降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

探究を促進する環境とは

今日はジャンル難民学会(仮)発足ミーティングがあります。

 

先にも触れましたが、今回このタイミングでやれるとは思っていませんでしたが、やりましょう、というありがたいお声がけをいただき、やることになりました。

 

やると決まると、自分がいる状況の文脈が変わるので行動が変わるなあと実感します。

 

読書会での発表もそうですが、発表するという前提がないときは調べないようなこともちょっと調べるようになったり、これも伝えたいなということが出てきて、気づけば無自覚になっている自分のルーティーンの外に出る行動をしています。わずかであっても、自分の閉じたルーティーンの世界からはみ出てしまうことで、その分新しい世界に出会う工夫は重要だなと思いました。

 

特に、最初からそうしようとするのではなく、何かをやる際に派生的にやってしまうという遠心力的なものを使うのが工夫だと思います。

 

ミーティングをやるとなって、あらためて調べたり、整理したりしていると、軸は探究ということなんだなというのがより実感されてきました。探究とは何なのか、ということを一つテーマとしてやっていきたいなと思い出しました。

 

そう思うのも甲野さんの本を色々見始めたからですが、甲野さんをだいぶ前から知っていても、今ほど関心をもつことはなかったです。発表したり、ミーティングをやるからまあ読もうかなということになって、そこから新しいプロセスが動き出しています。

 

そういう意味では、自分自身の衝動と惰性だけに従っていると、自分の求めも展開していかないようです。

 

さて、探究ということで興味深いツイートを見つけたので転載します。

 

 

 

 

僕はこれを探究というものがどういうものかを表しているのかなあと思います。つまり、自分があるプロセス(面白い、わくわくする)に入る活動が、派生的にクリエイティブになるということです。最初からクリエイティブ目指すと、むしろ継続がおこるために必要な面白みや動機がそがれる気がします。

 

クリエイティヴを目指さないからクリエイティブになるというと逆説的になりますが、「クリエイティブを目指す」クリエイティブはあくまで既知の範囲ということになるでしょう。そこを前提にしていると見えるものや態度が限られる。「クリエイティブになる」ということがおこったときの「クリエイティブ」は、前者のような態度が抜けたときにおこりやすいのではないでしょうか。

 

パラダイムを変えるクリエイティブな研究は論文には似合わない。研究者を評価するときに論文だけを重視すると、クリエイティブな研究は生まれなくなる」というのも興味深い指摘です。

 

たとえば、すぐれて「客観」的な言動というのがあったとして、それは豊穣な主観がある形式にそって削がれたものととらえることはできないでしょうか。「客観」はあくまで主観の豊穣さに依存するものであり、痩せた主観からは妥当な「客観」も導き出せないのではないかと思うのですが、上記の論文だけを重視することというくだりからはそのようなことが思いおこされます。

 

ジャンル難民学会という名前にするか、野良探究学会がいいのか、草の根探究会にするのかとか、名前を色々考えていますが、ともかく、自分の世界を更新し、豊穣にしていく探究という営みのほうを重視し、その営みが活発化する枠組みを考えたいと思っています。

 

 

 

逸脱する主体 水道民営化への反応とフランス燃料税への反応

フランスのデモは政府を変え、燃料税の来年中の引き上げは断念されました。

www.afpbb.com



一方、日本の水道民営化は、そのまますすんでいるようです。水道が民営化された英国では、水道料金が高くて貧困家庭がトイレの水を流すことができないといったようなことを招いているとも聞きました。

 

 

政権のやっていることをみると、「国」というような単位の考え方すらも放棄しているように思えます。国、というより、彼らのリアリティでは、単に勝ち組としての支配層と負け組としての被支配層があるだけのようで、アメリカから戦闘機を2兆円で買おうが自分たちに限れば懐はむしろ肥えるだろうからよいようです。

 

 

水道民営化を否定した北橋市長を「人の税金で大学に行った」と批判した麻生太郎氏ですが、その人の金というのは、自分の金、俺の金という意味で言っていますよね。だから腹が立つのでしょう。自分の金を自分に利さないこと、「浪費」することは許さないという怒りなのでしょう。

 

 

支配する層は自分に影響のある東京付近で原発が爆発でもしないのならば多分それでいいのでしょう。何なら集めたお金を持って海外にいけばそれですむのかなとも思います。

 

