降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

当事者研究ネットワークに求めたいこと 「当事者研究の悪用」への向き合いを

被害者の告発によって、閉じたコミュニティ内では、主催者やスタッフのような、より強い立場にあるものによって、当事者研究が場でおこった問題を被害者当人の責任に転換し、もみ消すために悪用されうることが明らかになった。

 

note.com

 

ここでおこっていることは、当事者研究を用いてという点をのぞけば、組織やグループにおいて何度も何度も繰り返される抑圧だと思う。

 

DAYS JAPANアップリンクなどの事例をみても、教育系、福祉系、人権啓発系など、指導者的な立場の人、より強い立場の人など、「教える人」「わかっている人」「正しい人」「いいことをやっている人」など、道徳的な権威がうしろだてになっているような場合は更に問題が対処しにくくなり、深刻化しやすいようだ。

 

くわえて当事者研究に限らず、自己理解、探究のツールみたいなものを出している組織だと、そのツールを使って現支配体制の維持のための問題のもみ消しがはかられる。被害者が何かを問題と感じるのは、「まだわかっていないから」とされ、それを被害者に信じさせようとする。何度も見聞きしてうんざりする話しだ。

 

当事者研究界隈において、もし性被害だけに謝罪がなされ、当事者研究を用いた二次加害に対してはなんら態度が表明されないのなら、この問題は今後も至るところで繰り返しおこるだろう。

 

当事者研究ネットワークとして、この閉じたコミュニティにおいて権力関係がそもそもいびつになりやすいこと、当事者研究も転用されうる可能性を明言することが必要なのではないかと思われる。

 

取り返しのつかない被害を生む前に、被害を受けているのではないかと感じはじめた人が相談できる仕組みが作られないのであれば、今後も被害者は組織内では言いくるめられ、外部の人たちは「あの団体はいいことをやっているから」ということで、判断が歪められ、問題が取り返しのつかない状態になるまで放置されるだろう。

 

今回の告発は、実際に5年放置され、告発がなければうやむやにされた事例であると思われる。そして当事者研究ネットワークのなかでも重要な位置を占める人がこのもみ消しに該当することをやっている。

 

にも関わらず、先に出された声明ではこのもみ消し側であるべてぶくろの代表の連名で出されており、当事者研究ネットワークがこの代表の行ったことを許し、これ以上の向き合いはしないという姿勢を表明するものになっている。

 

toukennet.jp

 

(その後に出されたべてぶくろ代表の声明も真摯な謝罪の体をとりながらも自身の間違いを認めるのではなく、あくまでも不十分さ、至らなさの結果というかたちで最大限に主体的責任を無化し、当事者研究が二次加害に使われることへの問題提起を無視している。)

 

www.bethelbukuro.jp

 

当事者研究ネットワークは、当事者研究の場において発生する根深い問題に向きあおうとするより、現支配体制を維持することを優先していると現時点では受けとらざるをえない。

 

提起されている問題への向き合いをこのまま避け続けるなら、社会からは当事者研究自体が実質トップダウン組織による弱者搾取の自己啓発セミナーのようにみなされていくだろう。当事者研究ネットワークが自身に対してけじめをつけられるのかどうかが問われていると思う。