降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

話しの場

何かが始まるということは、何かが終わったということだ。
始まりはその派生的、必然的な結果にすぎない。

 


何かが本当に終わる。

そのことをみたい。

 

話しの場での気づき。

 

言葉を一つ一つ、そのリアリティをなぞるように置いていく。

 

リアリティに少しでもかする言葉をみつけ、またそこを基に近づいていく。
そしてある時、妥当な言葉が現れた。

 

その言葉にくらべると、今までの言葉は、半分ぐらいは満ちていても、あと半分は空であるようだった。

 

その言葉は、何気ないのに、満ちすぎでも不足でもなく、必要は全部満たしていた。ポンと現れてきた。

 

今までうろちょろしていた平面とは、違った位相から出てきたようであったけれど、自然な言葉だった。

 

話し手は、もうこれでいいと、自分から言ってくれた。

 

帰り際に荷物をまとめようと横に体をひねった時、自分の体の震えに気づいて驚いた。5分ぐらい、それは続いていた。

 

劣化していく歪んだコピーの再生産で出来ている世界に住んでいるようで、うんざりして、カスカスになる。

 

繰り返しはもういいから、本当の変化がみたい。本当の終わりを共に体験したい。