降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

2015-01-01から1年間の記事一覧

「生きている喜び」と「生きていく喜び」

ふと思ったのだけれど、「生きている喜び」と「生きていく喜び」は違う。前者は今のあり方、このプロセスのなかにあること自体を喜んでいるのだけど、後者は今のあり方や状態が次につながっていくことや継続することを想定した喜びなのだ。 「生きていく」と…

たそがれトークバックという催し

月に1回を目安にたそがれトークバックという名前で話しをする小さい集まりをやっている。今月は、12月ということもあり、これまでの活動を振り返ったりしながら来た人と話した。 たそがれは、意味を打ち消すもの。闇が近づいてくるなかでは、富者も貧者も…

明日という仮想

同意する人も少ないだろうけど、人は実態のところでは未来志向にはなれないと思う。未来は過去を投影して見えるものとなっているから。過去の意味を変えるものとしてその「未来」がある。悪い夢をみたから、もう一度その夢のなかでストーリーを変えたいとい…

アズワン・コミュニティ4 自律性の育て方

11月の末から三重のアズワン・コミュニティに行ってきた。今回は、参加者が持続可能なコミュニティを自分ごととして探求していく「持続可能な社会づくりカレッジ」及び、内観に入ってきた。 アズワンには、今年から何度も訪れている。アズワン・コミュニティ…

今日も対話へ なぜ「とむらい」なのか

今日も午後から「とむらい」をめぐる対話へ。希望してくれた方たちはテーマ自体に興味をもったという方もいれば,人の話しを主観をまじえず聞くトレーニングとしてだったり、とりあえず僕が何を考えているのかきいてみるとか、様々。 心の仕組み,ありよう、…

花は咲かなければいけないのか 「とむらい」をめぐる対話の続き

「とむらい」をめぐる対話を希望してくれた方々とそれぞれに続けています。この「とむらい」「とむらうように」は、一つにはいわゆる「自己実現」を違う視点から解釈しなおしたものです。 自己は実現しなければいけないのか? 花は咲かなければいけないのか…

自分を除いた周り

一番最初に関心をもった社会問題は環境問題だった。中学か高校でウータンという雑誌をみてPCBの汚染の問題に衝撃を受けた。PCB(ポリ塩化ビフェニル)はモンサント社の代表的商品だということは当時は知らなかった。wikipediaのモンサントの項目のなかにこう…

「とむらい」をめぐる対話経過報告 「かのように」生きること 

「とむらい」をめぐる対話、遠方の人はメッセージで、近郊の人とは会って話しをしています。9人の方が希望をくれていて、会える人とは日程を決めて一人一人会っていっています。 僕がやってきたこと,やっていることは、考えることというよりなぞることです…

講演とワークショップ<大村はま先生に学ぶ〜学びひたり教えひたろう 優劣の彼方で>

清滝テラでの講演とワークショップ<大村はま先生に学ぶ〜学びひたり教えひたろう 優劣の彼方で>に参加。清滝はもう紅葉がはじまっていた。 大村はまさんから直接教わった刈谷夏子さんが紹介してくれるエピソードは体に浸透してくるように聞けて意識が逸れ…

フロイトの実験 「逸らす」という自我機能

フロイトの催眠術を使った実験で、催眠術にかかった被験者が指示された行動を実行する際に、成り行き上フロイトの指示を軽微に破らなければいけないように状況を設定するというものがあったと思う。意地の悪い実験だけれど、興味深い結果が出た。 被験者に、…

言葉と意味の世界のサバイバル

関心があることは、大きな括りではサバイバルになる。でも山とか森とかで生きていくことに特に関心が高いわけではない。障害があったり、自意識のない状態でも人間は生きていく。それを前提にしたサバイバルに関心がある。自分自身は一旦言葉や意味の世界に…

心の動いた痕 「とむらうように」という関わりのかたち

「とむらい」をめぐる対話、お声がけいただいた方たちとそれぞれのペースでぼちぼちすすめています。対話させてもらうこと、そしてそこで得たものをまた言葉にしていくことが必要でした。 弱いもの、持たざるものであっても持っている根源的な力をどのように…

とむらいの続き2

とむらい」続き2。 「とむらい」について書きたいことが複数ある。 まずはこれまで書いたように、マズロー的な「自己実現」の現象の理解をとらえ直したもの。それは社会的成功とも関係ない。営みとしては、現れてくる苦しみに対して対処し(創造的な)克服…

「とむらい」をテーマに

「とむらい」をテーマに何人もの人と対話する機会をもらう。 話すと理解がすすむのを実感する。 「とむらう」あるいは「とむらうように」かかわる・つくりだす。抽象的な言葉になっているけれど,実用概念として考えている。勝手にこねくり回してこの言葉に…

ムヒカさん 「闘い」について

「「政治の世界では、彼らを分け隔てる必要があります。お金があまりに好きな人たちには、政治の世界から出て行ってもらう必要があるのです。彼らは政治の世界では危険です。(中略)お金が大好きな人は、ビジネスや商売のために身を捧げ、富を増やそうとす…

