降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

林竹二(教育哲学者)

灰谷健次郎『林先生に伝えたいこと』

等持院の整体の稽古の帰りに寄ったリサイクルショップで売られていた林竹二本。 整体の稽古の帰りにリサイクルショップへ寄ると灰谷健二郎が亡くなった後の林竹二に向けて書いた本『林先生に伝えたいこと』があり、購入。表紙裏には七条サナトリウム病院長の…

ある活動のやりとり 吟味の重要性について

ある活動を立ち上げようとしていて、やりとりをしています。 僕はちいさなものですが、今まで色々活動をはじめたり、運営したりしてきて、これが大事なんかなとか、これをやってたらあかんのやなとか、今も現在進行形で遅々としたものですが、そういうものも…

フレイレ 超えていくものとしての人間

フレイレの教育的活動においては、単に何かが記憶され蓄積されるかではなく、対話として成り立っているかが必須の条件とされている。フレイレにおける対話は、言葉を用い、人と人が現実の世界を媒介として、共同で探究し、見えなかったものを発見し、認識が…

ゾンビが人に呼び戻されるために

Dead & Buried(死と埋葬:邦題はゾンゲリア)というゾンビ映画。ある村の住人は全員がゾンビで、村に近づいた人間を惨殺し、ゾンビにして村人にする。現代の寓話だ。ゾンビがゾンビをつくっていく。 ゾンゲリア [Blu-ray] 出版社/メーカー: ハピネット・ピ…

学びが疎外される社会で

6つの学びの場をめぐって活動のお話しをうかがい、その後全員で「学びとは何か」というテーマで対話をする企画の打ち合わせ。 kurahate22.hatenablog.com 仕事上で必要な知識や技術を身につける学びはしているが、それだけだと息がつまる。それを補うために…

MAP哲学カフェ「話し合うとは」に行ってきた

MAPカフェの哲学カフェ「話し合うとは」に参加。 www.facebook.com 話し合うとはどういうことかを話し合う。 哲学カフェは初めての人もいて、テーマはとっかかりが難しかったようだ。話し合うということのなかで、話題があっちこっちに飛ぶ。自分の話しを延…

学びとは何か サバイバルとエンパワメントの視点から

学べることは無限にあるけれど、では何を学ぶことを選ぶのか。 学ぶことは余裕のある人や、能力に恵まれた人、学ぶことが好きな人だけに関わることなのか。 僕は今まで特に学ぶという言葉に対して意識してこなかった。自分にとって火急なことがあり、自分が…

孤を終わらせる動機 人間と演劇研究所「からだとことばのレッスン」に行ってきた

人間と演劇研究所の「からだとことばのレッスン」に参加。リードする瀬戸嶋充さんは、野口三千三、竹内敏晴、林竹二に師事されたということでお話しをきいてみたかった。 林竹二は僕も立命館大の長橋為介さんに教えてもらわなければ知らなかった。卒業研究み…

人の変化について アズワン・コミュニティに行ってきた2

人の変化についてずっと関心を持ってきた。 最初のころは、肯定的な変化を「成長」と考えてきたが、今はその言葉は使わない。このブログの最初のエントリーも『「成長」しない』だった。 「成長」しない - 降りていくブログkurahate22.hatenablog.com できな…

反応点 林竹二と竹内敏晴の「蘇生」

知人にかりている林竹二の「学ぶこと変わること 写真集・教育の再生をもとめて」を読み終わった。教育哲学者、林竹二は兵庫県の湊川高校で生徒たちに対して、授業を行った。 学ぶこと変わること―写真集・教育の再生をもとめて (1978年) 作者: 林竹二,小野成…

大村はまさん企画報告

少し毛色の変わった投稿を。 月1回ぐらいのペースで、たそがれトークバックという話しの場をつくっています。 今回は、大村はまさんの教え子の小林亜里さんをお迎えしました。大村はまさんは、国語教師で、教科書を使わない授業を実践された先人。 『優劣の…

もう少し林竹二について

林竹二について、関心がある方がいるようだったのでもう少し書こうと思う。もし教育に関心があって、林竹二を知らなかった人が彼を知ったらひっくり返るんじゃないかなと思う。 僕が林竹二の存在を知ったのは、立命館大学の永橋為介さんのゼミに参加させても…

ワークショップのお勉強 林竹二と湊川高校

なんだかんだと言いながら、ワークショップやる人を育てる講座に通っている。が、既に出席日数が足りないから、冬に修了はできなくて、来年の夏とかになるだろう。 宿題があって、ネットにアップされている動画をみて、レポートを書く。レポートは一つにつき…