降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

ワーキンググループについて 無香料日用品の簡易チラシづくりを事例にしながら

少人数で集まり、学びを趣旨にして自分にとって必要なことをする作業グループをワーキンググループと勝手によぶことにしました。


学びは余裕がある人や勉強好きな人がやるものだと思われているむきもあると思いますが、ここでは学びを自分が既に知っている世界から少し出て、そこでの体験から自分の知っている世界を更新し、新鮮さを取り戻すことだとします。

 

学びを媒介させる理由の一つは、場の環境設定です。
学びにとって必要なことは一旦自分の知っている諸々の知識や正しさなどを一旦置いて、自分の知らないことを探る謙虚な態度になることです。より知っている人が意見を言う場ではなく、それぞれが普段の繰り返しを一旦おき、知っていることや普段の繰り返しではないところに大事なことがないかとそれぞれが謙虚になり、探究的になることで、場はそれぞれの人のそれまでの認識を更新しうる生きた空気を生みます。

 

一方で、この意味での学びを媒介させないと、いつも声の大きい人や意見を通す人が場を支配して他の人には何もおこらない死んだ場になりやすいかと思います。
ワーキンググループは学びとは何かを知っていく場でもあり、自分と自分のなかで動いている、自分に必要なものを満たし次の状態に変わっていこうとするプロセスと自分との関係を近しくしていく場です。

 

自分で場をもったりするなど面倒臭い、そんな大層なことは自分にはできないと思うかもしれませんが、ワーキンググループでやることは、自分が無意識にイメージしている高い水準のことではなく、身の丈のことをやります。また長い目で見れば今やったほうが後々の手間が省けるようなことをやります。必要とも思えないことをやる必要もありません。

 

僕自身が香害の問題に自分もある程度当事者となって、周りをみたとき、割と少なくない個々人が苦しんでいる状況があるものの、個人で情報を集めても、それ以上何をやったらいいかがわからず孤立し、行き場をなくして強いストレスをためる話をよく聞きました。

 

孤立した一人の消費者として買えるもの、得れること、やれることでは、状況があまり変わらず追い詰められていくのです。自分と同じ気持ちを共有できる場が必要であり、そしてちいさくとも実際に環境を変えていくこと、この停滞状況を動かしていくことが必要です。

 

問題がおこるまでは気づくにくいものの、この社会環境において個々人は孤立した消費者として社会から個々に隔絶されていて、誰かとすぐに問題について話したり、考えたり、必要なことを自分でやっていくことができなくなっているのです。

 

孤立し、実態として個々に隔絶された消費者が、自分と社会の乖離をせばめ、自分と社会環境がともにある状態を取り戻していく媒体として、ワーキンググループが機能すると考えています。

 

香害については、自分自身もまだ日常生活ができなくなる水準ではないので、それほど積極的にこの問題に対して何かをやるということをしていませんでした。ですが、香害で孤立し行き場をなくす人の存在があって、自分としての応答をしていく必然を感じました。

 

まず、孤立しているとよりより追い詰められていくので、問題を共有する人や場が必要だと思いました。追い詰められると、柔軟剤を使っている人に殺す気かと怒ってしまったり、化学香料が平気な人達の鈍感さは同じ人間とは思えないと、敵意さえもってしまいうると思います。同時に自分自身の惨めさややるせなさが募り、自分を傷つけるような衝動にかられたりもするでしょう。

 

問題は社会環境と個人の乖離なので、まずはちいさな社会ともいえるグループを作ります。ただいきなり作ったグループでは、人間関係がうまくいかなかったり、お互いの要求水準が違うこともあります。まずは最初から問題を根本的に解決しようとするグループを作るのではなく、要求水準がそれぞれだったり、一緒に何かやれるかどうかわからない、ということが問題化しない集まりを作ります。

 

今月に、身の回りの人に渡せるような無香料の日用品の購入がどこでできるかを簡易に紹介したチラシを作ろうという集まりをしますが、このようにいきなり香害問題解決に向かうグループを作るのではなく、まずはやって無駄にならないことをやりながら、そこからこういうことやったらいいねとか、こうなったらいいねとか、そういう会話とか雰囲気とか動機が生まれてきたら、その水準にあわせたことをやったり、出てきたアイデアでやれそうなことをやるということを続けていくのがいいかと思います。

 

この過程で、自然な人間関係が生まれ、孤立した状態から社会環境の取り戻しがおこっていきます。ちいさな火を育てていくように、いきなり大きな薪(課題)をもってくるのではなく、社会から乖離させられた個人が社会を自らと繋がったものとして作りだしていくことが次の展開や可能性を生んでいきます。

 

そこで別に失敗してもいいのです。また小規模のことで、自分の身の丈のことで、無駄にならないことを一緒に作業する場を作ればいいですし、前と同じメンバーを誘う必要もありません。自分一人でやるのが苦手でできなければ友達と相談しながらやってもいいのです。

 

ワーキンググループは、単なる身の丈の作業グループでありながら、どうせ必要なことをやるという部分をグループに組み込むことで続かなくても無駄にならない集まりとなり、それでも一回一回が確実にちいさな社会と孤立していた状態ではつながれなかった人とのつながりを生んでいきます。

 

学びを趣旨とすることで、既存の社会関係で場が支配されてしまうことを避けつつ、自分にとって必要な人とのつながり、自分の社会を派生させるのがワーキンググループです。

 

直線的に問題解決に向かうのもいいですが、それがしんどくて大変なのではじめることもできないという状況があるとき、まずはちいさな自分の社会づくりの橋渡しとしてのワーキンググループをやってみることは無駄になりません。やる前から自分に無駄にならないことを選んでやるのですから当然なのですが。

 

自分の身の丈にあわせて、背伸びし続けずできること、孤立した消費者としての日常空間の外に社会関係をつくり、ちいさな社会をつくっていくことができると思います。ワーキンググループは直線的に問題の解決に向かうものではなく、問題の解決が可能になるような社会環境自体の豊かさを生みだしていくものです。

 

そしてそのようなグループにおいては、個人もおきざりにならず、よそゆきではない自分に戻りながら、状況を少しずつ変えていくことができると思います。誰か優秀な人につくってもらう場もいいですが、ワーキンググループは、身の丈の自分の調整で、2,3人からでもできる場です。

 

このようなことは別にワーキンググループと名づけずとも、前からやっていたという方も多いと思います。あえてワーキンググループと呼ぶのは、何か必要なことがあった時に、じゃあワーキンググループをやろうか、と色々な場所で同時多発的にことをおこしやすくするためです。

