降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

ナラティブコミュニティを学ぶ第一回 亀裂と開け

ナラティブコミュニティを学ぶの1回目へ。非モテ研の西井さんとウィークタイの泉さんのお話しを聞きに。

 

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場には、当事者、支援者、親、当事者かつ場を持っている人などが来られていた。

 

本を読むのが苦手で不勉強なので、レジメなど人が簡潔にまとめてくれたものが大変ありがたい。ナラティブ・コミュニティとは?、ナラティブ・コミュニティの意義、分類、自助会の歴史、12ステップ、12の伝統など。

 

細かいところで興味をひかれたのが、自助会で12ステップを通して多くの参加者が回復していくというところで、50〜70%の回復率という数字が妥当性を検討されることもなく引用され続けているのも現状といった注的なところ。

 

仮にちゃんと調査されて、自助会では何年から何年の間に何人の人が参加し、継続的に参加した人のたとえば50%の回復が実証された、となったとしたら、それはいいことなんかなあと思った。

 

むしろわかってないまま、曖昧なままでいいんじゃないかと反射的に思ってしまった。回復する人は〜%とも言われている、ぐらいでいいんじゃないかと。明らかにされることは重要かもしれない。でも、これだけの数字で回復しますから自助会に行ってくださいとか、もし言われるようになると、なんかもう、問題となっている依存を深刻化させた当の社会の効率化のシステムに自助会が接続されてしまっているように感じる。

 

12のステップとは別に、12の伝統というのもある。グループはメンバーによる自発的な献金だけで完全に自立すべきであるとか、外部の論争に意見を述べてはならないとか、グループは職業化されずあくまでアマチュアでなければならない、等々。

 

12の伝統を読んで思ったのは、外の社会がこの場を利用するようなこと、あるいはこの場で何が重要であり、何が重要でないかにかかわって、外の社会の価値観がここに侵入してくるような要因を断固として拒絶し、場の自律性を確保しているようだということ。

 

ここまでしないと、外の価値観は入ってくるし、場が利用され、回復の場として機能しないということがおこってしまうのだと思う。里見実は「寄り合い」について、日常の関係や格差を持ち込むものではなく、むしろ打ち消すための場が用意されていたと指摘する。そうでないと意味がないのだと思う。外の世界の価値に接続された場ではおこることは滞る。

 

「寄り合い」というと、それはとりもなおさず地縁や血縁にもとづく人々の結合の形式であると、われわれはかんたんに考えてしまうのだけれども、どうも、そういうことではないらしい。「寄り合い」は日常的な関係性を引き写した集会ではなく、むしろ、それを超える関係性をつくり出すための集会であったようだ。人々は家格や血縁の如何にかかわらず、対等な個人として発言した。誰はばかることなく、その所存を開陳した。そのためにも集会は、寺社という非日常的な、いわばこの世の結縁をたちきった空間でおこなわれることが必要であったのだ。「寄り合い」は、その言葉がこんにちよびおこすところの通念とは逆に、むしろ因習的な共同体の絆をたちきる行為であったのだ。

 

連句の原型である連歌茶の湯は、農村ではなく、都市で成立した。連歌の座や茶会につどう人々は「三界に身の置きどころのない」都市のアウトサイダーであった。彼らは故郷喪失者として、その寄る辺なさをいささかでも心慰めるために、茶室につどい、連歌俳諧の座をかたちづくったのであろうか。それとも、共同体的な絆をたちきられた個人によって構成される都市のアナーキーを憂い、サギやカラスの集団と化した都市の群化社会のなかに、擬制的にせよ、第二のムラをかたちづくる、その秘かな実験として連俳の座を選んだのであろうか。そうではあるまい。彼らがその場合にもちいたモデルは、農村の共同体的な関係性そのものではなくて、その「寄り合い」であった。

 

連歌や茶は、日常の彼方に、虚構の関係性を創出する一つの〈技術〉であった。因習的な関係をこえて、いまだあらざる集団的な磁場を拓く、その技術がすなわち芸術であった。花田清輝が『日本のルネッサンス』(朝日選書)のなかでえがいているのは、そういうものとしての芸術のイメージであったと思う。

 

〜「古沼抄」からのメッセージーーはじめに〜
里見実『ラテンアメリカの新しい伝統』"

 

 

