明確な攻撃や差別発言ではないけれども、それを聞いたり見たりする人を消耗させていく言葉がある。
場において相対的に「弱い」人の立場に対して、自分はできる、やっている、(「望ましい」状態に)なっている、義務を果たしているというような「強い」価値(抑圧的価値観なのだが。)を達成していることをその発言のなかに前提させる。あからさまでないにしてもできている自分、あるいはその価値に対して格闘している素晴らしい自分を提示する。
世間一般的にはこのような仕草は肯定的に受け取られることも多い。やる側も受けとめられると知っているからこそ、繰り返しその受けのいい仕草をして、同族に賞賛を受けようとする。賞賛でエネルギーを得るのだが、一方でその価値観に否定される人たちはすり減らされる。それはウィンウィンではすんだりはしない。その価値に否定される誰かをだしにしてエネルギーを奪う吸血行為だ。
嫌になるほどありふれたそのような欺瞞の仕草や言動とは何であるのか。松岡宮さんの詩「謝れ職業人」はそれを喝破している。一般的に「常識」とされることや「望ましい」とされることが、いかに欺瞞にみちた自慢であり、グロテスクな行為であるのかが伝わってくる。
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そう、あなた今日も働いて働いて
上司に怒鳴られてもがんばって
同僚とのおしゃべりで気晴らして
ときどき仕事でも嬉しい事があるんだよ・・・
それなら
足下を見ろ
そこに横たういくつもの白い腹を見ろ
白いブヨブヨした腹を踏みつけてサーフィンしているあなた
イエイ♪ゴーゴー♪しているあなた
内臓破裂の暖かさに包まれている
あなたは
すべての弱いものに謝罪せよ
あなたの強さを謝罪せよ
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◆Miya Matsuoka 活動歴・受賞歴等◆
これを読んで反感をもつのか、それとも自分がもつ欺瞞性に思いがいたるのか、反応はさまざまであるだろう。
この社会で人が人を尊重するということは、どういうことだろうか。尊重とは誰かの生きてきたプロセスを自分が知ることなど決してできないという不可知をわきまえる姿勢であり、自分が誰かの存在の価値の上下を診断するようなことを決してしないという誓いを言動に反映させることだろう。
そんな水準のことはできないと思うかもしれない。世間一般の倫理的水準はここよりはるかに下だ。だから自分はそんな面倒なことはしないと思われても止めることはできない。しかし、やろうとしない人と、間違いをすることが避けられなくてもそこに向かおうとする人の違いはとても大きなものだろう。
揺れをもつ人が尊重される向こうに、その人も知らないその人の可能性がある。マイノリティは、マジョリティ受けする仕草(特に一見マイノリティに受容的そうにみせたり、本人が自分はマイノリティに優しいと信じていたりするのがたちが悪い。)を踊り続けて精神的なエネルギーを吸い取り続けるパペットマンのような存在に日々消耗させられている。法律でそういう精神的なエネルギーに対する吸血行為が禁止されていなくても、本当にやめてほしいと思っている。
マイクロアグレッションという言葉がある。明確にとがめられる水準にない、微妙な差別発言、往往にして無自覚に人を小さく毀損する言動などをさすようだ。マイクロアグレッションなんてことを気にしていたら何もしゃべることができなくなるではないかと思う人もいるだろうが、それがどれだけの人の時間を毀損し、消耗させているかを想像することは意味のあることだろう。
マイクロアグレッションを無自覚に連発している人は、それによって信用を失っており、周りからは表面的な付き合いの対象としか思われていない。人の存在に対して深い尊重を提供する意味を知らない人は、自分自身を様々な可能性から疎外していることも知らない。
ある人が存在として本当に尊重される場を文化的な場と呼ぶならば、文化的な場は世間にはほとんどない。日照りで乾いた川だった場所の、大きな岩陰の下にかろうじて残った水たまりぐらいしかない。だが人の存在が本当に尊重されるということがどういうことなのかを知っていこうとするならば水たまりは増えていくかもしれない。
副校長が真っ当な批判をするビラを配る生徒を逮捕して警察に突き出したり、亀田製菓に意見する高校生にデマを含んだバッシングを多くがするようなことがまかり通っているこの非文化的な社会環境において、文化的環境を目指し、つくることは今の社会環境で幅をきかせている側にとっては、うるさくて叩き潰したい営為に思えるだろう。
しかし自分たちの周りでは、そういう非文化的環境を文化的環境にするという反逆をしていきたいと思う。やまないマイクロアグレッションや人の苦しい経験を自分の見栄えやステイタス確保のだしにすることに対しては反対していく。法律違反でなくても、その言動は環境を非文化的な荒野にすることに対しては、尊重の水準が足りないということは伝えていく。
「強い」側の価値(マイノリティに一見「寄り添う」ような装いをするものを含む。)にたって、そうでない人の精神的なエネルギーを日々吸い取って消耗させるパペットマン的行為はやめてほしい。