 

四国八十八か所めぐりのお寺(札所)に多くの人が参りますが、八十八か所めぐりというコンセプトがもしなければ、そこにただお寺があるだけでは、行かなかった人も多いのではないでしょうか。

 

実態として個人が社会から乖離され、孤立している現状があり、それに対する日常的な媒体として学びを趣旨としたワーキンググループというコンセプトがあることで、ちいさくあまり社会的な意味がなさそうな作業グループに新しい意味と動機が生まれると考え、あえてこのような名前をつけました。

 

べてぶくろ性暴力問題 信田さよ子さんの応答と被害当事者からのメッセージ

べてるの家の関連施設、べてぶくろでおこった性暴力は、地域住民との関係性の悪化などを理由に公にすることをべてぶくろによって止められてしまいました。行き場のない状態に追い込まれた被害者に対してべてぶくろからは「当事者研究」をすることがすすめられ、性暴力事件は個人の了解の問題として片付けられようとしていました。

 

べてぶくろでおきた性暴力、そしてその隠蔽の問題が「なかったこと」にされてしまう危惧のもと、被害者の方は5年の長い時間を経て、べてぶくろを告発するnoteを公開しました。べてぶくろは被害者自身の声に対してではなく、その「反響」によってようやく声明を出しました。声明の文章は真摯な反省を装いながら、自身の意図的なこの隠蔽については「知識や経験」が足りなかったためにおこったであるとし、まるで自身の意図が存在しなかったように責任を最大限に小さくしようとしている不誠実なものでした。

 

またべてぶくろが声明を出す前に、「当事者研究」を実践する組織が「当事者研究」を組織内における性暴力事件の隠蔽に悪用したこの問題を受けて、当事者研究ネットワークが当事者研究のリーダーたちの連名で声明を出しました。タイミングからしてその声明も告発の反響に対するものであることは明らかでしたが、その声明はべてぶくろ性暴力隠蔽問題には一切触れず、当事者研究の広がりとともにおこってくる問題を、あくまで一般的な問題として受け止め、当事者研究環境の改善していくことを宣言するものでした。

 

声明は被害者に許可を事前に確認することもなく、被害者の存在をおきざりにして、あくまで世間の視線に対して行ったものと思われます。また声明にはべてぶくろ代表である向谷地宣明氏が連名しており、当事者研究ネットワークは今回の性暴力隠蔽問題において加害当事者である向谷地宣明氏の正当性を事実上承認した姿勢を示すものとなっていました。

 

ネット上ではこの問題にあがっていた声に対して、福祉系ウェブサイトの理事(後にべてるの家とのイベントをひかえていた。)が第三者がこの問題に口を出すことをいさめるツイートを出していました。しかし、組織に対して圧倒的に弱い個人が痛みながら声をあげているときに、そこに第三者が応答しないならば、声はそのまま消されてしまいます。「いいこと」をやっている組織の内部での人権侵害がここのところ頻発していますが、問題を業界にまかせておくのではなく、外部から指摘し、今までできなかった改善を求めていくことが必要であると思われます。

 

被害者の方は、べてるの家とも関わりのある様々な方にこの問題についての言明を求めました。しかし、反応をくれた人は少なかったようです。ネット上では毎日のように社会環境の向上に向けた発言をしている知識人、脚光をあびる研究者が目の前の問題には口をつぐんでしまう。このような現実があるなかカウンセラーの信田さよ子さんが応答の文章を寄せられました。

 

被害者のpirosmanihanacoさんもこの応答を受けた記事をアップされています。

 

pirosmanihanaco.hatenablog.com

11/28ワーキンググループのあとに考えたこと

世間が当事者に発言の資格を認めるのは、当事者が痛みを持っているからだと思う。たとえ傍観者となっている人でさえ、痛みが発露されるその瞬間には釘づけとなり一体となってそこに没入してしまう。それは自身が自身から乖離させた痛みをその人が自分の代わりに引き受け、自身の内奥で止まってしまった時間をその瞬間だけ動かしてくれているからではないか。

 

「観客席」という言葉が提示される。常野雄次郎さんの言葉からのものだという。「観客席」に座っている間、自分は世界でおこっていることと自分が一体であることを乖離させる。あれは自分が直接関わることではない誰かのことであり、自分にはそこに関わる資格もないし、また義務もない。世界から直接に応答を受けることもない代わりに、そこに関わる煩わしさや代償もない。疎外された自分と世界との関係を更新する応答の喜びではなく、煩わしさと関わることに付随する余計な代償がより少なくなること。それが世界に絶望した者に残される代替的な希望なのだろう。

 

どれだけ多くの人が自分がとうの昔から絶望しているとさえ知らないことか。乖離させられた感情は自身ではもうそれをとらえることができない。ただ自分の代わりにその痛みを引き受けた他者に出会うときに、その人が痛んだぶんだけ、殺されていた自分の時間がよみがえる。自分と同じ目にあわせる復讐もまた、相手に自分の痛みを再現させて、自分の止められた時間を動かそうとすることだろう。

 

当事者性とは、痛みに応答する主体となることだと思う。しかしその痛みはその当人だけのものではなく、同じ苦しみをもつ人たちに共有されている。人間として扱われず、時間を止められた人が自身の尊厳を取り戻すことは同時に、同じ苦しみをもった人たちに応答することとなり、同じように時間が止められる人を再生産するいびつな社会構造に亀裂をいれることとなる。

 

自分がいつの間にか座っていた「観客席」から立とうとするとき、穏やかで同じことが繰り返されていた自分の閉じた世界がおびやかされる。安定した死としての、自分の閉じた世界への安住がおびやかされる。恐怖を感じると同時に、死ぬほどに倦んでいるこの閉じた世界を終わらせたいという気持ちが生まれる。

 

現社会環境において、個人は強いものがつくるものに疑問を持たず、「社会」については既存の支配者にゆだねる。個々に孤立した消費の主体であることは歓迎されるが、思考の主体や応答の主体であること、強いものを強いものとして維持するための社会構造に異を唱えることはうとまれる。抑圧に埋没し、自分もその社会構造と一体化したほうが「楽」なのだ。自分自身を痛みごと乖離させて同じことを繰り返す機械になったほうが。閉じた世界はそうして形成され、強固にされていく。

 

個々人にとって、この社会での日常はあたかも実験動物たちがそれぞれのケージにいれられて一生を送るのと同じものになっている。人は実験動物と違い、ケージはなく、自由にどこでもいけるのだが、実験動物にとってケージによって仕切られた空間が世界であり、全体であるように、個々人も世界や社会全体のことなど考える必要はなく、仕事場と家庭など、自分が関わる限定的で部分的な、ケージのような空間が全てになるように社会構造から強く迫られる。

