降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

バイオハザード6 エイダ・ウォンのドッペルゲンガー、カーラ・ラダメスを考察する

3ヶ月前ほどに記事を書いたけれど、まだバイオハザード6が気になっている。


エイダ・ウォンドッペルゲンガーであるカーラ・ラダメスとは何だったのか。もうちょっと追っていきたい。

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ドッペルゲンガーでない、オリジナルのエイダ・ウォンは、ルパン三世でいうならば、峰不二子的なポジションのキャラだ。他の主人公たちとかかわるが、自分の目的を持っていて、本作では主人公たちを助けることも多いが、利用もする。

 

不二子は悪巧みをしても敵にバレてルパンに助けてもらう的なパターンが多いけれど、エイダはむしろ他の主人公たちよりも全体を把握している。危機的な場面でもいつも状況をユーモアをもって皮肉る余裕がある。

 

バイオハザード6では、エイダは自分のドッペルゲンガーに翻弄される羽目になる。エイダのかつての上司デレク・シモンズは、自らの天才性のゆえに孤独であり、その孤独は彼の運命を狂わせていく。エイダに自らと同じ天才性をみたシモンズはエイダに強く惹かれるが、エイダはシモンズの異常性をみてとり、シモンズから離れる。シモンズは、エイダを求めるあまりエイダの遺伝子情報を入手し、それを配下であり、シモンズを崇拝して生物兵器の開発に邁進していたカーラ・ラダメスに転写した。

 

カーラは一度繭になり、記憶が消え、エイダとして生まれ変わったのだが、やがて記憶が蘇り、自分を裏切ったシモンズとシモンズの一族「ファミリー」が支配している世界秩序を破壊しようと企てる。世界の主要都市にバイオテロをおこし、世界中の人全てをゾンビにする計画によって。

 

しかし、カーラはなぜか本物のエイダを自分とシモンズの闘いに巻き込む。シモンズのふりをして、エイダを困難な状況に陥れつつも、何がおこっているのかを把握させていく。その結果として、カーラの計画は一部をのぞき、阻止された。

 

(ちなみに青い服をきているのがカーラで、赤い服をきているのがエイダ。)

 

カーラとエイダが出会ったとき、カーラは既にC-ウイルスを自分に注射しており、知性が崩れていたので、カーラの本当の動機というものはついぞわからないままになった。身体が抹消され、エイダとしてしか評価されなかったカーラは、本物のエイダに自分の行き場の無さをぶつけたかったのか。それともエイダが推測するように、心の奥底で自分の行動を止めて欲しかったのか。

 

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(↑9:15〜自分のドッペルゲンガーが生まれる映像を発見するエイダ。フン、と軽く鼻を鳴らして「わたしにそっくり。レオンが混乱するワケね」と全然動じない。英語では Hmph. Looks just like me. No wonder Leon is confused. 英語でしゃべるエイダのほうのパーソナリティに興味があるので、英語でみている。日本語吹き替えのエイダは、優秀な司令官的な強い女といった感じの自信たっぷりの声で話す。英語のほうは、淡々としていて口調は終始静かだけど、感情の機微の表現は豊かな気がする。映像も、エイダの表情の動きは豊か。嫌な相手と話していても、ふと遊び心をもったりと茶目っ気がある。)

日本語吹き替えはこんな感じ。上の動画と同じシーンは8:55あたりから。

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最初はカーラにそれほど興味がなかったけれど、本物のエイダは表現しないような透徹した残酷さ、冷たい憎しみの表現にだんだんとひきこまれていった。

 

主人公の一人、クリス・レッドフィールドの率いる部隊にC-ウイルスを打ち込むときの笑みを含んだ強い目。終盤でクリスに追い詰められた際、クリスに自分を撃たせようとするかのようにクリスを強く侮蔑しその心をえぐろうとする場面。また世界を滅亡させる計画が進行していることを伝え、絶望する姿を楽しもうとするときでも失わない冷静さとその下にある激情の同居に心をつかまれる。

 

 (↓6:45〜カーラ(自分をエイダだと名乗っている)がクリスの部隊を罠にはめ、C-ウイルスに感染させる場面。クリスは気にかけていた新兵フィンがモンスターになったことに大きな精神的ショックを受け、戦闘不能に。その後記憶喪失となる。)

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カーラほど行き場のない状況にあるものはいない。自分は繭にされていて、カーラとしてはもう殺されているのだし、シモンズのために生物兵器を開発していたのに裏切られ、シモンズはエイダに執着している。あの世から復讐のために蘇ったようなものだ。

 

クリスを挑発して撃たせようとするのも当然だろう。今後生きていても、エイダの偽物として生きるしかないのだ。シモンズが作った世界秩序を破壊しようとしたように、カーラは、シモンズによってエイダとしてかたどられた自分自身の姿に対しても憎しみを持たざるを得なかったのではないだろうか。

