降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

甲野善紀『できない理由は、その頑張りと努力にあった』 探究者たちのあり方 学びのあり方 

12/7(金)19時ジャンル難民学会(仮)発足ミーティング。

 

ジャンル難民学会(仮)発足ミーティング

 

ジャンル難民という言葉を挙げていますが、それぞれが強い関心を持ってしている(しようとしている)自分の探究(研究)を発表し、どのようなことが探究されているのかが可視化されて、関心を持つ人が集まって出会い、個々の探究の人的環境を充実させていくことが趣旨です。

 

探究とは何かということの探究もまたこの会のテーマの一つとなるかと思います。

 

甲野善紀さんは、探究とは何か、探究が何をもたらすのかということを具現化しているような存在だなと思います。甲野さんのあり方から探究というものの具体的な輪郭も見えてきそうです。

 

独立研究者の森田真生さんは、中学二年生の時に所属していたバスケ部で甲野さんと出会ったそうです。その時甲野さんは、身体の大きい学生相手に苦戦していたそうです。しかし、甲野さんはそれを取り繕うでもなく、目を輝かせて研究していたそうです。その姿を見て、森田さんは「こんな大人もいるのか」と衝撃を受け、それ以来甲野さんを「人生の師」として仰いでいるそうです。

 

甲野さんの周りには、古武術介護の岡田慎一郎さん他、様々な人が訪れ、刺激を受けて、独自の道を切り開いていっています。養老孟司さんは、「甲野さんのところは、若い人たちが育ってますよね」と言ったそうです。

 

「人を育てる」ということにどういう原則をたてられていますか?という問いに対して甲野さんは以下のようにこたえています。

 

私はまず、私自身が学び成長することを最優先に考えて、私の武術を学びたいという人達と接しています。ですから、教えるというより、その学びに来た人とプロジェクト研究をするつもりになって、仲間、同志として一緒に研究に巻き込んで行くのです。

 

 このスタイルは相手に学ぶ意欲が十分にあった場合、きわめて有効な方法だと思います。

 実際、私のこの教え方で、月に二、三回の講習会の他は自分たちで稽古しているだけで、週に何回も稽古に通っている他の武道の熱心な修行者よりも、技ができるようになった人達が何人もいますから。」甲野善紀・平尾文『できない理由は、その頑張りと努力にあった』p30

 

www.trailrunrun.com

 

甲野さんは、稽古に来る人に対して、会員や門人といった明確な師弟関係や上下関係を結ばないそうです。

 

これは学びということが、どういう関係性において、どういう構造の場においてすすむのかということ通じることだと思います。

 

僕は自給農法考案者の糸川勉さんとの出会いをもち、そこから自分の活動の核となるものを得ました。糸川さんは甲野さんと同じく、独立した探究者でした。そのあり方は甲野さんと通じるところが多くあります。

 

僕は糸川さんとの出会いを通して、個人として人は時代を超えると思うようになり、そういう人が在野にはたくさんいると思うようになりました。大地の再生講座の矢野智徳さんもまたそのような探究者であると思います。

 

甲野さんが様々な実際に使える技術や考え方を提示しても、わずかな例外をのぞいて学校の体育でそれが教えられることはありません。糸川さんや矢野さんもまた、どのように高い見識や現実を打開する精妙な技をもっていてもそれが一般的な体制に受け入れられたという水準になることはあまりないようです。

 

それがどういうことなのか。そしてこのうえで自分たちはどうしていけるのかということも、ともに考えていきたいことの一つだと思っています。