 

社会構造によって限定的な日常に閉じ込められ、現社会環境により従属し適応することを迫られる個々人は自らが直接に世界と関係を結び、そこに応答関係を作り出しながら世界との関係性と自分自身を更新していく主体であることが疎外される。近代以降、個人は考える主体であり、意思する主体とされるが、その「考え」や「意思」の自律性は自分自身が直接に世界と応答関係を作りだしていくことによって生み出される。

 

決まったケージにいれられ、自分に必要なものを世界とのやりとりから生みだすことよりケージ環境の維持が全てになった個々人は、自分の考えの自律性をもつ以前の状態であり、個人以前の状態であるのだと思う。仕事上で卓越したリーダーであればどんな歪んだことをしても自分個人の判断から批判することができず放置され、自分がどう生きていったらいいのかを知るためのツールをリーダーに作ってもらう。個人主体と言いながら、個人を個人以前にすることで、社会は人の精神を家畜化し、消費しやすい状態にとどめる。社会関係の不均衡は更新されないままになる。

 

この現状を抜け出ていくために必要なことは、個人以前にされた個々人がまず個人に戻ることだろう。そしてそのような個人は、ケージのような限定的な空間のみを自分の全てとしてそこへの適応に閉じこめられ、個々に孤立した「社会疎外主体」であるところから、あてがわれたケージの外の世界全体との応答関係を取り戻した「社会主体」に回復することによって取り戻されるだろう。

 

社会主体となった個人は、ケージの外全体を世界だと知っていき、同時に自分と世界とは隔絶することのできない一体性のもとにあることを知っていく。毎晩ベンチにいるからとうとまれて殴り殺されたホームレスと自分が無関係であるとは思わないし、自分がそのホームレスになる可能性がないとも思わない。現社会環境を前提とせず、自分ごととしてその環境を更新していく責任を自覚する。ケージの外の世界全体と直接に応答関係を作っていくことは、個々人に義務ではない、応答としての責任を取り戻させていく。

 

自分を「安全」に楽しませてくれていたように思えた「観客席」は自分が世界と応答関係を作りだしていくことによって生まれる喜びと信頼を犠牲にしていたのだ。苦しみを最小限で終わらせることこそ希望であるという絶望に生きていたとき、自分に流れこんでくるエネルギーはわずかであり、そのわずかなエネルギーを温存しようとするとさらに保守的になる。そこでは他者はイレギュラーであり、温存の邪魔をする存在だ。

 

だが世界と応答関係を作りだしていくとき、世界から自分へとエネルギーは大きくなる。保守的な温存ではなく、世界との応答性が維持されてさえいれば、あくせくしなくともエネルギーは勝手に流れこんでくることがわかる。重要なのは世界に開かれたあり方ということになる。世界への信頼は応答関係をつくりだすことでより疑いのないものになっていく。

 

個人以前の状態から個人が取り戻されるときも、その変化を支える動機は痛みであるだろうと思う。痛みは自意識に否応無く応答的であることを求める。痛みは自分がそれまで通りの自分であることを許さない。既知の世界に舞い戻り、それまでやってきたことの繰り返しに戻ることを許さない。そして痛みは他者を揺りうごかし、共鳴させる。ある人の痛みの発露は、別の誰かの乖離させられていた痛みを取り戻すきっかけを与える。

 

個人の自律性の獲得とは、社会によって疎外され、乖離させられていた当事者性の取り戻しともいえるだろう。当事者であることは、思考を誰かにお任せにし、与えられ、決められた範囲での文脈だけを自分の全てとすることではない。痛みを、リーダーによってではなく、自分が応答するものとして取り戻すことが当事者性を獲得することだろう。

 

社会から一方的に規定され、主体であることを奪われた人たちが痛みの主体を取り戻していく取り組みが「当事者研究」であるのなら「当事者研究」は限定的なツールの確立で終わることではないだろう。リーダーたちが「当事者研究」をツールとして限定化し占有してしまうことで主体の取り戻しが疎外されることが気づかれた今、この状況によって痛みの主体となった当事者たちがこの状況を乗り越え主体を取り戻していく「当事者研究」を生み出していく過程にあるのだと思う。

 

当事者性とは何なのか、組織やリーダーに場や人が受動的にされ、支配されてしまうときにどうしたらいいのか、そのようになってしまう環境の歪みを補う仕組みとは何か、問題がおこったとき組織外にいる第三者がどのように被害者の声が消されないサポートができるのか、必要なものやことを誰かに考えてもらい、用意してもらうのではなく、自分たちなりにあるもののつぎはぎや手づくりで間に合わせていくあり方を考えていく。

 

 

 

11/20ワーキンググループをふりかえる

今日行われたワーキンググループで考えたこと。

 

1 べてぶくろ、近代、社会運動内部において繰り返される人権侵害、当事者からの経験の簒奪などについて

→ 浦河べてるの家の存在から自分自身は多くを得た。しかし性暴力被害の隠蔽に当事者研究を使い、被害当事者や自らのあり方の再吟味に向かいあわない姿勢に大きな疑問と失望を感じた。当事者が制度に奪われた主体を取り戻していくのが当事者研究だったはずだが、主体を持っているのは「リーダー」たちであり、当事者たちは受動的に「リーダー」たちの作った枠組みに従っていたり、従わされているのだった。誰かに作られたものを繰り返すのではなく、思考の主体性、自律性を取り戻していかないのならば、主体はいつまでも「管理者」たちに奪われたままだということだろう。

べてるの家関連の大会に参加したとき、自分たちのマイノリティ性にはやさしいけれど、女性蔑視や異性愛主義、学歴差別などに関してはむしろ一般と同程度かそれ以上にひどい水準ではないかと思ったことがあった。その抑圧によって、場にいれなくなった人たち、排除されていった人たちがいるだろうと思った。「責任」を曖昧にすることが個人が回復していくにあたって有効であるとしても、そのあり方は本当に新しかったのだろうか? 人権意識の低さが顕著で、既存の差別構造へ向き合う意識は見当たらない。そこは個人の自律性や人権意識がまだない前近代の「大家族」だったのではないか。「大家族」が主体であり、目的であり、幸せの根源であるので、そこでの個々人は「大家族」に同調し、恭順することが当たり前なのだ。向谷地親子やべてぶくろスタッフRの被害者への言動は、被害者の「大家族」への恭順の正しさをまるで疑っていないところから発せられていると感じる。

