降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

罪の取り戻し 宇井純『自主講座「公害原論」の15年』

昨日のDIY読書会、「宇井純さんの自主講座「公害原論」の15年」を発表する。

 

修復的司法の研究をされている小松原織香さんがされている環境と対話研究会の読書会で知った本。

 

当時は公害に向き合える学問分野などなく、公害に向き合おうと思えば、自分たちでゼロからはじめなければならなかった。

 

東大工学部の教授たちにとっては、大学の教壇を助手や一般市民などに使われることは沽券にかかわるようなことだったようだ。圧力がかかったが、協力的な新聞記者が記事を書き、その加勢で大学が動き、自主講座が認められた。

 

自主講座なのは、宇井さんが工学部助手という立場であるために、大学の正規の講座とは認められないため。当時は助手差別もひどかったようだ。自主講座は70年10月から86年2月まで続けられた。工学部は宇井さんを昇進させず、辞めるまでずっと助手に据え置いた。

 

自主講座からは市民エネルギー研究所をはじめ、様々な自律的活動が生み出された。しかし、宇井さんの処遇をみると、東大の体質や姿勢自体は変わらなかったということだなと思った。

 

また40年前、50年前の人の感じと現在の人の感じがまるで違うことに驚く。

 

自主講座には、時には千人の人が参加した。どのような人気の分野であっても、現代でこの講義やりますからといって、市民千人が集まるものだろうか? 60年代後半、70年代を境に一般の人あり方が変わっていく。それがなぜなのか、知りたい。

 

人の変化は、不登校界隈の現場でもおこっていたらしく、不登校証言50年プロジェクトのなかでもそのことについて言及されていた。

 

駒﨑 あのころは、おもしろかったんだよな。通信制の子も4~5人、活動してました。でも、そういう感じじゃない子が来始めたわけです。学校でひどい目に遭ったからとか、そういう感じじゃない子が集まりだした。

山下 ハッキリと敵が見えていて、それに対して運動する、連帯するというのではなくて、自分でもよくわからない苦しさがあって、どうしていいかわからない。もやっとした苦しさがある。そういう「よくわからない感じ」が、だんだん広がっていった……。
 そういうなかで、先ほどおっしゃった「学校の軽量化」とか、脱学校論みたいなものも、だんだん通じなくなっていく感じはありましたでしょうか。

 

山下 私もフリースクールに関わっていて、同じような難しさを感じるところがあったんですね。かつては共有できていたものが、だんだん通じなくなっていく感じというか。そのあたりは、なぜなんだろうと思っているのですが。

 

駒﨑 70年代の大学闘争がアウトになったあと、どうも日本全体の倫理のレベルが下がった気がするんだよね。他人の状況がどうだろうと関係ない。自分のことじゃなくても、これは何とかしないといけないと思って動くようなことがなくなっていますよね。社会問題で、「こんなこと許せない」「これはひどい」という感覚がなくなってきて、感覚的なところで投げやりというか、70年代半ばから80年代以降、倫理や価値観が劣化しているんじゃないかと思います。正義なんか関係ない。人々が、やさしさとか自由を追求しなくなった。

 学校の状況もひどくなっているでしょう。その背景を考えていくと、そのあたりから始まっているような気がします。脱学校というより、みんな脱力してしまっている。こういう状況だと、どこに手を打てばいいのか、正直に言えば、わからないですね……。
不登校50年証言プロジェクト#39 駒﨑亮太さん  

 

futoko50.sblo.jp

 

読書会では、酒井隆史の『暴力論』も発表された。そこで、かつて社会の改革を目指して活動や運動していた様々な組織が、その政治性を失い、今にちかづくにつれ、ただ自分の経済のための組織になっていくという現象が指摘されていた。

 

このことは、宇井純さんの本や、不登校証言プロジェクトの駒崎さんの指摘する「倫理や価値観の劣化」と通じることであるように思える。

 

国の経済成長第一主義のなかで、公害を引き起こす企業を止めようとする力は弱かった。それぞれの地域の人々は、生活や健康を破壊されながら、被害に見合う保証もされず、捨て置かれた。

 

そのなかで、高知の漁民が有毒な排水を垂れ流す排水管をコンクリートで詰めるという事件がおきた。実行者は有罪になったが、その行動は社会に衝撃を与え、現状を変えた。

 

現在の国による暴力を映画にしている方の子どもが親に対し、なぜそんな世間が嫌がるような、事を荒だてるような事をするのかとなじったという話しを聞いた。法律には守られているが多くの人を抑圧し、破滅に追い込んでいる暴力があって、それに対する直接行動は犯罪になる。

 

消費社会における一般人は市民であるよりも、単なる消費者になっていく。暴力も振るう必要がなく、綺麗に、無責任に生きられる。東京オリンピックで使われる木材は、現地の住民の生活を破壊していて、その反対運動をしているリーダーは殺されたりしている。その暴力は、ちょっと口で批判したぐらいで変わらないものなら、どうするのか。

 

旅客機に車椅子で乗ろうとした方が拒否される事件があった。その時、本人の頑張りで、素直に引き下がらず、問題化させることで、社会はしぶしぶそのことの正当性を追認した。もし問題化させなかったら人権が守られる状況はさらに後退していっただろう。

 