 

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↑ クリスたちに追い詰められるカーラだが、逃げようと思えばいくらでも逃げられたのではないかと思う。シモンズをウイルスに感染させ、復讐のメッセージを送ったキューブを屋上の端で眺めていたカーラに対して、ドアを蹴り開けたクリスたちが「エイダ!(クリスたちはカーラをエイダ本人だと思っている。)」と叫ぶ。

 

カーラは遠くに思考を飛ばしているような表情。一瞬、後ろに目をやり現実を確認する。焦りや怯えのような表情は見られない。覚悟は決まっていたのだと思う。やるべきことはやった。クリスたちを待ち、絶望を味わせ、ついでクリスの精神を自分の道連れにでもしようか、ぐらいの感じか。それまでの抑制のきいた態度を捨て、演技的な、軽薄なほどのありようでクリスを挑発し、侮蔑する。それはそれまでほとんど弱さを見せなかったカーラの最後の強がりであったのかもしれない。

 

クリスは叫び声をあげながら銃を撃つが、弾はカーラにではなく、カーラの持っていたC-ウイルスの射出装置を弾き飛ばした。カーラは慌てることもなく、フン、と鼻を鳴らしてクリスを睨みつける。クリスは、自分はカーラに部下を殺されたイドニア以来、カーラの死だけを求めていたと告白する。それを聞いてどこか満足気な様子に見えるカーラ。世界を崩壊させようとする自分の怒りの一部をクリスも体験したと感じたからだろうか。

 

しかし、クリスは憎しみに呑まれていた自分がそこから抜け出たことを次に告げる。「終わったんだ、エイダ(It's over, Ada)」と降伏をうながすクリスに対し、カーラは「その通り。終わったのよ。(You're right. It is.)」と告げる。クリスのoverは、エイダの逃走が終わったという意味だが、overは激情に呑みこまれた自分自身が今そこから抜けたということにも重なっている。

 

一方、カーラのoverは、これ以上のカーラの指示は必要なく主要都市へのミサイルによるバイオテロが始まるので、もはや何もする必要がない、やることは終わっている、あるいはこれまでの世界秩序は終わったというoverだ。すると、カーラが最後にキューブを使っていたのは、その指示だったのかもしれないと思える。


全ての計画を明らかにした直後、シモンズの手配したヘリが現れ、カーラを狙撃する。「やったわね。でもこれはもう誰にも止められない・・。(You got me. Well played. But no one can stop it now...)」カーラは撃たれた胸を押さえながらビルから落下する。激痛に顔をゆがめていたカーラだが、珍しくみせた最後の弱々しい表情は、ただ痛みからだけのものだっただろうか。

 

世界秩序を破滅させるミサイルを駆動させたものの、カーラとしてはもはやこの世界のどこにも居場所がなく、カーラ自身の体に戻ることもできなかった。自分のちいささとその無力感。憎しみを燃やし、世界を破滅させる企みの遂行に没入することによって心の奥底に押さえ込んでいたものが、思いを達成し、そしてもう死ぬという束の間の解放のなかであらわれでたのではないだろうか。

 

さて、エイダはクリスたちとは別にカーラを追っていたが、カーラがシモンズにウイルスの被験者にされる録音を聞き、その直後にカーラを狙撃した銃声と地面に落ちたカーラの体を確認する。唐突に直面した無残なカーラの最後。エイダの顔がしばし硬直するが、それが緩んだとき、エイダは少し泣きそうな表情を浮かべている。


カーラはエイダに自分を知ってもらうことが必要だったのだと思う。だが再会したときには、既にカーラとしての人格はほとんど失われていた。

カーラはエイダのなかのもう一人のエイダなのだと思う。エイダのカーラへの共感や興味は、非常に深かった。その入れ込みようがあったからこそ、最後のカーラの実験室に赴いたエイダが、記録映像でカーラがシモンズと変わらない思考と行動をしていたのをみて、これまでで初めて冷静さを失い、あからさまな怒りと嫌悪の発露に駆られたのだと思う。

 

エイダは途中で共闘したヘレナに対してはドライだった。

 

ヘレナは妹のデボラをシモンズによって感染させられた。デボラはモンスターになってヘレナ、エイダ、レオンを襲うのだが、ヘレナはデボラが自分たちを殺そうとしてもなお、この現実を受け止めることができず、闘うことができなかった。

 

そのときエイダが「まだ泣いているの? そんなことじゃあなたも妹に殺されるわよ。(Don’t tell me you’re still crying. She’s trying to kill you.)」と苦言を呈するのに対して、ヘレナは「言われなくてもわかってる( Don’t you think I know that?)」と返している。(↓1:06:00あたり)