 

だが「大家族」への回帰、前近代への回帰は本当に救いなのだろうか? 精神障害をのぞいた既存の抑圧や差別が大手をふってまかりとおるところで、社会関係の不均衡を問わないところで、人が人間らしくなっていけるだろうか。まるでそうは思えない。

 

個々人は前近代への回帰や「大家族」への回帰ではなく、現社会のいびつな権力勾配、社会関係の不均衡を問い、既存の社会に同化した自身と環境を更新していく主体であるところに本来の生が取り戻されるのではないだろうか。

 

また当事者研究は講座として企業に販売されるものになった。当事者研究は誰のものか?当事者研究の理念は誰のものか? 「リーダー」たちにとってそれは自分たちのものなのだろう。だから自由に売れるのだ。それはあまりに当たり前なのだろう。当事者の経験の簒奪だという意識が生まれないほどに。

 

「リーダー」たちが主体化するとき、当事者たちは単なる資源になり、背景として受動化する。奪われた主体はどのように取り戻されるのか。まずは当事者たちがこの問題において、「リーダー」たちに所有されてしまった理念を自分たちで再定義し、提示していくことにあるのではないかと思う。医療に決定された病名を自己病名に変えていったように、「リーダー」たちのものになり流れる血を失った理念に対して、自分たちの血の通った理念を再定義すること。

 

そしてその理念は「リーダー」たちに再び主体を奪われてしまわないために吟味され、更新されたものとして作り出される必要がある。それは自分もまた「リーダー」のようになって同じことを繰り返さないために、自らを問うための理念でもあるだろう。

 

理念はいとも簡単に形骸化され、「リーダー」たちに所有されて管理や抑圧、利権の強化に使われる。だから理念には人間が欺瞞的存在であることが前提され、その欺瞞の肥大にあらかじめ釘をさすものが必要だろう。自分が「正しい」立場であるというように解釈できるような理念はあらかじめ排除される。

 

社会における他者の問題のなかに自らの問題をみつけ、その問題に対して応答していくことによって、非人間たる自分は人間化していく。フレイレは人間の本質を変化のプロセスそのものにおいた。以下は僕の考えだが、人はもともと非人間であり、自身のマイノリティ性に応答しているとき(それは社会主体として生きているということだ。)だけ変化の過程にあり、人間化していると考えるべきだろう。真っ当である時のほうが少ないかもしれない。実態として正しさに胡座をかいていたり、自分を無自覚に正しいものと位置づけているならばその時点で人間として間違いなのだ。「正しさ」や「いいこと」を背景にして抑圧に無自覚になり人権侵害を繰り返す様々な場所の「リーダー」たちからは、まずその「正しさ」や「いいこと」という羊の皮を剥ぐナイフが必要だろう。そしてそのナイフは個々人それぞれによって思案され、作り出されていく必要がある。

  

自らのあり方と乖離しない理念づくりの主体、何が向かうべき方向なのかを自らイメージし、それを社会環境に提示する主体、自律的に思考する主体、組織や「大家族」のなかで個の自律性や尊厳を実質的に放棄させられている個人が自律性や尊厳とはなんであるのかを自ら探り確かめるなかで、個人としての自分を形成していく主体が取り戻されていくことが必要だろう。

 

 

2「ワーキンググループ」がどのようなものであったらいいか。

 

→ワーキンググループは自分に必要なことをやる場であり、同時に学びの場であるという設定にする。両者のバランスが崩れると「やるべきこと」の強制がされたり、自由に物事が考えられなくなりやすいと思う。「自分なんでこれやってるんだろう」、しかし「やらなければならない」としまうと、もうそこに自分のプロセスは動いていない。加えて学びにとって重要なことは、お互いが探究的であり、お互いの学びのプロセスが自然と動くように、お互いに尊厳を提供しあうやりとりであると思う。

 

→やりたいことの呼びかけは気軽に行われていいし、自分の余裕次第で複数を同時並行的にやっても構わない。

 ex. 破れた着物の繕いをしなくてはならないがなかなか一人ではやる気がおきない。この指とまれでちくちく系話しの場(おやつを食べる場でもよい)有志を募る。格式ばった内容の学びである必要はない。むしろ自分が一人でやっていては停滞してしまうようなことを積極的に「社会化」する。

 ex. メッセンジャーでのやりとりをきっかけに、日曜日に学びについてのワーキンググループを3人ぐらいでやることになった。ワーキンググループは臨機応変に、即興的に行われていい。

 

→あるワーキンググループは定期的に行われてもよいし、一回限りで終わるものでもよい。重要なことは、自分におこっているプロセスが動いていくかどうか、自分の「時間」が動いていくかどうかであり、そこにそぐわないと思えばすぐに解散できることにあらかじめしておくと余計な停滞がおきにくい。学びにおいて重要なのは自分のプロセスにフィットしているかどうか。

 

→ワーキンググループを行うにあたって、自分が最低限そこで何を得られるか、何ができるかはあらかじめ考えておく。先述の繕いのグループなら、全部はできなくても袖の部分だけは繕い終わるなどと考えておく。趣旨を曖昧にすると、やった時は高揚感があっても、何をやったかが一ヶ月二ヶ月たったあとで自分で確認できないようにもなってしまう。そういう曖昧な状態のままにしておくと、次の別のワーキンググループをやろうというときに、前にワーキンググループやったけれど結局何をやれたかがわからないという経験があるため「ワーキンググループやって何か意味あるの?」というリアリティが生まれ、動機が激減してしまう。最低限のやることをやるのがワーキンググループ。やったけど何だったかわからないことは、たとえ自分の意識を誤魔化しても疲弊として蓄積されることを踏まえておく。

 

3 ワーキンググループの意義

 

→ ワーキンググループの意義の一つは学びのプロセスの取り戻しであるといえるだろう。自分に実際におこっているプロセスに応答するかたちでの学びは、フレイレの批判する預金型教育とは真逆のもの。

→ ワーキンググループをつくり慣れる。最低限やることを決め、同時にお互いに探究的であり、尊厳を提供しあう学びの場であれば全てワーキンググループと考えていいだろう。自分のデザインでいいし、自分がデザインし調整することに慣れる。ある学びがおこるためには、その学びのプロセスが動いていくにフィットした環境調整が不可欠。環境調整、環境設定をどう今おこっているプロセスにフィットさせるかこそが学びのプロセスがすすむための肝。個々人がいいワーキンググループを作ることに慣れてくると、あちらこちらで同時多発的にワーキンググループが行われるようになる。すると、自分にあった学びの環境が増えるし、一つのグループに依存してしまい、自分の自由やプロセスが左右されてしまうことが防げる。