おかしなことを問題化させることは、この世間では「迷惑をかけること」だととらえられて抑圧される。上で見たように、どうやら今の世間には思想も哲学も消失しているので、個々人の都合を邪魔する奴は悪い奴ということで合意が取れる。ストライキも交通の邪魔になって悪、保育園うるさい、薬物依存症の人の回復施設などとんでもないということで、現在強くて抑圧的なもの、見えない大きな暴力を振るっている存在はフリーパスなのに、実際にそれを止め、現状を変えようとする人を自分にも迷惑がかかるからと敵視し、攻撃までする。

 

生きづらい人たちは、自分があまり働けないとか、税金のお世話になるとかで、蔑視され、抑圧される。しかし、むしろ自分は何の問題もおこさず生活していると思っている人こそ、否認している罪を取り戻さなければいけないのだと思う。罪を感じないのがいいのではなくて、否認している罪を取り戻し、罪人に戻ることがもう一度人になっていくために必要なのではないだろうか。

 

生きづらい人たちは、他人に言われてなくても罪の意識を持っている。同様に、自分は誰にも迷惑かけていないし、自立していますという人に罪が取り戻されなければならない。生きているのに、罪なく存在できるという与えられた幻想を終わりにしなければ人間に戻れないのだから。

 

想像してほしい。全員に罪の意識のなくなったところはユートピアだろうか?そこはディストピアだと思う。生きづらい人に罪の意識を感じなくていいよというより、罪が社会全体に取り戻されることが必要だろうと思う。

 

 
(その欺瞞を鋭く突いた松岡宮さんの詩「謝れ職業人」を松岡さんの許可をいただいて、ブログに転載させてもらっています。)

kurahate22.hatenablog.com

 

ナラティブコミュニティを学ぶ第一回 亀裂と開け

ナラティブコミュニティを学ぶの1回目へ。非モテ研の西井さんとウィークタイの泉さんのお話しを聞きに。

 

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場には、当事者、支援者、親、当事者かつ場を持っている人などが来られていた。

 

本を読むのが苦手で不勉強なので、レジメなど人が簡潔にまとめてくれたものが大変ありがたい。ナラティブ・コミュニティとは?、ナラティブ・コミュニティの意義、分類、自助会の歴史、12ステップ、12の伝統など。

 

細かいところで興味をひかれたのが、自助会で12ステップを通して多くの参加者が回復していくというところで、50〜70%の回復率という数字が妥当性を検討されることもなく引用され続けているのも現状といった注的なところ。

 

仮にちゃんと調査されて、自助会では何年から何年の間に何人の人が参加し、継続的に参加した人のたとえば50%の回復が実証された、となったとしたら、それはいいことなんかなあと思った。

 

むしろわかってないまま、曖昧なままでいいんじゃないかと反射的に思ってしまった。回復する人は〜%とも言われている、ぐらいでいいんじゃないかと。明らかにされることは重要かもしれない。でも、これだけの数字で回復しますから自助会に行ってくださいとか、もし言われるようになると、なんかもう、問題となっている依存を深刻化させた当の社会の効率化のシステムに自助会が接続されてしまっているように感じる。

 

12のステップとは別に、12の伝統というのもある。グループはメンバーによる自発的な献金だけで完全に自立すべきであるとか、外部の論争に意見を述べてはならないとか、グループは職業化されずあくまでアマチュアでなければならない、等々。

 

12の伝統を読んで思ったのは、外の社会がこの場を利用するようなこと、あるいはこの場で何が重要であり、何が重要でないかにかかわって、外の社会の価値観がここに侵入してくるような要因を断固として拒絶し、場の自律性を確保しているようだということ。

 

ここまでしないと、外の価値観は入ってくるし、場が利用され、回復の場として機能しないということがおこってしまうのだと思う。里見実は「寄り合い」について、日常の関係や格差を持ち込むものではなく、むしろ打ち消すための場が用意されていたと指摘する。そうでないと意味がないのだと思う。外の世界の価値に接続された場ではおこることは滞る。

 

「寄り合い」というと、それはとりもなおさず地縁や血縁にもとづく人々の結合の形式であると、われわれはかんたんに考えてしまうのだけれども、どうも、そういうことではないらしい。「寄り合い」は日常的な関係性を引き写した集会ではなく、むしろ、それを超える関係性をつくり出すための集会であったようだ。人々は家格や血縁の如何にかかわらず、対等な個人として発言した。誰はばかることなく、その所存を開陳した。そのためにも集会は、寺社という非日常的な、いわばこの世の結縁をたちきった空間でおこなわれることが必要であったのだ。「寄り合い」は、その言葉がこんにちよびおこすところの通念とは逆に、むしろ因習的な共同体の絆をたちきる行為であったのだ。

 

連句の原型である連歌茶の湯は、農村ではなく、都市で成立した。連歌の座や茶会につどう人々は「三界に身の置きどころのない」都市のアウトサイダーであった。彼らは故郷喪失者として、その寄る辺なさをいささかでも心慰めるために、茶室につどい、連歌俳諧の座をかたちづくったのであろうか。それとも、共同体的な絆をたちきられた個人によって構成される都市のアナーキーを憂い、サギやカラスの集団と化した都市の群化社会のなかに、擬制的にせよ、第二のムラをかたちづくる、その秘かな実験として連俳の座を選んだのであろうか。そうではあるまい。彼らがその場合にもちいたモデルは、農村の共同体的な関係性そのものではなくて、その「寄り合い」であった。

 

連歌や茶は、日常の彼方に、虚構の関係性を創出する一つの〈技術〉であった。因習的な関係をこえて、いまだあらざる集団的な磁場を拓く、その技術がすなわち芸術であった。花田清輝が『日本のルネッサンス』(朝日選書)のなかでえがいているのは、そういうものとしての芸術のイメージであったと思う。