 

さて、「国民」というほうも、技能実習生の制度が実質の奴隷制であるのに、そんなことは一部の変わった人、空気を読まない人が反対しているだけで、多くの人にはあまり問題ではないようです。そしてさらには自分の首をしめるようになってきていても、そんなに反応がおこっていません。

 

 

空気を読むということも、実質その場の強い人の言うことを聞いて自分を出さないということであり、場の健全性はそのことによって下がっていくということは問題にされません。いうならば、支配されることを前提として、そのなかでより多くを得ようという発想です。

 

 

無自覚であるかもしれませんが、多勢のメンタリティは、自分を支配されるものとして規定していて、その保身によって、支配する人からより多くのものを得よう、あるいは奪われまいとすることになってはいないでしょうか。そのとき、分け前を奪う「敵」は支配者ではなく、自分の周りの人になってしまいます。

 

 

だからこそ、「一般の人」が海外で人質になった人たちに対して猛烈に激怒し、バッシングしたり、政治家や官僚の汚職より、生活保護を受給する人たちに抑圧を向けるのだと思います。自分を支配するものに対して、意識的に従順な良い子であることを自分に強いて、安全と分け前をより多く得ようとしているのに、潜在的に自分にくるはずの分け前を「フリーライダー」たちが奪い、自分の安定を壊そうとしていると感じるのだと思います。

 

 

多くの人が差別はいけないと聞いていても、そもそも人権とはなんであるのかにはまるで無関心であり、人権侵害に対して鈍感で、「迷惑をかけない」という「道徳」の方が優先なのは、人権がそもそも支配層が支配する者を自分の道具として位置づけて扱うことに対して、人格を持った個人というものを認めさせる反逆であるからだと思います。自分のいる安定をおびやかす反逆などそもそもしたくないのです。

 

 

人の変化とは何か、それがどのようにおこるのかを考えてきて、現状を変えうる反逆者はマイノリティであると思うようになりました。既に疎外され、享受できない人たち、価値を認められない人たちは、我が身の保身よりも世界を変えようとする力がとても強いのです。希望はマイノリティと共にあること、それはひいては抑圧していた自分自身のマイノリティ性を生きることになると思います。

 

刷り込まれ、内在化した価値観は強固です。ときに外の世界を変えるより、自分の内在化した価値観を変えるほうが難しいかもしれません。内在化した価値観に大きく影響を与えられてしまう自分がいます。しかし、そこから逸脱していくこともできます。自分のマイノリティ性、抑圧し、無いものとしていた痛みに対する応答として、自分の周りの環境に働きかけていくとき、それは奴隷としての自分の檻のなかの分け前を守り、溜め込むことではなくなり、自分と周りの人を救っていく働きかけとなります。

 

 

応答は、自分に内在化された価値観に対しても反逆的ですが、自分が解放されていく軸となります。DIYや自律的環境をつくっていくことの意義は、既に内在化されてしまった抑圧的価値観から自分を解放し、周りの人を解放していくことにあります。既知の世界、既知の枠組みに閉じようとすることから、逸脱していく。既知の自分自身という牢獄からも逸脱していく。応答とは、逸脱する主体を取り戻していくことです。

在野学関連の言葉と二年前の文章<野良研究のススメ>

ジャンル難民学会(仮)は、個々の探究を活性化する媒体として作れればと思っています。

 

在野学、民間学、独学などと言われている領域の言葉を集めてみます。

 

谷川健一さんは「生きた学問」という言葉を使っています。この「生きた」ものを扱うというのは、在野学的なものの特長であるのかなと思います

 

柳田、折口、南方、などの民俗学や吉田東伍の地名研究を一括して「民間学」と呼ぶ人たちがいます。この言葉は熟していませんが、在野の人間による庶民の世界を対象とした学問であり、非アカデミズムな学問と解すれば民間学についてのある程度の理解は得られます。

権威主義の学問はいずれにしても硬直をまぬがれません。それは知識の死滅につながります。そこに生気をあたえてよみがえらせるためには、在野の精神が必要なのです。

またアカデミズムが眼を向けなかった分野へのあくことのない好奇心が求められるのです。そうした道の世界に進むには、既成の尺度は役に立ちません。そこでは独創の精神が不可欠です。独創ということに焦点をあてると、独創的な大きな仕事をした者はみんな独学者です。

