降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

2017-01-01から1年間の記事一覧

現代の学びの場

自分が考えてきたことは、つまるところサバイバルについてだ。この社会でどう生きればいいのか、どう生きられるのか。人の変化や回復について確かめていくことも、サバイバルのなかに入る。 ただこれは、多分サバイバルという言葉がよく使われている文脈、つ…

オールマイティ

オールマイティなモデルになろうとしてかかるコストの高さ。効率の悪さ。そしてなお矯正しきれない癖。歪み。 コストと時間をかけて作ったオールマイティさをもって、多人数に一斉にアプローチしてコストを回収するのが経済の理屈。 だが物ならともかく、人…

寝る前

寝る前にわりと毎度親のことが頭に浮かぶ。 両親とも一応元気だが、年はとっていくし、父は脳梗塞以来歩きにくくなっていて、熱など出ると自分でトイレに行けないらしい。 らしい、というのは姉から聞いた話しだから。 正月は帰るし、別に話さないわけではな…

リアリティをひっつける

話しの場では何がおこっているのか。 言葉を使うので、言葉が作用することをやっているんだろうと思うけど、言葉を使う以前に表現するということでもある。 表現一般とは何なのか、そういうことはわからないけれど、自分が自分に関心に基づいて確かめてきた…

話しの場

何かが始まるということは、何かが終わったということだ。始まりはその派生的、必然的な結果にすぎない。 何かが本当に終わる。 そのことをみたい。 話しの場での気づき。 言葉を一つ一つ、そのリアリティをなぞるように置いていく。 リアリティに少しでもか…

終わりない学びの場はつくれるか

話しの場の可能性、当事者研究、リフレクティングプロセスの場などを通して共に探りたい。 話しの場、エンカウンターグループにしても、傾聴やカウンセリングみたいなものにしても、治療者、聴き手、ファシリという役割がある。 その役割抜きに話しの場は成…

死を避ける生と死によって生きる生

誰かの描いた物語を生きる。 そこに寄る一体感と高揚、安心感は大きく、自分の望みとそれが同じであると信じたい気持ちは、小さく発信されている違和感を圧倒するには十分なのだろう。 ウィニコットは、幼児は母親を見ているのではなく、母親の瞳に映る自分…

生きること学ぶこと

なぜ今のようなことに関心を持ち、今のようなことをやっているのか。 書いたこともあったけど、2年半前なのでまたあらためて。 kurahate22.hatenablog.com そもそもは中学時代に始まったフラッシュバックがことのおこり。 いじめや嫌がらせをしてくる同級生…

聞いた話し 学びの場としての大地の再生講座

知識や技術の蓄積は副次的におこるもの、あるいは学びがおこる過程を整えるものとしてあると思う。 学びとは自己更新であり、その更新は認識や世界の体験の仕方自体を変えるものだ。学びとは出会いであり、それがおこったとき、人の感じ方、行動の仕方は変化…

当事者研究3/4 状況→反応→工夫→結果→では問題とは何か、のサイクル

土曜日の当事者研究の集まり。 大事にしたいことはまずは実用的なこと。なので、気のめぐりの改善ということをまず考える。 あることを困ったことと感じ、その困ったことが心中で不本意に大きくなってくると生きることに滞りや支障が出てくる。その際、いき…

エンパワメント 内在化したものを取り除く

学びは、まず生きものが持っている自律的な更新の働きに基づくものであると思う。自律的な更新の結果としておこることは、エンパワメントだ。だから学びの結果、エンパワメントがおこる。 それは試験後は忘れる丸暗記のような辛い作業をしていい結果が得られ…

身をひたす

人に直接働きかけることによって、直接的な効果を得るのではなくて、働きかけたり調整するものは場の設定だと思う。 豊かなものとは派生的なものだ。そして派生的なものは自律的であり、自己展開する。派生的なものが持続的であり、派生的なものを発生させ、…

手をつけてなかった自由

いかにも春という感じの草が庭にも生えてくる。 庭のミツバは去年の夏の干ばつで全滅したのか、芽は見当たらない。ミツバかと思った発芽はセロリだった。セロリも一旦タネが落ちれば野良生えを繰り返すタイプ。コリアンダーも出てきた。 畑では腹にたまるも…

話しの場 自給的学びの場

なぜ今の形の話しの場をやるのかと訊かれて、話しができる環境をつくっているからとこたえた。長いスパンで見たら環境を育てていく、つくっていくということが伴わないと結局自分の状態も停滞するのは個人的な感覚では明らかだから。 一般的には6人ぐらいの…

息とめぐり

日曜日はからだとことばのレッスンへ。 一ヶ月あいて久しぶりに行くと二ヶ月前にお会いした人の雰囲気が結構変わっている。座った状態で息の入りをお腹まで通す。この時は自分でやるのではなくて、講師の瀬戸嶋さんが手で直接顎を押したり、背骨と胸を押した…