 

〜「古沼抄」からのメッセージーーはじめに〜
里見実『ラテンアメリカの新しい伝統』"

 

 

『負債論』のグレーバーは狩猟採集社会は打算と記憶を拒絶すると指摘している。プナンの人々について書かれた本、『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』を読みながらプナン社会でもその態度は本当に徹底されているなと思った。

 

プナン社会ではモノの独占所有が不徳とされているだけでなく、人が死ねば関係するモノは全部焼かれ、死者の名を口に出すこともできなくなる。

 

死んだものとの関係(記憶)もまた所有できない。そのように非所有が徹底されると人は未来に支配されない、義務をもたらす「明日」のないリアリティに戻ることができるようだ。プナン本の筆者が確認する限り、プナン社会には心の病のようなものがないという。

 

回復の場は、狩猟採集生活空間ではないけれど、そのように個人の所有や蓄積を前提とした社会の価値観を意識的に拒絶し、しりぞけた結果、外の価値が打ち消された空気感を持つ場として浮かびあがる。

 

そこで人は外の世界で自分自身からも他人からも明に暗に鑑定される自分の「商品価値」から解放され、そしてまた自分自身をも明日のための道具として使用しなければいけないことからも解放される。そこは明日なきところであり、昨日の所有物をもう持ち越さなくていいところであると思う。

 

そういうふうなことを考えると、自助会が外の社会に取り込まれたり、外の社会の価値に接続されるようなことは、場の根底が破壊されることでもあるように思ってしまう。

 

さて、非モテ研の活動では、「解決しない」ということが理念にされているとのことだった。そしてそのことに感銘を受けた支援に関わる人の声が複数あった。

 

「解決」とは、自分の意思の力で問題を無化することであると思うけれど、実のところは自分の意思の管理力の全能性を信じているような、孤立し肥大化した自意識の「自重」に精神は喘ぎ、限界をうったえている。

 

「自分の意思の力で克服する」は前世代の考え方で、古い自意識をさらに肥大化させる。最近は「自分自身を管理操作することができない。あるべき姿に強制的にはめ続けることはもうできない」と認め、降伏して、おこったことの手柄を自意識の管理操作に帰さなくなることが回復にとって重要だということが少しずつ理解されてきている。

 

ウィークタイがどうしてはじまったかという質問がされ、それまでみんなが集まっていた息継ぎの場所がなくなったとき、傷害事件がおきたり、首を吊る人が現れたりして、場所の必要性が痛感されたからだとのことだった。

 

その話しにはツーンと伝わってくるものがあった。それほど大事とも思っていなかった場所がなくなることによっていとも簡単に死の方向へと追い詰められる、思いもよらなかった人間の軽さ。

 

勝手な想像であるけれど、その認識はそれまで人間というものに感じていた確かさを奪いとって、足をつけることができないような虚空に放り出されるようなことだったのではないかなと思った。

 

無自覚に確かなもののように感じているものは、同時に自分を動けなくしているものでもあるような気がする。それが突如、身からもぎ取られるように奪われること、喪失することを代償として、自分に新しい開けがもたらされることがあるように思う。

 

多くを人に与えるものは、揺るがないもの、本当のものは、たとえそれが衆人の目には見えなくても深い喪失を代償として生まれてきているのではないかと何となく思っている。

 

成果だけが見える時がある。しかし、その光の強さの分だけ、同時に失われたもの、犠牲にされたものがあり、闇の深さがあるのではないかと思う。だから手放しで喜べる「いいこと」はなく、逆に凄惨でただただ酷いだけに思えるようなことでも、そこにはまさにそのことを経過してしか生まれない光の萌芽があるのではないかと思う。本当に失わなければ、本当には気づけないように。失った重さの分だけを、人は得ているのではないかと思ったりする。

 

参加者の人たち、震えながら懸命に言葉を発する姿もあった。その震えが伝わってきたとき、自分の思考や感じ方もその数秒前とは変わってしまうことに気づく。

 

人はどう回復していけるのかという問いをずっと持ってきた。しかし、その問いの軽さを実感する。どうにかする、などというみなし自体の軽さ。どうにかできるものは、もともとどうにかできる程度のものでしかないのだった。

 

人は、生きるものは、もっと突き放されていると思う。と同時に、人為で糊塗することのできない深い亀裂、苦しみの存在によってこそ、人が人たるために提供されるべき尊厳の重みが理解されるのではないかと思う。

<9/14 話しの場のフィードバック>

昨日体験した話しの場のフィードバックをこちらにも転載します。

 

発言:話した内容を忘れてしまった場の雰囲気が一番よかったかもしれない

コメント:身体教育研究所(野口整体の前衛的部門)の野口裕之さんが語っていたことを思いだしましたが、記憶に残るというのは異物として残るのであり、それが消えるのが一番いいと。例として、ものすごく美味しいラーメンを食べて忘れられないよりも、食べたことを含めて忘れてしまうラーメンのほうがいいのだ、と。

精神にとって、生きていくことは、取り込んでしまった異物(異化されたもの)を忘れて(同化して)いくことなのだ、という考え方です。

ものすごく記憶に残る、覚えてしまうというのは、多分自分の消化(同化)すべき異物のコアの部分とつながっているので、それを忘れる作業をするために意識に強くあがるのではないかと思うのです。こだわりが生まれるのは内奥のこだわりを根本的に消すため、という感じなのかもしれません。

 