大学者というのはまた別にいますが、独創、オリジナリティは、お仕着せの知識をうのみにすることを拒否する精神だけにもたらされる栄光である、といっても言い過ぎではないと思います。それこそが生きた学問の名に値するものです。谷川健一『独学のすすめ』

 

甲野善紀さんは、実戦的なものであるよりもほとんどが様式化してしまった現代の「武術」の流派を脱して、誰の権威にも寄らず、実際に「出来る」ということを追究されてきました。甲野さんは自分は「古武術研究家」というよりも、「創作武術家」なのだといいます。「生きた」とはこういう営みをいうのではないでしょうか。

「私は自分のやっている事を「古武術」という名前で名乗ったことはありません。ただ、私が研究している事は、剣道や柔道といった現代武道ではなく、古田の武術の世界ですから、古武術研究者と言われても当たっていない事はありませんが、あまり落ち着きません。
 なぜ「古武術」と自らは名乗らないのかというと、「古武術」とは本来、昔から代々伝わっている特定の流派に対する名称だからです。したがって、私の立場を正確にいえば、古の武術を研究して、それを手がかりに自分自身で新たな動きを開発している「創作武術家」という事になるでしょうか。


私は二十二歳の春頃、「何か武道をやりたい」と思い、まず合気道を始めたのですが、いざ始めてみると、合気道の開祖植芝盛平翁という人には、まさに昔の名人達人を思わせる凄まじいエピソードがあったのですが、合気道はその後、武術として「出来る」という方向よりも、多くの人が親しめる武道の方向に向かっていきたいと思っていた私は、「本当に『出来る』武術の技は、このまま合気道の稽古を続けるだけでは身につけられない。これは自分で探究するしかない」と考え、前述したように松聲館道場を設立、独自の道を歩み始めたのです。
甲野善紀『驚くほど日常生活を楽にする武術&身体術』

 
映画「ネバー・クライ・ウルフ」の原作者であるカナダの国民的作家ファーリー・モウェットもまさに「生きた」ものを学ぼうとしました。ところが彼にとっての生物学は「死んだもの」を相手にするところでした。

私の個人的好みは、生きている動物を生息地の中で研究することに向かっていた。融通の利かない人間だったから、生命の研究を意味する「生物学」という言葉を額面通り受け取っていたのだ。同級生の多くができるだけ生き物から遠く離れ、死んだ動物、さらには、本当に命のない資料を用いる無菌状態の研究室に閉じこもる方を選ぼうとする逆説に、私ははなはだ当惑した。事実、私が大学にいた頃は、たとえ死んでいても、動物そのものを扱うことは流行遅れになっていた。新しい生物学しゃは、統計的、分析的な研究に専念し、生命の生の資料など計算機を養う飼料に過ぎなかった。
 私が新しい傾向に順応できなかったことは、専門家としての将来に好ましからぬ効果を及ぼした。ファーリー・モウェット『ネバー・クライ・ウルフ』

 

礫川全次編『在野学の冒険 』はしがきより。在野の職人が獲得した知と彼らの実践が近代の科学の誕生となったという言及があります。

 

編者が最初に、「在野学」という言葉を意識したのは、山本義隆さんの「十六世紀文化革命」という文章(『論座』二〇〇五年五月号所載)を読んだときでした。この文章は、本書に再掲されていますが、オリジナル版に対し、徹底的に手を加えていただいたものです。ここで山本さんは、近代の科学というものは、十六世紀に、在野の職人が、みずからが獲得した「知」を、日ごろ使っている「俗語」で記録したことに始まるという指摘をされていました。たいへん重要な指摘だと思いました。

なぜ、「在野の職人」だったのでしょうか。山本さんによれば、それは、彼らこそが、自分の仕事で行き当たった諸問題を、自分の頭で、科学的に考察できたからです。たとえば、当時の医者は、手術をする、包帯を巻くといった手を汚す仕事は、理髪師あがりの外科職人にまかせていたそうです。そうした職人たちが、学術用語のラテン語ではなく、ドイツ語、フランス語、英語といった「俗語」で本を書き始めたのが十六世紀でした。まさにこのとき、近代の科学が誕生したわけです。