 

→ ワーキンググループは学びを媒介させながら自分に戻っていく場所。学びを趣旨とせず、今の自分の安全安心のみを目的としたりすると、結果的に場が停滞し、いびつになっていく。また自分に戻っていくということがないところで自分に学びのプロセスがおこったりもしない。

 

現社会環境においては、個人主義などと言っても組織内では同質性が求められ、個人として環境に意見するなどということはおこりにくい。個人の自律性などいらないものとされているので、実態としては個人は自分の考えをもつ以前、自分の感覚をもつ以前、まだ個人以前の状態だと思われる。ワーキンググループは学びを媒介させながら個人を形成していく個人形成の場。その個人は「自分の生活」に閉じた存在ではない。個人は自分が社会そのものであることを実感し、自分を形成するために社会環境の問題に応答していく「社会主体」になっていく。

 

個人形成の場はそれぞれの個人の手づくりによって作られるものであるだろう。なぜならば自分のプロセスにフィットした媒体を自分に提供するのは自分個人しかいないからだ。たとえば、知り合いは詩を書く人だったが、広告の裏紙のようなものにしか詩を書くことができなかったという。詩など書いていない、重要なものなど書いていないというリアリティの設定をしないと、その人は詩を書くことが難しかった。もしその人が自分のプロセスが動くためのフィットした媒体を手探りすることなく、いくつもの「詩を書く市民講座」に行ったところで詩は書けないままだったのではないかと思う。自分のプロセスに対しては自分が感じとり応答する必要がある。自分のプロセスに対して、より適切なワーキンググループを作ろうと試行錯誤するリハビリの経験は自律的で応答的な個人としての自分を形成していく。

 

→ 既存の大きな組織、確立したグループに依存している状態を分散させる。組織にはもともと自己防衛、異質性の排除の傾向があり、「成員の意識的な努力」でそれを補えないことが多い。組織内部でいかに健全さを維持するかではなく、組織外に問題を考える場が必要。旅にでてようやく客観視できる日常があるように、個人はその環境のリアリティにのみこまれてしまう。外部で、利害関係者のリアリティに干渉されないで問題や違和感を感じなおし、整理することで健全な感覚がようやく生まれてくるだろう。

11/8 リードイン 感想

リードイン。

リードインは鶴見俊輔がやっていたとされる集まりで、他者の言葉と自分の言葉を持ち寄って場にシェアするもの。(しかし実際の場に出たことがないので、決まったかたちを知らず、色々実験的にやり方を微調整しながらやっている。)

 

今回は自分が一参加者の立場で新しい人たちと出会う。

 

持ち寄られたことばは全くバラバラであるようで、場にはぼんやりとだが、名づけられない星雲がかたちづくられていくようなプロセスが生まれている。


場に出てくることばによって自分に残っている問いをもう一度考える。緒方正人さんが重要だと考える「ひとりであること」とはどういうことなのか。タゴールは、誰も呼び声にこたえなくても/ひとりですすめと書いたそうだ。そのひとりとは何だろうか。

 

自分を風船にたとえて考えてみよう。その風船には穴が空いていて、空気を入れてもそれが抜けていく。抜けていく空気を補うために世間が提示するものに従っても抜けが止まらない。穴がどこにあるのかは、自分も他人も気づいていない。そして穴に気づいても、その穴をまさに埋めるために必要なリペアキットは世間にはまだ存在しない。

 

抜けていく空気のあり方がどのようなものであるか、そして穴がどのように埋められるのかも全て自分自身で探り確かめられていく必要がある。場当たりのものでごまかすのではなく、本当にその抜けの終わりを求めていくならば。

 

世間は既に自分が知っていることの範囲で、そしてとても巧妙に、世間自身に都合のいいかたちで個人がやるべきことを提示してくるだろう。だが世間はつまるところ既知に閉じた反応であるだろう。その反応とは世間自身のあり方を変えようとするものに対する抵抗であり、世間の欺瞞を塗りこめることにとても都合がいいことへの諸手をあげての迎合だ。

 

穴を埋めていくためのひらけはどのように生まれるのか。自意識とは閉じた既知であって既知におさまることをやっていても自分に騙されて状況は変わらない。結果として自分が変わらないためのアイデアが状況をひらく「名案」としてどんどんと出てくるのだから。

 

ひらけは自分の既知の外にある他者への応答をきっかけとして生まれる。今度は埋める穴ではなく、あける穴だ。頑強で閉じており、欺瞞そのものである自意識に距離をとる。閉じた牢獄が揺り動かされ、今の閉じた繰り返しのままではもう成り立たなくするような状況を設定する。

 

他者への応答は、どんなものに対してもできるものではない。というか、応答は本質的には「おこる」ことであり、やることではない。応答がおこるところで、自分と世界の関係性が変容し、世界との応答関係が回復していく。

 

純粋に自分のために埋めたと思う穴も実のところは自分だけにおさまってはいない。むしろ他の人は発見できなかったからこそ他の人の穴を埋め、回復のきっかけをもたらす。

 

自分がどうするかという自分に閉じた思考ではなく、世界や他者の存在を前提にした「応答」として考えることで堂々巡りは終わる。「応答」を前提に考えることで実際的な思考になる。

 

緒方さんは加害企業であるチッソの会社の前にひとりですわりこみをしようとしたとき、実際の行動にはいるまでに半年ほどの時間を要したという。逮捕されるかもしれないし、石を投げられるかもしれない。しかしただひとりで「自分をさらす」ことの必要性を緒方さんは直観していた。

 

他者としての、プロセスとしての変容は、緒方さんに対してチッソ前で自分をひとりでさらすということを求めていた。変容していく自律的なプロセスは、自分が向き合うべき苦しみであり、この固まった自分の不本意な繰り返しを終わりにするように自意識に圧をかけてくる。自意識はこの圧がどこからくるのかを知らない状態から圧に対して応答していくことでこの圧の源をやがて知っていくようになる。

 

ことばによって一旦世界の大部分が既知の延長にすぎないものとして対象化されるとき、生きていた世界は死ぬ。まどみちおのせんべいが紹介されていた。

 