テーマ:自分が話しの場をやることにともなう疲弊と応答について

コメント:ただ単に負担軽減、敷居の引き下げをすれば持続的になるのではなく、何かをやるということはエネルギーを使うことですから、使ったエネルギーに相応するものが返ってこなければ疲弊が蓄積していくわけです。手を1日5回肩の上のあげることだって、簡単なことですが、目標立てて毎日あげようとして、あげれるかもしれませんが、意味がなければ負担ですよね。あげなければと目標を立てていること自体が負担になり、疲弊を呼んでいくわけです。1日1回にしたとしても、返ってくるものがなければ精神にはそれを覚えていること自体が負担です。

何をやりたいかが曖昧な状況があり、しかし何かやりたいというプロセスがあるとき、そのプロセスが呼んでいること自体を確かめていく場の設定をこしらえればいいのであり、それがプロセスが動いていくための工夫ということになると思います。

 

テーマ:「持続性」について
コメント:単に続けることがいいというわけではないように思います。持続していこうとするときに、もし疲弊が蓄積するような、プロセスに応答しないあり方だと破綻するので、続けていこうとすれば、否応無く動いている実際のプロセスに応答することに迫られてくると思います。それは向き合いとも言えるでしょう。

 

プロセス、動いているものに応答しない欺瞞を直視せざるを得なくなるという意味で、続けるということを課すということなら理解できます。一方で、これは違うなと思ったら、続けてやるよりさっと解散して新しく立て直すことも必要だと思います。「続ける」と目標を決めることも、その目的自体が何かの手段としてあるときに健全なのであり、手段であることを失い、手段が目的化するとき、本末転倒がおこり、手段に支配されはじめます。

 

平和を目的化して、実際にある葛藤を抑圧する、なかったことにする、ただ我慢させておくといったようなこともそうだと思います。それは結果として平和に反する、いびつな信念と反動を形成するでしょう。

 

持続可能というとき、それは今のものが減らない、変わらないようにするということではないのです。今のものが更新され、そのことによって新しいエネルギーが獲得されるという新陳代謝があるときに、持続可能なのだと思います。

 

今の状態から新陳代謝なく、ただ我慢する、自分自身の価値観の更新なく頑張るという考えは根本的な誤りを持っています。新陳代謝とはエネルギーを獲得し変化していくあり方です。よってどんな正論でも、これが正しいのだからみんなこれに従えは、効果がほとんどないのだと思います。

 

根本的な変容を求めるなら、個々人の内面の価値観が更新されていくこと、そして個々人が自分の内面の価値観を更新していくあり方をそれぞれに知っていくこと、そのための変容の舞台を用意することが欠かせないと思います。

 

一斉に情報を与えることでは不十分なのだと思います。何が必要なのか。それは自分自身が既に知った人として教えたりアドバイスするのではなく、自分自身が変わっていくところにおいて人と関わることだと思います。それがパウロフレイレのいう対話であると思います。

価値の脱落

自分が何かを価値あることとして内面化し、それゆえ強迫されていることがある。

 

それらが変化するときというのは、転換、というような感じで、表から裏へみたいに明確な切り替わりがあるのではなく、腐った肉がずるっと骨から取れていくように、脱落していくという感じなのではないかと思う。鮮やかな感覚があるわけじゃなくて、それはただ死んで、減少し、なくなっていく。

 

そして世間ではその価値が普通はいいもの、素晴らしいものとされているから、それに自分がさして共感しないようになっていくと、ちょっと申し訳ないような気もする。

 

たとえば、僕は「成長」など存在しないと、5年前ぐらいからはじめたこのブログの最初の投稿から言っていたけれど、僕が考えてきた「回復」は、よりよくなることであり、いわば「適応」だった。

 

今、苦しみがあり、それをなんとかしていくということには何ら問題はない。ただ、別に回復はそちらにいかなければならない方向ではない。回復した人が比較的回復していない人より価値が高いのでもない。

 

別にきれいごとを言いたいわけではなくて、そこに価値をおくことが、結局はより回復する、より幸せになる、より抑圧から自由になる競争みたいになってしまうからだ。別に競争しても仕方ないし、競争しようとするところには、あるべき姿に比した今の自分の否定があり、変化のプロセスは硬直し、止まってしまう。

 

「回復」しようとしているのに、「回復」を停滞させる前提を持ち込んでいるのだから、自己矛盾であり、成り立たない。回復が素晴らしい、回復の方向へいくべきだ、ととらえてしまうと回復が停滞するのだ。

 

よって、回復とか気にしないほうがいいということになる。どこか今ではないところに行こうと思わず、自分にとって整いになることをただやればいい。意味はないのだ。

 

意味はない。それは単に自暴自棄になったらいいということでもないし、シニカルになればいいということでもない。突き詰めたところでは、どこもいくべきところはなく、あるべき姿もない。

 

意味とは強迫であり、強迫がとれたところで自分が変容していくプロセスがおこる。いい人になりたいと意思的に切磋琢磨すれば、かえって自分の悪いところ、人の足りないところを憎んで変化が停滞してしまう。自分に何かを強制すると、人がそれを自由にしているのが許せなくなる。自分がイメージしているいい人は、過去のイメージであり、既知の閉じた世界に無理やり自分をはめようとしているのだ。

 

(野口)整体は、三代で完成(完成、はちょっとニュアンス違うかもしれないけれど。)するともいわれているらしく、そうすると、一代目、二代目はどんなに訓練しようが最終的なところにはいけない。この考えは各人のいらない強迫、意味への邁進をあらかじめとっておくというところがあると思う。