この十六世紀の職人たちの研究成果、これこそが「在野学」です。アカデミズムの世界の外に(在野に)位置する研究者による研究成果で、アカデミズムも、その価値を認めざるをえないような研究成果。─ひとつには、これを在野学と呼んでよいと思います。

いま、「ひとつには」と申し上げたのは、別の意味での「在野学」というものも想定できると考えたからです。従来のアカデミズムが扱いきれない、あるいは扱おうとしてこなかった「在野」的な分野にこだわり、そうした分野で、何とか学問を成立させようと努力すること。─これもまた、「在野学」と呼んでよいのではないでしょうか。

神隠し」のような現象は、現時点では、科学的に解明することができない。記述から出発する民俗学だけが、それを解明する潜在力を有している。─高岡健さんは、本書所収の柳田國男論で、柳田がそのように考えていたと指摘しています。ハッとさせられる指摘です。

ここで柳田が捉えた「民俗学」とは、従来のアカデミズムが扱いきれない、あるいは扱おうとしてこなかった「在野的な世界」を扱う学問ということになるでしょう。ちなみに、柳田國男の関心の対象は、狩猟伝承、妖怪譚、山人譚、民間信仰、諺など、一貫して、「在野的な世界」に属するものでした。つまり柳田國男は、その立ち位置が「在野」にあったというよりは、むしろ、その関心領域が「在野」にあったという意味で、「在野学者」と呼ぶにふさわしい、と思われます。 礫川全次編『在野学の冒険 』

 

荒木優太さんは、アカデミーとは、大学とは対抗的な関係にある専門家集団だったと述べます。

直感的にいえば、在野研究とは、アカデミズムに対するカウンター(対抗)ではなく、オルタナティブ(選択肢)として存在している。そもそも、一八世紀のヨーロッパでいう<アカデミー>とは、大学と対抗的な関係にある、新たな知を切り拓く専門家集団のことを指していた。アカデミズムは元々、大学に飼い慣らされるものではなかったのだ。

荒木優太『これからのエリック・ホッファーのために 在野学研究者の生と心得』

 

2年前(2016年12月16日)のFBにジャンル難民学会的なものを作りたいと書いていたようで、こちらにも転載します。自分にとって探究の原動力となる切実な問題、それは今なら親問題と書くと思います。今は、「研究」よりも「探究」ということを軸にしたいと思っています。当時は在野学という言葉を知らず、「野良研究」と書いています。

 

<野良研究のススメ 「面白さ」はどこにあるのか?>
学校を否定しているわけではないですとまず断って、自分に必要なこと、ライフワークになるようなことは、必ずしも既にある学校に行かなくても研究していけるということがあると思います。あまりにピンポイントだったり、多領域にまたがっていたりして、既存の評価体系にマッチしないものだったりすると、大学にいたとしても孤独で、それだったらもっと話しが通じる環境にいたほうが探究も進むんじゃないのというようなことがあると思います。

 

大学は万人共通にシェアできるものをやっていると思うのですが、学びの動機というのは、万人に共通なことをシェアしたいというところから始まるかなと思うと僕はそうは思えない。探究する動機は、それがどう派生するかは置いて、もともと個人的なものであると思います。他の人があることに対して、どこか問題に思っていても、取り組むほど関心やエネルギーは払えないものだけれども、自分にとってはそのことのありようは切実で、曖昧なままでは捨て置けない。誰に理解されなくても、関心はそちらに向いていて、体がそちらへ向かってしまう。そういうものは深く探究できる。

 

でも素人が研究するといっても、それは一般的な共通認識ではないので、きちんとした教育機関とか権威とかに認証されないものは素人のいい加減なものだとか、相手にするほどのものではいとか。

 

僕は、今まで人に触れてきて、ピンポイントであれば人はその実践において時代を超えているという実感があって、それが時代の流行に合わないとか、既存の制度にあわないとか、万人向けじゃないとかでシェアされるべきところにつながらないのが非常にもったいないと思っています。

 

それに自分で考えはじめる人の集まりになれば、どこかがちょっとおかしかったりするとわかるし、「教科書」に載せられる正しいことに固執することより、そういうリテラシーを育ていくほうがいいと思います。完成品を目的にするのではなく、個々の人の探究の進み、育ちのほうを目的にした「研究」の場があってもいいのではないか。そっちのほうが面白いし、びっくりするような知見が生まれる場合があるのではないかと思います。