せんべいがもの言わないなどと思っているのは大人だけだ。

子供はせんべいを食べるとき,一々せんべいの言い分を聞くし,

又自分も返事をしてやっている。


だから子供がめんこのように大きいせんべいを持っている時など,

余り二人仲がいいので,どちらが子供やらせんべいやら分からなくなる。
まど・みちお『煎餅と子供』

 


ことばによって全てを対象化してコントロールしたい不安と本来の応答関係を生きることは相克する。大人として生きることは世界の大部分を過去として、変わらない、死んだ世界として相手することなのだろう。


他者である変容のプロセスに応答することは、閉じた自分を揺さぶり終わらせることであり当然の抵抗がある。しかし自分自身を自意識ではなく変容のプロセス自身なのだという実感が強まっていくとき、自意識のもっともらしい拒否の理由が自分がうんざりしている過去の繰り返しにひきもどすものでしかないことがわかってくる。

 

緒方さんの「さらす」ことは、自意識の頑強な牢獄を守ってきた理由を捨てることであったのではないかと思う。今まで自分が背負ってきた「正しさ」や「揺るがなさ」に守られることを自分の救いのために捨てる。自意識は自分を直接変えることはできない。ただ変容のプロセスが求めていることに対し応答することで、牢獄であった自分自身を終わらせていくことができるようだ。

 

リードインでは、田中小実昌の「オチョロ船の港」も紹介された。主人公は島で「阿呆らしい」と言いつつ放尿する女性の姿に衝撃的に出会う。主人公の予期の範囲をこえた、自律的な他者との出会いは、ブーバーの「我ー汝」関係そのものではないかと思えた。「我ー汝」関係は、素晴らしいとか、そういう既知の間尺におさまることではなく、自分の閉じた世界が他者によって解体され塗りかえられてしまう出来事をもたらす関係であるのだと思う。

 

あと思ったのは、たとえ自由に話していいと言われていても、参加者は思いつきを話すことに抵抗がある。これを喋っていいのかなと思い、これは面白くないかも、場の文脈にあわないかもと思って抑えてしまう。理想的にはことばによる許可だけではなくつい話してもいいかと自我の抑えが弱くなる場の状態が生まれてくることが重要だろう。

 

自分がその時に思いついたことは、身体が場に応答しているのであり、自意識でなんでこれが言いたいのかとかを理解してからいう必要は全くない。むしろ何かの実感を持ちつつ、何がどういう脈絡なのか自分でもわからないようなものの表現は周りの人や場の状態を直接変えていく重要な要素となる。

 

ついでにいえば、もちろん自分のいうことは面白くないかもしれないが、周りの人にしたってこの場でそこまで面白くてたまらないことを求めているわけではないし、「面白さ」のハードルをあげられたら自分も話しづらくなる。

 

僕はその人が完熟堆肥のような、自分の中で整理され反応が終わりつくしたことが話されるよりも、よりリアルタイムで、今その人のなかでおこっているプロセスをことばにのせていればそれで十分に興味深いと思うし、言語的に説明されてなくても伝わってくるものがある。また「隗より始めよ」で、ああこんなこと話しても大丈夫なのだと周りが感じるのも重要なので、探究的に今の自分のプロセスをことばにのせることは場を消費することではなく、肥やすことだと自信をもってもらいたい。

南区DIY読書会 『環境と対話 地域と当事者を繋ぐ試み vol.2』 発表原稿

10/12(月) 南区DIY読書会

発表:「環境と対話」研究会編 『環境と対話 地域と当事者を繋ぐ試み vol.2』

前置き:「環境と対話」研究会は『性暴力と修復的司法』の著者である小松原織香さんが主催する研究会。研究会は関東と関西で行われていて僕は関西で行われる際には参加している。(コロナ流行以後は集まりは休止中。)ピーター・シンガー『動物の解放』や宇井純『自主講座「公害原論」の15年』などの読書会や水俣の民間団体相思社や滋賀県の石けん運動に携わる方をゲストとして呼んでいる。修復的司法は人間間の対話の技法であるが、小松原さんは自然と人間との間の修復的司法(あるいは修復的正義)という観点をもって前衛的に新しい領域を踏み込もうとされている。

 

 研究会に参加する前から小松原さんには関心があり、ツイッターでたまにリプライしたりさせてもらっていた。小松原さんに関心を持ったのは回復というテーマへの関心、水俣への関心(僕の場合は水俣全般というより水俣の漁師の緒方正人さんへの関心が大きいが。)が通じることがあり、さらに小松原さんが自分の研究をすすめるために既存の領域の外にでて探究されているということがあった。

 

振り返ってみて、もし小松原さんが既存の領域の外に向かおうとされていなかったら、たとえ水俣や回復への関心が共通項としてあったとしても、活発な研究会でのやりとりや自分の感覚や思考が受け止められていると感じることはなかったのではないかと思う。思考もまた一旦誰かに受け止められることによって次に進むと感じる。少なくとも僕個人においては一人で勝手に考えて進めていけるというものではないと思う。

 

研究会のなかでは小松原さんから様々なお話しを聞いたが、印象に残っているのは環境問題というのは、既存の学問領域がカバーできなくなった諸物が投げ込まれるような領域であるというお話だった。既存の考えではもはや対応できないことがあり、それは換言すればこの時代のパラダイムが行き詰まっているということであると思う。

 

その時、先に進んで行こうとするならば、既にあるパラダイムにおさまって研究をすすめることでは、糊口をしのぐには功を奏しても、新たな知見をもたらすことはできない。そして僕は社会問題の当事者というものは、ある種この時代のパラダイムにおさまることでは救われない存在なのだと思う。たとえ世間や既存領域に認められなくても自らが救われるために必要なものにたどりつこうとするのが時代には救われない当事者なのだと思う。

 

世間や権威に承認されなければ意味がない、認められなければ与えられる機会も少なく不利であり報われないともちろん一方で誰しもが思うわけだが、探究のなかで自分が新しいものの見方に更新されることは、自分の精神的な生命力を賦活し、更新する。

 

こと自分に関しては自分の精神的なサバイバルのために自分にあるもの、アクセスできるもので状況を救っていくしかなかったし、その探究自体によって植物が根を深く地中におろし、乾いた表土の下にある水を吸収する力を増すことだという実感はもっている。持たないもの、認められないものが救われるためには、さらに探究すること、探究の環境を整えることが必要だろう。そしてその原動力は自意識の努力というものであるよりは、「存在の飢え」といえる切実さからくるように思う。

 

◇紹介(あるいは感想)
序文「思考が生まれる場」としての研究会 小松原織香
 →「成果」を求めない場として設定した研究会が結果として「成果」を生んだ。「環境について対話すること」ではなく「対話する環境を設定すること」で思考が生まれてくる会になった。第2巻は第1巻に比してもっと自由奔放だ。それぞれが独自の世界を勝手に展開している。

