降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

<2016年12月ー2017年2月総括>

活動記録に続き。

 

自分の求めるかたちで、話しの場をつくる、持つということが、ようやくできるようになってきたように思う。

 

 

バイトと組み合わせて、自給の畑をしたり自給の畑を教えることなどを通して経済や身体の維持、自分として世界と関わる接点はあったけれど、より個人的な、個としての強い求めが満たされていく必要があった。それが話しの場だ。

 

 

求める話しの場ができないのはなぜだったか。

 


自分の特性、適正人数、場の設定の仕方、参加者の話したいこと、興味関心の差異、話す動機の強さ、話すということをどう捉えているか、様々な要因がある。コンセプトの明確化と設定の仕方の調整をしてみたがそれだけでは足りなかった。

 

 

自分自身が対話ができる状態になっていくことと、環境の流れ、環境の整いが必要だった。

 

 

アズワンのコースに参加し、観察の仕方を自分なりに発達させる。アズワンの環境は、自分の考えに応答の場をくれるものでもあったので、自分に必要な栄養を多くここでもらった。必要な栄養が得られれば、自律的な変化のプロセスが進む。より安定し、元気な状態になっていった。

 

 

環境の流れについていえば、自分はどこかとどこかの媒介、何かと何かの媒介を行うことによって、派生的に自分に必要な環境を作るのだけど、アズワンと京都をいったりきたりして、アズワンの人に来てもらう催しを京都で行ったり、鈴鹿でやっていることの紹介をFBやブログなどに書いたりしていると、関心を持ってくれる人たちが現れた。

 

 

コミュニティなり対話なり、人の変化なりに対して、教養の一環みたいな関心じゃなくて、もっと突っ込んだ関心、自分ごととして、当事者としての強い動機とリアリティを持つような人と出会えないと自分のプロセスがすすんでいかない。そういう人的環境を持つこと、繋がっていくことが自分の精神のエサ場として必要だった。

 

 

アズワンアズワンの留学生、本町エスコーラと繋がり、共に企画や場づくりなどをすることを通して、その精神のエサ場としての人的環境が満たされていった。共に活動を展開させていくベースももらった。

 

 

話しの場をつくるということが、僕の強い求めだ。毎日そういう場を持ったとしても疲れない。それは基軸にしながら、その話しの場が成り立つ外枠、外の世界と循環し、エンパワメントされる関係を持つ環境をつくることができればいいだろうと思う。

 

 

定期的に当事者研究の場、リフレクティング・プロセスを学ぶ場を持ち、3月からは熊倉聡敬さんとのエスコーラでのゼミ的な場を設けたいと思っている。あと、2畳大学の梅山さんの留年論文制作に加わる予定。