 

当事者研究という、浦河べてるの家がはじめた方式の研究は、自分で自分の困りごとの研究をしていきます。そこでは既存の発想を超えた鮮やかな困りごとへの対処、それこそ専門家でも参考にできるようなことが発見されたりしています。しかし、これは「より優れた研究」を目指しているというよりは、自分で自分にとって切実なことを探究するということ、仲間と信頼を育むということ、この場自体を楽しむということが同時に行われていることに、意義があるだろうと考えます。自分が主体的になって、周りとの関係性を育てながら、探究をすすめていく。これが面白いのだと思います。

 

今まで僕は、人の変化や回復とは何かということをずっと探ってきました。それは自分がいわば生きづらさや「不適応」の当事者でその状況をどう変えていくかというところから始まりましたが、大学に行っても、自分の知りたいことをそのまま伝えてくれる場所や領域というのはなかった。関連しそうな幾つかの領域を探り、得られた情報や体験したことを自分なりに編集して、仮説をたて、妥当であろう知見を抽出していくということが必要でした。実験の企画も被験者も自分。抽出した知見が妥当でなければ状況が変わらない。

 

一旦導き出された知見も位置づけは更新されていきます。たとえば最初は変化とは「成長」であると思っていましたが、何かあるべき姿が前提されている「成長」というのは、今の自分が「成長」していないという前提・否定があってこその概念です。前提に否定を盛り込んでいるから、緊張し、「成長」できない自分を見ないようにするという自動的な動機が生まれ、結果的に変化は停滞する。なので、今は「成長」とかいう言葉は自分では使いません。

 

たとえわかったと思ったものでも、常により妥当な位置づけというものがある。それをずっとしていくのは面白いです。面白いし、そこをしなくなったら自分が困るのだから他人が厳しく検証しなくてもある程度の切迫はある。更新しない認識というのは、結局無理やり抑圧しようとしているのか、あるいは本当はあまり自分にとって大事じゃないんじゃないかなと思います。

 

という問題意識のうえで、当事者研究をやろうと思っていたのですが、困りごとや「不適応」に限定していなくても、自分としてはその理解を深め、更新したい動きがもうあるんだ、探究していきたいんだということがあればいいんじゃないかと思って、あえて困りごとや「不適応」に絞らない「野良研究」を仲間うちでもやるし、流行らせていくことができないかなと思っています。

 

当事者研究大会が来年も行われるということですが、野良研究発表大会もやりたいなと思っています。

論理的関係「我ーそれ」と倫理的関係「我ーなんじ」 探究の位置づけ

金曜日のジャンル難民学会(仮)発足ミーティングに、『モモと考えるお金と時間の秘密』の著者の境毅さんも来られると聞きました。

ジャンル難民学会(仮)発足ミーティング

 

『モモ』と考える時間とお金の秘密

『モモ』と考える時間とお金の秘密

 

 

 

境さんからはキッチンハリーナ のサークルで鶴見俊輔の『共同研究集団』を紹介してもらったり、認識するものを利用対象として客体化する(ブーバーのいう「我ーそれ」関係」)論理的関係に対して、それとは逆に対象に対して、主体と主体として出会う倫理的関係(「我ーなんじ」関係)という刺激的な考え方も紹介してもらいました。

 

アイデンティティ、自分がなんであるかと振り返り、自分自身に問うとき、自分は世界にとって意味ある存在(重要な他者に愛される存在)かどうかが問われてしまいます。

 

言葉を介して見えるものは論理的関係であり、「我ーそれ」関係であるとするとき、なぜ自分が意味ある存在でなければいけないのかの説明がすっきりとできるのではないでしょうか。

 

言葉を通して認識するということは、「我ーそれ」関係でものを見るということなので、私が何であるかを問うときは、私は自分自身を自分の知る誰か(重要な他者=世界)にとっての利用対象としてしか認識できないのです。

 

よって、アイデンティティの変化、自分がどういうものであるかという感覚の変化は、自己像の変化というよりは、世界像の変化であるのだと思います。

 

DIYが出会い(=世界像の変化)を自分にもたらすための環境調整という「手段」であるならば、その「目的」とは世界像の変化、世界の見え方、感じられ方の変化を自分にもたらそうとする個々の「学び」や「探究」であると言えるのではないでしょうか。

