降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

【今後の活動の予定】DIY読書会を様々な場所で

自分にとって核心的な興味や関心事を探究して、その過程を発表する場として「ジャンル難民学会」という場を考えました。(名前は変える予定なのですが。)

 

そこで重要だとも思うことの一つは、「わたし」と「あなた」という二者関係に閉じる探究ではなく、「社会」や「世界」という第三者、既知の世界の外に、探究という関わり方を通して直接にふれ、やりとりしていくことです。このことが開けを生んでいくと思います。

 

ただ発表というのは多くの人にはハードルが高いです。発表するなどということは針のむしろに立たされるような感覚なのかもしれません。それはたぶん、今までの自分が受けた教育や学校の場においてはそうであって、自分の経験ではそうだったのではないでしょうか。

 

僕自身も自分が体験した小学校、中学校のクラス内みたいなところで発表などしたくないのですが、大学院に行って自分たちの積極的な関心で読書会したり、研究会的な集まりを経験すると、自由や楽しさ、学びのプロセスの速さを感じ、こんな感じは初めて感じたと新鮮だった思い出があります。

 

やりたくなかったり、関心がなかったりする時に、自分以外の人のペースで無理やりやらされるからいい体験にならないのであって、自分の関心に応じ、共通のことを面白く思う人たちとこの指とまれでやれば、体験はまるで別なものになると思います。

 

自分の発表、自分の表現といってもいいかもしれませんが、それをまず取り戻すというところから多くの人は疎外されているのではないかと思います。そんな立派なことを言わなくてよいのです。自分の関心の深まりが自然な質の高さを場に提供するものだと思います。関心の深まりは、自分のやり方、自分に何かのプロセスがおこるところに自分をチューニングしてその対象とやりとりを続けていくことでおこってきます。

 

鶴見俊輔は京都でリードインという読書会のようなものをやっていて、そこでは自分以外の人の言葉と自分の言葉を両方持ってきて場にシェアするということをやっていたそうです。そのようにいきなり自分の意見、自分の考えを発表するよりも、導きとなる他者のものをもってくるのはとても賢いやり方だと思います。

 

その発想にならい、他人の言葉や文章をもってきて、それに受けた刺激やそこから考えたことを発表する場を作ろうと思いました。というか、自分たちがやっていたDIY読書会がそれでした。どんな本でもいいし、あるいは本さえなくて自分の活動の発表でもいいのですが、自由に、お互いに関心を持ちながらやっていくと自由で楽しく深まっていく場が動きだしました。

 

いきなり発表の場ではなく、そのようにDIY読書会というかたちで他者の言葉や文章を呼び水として、自分の言葉を語り、自分の考えを取り戻していく場がそこここにあればいいなと思い、これからはDIY読書会をはやらせていく活動をしようと考えています。

 

まずは僕自身が行脚して、DIY読書会を体験してもらい、自分たちで勝手にやれるようになったら勝手にやってもらい、それで公開のDIY読書会はお互いに人が行ったりきたりできるようになると楽しいだろうと思っています。ご関心ある方はどうぞお声がけください。DIY読書会Q&Aも作りました。

 

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自分の言葉、自分の表現を取り戻していく過程で、一冊の本にとどまらず、関心あることが生まれてきて、それを発表してそれまた関心ある参加者とやりとりしたくなるものもあると思います。読書会とは別に、そのようにだんだんと関心が高まった探究の発表の場もつくります。