『負債論』のグレーバーは狩猟採集社会は打算と記憶を拒絶すると指摘している。プナンの人々について書かれた本、『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』を読みながらプナン社会でもその態度は本当に徹底されているなと思った。

 

プナン社会ではモノの独占所有が不徳とされているだけでなく、人が死ねば関係するモノは全部焼かれ、死者の名を口に出すこともできなくなる。

 

死んだものとの関係(記憶)もまた所有できない。そのように非所有が徹底されると人は未来に支配されない、義務をもたらす「明日」のないリアリティに戻ることができるようだ。プナン本の筆者が確認する限り、プナン社会には心の病のようなものがないという。

 

回復の場は、狩猟採集生活空間ではないけれど、そのように個人の所有や蓄積を前提とした社会の価値観を意識的に拒絶し、しりぞけた結果、外の価値が打ち消された空気感を持つ場として浮かびあがる。

 

そこで人は外の世界で自分自身からも他人からも明に暗に鑑定される自分の「商品価値」から解放され、そしてまた自分自身をも明日のための道具として使用しなければいけないことからも解放される。そこは明日なきところであり、昨日の所有物をもう持ち越さなくていいところであると思う。

 

そういうふうなことを考えると、自助会が外の社会に取り込まれたり、外の社会の価値に接続されるようなことは、場の根底が破壊されることでもあるように思ってしまう。

 

さて、非モテ研の活動では、「解決しない」ということが理念にされているとのことだった。そしてそのことに感銘を受けた支援に関わる人の声が複数あった。

 

「解決」とは、自分の意思の力で問題を無化することであると思うけれど、実のところは自分の意思の管理力の全能性を信じているような、孤立し肥大化した自意識の「自重」に精神は喘ぎ、限界をうったえている。

 

「自分の意思の力で克服する」は前世代の考え方で、古い自意識をさらに肥大化させる。最近は「自分自身を管理操作することができない。あるべき姿に強制的にはめ続けることはもうできない」と認め、降伏して、おこったことの手柄を自意識の管理操作に帰さなくなることが回復にとって重要だということが少しずつ理解されてきている。

 

ウィークタイがどうしてはじまったかという質問がされ、それまでみんなが集まっていた息継ぎの場所がなくなったとき、傷害事件がおきたり、首を吊る人が現れたりして、場所の必要性が痛感されたからだとのことだった。

 

その話しにはツーンと伝わってくるものがあった。それほど大事とも思っていなかった場所がなくなることによっていとも簡単に死の方向へと追い詰められる、思いもよらなかった人間の軽さ。

 

勝手な想像であるけれど、その認識はそれまで人間というものに感じていた確かさを奪いとって、足をつけることができないような虚空に放り出されるようなことだったのではないかなと思った。

 

無自覚に確かなもののように感じているものは、同時に自分を動けなくしているものでもあるような気がする。それが突如、身からもぎ取られるように奪われること、喪失することを代償として、自分に新しい開けがもたらされることがあるように思う。

 

多くを人に与えるものは、揺るがないもの、本当のものは、たとえそれが衆人の目には見えなくても深い喪失を代償として生まれてきているのではないかと何となく思っている。

 

成果だけが見える時がある。しかし、その光の強さの分だけ、同時に失われたもの、犠牲にされたものがあり、闇の深さがあるのではないかと思う。だから手放しで喜べる「いいこと」はなく、逆に凄惨でただただ酷いだけに思えるようなことでも、そこにはまさにそのことを経過してしか生まれない光の萌芽があるのではないかと思う。本当に失わなければ、本当には気づけないように。失った重さの分だけを、人は得ているのではないかと思ったりする。

 

参加者の人たち、震えながら懸命に言葉を発する姿もあった。その震えが伝わってきたとき、自分の思考や感じ方もその数秒前とは変わってしまうことに気づく。

 

人はどう回復していけるのかという問いをずっと持ってきた。しかし、その問いの軽さを実感する。どうにかする、などというみなし自体の軽さ。どうにかできるものは、もともとどうにかできる程度のものでしかないのだった。

 

人は、生きるものは、もっと突き放されていると思う。と同時に、人為で糊塗することのできない深い亀裂、苦しみの存在によってこそ、人が人たるために提供されるべき尊厳の重みが理解されるのではないかと思う。