 

教育哲学者林竹二における「学び」もまた世界像を更新する営みですが、探究は学びがどのようなあり方を必要とするかを示すものだと思います。つまり探究というあり方をとるとき、学びというものが成り立っていくのだと思います。

 

「出会い」は、世界像が更新される事態そのものです。「学び」は意識的に世界像の更新を遂行しようとする営みであり、「探究」は学びが成り立つための世界との関わり方であるでしょう。

 

探究はどのような人にも取り戻されていいものだと思っています。

 

直感的にいえば、在野研究とは、アカデミズムに対するカウンター(対抗)ではなく、オルタナティブ(選択肢)として存在している。そもそも、一八世紀のヨーロッパでいう<アカデミー>とは、大学と対抗的な関係にある、新たな知を切り拓く専門家集団のことを指していた。アカデミズムは元々、大学に飼い慣らされるものではなかったのだ。

荒木優太『これからのエリック・ホッファーのために 在野学研究者の生と心得』

甲野善紀『できない理由は、その頑張りと努力にあった』 探究者たちのあり方 学びのあり方 

12/7(金)19時ジャンル難民学会(仮)発足ミーティング。

 

ジャンル難民学会(仮)発足ミーティング

 

ジャンル難民という言葉を挙げていますが、それぞれが強い関心を持ってしている(しようとしている)自分の探究(研究)を発表し、どのようなことが探究されているのかが可視化されて、関心を持つ人が集まって出会い、個々の探究の人的環境を充実させていくことが趣旨です。

 

探究とは何かということの探究もまたこの会のテーマの一つとなるかと思います。

 

甲野善紀さんは、探究とは何か、探究が何をもたらすのかということを具現化しているような存在だなと思います。甲野さんのあり方から探究というものの具体的な輪郭も見えてきそうです。

 

独立研究者の森田真生さんは、中学二年生の時に所属していたバスケ部で甲野さんと出会ったそうです。その時甲野さんは、身体の大きい学生相手に苦戦していたそうです。しかし、甲野さんはそれを取り繕うでもなく、目を輝かせて研究していたそうです。その姿を見て、森田さんは「こんな大人もいるのか」と衝撃を受け、それ以来甲野さんを「人生の師」として仰いでいるそうです。

 

甲野さんの周りには、古武術介護の岡田慎一郎さん他、様々な人が訪れ、刺激を受けて、独自の道を切り開いていっています。養老孟司さんは、「甲野さんのところは、若い人たちが育ってますよね」と言ったそうです。

 

「人を育てる」ということにどういう原則をたてられていますか?という問いに対して甲野さんは以下のようにこたえています。

 

私はまず、私自身が学び成長することを最優先に考えて、私の武術を学びたいという人達と接しています。ですから、教えるというより、その学びに来た人とプロジェクト研究をするつもりになって、仲間、同志として一緒に研究に巻き込んで行くのです。

 

 このスタイルは相手に学ぶ意欲が十分にあった場合、きわめて有効な方法だと思います。

 実際、私のこの教え方で、月に二、三回の講習会の他は自分たちで稽古しているだけで、週に何回も稽古に通っている他の武道の熱心な修行者よりも、技ができるようになった人達が何人もいますから。」甲野善紀・平尾文『できない理由は、その頑張りと努力にあった』p30

 

www.trailrunrun.com

 

甲野さんは、稽古に来る人に対して、会員や門人といった明確な師弟関係や上下関係を結ばないそうです。

 

これは学びということが、どういう関係性において、どういう構造の場においてすすむのかということ通じることだと思います。

 

僕は自給農法考案者の糸川勉さんとの出会いをもち、そこから自分の活動の核となるものを得ました。糸川さんは甲野さんと同じく、独立した探究者でした。そのあり方は甲野さんと通じるところが多くあります。

 

僕は糸川さんとの出会いを通して、個人として人は時代を超えると思うようになり、そういう人が在野にはたくさんいると思うようになりました。大地の再生講座の矢野智徳さんもまたそのような探究者であると思います。

 

甲野さんが様々な実際に使える技術や考え方を提示しても、わずかな例外をのぞいて学校の体育でそれが教えられることはありません。糸川さんや矢野さんもまた、どのように高い見識や現実を打開する精妙な技をもっていてもそれが一般的な体制に受け入れられたという水準になることはあまりないようです。