 

【調査報告】小泉初恵(水俣病センター相思社)
既存の社会で自分のいる場所を見つけられなかった若者たちが水俣に「よそ者」としてやってきた。時代の矛盾を集約して受けた水俣には、時代の閉じた欺瞞に亀裂を入れる何かが感じられたのかもしれない。若者たちは生活学校という不便で窮屈な場に理想とのギャップを感じ「騙された」とさえぼやきながらも少なくない人数が水俣に定住し、子どもを育て、そのことで地域に受け入れられてもいく。彼らがもっていた問いとはどのようなものであっただろうか。そしてそれはどのように応答されたのだろうか。

 

エッセイ 動物からのまなざし 広瀬一隆(新聞記者)
同じ言葉を使っていても自分がもっているイメージと他人がもっているイメージはまるで違うものかもしれない。その虚無的な孤立の感覚におびやかされる筆者を救った飼い犬ラブとのやりとり。そして自分を含めてやる気のない学生のために実験動物にされたうさぎの目が自分にもたらした亀裂。また何年もたったあとで実験される猿にみた虚無。動物との交流とは何か。ほかの存在との「意味ある交流」とは何か。「意味」とは何か。

 

回復を越えて:躍動する生命へ至る思考 米田量(自由研究者)
自由研究とは夏休みの自由研究のイメージ。人は自分の最も切実な問いに対しては生涯を通して探っていくことができると思う。それは存在の飢えであり、ごまかしのきかない空虚感であるから。研究が「専門職」のものであると認識させられることは全ての人間にとって疎外となるだろうと思う。当初、何を投稿したらいいかわからず、過去のブログ記事を寄稿させてもらおうと思っていた。

 

しかし、小松原さんから自分が提示した記事だけではなく他の記事まで読んでもらったうえで、このようなことを書いてはどうかと提案され、結局2万字超の文章を書いた。人間が自己完結した個ではなく、応答的存在だということは以前から主張してきたことであったが、まさに自分としても応答として自分のなかのものが出てくるということをあらためて実感した。よく例にだすのだが、学者たちがある地域の語り部を自分たちの場に呼び、話してくれと求めたが、語りは求めをもつ子どもたちを前にしてはじめて呼びおこされるのであり、学者を前にして話してと言われても語り部は困惑したという。

 

内容は中学校からのライフヒストリーをふくめて、追い詰められていく自分の精神がかろうじて生き延びるために考えてきたこと、探究してきたことをまとめるような内容になっている。ライフヒストリーに関しては、個人的には今まで必要な分はいろんな場で語ってきたと思っていたので、その部分にはあまり書く意欲はそれほどなかったのだが、一方で自分の経験として、自分がたどり着いた結論や思考自体よりも過程や体験自体のほうに反応があるのも確かだった。小松原さんからも投げかけがあり、今まで書いたり話したりしたことよりも詳しく、取り扱わなかったようなことも書いてみた。

 

今至っている問題意識は、現社会のなかでは人々が家畜として、つまり生産性という卵を生むニワトリとしてだけ生きればよいと考えられ、卵を生むニワトリ以外のものになる可能性は囲い込まれて思考の自律性が動きだすための契機や整えを徹底的に奪われているということ。

 

これは学びの問題であり、回復の問題であり、人間と文化を否定する根源的な問題であると考える。家畜化された精神にとっては、政権が何をしようが、在日の人たちがどのような抑圧を受けているのか、入管でどれだけ過酷な人権侵害がされていようが関係ない。人々から精神の自律性が奪われ、応答的存在であることが抑圧されている。

 

この問題を不問にしたまま、学校や教育の教育プログラムを変えても、自己中心性と傲慢、一方でシステム依存による個としての無力化は終わらない。一方で、自分としては社会を一斉に全部変えるということを考えていない。その大きな社会というとらえ自体が幻想なのではないかと思う。不本意なシャバのなかで、人間が人間化していける場所、文化のある場所をゲリラ的に、感激を縫って構成すること、水俣の言葉で一時的な「じゃなかしゃば」(じゃなかは否定だと解釈している。しゃばじゃないような場所のこと。)をつくること。救いにいつかたどり着くのではなく、救いを生きるということが救いなのではないかと考えている。

 

詩 STAY HOME 乙女傘(隠れ詩人)
 「STAY HOME」、「猫が鳴いている」、「私は、そんな季節なの。」、「慈歌」、「結論」の5篇の詩。「社会」の圧倒性に対して歪められる個。疎外された個に残った「理性」がノイズとして欺瞞に歯向かおうとする。が、それももはや欺瞞に取り込まれているのか。他者だったものはあっという間に既知に取り込まれ他者性を失う。自律的なものは、それらがお互いを破壊し尽くして成り立たなくなるいつかを待っているのか。どこにもいかない、どこにもいけない。その閉塞とは拮抗であるととらえるならば。

 

文献紹介(水俣病の英語文献)羽田孝之(東西交渉文献史研究家)
日本ではほとんど研究の歴史に痕跡をのこしていない存在となっているPolluted Japan と雑誌KOGAI。これの書物が発刊されるきっかけはストックホルムで1972年に行われた国際人間環境会議だった。深刻な公害が進行しているなかで日本政府は「官僚の手柄話の報告であり、水俣病イタイイタイ病の現実など、どこにもなく、わずかに水銀汚染について、一部に問題が生じたが解決したと一行書いてあるだけ」の報告書を提出しようとしていた。

 

その隠蔽に対して宇井純たちが立ち上げた自主講座実行委員たちは、日本の現状を自分たちでまとめ、発表するという取り組みを行った。これらの雑誌は内容的にも非常に高いクオリティでまとめられており、そのために日本にはほとんど在庫がなくても海外の古書商には残っているものだっという。

 

日本は当時「公害先進国」といえる状況であり、その公害が近隣のアジア諸国に「輸入」されていくという状況にあった。自主講座実行委員たちは、このためこの工場等の設備が稼働すればどのようなことがおこるのかを市民レベルで伝えていた。これらの書物が国際的に果たした役割は非常に大きいと思われるが、現時点での日本の研究においてはPolluted Japan とKOGAI の存在は抜け落ちている。これは自主講座の活動全体を検証し、将来へと発展的に継承する上での大きな問題となっていると筆者は指摘する。

 