 

しかし、まだ諦めない人もいるだろう。自分の子どもを作って、その子どもに整体やらして、その孫まで整体的環境に置いて、夢の完成だ、というような。冗談のように言ったけど、本当にいると思う。

 

整体をやった人の子どもは、「根拠のない自信がある」と親御さんには感じられるという話しも聞く。親に比べて根拠のない自信を持っている二代目のほうが何か優れているから価値がある、のだろうか。僕がそうなれないからそねんでいるのではなく。

 

自分というものを実体ととらえずに、自分の生とはある特殊な環境を「変化のプロセス」が通り過ぎたと考えたらいいんじゃないかと思う。どの人もそうで、その人しか入れられてない環境(自分の体や精神を含む)を通り過ぎる。通り過ぎる旅で、何を手に入れたのかが重要だと思われるかもしれないけれど、通り過ぎるだけなのだから、何も手に入れていない。

 

意味を求めるとは、今後の役にたつものを求めるということだと思うのだけれど、最後は消えるのだから、意味はないわけだ。どうしても人類は存続しなければならない、と頑張っても、終わるときには終わるだろう。そもそも「人類」とかいうのがフィクションなのであって、個人は自分が死んだらそれで全部終わりなのだから、何も続いてない。文明が発達していると信じ(させられ)ることによって、社会は個人を夢というニンジンでつって動かしているけれど、文明が発達していくというのは、自分が獲得することができない、つまり個人とは関係のない、ビジョンのためのビジョン、人を一方向に邁進させるためのビジョンでしかない。

 

科学が発展して、とか考えても、発展することによって、記憶がいじれるようになったら、本当に「自分」が生きてきたのか、それともこれは偽りの記憶なのかもわからなくなる。昨日寝たときに殺され、今朝おきたときに昨日の記憶があるから自分は生きていると確認できる、なんてことは成り立たなくなる。自分とは記憶だ。改変可能になったら、自分が生きる意味はなくなる。そもそも自分がなくなっているから。この自分が何かを獲得すると考えるから高揚するわけだけど、その自分がないわけだから、自分が生きることを含め、頑張って何かやるのは馬鹿げているということになるだろう。

 

変化のプロセスと感応するために必要なのは、自分(自意識)の打ち消しであり、強迫の打ち消しだ。強迫とは意味であるので、意味の打ち消しであるともいえる。意味がないとき、そこにただ変化のプロセスがある。よって、より優れた人間がいい、より天然に育った人がいい、という価値を持っているならば、そこでは変化のプロセスは停滞する。何を獲得したとしても、そこでもまだ何かの強迫を抱え込んでいるならば、打ち消しはされていないのであり、停滞という反映があるだけだ。

 

正直、僕もそりゃあ子どもはより健全に育ったほうがいいし、個人は抑圧を抱え込んでいるより、解放されていくほうがいいだろうと思っていた。しかし、意味が打ち消されたところがプロセスが生きているところなのだから、そのような価値観も変化と生を停滞させるだろう。

 

実際、そんな健全にみんなが育ちうるわけでもないし、そういうのがいいという価値観だったら、回復しない人、抑圧しない人はダメな人、かわいそうな人になってしまう。すると、その見方自体が他人のプロセスだけでなく自分のプロセスを停滞させるのだ。あああってはいけない、そう考え、自分を意思でしばり、停滞してしまう。

 

どんなひどい境遇にあっても、あるいは素晴らしい環境にあっても、本質的には等しく意味はない。意味が打ち消されたところ、自分が一瞬でも打ち消されたところがプロセスが動いていく本当のところなのだから。

 

今、自分の価値観は、誰かが抑圧されたままで死んだとか、子どものころに恵まれずにそのせいで「豊か」に生きられなかったからその人は得るべき何かを失ったかわいそうな人だとか、思わない。

 

自分のその実感の変遷を表現するならば、「上」の人(つまり回復した人、解放された人)がいなくなって標準が下がったという感じ。かわいそうな人が上にあがったのではなく、ただ「上」と思っていたものが「上」というほどでもないな、何でもなかったんだなという感じだ。

 

この世界は荒野。何も思い通りにはならないし、生きものの世界というのは、基本的に修羅の世界なのだ。荒野であることを認めずにユートピアを求めると、それが抑圧となって人間が余計に実存的に苦しむ。荒野という認識は、世界を自分のものとして所有しないということでもある。世界の悪化に苦しむのは、世界を、所有している自分の財産だと思っているからだ。

 

で、何をするか。世界に意味はない、幻だと自分に思いこませて隠遁しても、自分のなかに既に出来上がったものを信じていたら、それは単なる自分の精神の抑圧にすぎない。それは結局自己イメージを大事に守るためにやっているわけだ。

 

あるべき姿はなく、意味はない。その時浮かび上がってくる自分のプロセスに応答する。それだけだし、それでいいのだと思う。応答するのは、それが自分をゴールに導くからではなく、気の通りがよくなるからだ。

 

世界は荒野だ。実在の殺人鬼をモデルにした映画で、殺人鬼は車が故障したふりをして待ち伏せ、助けにきた親切なドライバーを殺していた。身もふたもない。生は、幸せは、所有できない。この残酷な突き放しが逆に、救いなのだ。本質的には意味がないのだからどうあってもいい。

 

www.allcinema.net

 