 

それがどういうことなのか。そしてこのうえで自分たちはどうしていけるのかということも、ともに考えていきたいことの一つだと思っています。

時間を動かすこととしての学び 時間を動かすための文化空間としてのサークル

古い知り合いと話しました。

 

僕が当事者研究などやっていたという話しから、回復とかの話しになりましたが、話していて、精神的な問題があったら、心療内科なり、心理カウンセリングなりへ行ってなおせばいいというのが「一般」であり「普通」の認識なのだなあと感じました。

 

とりあえず症状的なものがおさまって、雇用された仕事ができればいい。そしてまた調子が悪くなったら治療機関へ行く。それがまだ一般的な認識なのだと思いますが、僕は自分が当事者として、それに疑問を感じ、別なあり方、別な捉え方はないのかと探してきました。

 

そして今、学びという自分の認識の更新と、世間的には不適応や生きづらさからの回復が別々のものではなく、連続的なものであり、同じものであるという認識にいたっています。

 

学びというのは、(それが含まれる時があるにせよ)お勉強をすること自体のことではなく、世界の見え方や感じ方が更新される事態のことだと思います。その更新に向けたプロセスは必ずしも学校のなかだけにあるのではありません。

 

DIYとか自律的な空間とかを持ち出す重要性は、個々人は個々人にあった環境を調整し、自分自身に提供することによって、更新に向けたプロセスは動きだすからです。それをしないとプロセス、別の言葉でいえば、その人の時間は止まったままになり、生きているなかで、たまたま場当たりに出会うことだけに更新のプロセスが依存する状況になってしまうからです。

 

docs.google.com

 

 

kurahate22.hatenablog.com

 

個々人の更新に向けたプロセスは、個々人によってどのように発現するか、どのようなペースで、何と反応して展開していくかというのが全く別です。なので、自分の更新に向けたプロセスに応答していくためには、必然的にDIY的な行動を取らざるを得ないのです。

 

先の投稿で、鶴見俊輔の『共同研究集団』におけるサークルを紹介しました。個々人が顔を持ったそれぞれの人として存在し、話しながら考えることもできる小集団は、止まっていた個々人のプロセスを動かすことにとって適した環境です。

 

 

kurahate22.hatenablog.com

 

 

 

学びというものがフレイレの批判する預金型教育(一方的な提供と受け取りの関係)のことだとみなされているところでは、学びが生きたプロセス、時間であることは無視されています。

 

知識ややり方の獲得が学びであるという認識のモデルだと、質問があったら最後に言ってもらえればいいとか、多人数で一斉にやろうが関係ないのですが、その時、個人のなかでおこっていることが抑えられてしまいます。

 

そこでは自律的更新に向かうプロセス、時間は止まったままです。個々それぞれのプロセスが経られる必要があるという認識が全くありません。

 

学びの本質が知識や技術の獲得ではなく、自分におこっているプロセスに応答していくことであり、止まった時間を動かしていくことだと考えるならば、従来の学びの枠組みは反転せざるを得ないだろうなと思います。

 

更新の自律的プロセスは個人が生きている間、多かれ少なかれ応答していくものであり、このように理解した時に、生きることがすなわち学びであるといえるのだと思います。

 

止まった時間、その時間は生きていて応答によって自己展開していくものですが、その時間を動かしていくことが学びであるといえるかと思います。

 

そこでは自分自身を単一の存在とみなしたり、すでに存在しているものとみなすのではなく、自分とは自意識と更新の自律的プロセスの対話であり、その動的関係性自体を自分と捉えられるのではないかとも思えます。

 

先の南区DIY読書会発表では、DIYは自分の深い感覚(つまり更新の自律的プロセス)に対する応答としてあるとし、その応答を生涯にわたって支え、展開させる力は鶴見俊輔の言うところの親問題(自身の根源的な痛み)にあるとしました。

 

そもそものDIYの位置づけ、そしてその推進のための力はどこにあるかの次に、ではどうやったら個々のプロセス、時間が動いていくことを発現させ、維持させるのかということが来ます。

 

小集団は、ちいさな文化形成(サークルをつくることは文化をつくることであるといえそうですね。)であり、一人一人が顔を持った存在としてその自発性(具体的な現れとしては、プロセスに対する素直な応答)の展開を相互に誘発しあうための変容の空間として機能すると思います。