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一方、カーラが墜落死した(実際にはC-ウイルスで生き返る)と思っているときのエイダのセリフも、「カーラ、あなたのやったことを許すことはできないけど、少なくとも今は理解はできる。(I don’t condone your actions Carla, but at least now I understand them.)」だった。

 

カーラはC-ウイルスを自分に注射した後はエイダを殺そうと攻撃してくる。もちろんエイダも容赦しないのだが、エイダはカーラの境遇、そしてその底にあったであろう気持ちに共感している。

 

液体になって襲ってくるカーラに対し、かろうじてドアを閉めて防ぐエイダ。しかし、表情に怯えはない。外のカーラを見ながら、挑発するようにあごをしゃくって言う。「言いたくはないけれど、あなたはよくて安い偽物よ(Hate to break it to you, but you’re nothing but a cheap knockoff, at best.)」

 

エイダの素を感じさせるようなセリフ。エイダの感情は普段は非常に統制がきいていて、表現される時も多くの場合は気の利いたアイロニーに包まれている。なかなかエイダ自身の生の感情は見えにくいのだが、全てクールにとらえているのかと思わせてそうではなく、弱く思われたり、挑戦や挑発されたりすると、目にもの見せてやるよ、という感情が他のキャラクター以上に直ちに立ち上がる。比較的心を許しているレオンに対してはそれがさらに顕著だ。

 

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で、主人公は臆病者(チキン)かと言われるとその瞬間に自分を失い、どんな無茶なことであっても相手の挑発を引き受けてしまうのだが、それを思い出させる。もちろんエイダはそんな暴走はしないのだけれど、それまでは同情的だったカーラに対しての、一転して取りつく島もない「安い偽物」発言は、エイダの気の強さやコンプレックスがいつものように整理されてユーモアになる前に出てしまったようにも思える。

 

またエイダは自分に降りかかる危機に対して、むしろ歓迎するようなところがある。死線をくぐることこそが、エイダにとって自分を最大限に解放することであり、管理され「安全」にされた社会にはぶつけるところがない自分をぶつけうることなのではないかと思わされる。

 

エイダをみていると、自分と張り合うものが存在しなかったために心に空虚を抱え、最後に道を踏み外し、うしおと闘うために敵側にまわった『うしおととら』のナガレや、『アカギ』の勝負に際しては自分の命を含めて全てを捨てることを躊躇せず、その姿を目の前にする対戦相手に、こいつは「死にたがり」なのだ、ついていけないと戦慄させる主人公アカギと通じるものを感じる。

 

 

さて、エイダは液体状になったカーラが押し寄せる扉の外に向けていた目線を落とし、自分の内にあるカーラに呼びかけるように「安らかに、カーラ(Rest in peace, Carla.)」と短くつぶやく。

(↓4:00あたり)

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 エイダは最後にカーラが実験を重ねていたネオ・アンブレラの実験室に赴いた。そこでカーラがシモンズと変わらないような残酷さや歪さを発揮しており、自分がシモンズによって被験者にされたと知ったのちすらも、人体実験を重ねて犠牲者を増やしていたことを知る。

 

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エイダが研究室に入ると繭が孵化して何かが生まれようとしていた(3:05ごろ)。エイダは嫌悪に顔を歪めて「もう同情してあげる必要はなさそうね。これで終わりよ。( We’re beyond sympathy at this point. We’re beyond humanity.)」と告げ、湧き上がってきた激情にまかせて研究室を徹底的に破壊し尽くす。奥底で共感を捨てなかったエイダはカーラに裏切られた気持ちになっていたのではないだろうか。

 

結局カーラはシモンズと同じようなただのクズだったと考えることもできる。しかし、エイダに知らせなければ計画は上手くいっていたのに、あえてエイダをここに巻き込んだように、カーラの動機は分裂している。

 

シモンズと同じカーラ。シモンズを憎むカーラ。エイダという他人としてしか生きられなくなったカーラ。そこには別々の、複数人のカーラがいると捉えてみる。すると、カーラはオリジナルのエイダ自身が持っていながらも表現できなかった可能性をエイダの代わりに表現したものであるのかとも思える。

 

もしエイダもまたカーラと同じ状況に巻きこまれていたら。エイダはカーラと違う選択をし得ただろうか。

 

能の舞台では抑圧された亡霊が現れ、そして弔われる。そのように、生きているものは勝ったものであるけれど、同時に生きるために抑圧してきた苦しみ、捨ててきた悲しみを亡霊として背負い、纏ってもいる。カーラの苦しみは、エイダ自身の苦しみとも重なっていたのだと思う。それがカーラによって表現されたことは、エイダ自身の弔いとなっていたのではないだろうか。