自分のプロセスを見つけられない、と余計に苦しむこともない。そもそもどこにも行きつかないのだし、どこかに行ったとして苦しみがなくなることもない。取れるとすれば「余計に」の部分の苦しみがとれるだけだ。「幸せ」や「回復」、「ゴール」を真に受けた影響は、「余計な」停滞だ。しかし、停滞しなかったとしても、本質的には何も獲得しない。通り過ぎるだけだから。

「奪われた刀」としての科学技術

山本義隆氏によれば、現在では「科学技術」と合成語になり、一つのものとして考えられている「科学」と「技術」はそもそも別々のものとしてありました。

 

DIY読書会でも発表していただいた角南さんのブログに本の引用の文章など含め詳しく書かれてます。角南さんご自身が経験された当時の時代感覚もあわせて書かれているのでそれも参考になります。

dohokids.blogspot.com

 

「技術」は職人のものでしたが、「科学技術」として合成されることによって、職人は時代を転換させる最前線の実践者でもあったところから、指示を受け、注文通りの品をつくるだけの、創造性のない下請けとして位置づけられるようになりました。創造的にデザインする建築家と作業する大工といった感じでしょうか。

 

法隆寺の宮大工の本を読むと、飛鳥の時代からの建築を探究している宮大工西岡常一氏に対して、研究者は改修はああしろ、こうしろと命令しています。釘を使えばそこから腐るため、釘を使わない工法が考えられているのに、研究者は自分がお勉強した最近の建築法のほうが上だと思っており、命令に従うよう要求します。

 

www.shinchosha.co.jp

 

この事例が端的に示すのは、「科学技術」という合成語は「職人」を思想や哲学、つまり考え、真に創造する「頭」を持たない存在だと位置づけ、その一方で真に思考し、時代を切り開く自分たちを区別し、特権化する機能をもっていたということでしょう。

 

(このことは当事者には考えられる頭、状況や時代を変えていく頭があるととらえなかった当事者研究以前の状況とも通じると思います。)

 

明治期、もと武士階級の支配者層にとっては、「科学」と「技術」こそが西欧に対して自分の国が屈辱を舐めなければいけなかった決定的な原因として認識されたのでしょう。その屈辱は、西欧に下に扱われることだけでなく、自分たちが「そこらへん」の百姓や職人、商人と同じ身分にされたということでもあったかと思います。

 

しかし、自分たちの力を維持し、あわよくば復活させるためにはその恨みの象徴である「科学」と「技術」を認めないわけにはいきませんでした。

 

よって、支配者層は「科学」と「技術」によって地に落とされた屈辱を自らのうちに秘めつつ、それゆえにより一層、邁進する転向者としてその「科学」と「技術」を自らの権力とプライドを復活させるものとして位置づけ、資力を注入してきました。

 

明治前期に上級学校に進んだのはほとんどが士族の子弟で、明治期の技術者はその大半が士族出身者で占められていた。しかし徳川の時代に「士農工商」の身分制ヒエラルキーの最上部にいた士族は、職人や商人の仕事を蔑んでいたのであり、士族に根強かったこのような階級的偏見を払拭するには、工部大学校、のちには帝国大学工科大学で教育されることになる技術を、舶来のものとして箔をつけ、お上のものとして権威づけ、こうして教育される技術者を、技術エリート・技術士官として在来の職人から差別化しなければならなかった。山本義隆『近代日本一五〇年』

 

「科学」と「技術」を合成し、一体とすることで、特権階級は四民平等によって否定されたプライドを維持し、同時に自分たちこそ考えられる頭であり、それ以外の人たちは自分たちが考えたことに従う手足なのであると位置づけることができました。

 

いわば「科学技術」とは、プライドを傷つけられ、地に落とされた武士階級の「奪われた刀」だったのではないかと思います。彼らは帝国大学において「科学技術」を担当する工学部の教授となりました。工学部こそが武士だったものの次のメインストリームになりました。

 

50年前、宇井純さんが東大で市民を対象に自主講座を開催したのは、工学部教授たちは工学部助手である宇井さんが大学として講座を開くことを拒否したためです。当時関わった人は、教授たちの自分たちの神聖なる教壇を市民の泥靴で汚されることの憤懣はいかばかりだったかという趣旨のことを述べています。

 

原爆が落とされた直後の広島にはいった帝国大学の物理学者は、戦争の誤りを認めるよりも先に、自分たちの(科学技術発展の)努力がいたらなかったために、このような惨状を招いたことを嘆いたそうです。戦後、戦争に協力した人文系の研究者たちはその責任や研究の妥当性を問われましたが、理工学部系はその根本的な姿勢の反省を問われることはなく、そのままの精神性が維持されているようです。

 

日本では、もともと別々の分野だった「科学」と「技術」を合成することによって、その名のもとに、失われた特権階級を事実上スライドさせ、自分たちが支配層のままでいる地盤が作られました。

 

「科学技術」とは自分たちが敗北した当の相手でありながら、同時に自分たちの復権を夢想させる唯一の可能性であり、それは彼らのプライドと権力を取り戻すための次の「刀」であり、しるしでした。

 

それは、自分たちが認定しないと、科学ではなく迷信であると決められるような位置に自分たちを設定しました。何に意味があって、何に意味がないのか、何が学びであり、何が教育であるのかを決められるのは私たちだとしました。

 

かつては「女性」が政治的なこと、妥当なことを考えることができないとされ、被選挙権すら認められていませんでした。

 

それはやがて形式上は変えられましたが、今も市井の人には何が正しくて何が間違っているか、真実を見極められる力はないとされています。

 