人工林の自由 言葉の毒性

意図しようとしまいと「〜であるならば価値がある」「〜であるから幸せだ」という言及は、「〜でなければ価値がない」、「〜でなければ幸せでない」という示唆を含まずにはいられない。「希望」という言葉が語られるときは、実はその対極である「絶望」への…

アズワン・コミュニティ3 自由になっていくリハビリ

先月末の金土日とまた三重のアズワン・コミュニティに行ってきた、 アズワン・コミュニティは、どうすれば人と人が対立せず、縛り合わず一緒にやっていけるのかを探求したきたユニークな三重県鈴鹿市にあるコミュニティ。このブログでも何度かエントリーして…

文化 打ち消しのアート やさしさを作りだす反逆として

暴力は何もしなくても現れ出てくる。幼児が無邪気に虫を殺すように自然に存在していて、そして放っておくだけで増幅し、蔓延するだろう。そうでなかったならば、本来の意味での積極的平和という言葉がつくられる必要もない。 強いものは意図をしなくても、意…

こころのイメージ

友人とのやりとりのなかで、こころのイメージは、腸内の微生物環境のようなものと書いたのだけれど、もう少し言葉にしたくなった。 シロアリは、非常に消化しにくいセルロースを高効率で分解する微生物を体内に住ませて共生している(最近では自分でも消化酵…

循環を自分にひきつける サバイバルとエンパワメント

自給とは何か。糸川勉さんに畑を教えてもらいはじめた時からずっと考えている。僕にとって「自給」は糸川さんの言葉であって、自分の言葉ではない。 糸川さんの考える自給は、単に自分の食べる野菜を自分でつくるということにとどまっていなかった。この資本…

<お誘い>持続可能な社会づくりカレッジに参加します。

「話し合いのできる人になりあっていく」善意と未来をつくる前向きな意思を持って集まった人たちなのに、なぜ関係性がこじれていくのか。 「あの人はあれをやらない」とか「ああすべきだ」とか個々の要求水準を人にあてはめ、不満をたかぶらせていく。ルール…

「自分たちが確たる正解を持ってないのに声をあげていいのか?」

「自分たちが確たる正解を持ってないのに声をあげていいのか?」9月1日に京大で行われた自由と平和のための京大有志の会の動画をみた。 Broadcasting live with Ustreamwww.ustream.tv 安保関連法案に反対するママの会の西郷さんの冒頭のスピーチ。 僕が最も…

季刊紙の原稿 京都のらびと学舎通信

左京区界隈で配られているフリーぺーパーに寄稿しているのですが、それをブログにも転載することにしました。結局どこに書いても同じことしか書いていませんが。 ーー 秋風の吹くころになり,自給の畑も冬の準備に忙しくなっています。 自給という言葉は僕に…

話し 金沢へ

11年前に行っていた自由学校の詩の講座で一緒だった金沢の友人の家に。兼六園に行ったり、21世紀美術館に連れて行ってもらったりしながらぽつぽつ話す。 転機にある人は妥協がない。身体的な飢えがあってさらにさらに確かめようとする。一方で僕もまたいつも…

ギブスとしてのパーソナリティ

パーソナリティタイプ論は、あれば大体見てしまう。野口整体の体癖論も興味深いのだけど、売っている本で詳しく紹介されているようなものを見つけていない。 「体壁論」という本はあるけれど晴哉さんはあまり解説するタイプじゃないように思える。このことの…

自信と信頼の違い インプロワークショップを終えて

今井純さんの4日間のインプロワークショップ終了。変化はおきるものであり、何もおきないのは変化を自分がとどめているからだ、という言葉が心に残る。 変化を自意識でおこすと考えると人は途端に重圧にさらされ、それに負けてしまう。そして重圧に負けない…

インプロワークショップ3日目

後天的に獲得されるものとしての心は、積み重ねられたプログラムのようなものだと思う。 それらのほとんどは無意識で作動するようになっている。ささいな一つの状況に対しても、少なくない数の無意識的プログラムが働くので、意識で把握することが難しい。 …

大阪七墓巡り お盆編 

陸奥さんの七墓巡りへ。6月にいった七墓巡りは、たぶん今回のリサーチを含めて行われたものだったかな。夜はそのまま大阪に泊まって話して、あの時はとても楽しかった。あれからあっという間のお盆。 七墓めぐりに - 降りていくブログkurahate22.hatenablog…

再読 西岡常一『木のいのち 木のこころ 天』

既にあるものがどこかで答えを出しているから、それを自分なりに探し出そうとしている。学生のとき、心理学から人類学のほうにうつったのもそうだ。その分野で行き詰まっているようなことは、他の分野に転がっていることからアプローチしたほうがいいと思う…

話しをすること 「何か」がおこること 居場所

図書館に本を返しにいく。夏は日が暮れる時間がいい。 id:boundary-lineさんのブログを読む。居場所について。 <a href="http://usaginooto.hatenablog.jp/entry/2015/08/09/150144" data-mce-href="http://usaginooto.hatenablog.jp/entry/2015/08/09/150144">居場所 - ウサギノオト</a>usaginooto.hatenablog.jp 誰かと話しをする場があればいいのにとよく思う。別に知り合いのカフェに行けばいいのだけれど…