感想:アカデミズムの部外者としては研究というものがどういうふうに蓄積されているのかその実情を知らない。イメージとしては、かつてあったことはそれぞれ誰かがきちんとまとめて蓄積されているのだろうという漠然としたものだった。しかし、どうやら実際はそうではないらしい。研究されているものはされているが抜けているものはまるで抜けたままで「歴史」が出来あがっている。

 

1972年の政府の対応や態度は、福島原発をアンダーコントロールとぬけぬけといい、東京の八月の気候を快適と偽った少し前の政権とまるで変わらない。自主講座は国の制度にのらない自主的な集まりであったのになぜここまでの活動を展開できたのか。そしてなぜその活動の全体像の解明が中途半端なまま過去のもののように位置づけられてしまうのか。

 

自分はフレイレイリイチに触れ、林竹二の実践などを見たときに、なぜこれらの知見は現代の閉塞にこそ有効な視座を提供するものであるのに、過去のものとしてさして顧みられることもなく物置に放り込まれているのかという疑問を持っている。なぜこのように壊滅的なほどに相手にされないのか。おそらくその理由は新自由主義において、現体制を批判するようなものよりも人々を管理するために都合のいいものがもてはやされ残るのではないかと思うのだが。

香害と脱うさぎ化 非人間化された状況を人間化していくこと、文化をとりもどしていくこと

カライモブックスさんで香害について話す。自分も行き違う人や隣家からのシャンプーのにおいもきつく軽い頭痛がでる。一方で他の人がきついと思うファブリーズとかのニオイ消しの香料や整髪料はまだ気にならない。男性のニオイ消しはCMで異性に嫌われると煽られ繰り返し宣伝されている。宣伝すればするほど売り上げはあがるということだ。

 

香害の問題は当事者の切実さと非当事者の意識の乖離が激しく、なかなか伝わらないそうだ。「化学物質過敏症」という馴染みの少ない言葉を使うよりも単に「アレルギー」といったほうが伝わるという話しも。

 

見えにくいが、実際にはわりと少なからずの人が周りの人が使う柔軟剤などのニオイによって体調に影響があるが、自分がアレルギーであることをカミングアウトすることも難しく、個々の当事者は孤立しやすいようだ。一方、P&Gなどの製造企業は当事者の訴えに「非科学的だから相手にできない」という態度で話しあいの場にも参加しないという話をきく。

 

一回何かの企画をやろうという話になる。周囲の人に配れるような安全な日用品の購入場所や必要な配慮を簡単に記したものをつくったり、化学物質過敏症の人が孤立しないように相互の存在を目視できるようにワッペンみたいなものを作ってもいいのではないか、とか。化学物質過敏症の方が作っているクッキーなどもあるそうで、周りの人に話しにいく時はそれを持っていくのもいいのかもしれない。

 

自分が当事者でない個別具体的な問題に対しては一般になかなか興味がもたれないが、これをマイノリティがこのマジョリティの社会で非人間化された状況にあるととらえ、非人間化された状況を人間化していくでもあると考えると個々の具体的な事例や行動がそのままマジョリティとマイノリティという抽象的な問題を吟味し、認識を更新するまたとない機会にもなる。

 

非人間化されるとは文化以前の状況におかれることだと考える。文化以前の状況に文化を取り戻すことが、人間化されることであると思う。人間化とは別の言葉でいえば、応答していなかったものに応答するようになること。相互変容する主体になっていくこと。

 

応答的存在である人間にとって、孤立や隔絶は非倫理的状態であるだろう。だからその非人間化された状況にある人に対して、お互いが人間化される応答をしていく。ワッペンをつくるなどは、まずは当事者同士の仲間の確認、孤立意識の緩和というエンパワメントが必要であると思ったからだ。

 

まずは孤立からの解消、その上で次のアクションが派生する状況が育まれるだろう。理解がない人に対してどのように人間として向き合っていくかを一から考えていくことは、同時に非人間化された存在の人間化とはどういうことかを考えていくことだ。

 

様々な文化の定義があるだろうけれど、僕は非人間化された状況を人間化するものが文化であると考える。そして文化とはそのように自分と隔絶したところにあるのではないものだと思う。先の話の場で、藤原辰史『分解の哲学』のエピソードが紹介されていて、ナポリでは新車ではなく一旦壊れて自分が修理したものを価値あるものとみなすそうだが、文化を自分から離れたところに存在するものと思わされていることは、文化の疎外であり、人間の疎外であるだろう。

 

www.suntory.co.jp

 

企業がCMをバンバン流せばその分香料入りの日用品が売れるような思考の隷属的な現状を文化がある環境といえるだろうか。人は自律的な思考や判断や価値観を奪われて、単なる消費者として自分の認識を更新していく主体であることを奪われている。そしてそのことがより弱い存在を踏みにじる。やがてはその順番が自分にまわってくることも知らず。消費者とは消費する主体である以上に社会システムによって消費される客体なのだ。消費者などと気軽に規定され位置づけられるのは人間に対する蔑みであることに気づく必要がある。

 

イエルク・シュタイナーの絵本『うさぎの島』では食肉工場のうさぎたちが個々の隔絶したケージにいれられ、自分が今後どうなるかも知ることなく、疎外された「安心安全」を生きている。あるうさぎは仲間を連れ立ってこの工場から脱出するが、仲間はもはや工場の外に耐えきれず、工場に帰ってしまう。

 

www.ehonnavi.net

 

このうさぎたちは、現代人そのものだろう。用意されたもの以上に考えることを疎外された存在だ。どれだけ多様な商品が生まれようと、精神が家畜化され、非人間化された場所に文化があるだろうか。文化はそのような非人間された状況に対する反逆として一から自分たちで考えだされ、かたち作られていく必要がある。

 

診断名を一方的につけられ、生きるありようを決められるところから、苦労の名前を自分でつけ、主体性を取り戻していくものであった当事者研究は、当事者研究の専門家の一人によって性被害を世間から隠蔽するものとして悪用されてしまった。誰かの考えた枠組みに従うだけでは主体性は回復しない。思考の主体性は、世界と直接に応答関係をむすんでいくリハビリ抜きには取り戻されることはない。

 

繰り返される「人権派」組織内部の人権侵害。これらの問題を専門家にいつまでも任せて自分の考えるリハビリを放棄しているところに先の展開はない。お前はそれだけをして、それだけのことを考えていればいいのだ、と言われるだろう。しかしそれはケージにいれられたうさぎのままでいろということだ。脱うさぎ化していくことが、現代では人間化していくことであり、文化を取り戻していくことになるだろう。