それを認定するのは知を担当する権威である自分たちだというわけです。実際的な方針を考えだし、「大衆」を導けるのも、知と真実を担当する自分たちなのです。

 

当事者研究はその構造、その抑圧に対する反逆といえるでしょう。当事者研究は問題を自分の心のうちだけのものとせず、自分とともに周りの人が変わっていく営みであるからです。)

 

日本の女性の地位が144か国の調査対象国の中で114位なのはなぜでしょうか。新しい知識は「先進国」と自称する日本に全くはいってこないでしょうか。そうではないのです。つまるところ、新しい知識や情報がはいってきたとしても、それを認定したり、取り入れることを今現在に力を持つ人たちが拒否しているのです。

 

あるアイデアが素晴らしいものであれば、多くの人がそのアイデアをとりいれ、普及していくのではないのです。より新しく妥当な知見がシェアされれば、それが風のように社会を通って影響を与えていくのではないのです。

 

実際には、力と力のせめぎ合いがあり、力を持つものが自分に都合の悪いものはとりいれないのです。すると自然に更新される時間は止まり、人々の頭の時間も止まるのだと思います。力をもつものがいることに対し、より押し返す力、押し流す力が強くなったとき、ようやく状況は変わるのだと思います。

 

その状況を変えようと、靴の革を一度に変えるように、一斉に社会を変えようとする試みはこれまでも失敗してきました。もちろん、それぞれの考え方によるそれぞれのアプローチを否定するものではありませんが、焦点化するところがあると思っています。

 

それは大勢を強制的にまとめ上げ、指示通りの行動をさせることではなく、一人一人が自分のうちに内面化された抑圧を、世界や周りの人との直接のやりとりによって更新していく場をもつことです。それはちいさな学びの場をそれぞれの人がそれぞれの場所につくりだしていくことだと思います。

 

鶴見俊輔はサークルの研究において、そういうことを既に発見していました。ところが世間では研究者とか、よく知っている人とか、そういう1割にも満たない人が受験前に暗記した文脈を持たない知識を持っているぐらいで、発見された知見が維持されたり、ましてや運用されているような風景は見当たりません。

 

なぜすでに発見された実践的な蓄積や知見は忘れられ、消えていくのか。この理由を考えたときに、力というところにたどりつきました。「誰」がそれを妥当だ、意味がある、素晴らしいと認めるのか。それを決める位置を占めている人が決めるのです。そしてその位置にいる人は、だいたい社会がどう解放されるかよりも、その決められる位置を自分が占めることを目的にしているのです。

 

なので、大きいシステムを変えたらみんなが一斉に変わるし、一番大きく社会を変えられるよ、という考えから脱して、自分たちそれぞれで小さく身の回りの抑圧や常識を乗り越えていくというのが、遠回りながらも最短の変化への道であるのかなと思っています。

「現実」をつくる鏡

徳島県の自殺稀少地域の人たちにアンケートをとると、自分は幸せでも不幸せでもないと思うと回答する人が多かったそうです。

 

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幸せとか、そういうことをふりかえって認識していないひととき、自分が何であるかとかそういうことが意識にない一瞬があるとき、自分はまだ回復していない、幸せじゃないという認識をしていたとしても、その状態がすでにある意味達成された状態なのだと思っています。

 

苦しい人がその苦しさが減ることを求めるのは当たり前で別にそれをやめることをすすめているのではないのですが、別にどこかに行き着くところ、幸せを手に入れた状態がくるわけじゃないようです。

 

「回復」したと思ったら、それを台無しにするような深刻な病気や事故がやってくる場合もあるでしょう。回復してそれからが「本当の人生だ」というふうに錯覚することはできるけれど、でもそれは手に入れたものでも、所有できるものでもないです。

 

それを考えると、そういう状況になった時に、なんでもっと気持ちを楽に生きてこなかったのかと思うのではないかと思うのです。お金を貯めてきたら使う機会がなかったような、あるいは泥棒に奪われてしまうようなことがあれば、それだったらもっとこうすればよかったと思うのは、自然な自分で生きてこれなかった、どこかずっと我慢していたということだったと思います。

 

小学校で、黒板に書いた自分の字を見て「うん、美しい」という先生がいました。それは冗談でしたけれど、自分が回復したのかどうか、幸せかどうかを、何かの基準に照らしあわせて、鏡に映して、そのことがようやく確かな「現実」として受け取られます。

 

でもどうやら、何かの基準に照らしあわせたり、白雪姫のまま母のように鏡が答えてくれたものを「現実」として確かなものだとすること自体が、余計な苦しみの元凶のように思えます。自動的なので避けようもないのですが、認識の鏡に映す行為自体が生きているプロセスに干渉をかけ、止めるのだと思います。

 

インプロのウォームアップをやる時などは、今の自分がどうだろうかとか、そういう頭が働かない状態をつくっていくみたいだと思いましたが、自分の認識の鏡に映されて動けなくなってしまう自分に対して、そのように鏡に映される状態にさせないことで、より自分の生きたプロセス、自律的なものが浮かび上がる状態にずらしていくことができます。

 

過去の鏡、言葉の認識の鏡に映したところに「本当の自分」はいません。「本当の自分」がいるんだろうかどうかと考えたり、比較検討して今の自分の姿を認識の鏡に映してしまうことがされないときに、あるいはインプロのウォームアップのようにそういう状態を積極的に打ち消すときに、自律的なもの、生きているプロセスがあらわれます。そしてそれは知っていてコントロールできる「自分」ではないのです。

 

