裂を入れる何かが感じられたのかもしれない。若者たちは生活学校という不便で窮屈な場に理想とのギャップを感じ「騙された」とさえぼやきながらも少なくない人数が水俣に定住し、子どもを育て、そのことで地域に受け入れられてもいく。彼らがもっていた問いとはどのようなものであっただろうか。そしてそれはどのように応答されたのだろうか。

 

エッセイ 動物からのまなざし 広瀬一隆(新聞記者)
同じ言葉を使っていても自分がもっているイメージと他人がもっているイメージはまるで違うものかもしれない。その虚無的な孤立の感覚におびやかされる筆者を救った飼い犬ラブとのやりとり。そして自分を含めてやる気のない学生のために実験動物にされたうさぎの目が自分にもたらした亀裂。また何年もたったあとで実験される猿にみた虚無。動物との交流とは何か。ほかの存在との「意味ある交流」とは何か。「意味」とは何か。

 

回復を越えて:躍動する生命へ至る思考 米田量(自由研究者)
自由研究とは夏休みの自由研究のイメージ。人は自分の最も切実な問いに対しては生涯を通して探っていくことができると思う。それは存在の飢えであり、ごまかしのきかない空虚感であるから。研究が「専門職」のものであると認識させられることは全ての人間にとって疎外となるだろうと思う。当初、何を投稿したらいいかわからず、過去のブログ記事を寄稿させてもらおうと思っていた。

 

しかし、小松原さんから自分が提示した記事だけではなく他の記事まで読んでもらったうえで、このようなことを書いてはどうかと提案され、結局2万字超の文章を書いた。人間が自己完結した個ではなく、応答的存在だということは以前から主張してきたことであったが、まさに自分としても応答として自分のなかのものが出てくるということをあらためて実感した。よく例にだすのだが、学者たちがある地域の語り部を自分たちの場に呼び、話してくれと求めたが、語りは求めをもつ子どもたちを前にしてはじめて呼びおこされるのであり、学者を前にして話してと言われても語り部は困惑したという。

 

内容は中学校からのライフヒストリーをふくめて、追い詰められていく自分の精神がかろうじて生き延びるために考えてきたこと、探究してきたことをまとめるような内容になっている。ライフヒストリーに関しては、個人的には今まで必要な分はいろんな場で語ってきたと思っていたので、その部分にはあまり書く意欲はそれほどなかったのだが、一方で自分の経験として、自分がたどり着いた結論や思考自体よりも過程や体験自体のほうに反応があるのも確かだった。小松原さんからも投げかけがあり、今まで書いたり話したりしたことよりも詳しく、取り扱わなかったようなことも書いてみた。

 

今至っている問題意識は、現社会のなかでは人々が家畜として、つまり生産性という卵を生むニワトリとしてだけ生きればよいと考えられ、卵を生むニワトリ以外のものになる可能性は囲い込まれて思考の自律性が動きだすための契機や整えを徹底的に奪われているということ。

 

これは学びの問題であり、回復の問題であり、人間と文化を否定する根源的な問題であると考える。家畜化された精神にとっては、政権が何をしようが、在日の人たちがどのような抑圧を受けているのか、入管でどれだけ過酷な人権侵害がされていようが関係ない。人々から精神の自律性が奪われ、応答的存在であることが抑圧されている。

 

この問題を不問にしたまま、学校や教育の教育プログラムを変えても、自己中心性と傲慢、一方でシステム依存による個としての無力化は終わらない。一方で、自分としては社会を一斉に全部変えるということを考えていない。その大きな社会というとらえ自体が幻想なのではないかと思う。不本意なシャバのなかで、人間が人間化していける場所、文化のある場所をゲリラ的に、感激を縫って構成すること、水俣の言葉で一時的な「じゃなかしゃば」(じゃなかは否定だと解釈している。しゃばじゃないような場所のこと。)をつくること。救いにいつかたどり着くのではなく、救いを生きるということが救いなのではないかと考えている。

 

詩 STAY HOME 乙女傘(隠れ詩人)
 「STAY HOME」、「猫が鳴いている」、「私は、そんな季節なの。」、「慈歌」、「結論」の5篇の詩。「社会」の圧倒性に対して歪められる個。疎外された個に残った「理性」がノイズとして欺瞞に歯向かおうとする。が、それももはや欺瞞に取り込まれているのか。他者だったものはあっという間に既知に取り込まれ他者性を失う。自律的なものは、それらがお互いを破壊し尽くして成り立たなくなるいつかを待っているのか。どこにもいかない、どこにもいけない。その閉塞とは拮抗であるととらえるならば。

 

文献紹介(水俣病の英語文献)羽田孝之(東西交渉文献史研究家)
日本ではほとんど研究の歴史に痕跡をのこしていない存在となっているPolluted Japan と雑誌KOGAI。これの書物が発刊されるきっかけはストックホルムで1972年に行われた国際人間環境会議だった。深刻な公害が進行しているなかで日本政府は「官僚の手柄話の報告であり、水俣病イタイイタイ病の現実など、どこにもなく、わずかに水銀汚染について、一部に問題が生じたが解決したと一行書いてあるだけ」の報告書を提出しようとしていた。

 

その隠蔽に対して宇井純たちが立ち上げた自主講座実行委員たちは、日本の現状を自分たちでまとめ、発表するという取り組みを行った。これらの雑誌は内容的にも非常に高いクオリティでまとめられており、そのために日本にはほとんど在庫がなくても海外の古書商には残っているものだっという。

 

日本は当時「公害先進国」といえる状況であり、その公害が近隣のアジア諸国に「輸入」されていくという状況にあった。自主講座実行委員たちは、このためこの工場等の設備が稼働すればどのようなことがおこるのかを市民レベルで伝えていた。これらの書物が国際的に果たした役割は非常に大きいと思われるが、現時点での日本の研究においてはPolluted Japan とKOGAI の存在は抜け落ちている。これは自主講座の活動全体を検証し、将来へと発展的に継承する上での大きな問題となっていると筆者は指摘する。

 

感想:アカデミズムの部外者としては研究というものがどういうふうに蓄積されているのかその実情を知らない。イメージとしては、かつてあったことはそれぞれ誰かがきちんとまとめて蓄積されているのだろうという漠然としたものだった。しかし、どうやら実際はそうではないらしい。研究されているものはされているが抜けているものはまるで抜けたままで「歴史」が出来あがっている。

 

1972年の政府の対応や態度は、福島原発をアンダーコントロールとぬけぬけといい、東京の八月の気候を快適と偽った少し前の政権とまるで変わらない。自主講座は国の制度にのらない自主的な集まりであったのになぜここまでの活動を展開できたのか。そしてなぜその活動の全体像の解明が中途半端なまま過去のもののように位置づけられてしまうのか。

 

自分はフレイレイリイチに触れ、林竹二の実践などを見たときに、なぜこれらの知見は現代の閉塞にこそ有効な視座を提供するものであるのに、過去のものとしてさして顧みられることもなく物置に放り込まれているのかという疑問を持っている。なぜこのように壊滅的なほどに相手にされないのか。おそらくその理由は新自由主義において、現体制を批判するようなものよりも人々を管理するために都合のいいものがもてはやされ残るのではないかと思うのだが。