巡るプロジェクト思案中

想像だけしていた「巡るプロジェクト」に応じてくれる人が集まり、始動できそう。 とりあえず京都や関西の学びの場を巡るということをやりたい。巡ることは人と出会うことであり、それ自体が関係性の変化を引き起こす。 「仲良くなりましょう」で誰かと直接…

蝕み

徒歩で四国八十八ヶ所巡りをした時があったのだけれど、山に入ると、一人になったという感覚になっていた。街とかだと、たとえ一人でいても、あまり一人という感じがしない。いい意味で、充実する「一人」の感覚だ。 一方、僕は孤独という言葉にいい意味をも…

パラレルワールド 全ての意味が無化するところで

あまり音楽聞くほうでもないし、音楽のことを何も知らないけれど、何となく久しぶりに原田知世のシンシアをyoutubeで見ていて気持ちが揺られる。 原田知世 - シンシア 顔を両手で覆うと、森の中から水辺や街などに場面が移る。着ている服も変わる。 それぞれ…

<2016年12月ー2017年2月総括>

活動記録に続き。 自分の求めるかたちで、話しの場をつくる、持つということが、ようやくできるようになってきたように思う。 バイトと組み合わせて、自給の畑をしたり自給の畑を教えることなどを通して経済や身体の維持、自分として世界と関わる接点はあっ…

2016/12/7〜2017/2/21 活動記録

<2016.12〜2017.2.21 活動記録> 12/7 誠光社での西川勝さんと砂連尾さんのトークへ。お二人と久しぶりに会う。楽天堂のむうさんも来ていた。打ち上げに参加して、西川さんに教育哲学者林竹二の話しをふった。世間で奉られている価値でも西川さんはばっさり…

酵母を満たして ちいさな学びの場をつくること 当事者研究大会のミーティングに行ってきた

当事者研究大会の実行委員会の初回ミーティングに参加させてもらう。 2016年の大会は別の予定があって参加できなかったけれど、大会の雰囲気やあり方自体に衝撃を受けて強い関心を持った人も少なくなかったようだ。ミーティングでもそういう感想がちらほら聞…

当事者研究 気の通路をつくるものとして

東山区の本町エスコーラで大地の再生講座が3/4にあるらしい。畑の小学校の市川ジャンさんからよくお話しは聞いたりしていて、とても興味深い。岩倉の畑も手を入れてもらったりした。 基本的な考え方は、既にある詰まりをとり、空気を通し、水の流れを良くす…

カーリングのように 4/1カフェスローのローカリゼーション・カフェ

東京のカフェ・スローで4/1に「おふくろさん弁当」の岸浪龍さんのお話し会。 cafeslow-even.jugem.jp 環境を整えて、ゆだねる。その認識が大事だと思う。「自分でやる」のは、整えまで。 ただただ整えていく結果、やがてゆだねられる環境ができる。 ゆだねに…

人心地と学び

「先生」になる程の知識とスキルを身につけなければ学びの場は作れないのか。 もちろん、ただ集まればできるとか、とりあえず続けていったら成り立つとか、そういうこともない。 動機の強さは、その場でおこるやりとりの質の高低、場の持続性にも直接的に影…

リアリティ 「明日」に支払う代償

「成長」した暁に、本当の自分になり、本来あるべき体験ができるという考え方がある。自分なりに人の変化を確かめてきた結果、僕はそのようには思わなくなった。 深刻なトラウマを抱えた人が「回復」に長い時間かかる。その回復までの期間は、どちらかという…

尽くすことと学ぶことの違い

大学の学部は心理カウンセリングの学科にいたけれど、人の悩みをずっときく仕事につきたいと思ったことはなかった。自分が聞いて、その人が楽になるなら聞きたいという気持ちもなかった。 一方、年間を通した当事者研究の集まりをやっていくなかで、参加者が…

場の整い

こころゆく話しの場は、どのようにできるのだろうかとずっと試行している。 自分の求める感じが成立するために必要な要件の一つは、発散の場ではなくて、学びの場であることだと思っている。 更新していく場であること。自分の捉え方、考え方、反応の仕方と…

当事者研究のプレゼン準備

当事者研究の集まりを京都の3箇所で始める。 どういう趣旨でやるかを考える。A4の紙のプレゼンで紙芝居的にやろうと思う。 あと1時間後に発表する準備を今からやってみる。 なぜ当事者研究をやるか そもそも当事者研究とは →北海道の浦河べてるの家で始ま…

初動の認識 対話が成り立たない理由

アズワン鈴鹿コミュニティは、「当事者研究」で、対話の成り立たなかった状態から対話が成立する状態をつくりだすことに成功した。 一旦コミュニティ的な集まりを作っても、距離が近くなって他人行儀に限界がくると、途端に人の行動や言動が許せなくなる。一…

じゃなかしゃばとしての文化

辞書や学問でどう定義されているか知らないけれど、僕は文化というのはサバイバルということに生を埋め尽くされることをやめるために生まれていると思う。 どんな事故に遭うかわからない。どんな病気にかかるか、どんな障害を生まれ持つかわからない。お金を…