知っていてコントロールできる「自分」じゃないものが生まれ、現れてくるところが本当のものということになりますが、それもそれが本当のものだと言葉で認識したときには既にそれは時間が止まった偽りのものでしかないというジレンマがあります。

 

言葉を通して、確認しなければ、確かにしなければ、それは「現実」にならないのでしょうか。黒板に書いた先生の字が美しいというとき、それが書かれている過程は美しいのでしょうが、書いているとき本人はそんなことは思っていません。余計なことを考えていたら字もゆがむでしょう。

 

書いた後、それを自分の目でみて、認識の鏡に映して、ようやく「美しい」という「現実」になるのは、本来は過程自体が現実であるはずなのに、認識する行為が「現実」をつくる本末が転倒したことなのではないでしょうか。

 

認識しないとまた再現ができないじゃないか、繰り返し再現できないと意味がないじゃないかというとき、その再現は死んだプロセス、止まった時間、殺したものの再現なのです。繰り返し同じように再現できるのは止まったもの、死んだものだけです。

 

言葉の認識の鏡に何かを映すとき、それは生きたものを死んだものにするという代償を伴って、確かなもの、操作できるものと実感しているのだと思います。

 

言葉の認識が立ち上がってない状態のときが本来の生きたプロセスそのものに戻っているときであり、そんな自分に気づき、言葉の認識の鏡にその生きたプロセスを止めて映しているときに、生きたプロセスは止まっています。

 

自分が居心地いい場所がなぜ居心地がいいのか、あるいは何かの活動をしているときはなぜ比較的心が楽で解放されているのか。言葉の認識の鏡が立ち現れてくるようなきっかけが打ち消されているからです。自分を映すということが出てこないようにできれば、それで十分であり、そのとき生きているプロセスは動いています。

 

「本当の自分」にはなれなくて、ただ今の自分が消えているとき、認識の鏡が立ち現れず、打ち消されているときに、動いている生きたプロセスがあります。ならば、なるべく自分がある状態を打ち消しながら、そのプロセス自体に入れるようなことをする、というのが、自分というこの機械的な自意識でもできる代替的な手段なのだと思います。

【今後の活動の予定】DIY読書会を様々な場所で

自分にとって核心的な興味や関心事を探究して、その過程を発表する場として「ジャンル難民学会」という場を考えました。(名前は変える予定なのですが。)

 

そこで重要だとも思うことの一つは、「わたし」と「あなた」という二者関係に閉じる探究ではなく、「社会」や「世界」という第三者、既知の世界の外に、探究という関わり方を通して直接にふれ、やりとりしていくことです。このことが開けを生んでいくと思います。

 

ただ発表というのは多くの人にはハードルが高いです。発表するなどということは針のむしろに立たされるような感覚なのかもしれません。それはたぶん、今までの自分が受けた教育や学校の場においてはそうであって、自分の経験ではそうだったのではないでしょうか。

 

僕自身も自分が体験した小学校、中学校のクラス内みたいなところで発表などしたくないのですが、大学院に行って自分たちの積極的な関心で読書会したり、研究会的な集まりを経験すると、自由や楽しさ、学びのプロセスの速さを感じ、こんな感じは初めて感じたと新鮮だった思い出があります。

 

やりたくなかったり、関心がなかったりする時に、自分以外の人のペースで無理やりやらされるからいい体験にならないのであって、自分の関心に応じ、共通のことを面白く思う人たちとこの指とまれでやれば、体験はまるで別なものになると思います。

 

自分の発表、自分の表現といってもいいかもしれませんが、それをまず取り戻すというところから多くの人は疎外されているのではないかと思います。そんな立派なことを言わなくてよいのです。自分の関心の深まりが自然な質の高さを場に提供するものだと思います。関心の深まりは、自分のやり方、自分に何かのプロセスがおこるところに自分をチューニングしてその対象とやりとりを続けていくことでおこってきます。

 

鶴見俊輔は京都でリードインという読書会のようなものをやっていて、そこでは自分以外の人の言葉と自分の言葉を両方持ってきて場にシェアするということをやっていたそうです。そのようにいきなり自分の意見、自分の考えを発表するよりも、導きとなる他者のものをもってくるのはとても賢いやり方だと思います。

 

その発想にならい、他人の言葉や文章をもってきて、それに受けた刺激やそこから考えたことを発表する場を作ろうと思いました。というか、自分たちがやっていたDIY読書会がそれでした。どんな本でもいいし、あるいは本さえなくて自分の活動の発表でもいいのですが、自由に、お互いに関心を持ちながらやっていくと自由で楽しく深まっていく場が動きだしました。

 

いきなり発表の場ではなく、そのようにDIY読書会というかたちで他者の言葉や文章を呼び水として、自分の言葉を語り、自分の考えを取り戻していく場がそこここにあればいいなと思い、これからはDIY読書会をはやらせていく活動をしようと考えています。

 

まずは僕自身が行脚して、DIY読書会を体験してもらい、自分たちで勝手にやれるようになったら勝手にやってもらい、それで公開のDIY読書会はお互いに人が行ったりきたりできるようになると楽しいだろうと思っています。ご関心ある方はどうぞお声がけください。DIY読書会Q&Aも作りました。

 

docs.google.com

 

自分の言葉、自分の表現を取り戻していく過程で、一冊の本にとどまらず、関心あることが生まれてきて、それを発表してそれまた関心ある参加者とやりとりしたくなるものもあると思います。読書会とは別に、そのようにだんだんと関心が高まった探究の発表の場もつくります。