 

小集団には、その構成員である個々の人の時間(更新の自律的なプロセス)を動かしていく文化空間をつくる機能があるのだと思います。

小集団の可能性を再考する 鶴見俊輔『共同研究集団』とジャンル難民学会

昨日の夜は、キッチンハリーナでの境毅さんとの探究の場で、鶴見俊輔の『共同研究集団』の紹介してもらいました。

 

kitchen-halina.jimdo.com

 

 

先日の投稿で、DIYは受動的存在であることから主体を取り戻していくための応答としてあるとしました。

 

DIYの意義はモノをつくることや技術を獲得すること自体ではなく、環境に対して働きかけ、世界と自分との関係性を変容させる接点をこの世界につくりだすことであるといえるかと思います。

 

よって、友達を見つけたり、つくることもまたDIYであるといえるでしょう。どのような人も、自分にとって特に重要なことについては、その他のことに対してよりもDIY的な関係性の持ち方をするのではないかと思います。

 

DIYは自分の外の環境に働きかけるものですが、僕は外の環境に働きかけるのは手段なのであって、肝要なところは、自分自身の内面、価値観、世界観を更新することであると考えています。それはつまり教育哲学者林竹二の指摘するところの学びということだと思っていますが、DIY的行動は学び(更新)のための手段としてあると考えています。

 

自分は変容しようとしているプロセスと共にあり、プロセスが動きだすためには、そのプロセスが動きだすためにオーダメイドされ、整えられた環境を自分に与えることが必要だと思います。

 

そして、そのような学びは小集団においてより活性化しうると考えています。なぜなら、小集団において人の変容のスピードは上がり、時代の価値観や意識をこえていくことがしやすいと思うからです。

 

境毅さんのレジメからの転載ですが、鶴見は『共同研究集団』において、以下のようにサークル(小集団)を紹介しています。

 

 

 

 

サークルとは、共産党の蔵原惟人がモスクワから持ち帰った言葉で「革命思想を日本の大衆の中につくりだしてゆくための文化運動の小単位だったらしい。(P4)」

 

「活気のあるサークルには、その底に、長い時間をかけてつきあうに足る相手だとおたがいに感じる、共有された直感がある。(P8)」

 

「このようにたがいに信頼をおくつきあいの中では、サークルの進行途上で、自我のくみかえがおこる。(P8)」

 

「サークルにおいては、話すことが考えることになりうるし、考えながら話すこともできる。(P9)」

 

「ここでは私有は越えられており、ここにサークルがこれに属するものに与える豊かさの感覚の源泉があると思われる。自分の考えが、他人の考えと合体し、交流し、増殖してゆく感じを体験することができる」

 

「自律的に一個のサークルとして計画を立てて長期にわたって活動を続けていく場合には、ばらばらの能力が結びついてゆくことがみられ・・過程そのものに打ち込む態度(P9)」

 

が生まれるそうです。

 

ただ狭い集団ゆえの純粋化の要求の強まりがサークルをサークルとは別のものにかえてしまうことはよくあるとも鶴見は指摘します。

 

このサークルの欠点をどのように補えるのかと考えたとき、たとえば今度開催するジャンル難民学会(仮)のような、「魚礁」となるプラットフォームとそこからスピンオフ(派生)する小集団という構造を作ればどうかと思っています。

 

はじめから小集団を作ると、小集団の枠組みが絶対化してしまいがちになります。そこで、まずある程度多数の人が集まりうる場所をもち(それがジャンル難民学会の位置づけですが)、そこで出会った人がこの指とまれ的に自分たちの探究に適したサークルを作ります。

 

そこではサークルを絶対視する必要はなく、うまくいかないなとなったら、すぐに解散したり、あるいは同時並行で、もう一度プラットフォームで別プロジェクトとして、この指止まれで集まることができるというものです。魚礁となるプラットフォームは、それ自体で探究の目的を達成しようとするものではなく、あくまで小集団を自由に派生させうるという趣旨のもとに設計されます。

 

この構造を取ることで、あるサークルが煮詰まってまい、歪んだり、普通でないストレスを構成員にかけるということを避けながら、小集団の良さが生かされるのではないかなと考えています。