降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

2017-04-01から1ヶ月間の記事一覧

微妙な揺れ動き 

話しの場をどのようにやれるかを試行錯誤中。 今やっている当事者研究やリフレクティング・プロセスの集まりで、一つは自分に触れるということをしていると思う。 自分自身が確かめたい、もう一度見てみたいという動機があるもとで、ひっかかりが残っていた…

エスコーラ ベーシックインカム 新しい場所

エスコーラで聖なる経済学読書会。話しはベーシックインカムから瞑想までいって面白かった。 ベーシックインカムというのは問いなんだなと思った。 食いつなぐための労働をもししなくてよいのなら私は一体何をしたいのか。何をするのか。 それを空想上のもの…

聞かれるとき

昨日は聞くことについて話した。 あくまで僕の場合、別に危急の時とかでない場合だが、僕は聞かれるとき、基本、心理カウンセラーとか傾聴みたいに聞いてほしくない。話しづらいから。 相手にそうあられると、話す内容に対して、あらかじめベートーベンの「…

出会いの場

学びとは何か。どのようにそれはおこるのか。 考えていった結果、既に型が決定している勉強会のような企画の前に、かつての京大地塩寮のウィークエンドカフェ、高野の月曜ハナレのような、あるいはアサダワタルさんがやっていた琵琶湖の花火大会の時の住みび…

学びの前段階 手段と目的

学びを実際の変容が伴うものと考えるなら、直ちにインプットから始まるのではなく、まず変容可能な状態にする場の整えが必要なはずだ。 攻撃されそう、否定されそう、干渉されそうとか感じる場、自分はここにはそぐわないとひしひし感じる場では、まず自分と…

救いのベクトル

論楽社の虫賀宗博さんの話しを聞いたことがきっかけで、ハンセン病についての本を何冊か買った。 病者は家族を「守る」ために偽名を名乗らされたり、結婚の際の断種手術を強要されるなど人権や尊厳を奪われた。 本名を名乗ることで家族の縁談が反故になり、…

宛先

人には自律的に気づき、変化更新していく力がある。ただ、ゆだねることができないと更新はおこらない。 ゆだねるというとき、相手の助けてくれる力に依存することが核心なのかというと、そうでもなさそうな気がしていて、むしろどちらかというと、それまで自…

企画と自律性

企画者がこれをやろうと決めて募集するのもいいが、学びのプロセスを触発するものは、意識的に狙ったものより偶発的に現れることのほうが多い。 ここではこれをやると決めた場所ではなく、もう少し境界的な、どっちつかずの場所では、自律的なその触発が生ま…

論楽社

論楽社の虫賀さんから昔の論楽社便りを郵送していただいた。中村晢さんや緒方正人さんなど、本当に様々な人を招いて話しをされている。 講座のための講座ではなく、虫賀さん自身がこの人に会いたいと思い、そして連絡をとって学びの場をシェアされている。そ…

観察 

お世話になった人で、療養中の人に1年ぐらい連絡をとっていなかった。 お世話になったからお返しをしなければいけない、と考える。「お返しをする自分」を思考上では標準設定していて(これが問題なのだが。)、そうしない自分に後ろめたさを感じ続ける。し…

滋味

糸川勉さんが左京区の元田中で「畑のみえるカフェ おいしい」をやっていた時、出してくれる野菜を食べると、体に沁み入ってくる感覚があった。 滋味、という感じ。単に必要とされる栄養素とカロリーを取るということ以上のことがある感じ。 生きる時に、心に…

現代の学びの場

自分が考えてきたことは、つまるところサバイバルについてだ。この社会でどう生きればいいのか、どう生きられるのか。人の変化や回復について確かめていくことも、サバイバルのなかに入る。 ただこれは、多分サバイバルという言葉がよく使われている文脈、つ…