降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧

【催し案内】4月〜6月 自給農法を学ぶ

11月に獣害(イノシシ・鹿)よけの柵をはり、タマネギの定植をした畑で、その後のケアと自給農法を学ぶ場をもうけます。自給農法は雑草を有効利用し、無農薬・無化学肥料で省労力で自家用作物をつくることを軸とした農法です。 日時:(雨天の場合は中止)4…

腐敗の進行と大勢への信仰

日本第一党が京都市の小学校での演説会をするとのこと。 昨日、原発事故で皆が避難するなか、1人捨てられた動物たちを集め、世話をする人の映画をみました。2011年以降、大勢は変わったのかと思うと、変わってないか、むしろ自分の「普通の暮らし」にとどま…

3/26 南区DIY読書会 発表原稿 「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」第六章〜

2019/3/26 南区DIY研究室読書会 奥野克己『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』 概要:ボルネオの狩猟採集民プナン(西プナン)はマレーシア・サラクワ州政府に属し、自動車などの近代的な道具に触れながらも、狩猟採…

自分の仮説 言葉の世界の位置づけ 先行知と後知恵

西川勝さんの星の王子さま読書会で、色々なものをもらっています。 僕にとっては、西川さんは物事がすぐ欺瞞に塗り固められ、その欺瞞に何も感じなくなってしまう世界に亀裂をいれてくれている人です。その亀裂から出る響いてくるものは、しばらく自分を正気…

話しの場で 探究と殻との距離感

話しの場について数人で話しました。 なぜ人が、社会の実際がこうなっているのかを考えてきて、やがて人が生きてくるなかで不可避的に、自動的に作られる殻があるからだと思うようになりました。 殻は自分の感じる根源的な痛みを感じなくさせるために形成さ…

第二水曜日、熾(おき)をかこむ会 参加者の募集

或る闘病記というブログを知って、読ませてもらいました。 fight.hatenablog.jp 想像ではなく、現実のこととして、死が自分のやってこようとする時の感覚。 あの夏の日、僕は病室の窓から蒼い空を見上げて、もう本当に死ぬのだと思っていました。もっと生き…

バイオハザード6続き 蝕みをはねのける怒り

まだバイオハザードで。 映画のように編集してくれている動画があり、前編と後編あわせて4時間近いものを観ました。作品への愛を感じます。自分の好きなものをまたどう生かそうかと考える人のつくったものだと思いました。 前編 youtu.be 後編 youtu.be 後編…

バイオハザード6 エイダ・ウォンを勝手に読みこむ

昨日の夜、連ツイしたものをまとめてみます。 バイオハザード6は、7年ぐらい前の作品のようです。アクションゲームが年々どうでもよくなっていて、いいストーリーのゲームはストーリーだけみせてほしい、と横着になっています。 そういう希望通りに編集し…

第二水曜日日中、西川勝さんとつくる話しの場

星の王子さまの読書会の講師でもある哲学者の西川勝さんとの話しの場、来月より第二水曜日の日中、おそらく14時〜18時ぐらいの間になりますが、はじめる予定です。平日日中ど真ん中ですが、ご関心ある方はどうぞ打診ください。 熾(おき)という言葉を名前に…

一つの人格という神話 ネットワークとメッシュワーク

以前、あるダンサーの人が別のグループのダンスの練習風景をみた後に、「どんな意識状態でやっているのかをみていた」と言っていたのが当時は全然意味がわからず、なんでみただけで意識状態がわかるのだろうと思っていました。 そういうのは、意図的に自分が…

お金をためて将来に備えなければならない倒錯

体制としては、3つの自給が自分たちのほうに引き寄せられるとき、人は自律的になりうると思います。食の自給、養生(医)の自給、学びの自給がないとき、たぶん感覚としては、生きるため(特に困ったとき)に必要なのは結局お金であり、それが稼ぐ場所だと…

書くことと同調について バイオハザード6のエイダ・ウォン

先日も、ゾンビものについてやりとりしていたのですが、ゾンビもの(アンデッドもの)の懐の深さは、あの世とこの世(の終わり)を同時に描けることにもあるのかなあと思いました。 さて吸血鬼などもアンデッドものに含まれると思いますが、かなり前に読んだ…

研究の民主化としての当事者研究

当事者研究の意義で一つ僕が重要だと思うのは、決められた手順や決められた様式にそってないものは、信用しません、全て却下みたいな世界に支配され切られなくていいところだなと思います。 精神に間することでもアンケートをとって、あてはまる、ちょっと当…

回復のあと

深く傷ついた人が切実に自分の回復を求めること、求めてしまうことは理解できる。 だけれど、同時に複雑な思いをもってしまう。 回復にあかつきに、何か本当のものが得られたり、本当の生がはじまるわけではないと思うから。もちろん、何かの苦しみが消えた…

報告 西院ひふみ荘でのワークショップ「わたしの「時間」を知る」

西院ひふみ荘でのワークショップ「わたしの時間を知る」終わりました。もともと雰囲気のあるシェアハウスなのに加え、リニューアル前の貴重な終わりの時間を少しだけ共有させてもらいました。 べてるの家で、メンバーが一番変容するのは、誰かのお葬式を経る…

3/8、3/21、3/23 今月のワークショップ予定

3月8日(金)19時から西院ひふみ荘でワークショップ わたしの「時間」を知るを行います。 吉本隆明が子育ての際に気をつけていたことは、雑事を言いつけることで、子どもの時間を細切れにしないことだったと聞きました。 誰しもがそんな環境をもらえるわけで…

処世術としての「教育」 

奥野克己『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』 aniram-czech.hatenablog.com ボルネオのプナンは、子どもたちが学校に行きたくないといえば親は特に行かせようとしないといいます。学校に行かなくても生きていく術が…

公開研究会 水俣と京都をつなぐへ

カライモブックスさんのお二人が母校でお話しをされるということで京都文教大学へ。 水俣と京都をつなぐ シエルというでっかいクリームコロッケを出す大学近くの名物洋食屋に行こうと思ったけれど、時間が遅くなったのと、店がわりと混んでいたのでやめた。 …

「時間」として生きること 

今日は、久しぶりにオフラインでの当事者研究の日になりました。 去年まで当事者研究は、3つの場で、あわせて月4、5回ぐらいやっていました。それぐらい自分にはその場が必要だったということでした。1年半ぐらいやって、去年の8月で一旦全て終わらせて…