降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

2021-01-01から1年間の記事一覧

周辺視野のリアリティ

以前にこういう体験をした。 夜勤帰りにネットカフェに寄り、マンガを読んでいたが寝落ちした。目が覚めたとき、ここがどこであるか、なぜ自分がここにいるのかもわからない状態が少しの間続いた。 目の前の光景と記憶がつながらない。やがてそれがだんだん…

エッツ『わたしとあそんで』 話の場と探究すること

自分が呼びかける側のときの話の場は「自分にとって必要な感覚やプロセスが動く」ことと「場にいるほかの人のプロセスが動く」ことが重なるように枠組みをきめています。 そのようにすると、早々に疲れたり、または場で何をやっているのかがわからなくなって…

「当事者研究」批判と自分が「当事者研究の会」をしていたことについて

4年前から2年間ほど「当事者研究」の会を主催していました。今回その時に参加していたメンバーからその責任と自分の言動について指摘を受けました。当時、べてるの家や「当事者研究」についてはその価値を多くの人に知ってもらいたいと思っており、ブログ…

カッコウと人間 存在としての加害性と簒奪性

先日の投稿でフェミニズムの歴史で繰り返されていたマジョリティによる運動の簒奪と「当事者研究」の問題点および今後おこりうるだろう展開を重ねた。 運動を多数派側や力を持つ側のものに変質させていくことは、もちろん意図的なものもあるだろうが、全く無…

ベル・フックス『フェミニズムはみんなのもの』 フェミニズムの歴史に感じる「当事者研究」の既視感

ベル・フックス『フェミニズムはみんなのもの』。1、2章あたりからもう既視感にみちている。現社会環境のシステムそのものが変わらなければならないとするマイノリティのラディカルな立場は、部分的な改良で良しとする白人中産階級などマイノリティ内マジ…

「時間」について 整体の稽古と2/13トークイベント「コロナ禍を歩く」から 

整体の稽古とトークイベント「コロナ禍で歩く」から「時間」について考える。 peraichi.com 野口整体では息というときにさすものは単に肺呼吸のことではなくて、いわば体にいきわたる「時間」の流れのことであるようにも受けとれた。 冷たい水をわざとちびち…

「負」を受けいれるために 「内面」の問題化から構造の問題化へ

心はなかなかに負を受け入れられない。負を内面において受け入れることは、社会的に謝罪することだったり、罰を引き受けること、公的な場において自分の振る舞いを統制することとはまた別のことだ。根本的な問題の改善には社会的な「責任」の全うと内面にお…

個人の変容と社会環境の更新は同時的ではないのか

話しあいの場があり、あらためて考えたことを。 個人の内面が変わっても社会の仕組みが変わらなければ何も変わらないのではという意見がでる。あるグループや組織のなかで、マイノリティの占める割合を多めに固定するといったような海外のアファーマティブ・…

意味と無意味

SNSで下記のブログが紹介されていた。siusiu.hatenablog.jp 筆者は「天国のゲーム」の条件として「忙しさを感じること」と「受動的であること」を挙げている。 「天国のゲーム」には条件があります。 それはプレイ中に「忙しさを感じること」。忙しいときは…

「見捨てられた」個々人ができること

テレメンタリー「私がやらない限り〜性暴力を止める〜」の感想を『「観客席」から降りて』ブログに寄稿させてもらいました。 pirosmanihanaco.hatenablog.com ドキュメンタリー番組 テレメンタリー2020【土曜放送】 - 本編 - 私がやらない限り〜性暴力を止め…