降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

在野学関連の言葉と二年前の文章<野良研究のススメ>

ジャンル難民学会(仮)は、個々の探究を活性化する媒体として作れればと思っています。

 

在野学、民間学、独学などと言われている領域の言葉を集めてみます。

 

谷川健一さんは「生きた学問」という言葉を使っています。この「生きた」ものを扱うというのは、在野学的なものの特長であるのかなと思います

 

柳田、折口、南方、などの民俗学や吉田東伍の地名研究を一括して「民間学」と呼ぶ人たちがいます。この言葉は熟していませんが、在野の人間による庶民の世界を対象とした学問であり、非アカデミズムな学問と解すれば民間学についてのある程度の理解は得られます。

権威主義の学問はいずれにしても硬直をまぬがれません。それは知識の死滅につながります。そこに生気をあたえてよみがえらせるためには、在野の精神が必要なのです。

またアカデミズムが眼を向けなかった分野へのあくことのない好奇心が求められるのです。そうした道の世界に進むには、既成の尺度は役に立ちません。そこでは独創の精神が不可欠です。独創ということに焦点をあてると、独創的な大きな仕事をした者はみんな独学者です。

大学者というのはまた別にいますが、独創、オリジナリティは、お仕着せの知識をうのみにすることを拒否する精神だけにもたらされる栄光である、といっても言い過ぎではないと思います。それこそが生きた学問の名に値するものです。谷川健一『独学のすすめ』

 

甲野善紀さんは、実戦的なものであるよりもほとんどが様式化してしまった現代の「武術」の流派を脱して、誰の権威にも寄らず、実際に「出来る」ということを追究されてきました。甲野さんは自分は「古武術研究家」というよりも、「創作武術家」なのだといいます。「生きた」とはこういう営みをいうのではないでしょうか。

「私は自分のやっている事を「古武術」という名前で名乗ったことはありません。ただ、私が研究している事は、剣道や柔道といった現代武道ではなく、古田の武術の世界ですから、古武術研究者と言われても当たっていない事はありませんが、あまり落ち着きません。
 なぜ「古武術」と自らは名乗らないのかというと、「古武術」とは本来、昔から代々伝わっている特定の流派に対する名称だからです。したがって、私の立場を正確にいえば、古の武術を研究して、それを手がかりに自分自身で新たな動きを開発している「創作武術家」という事になるでしょうか。


私は二十二歳の春頃、「何か武道をやりたい」と思い、まず合気道を始めたのですが、いざ始めてみると、合気道の開祖植芝盛平翁という人には、まさに昔の名人達人を思わせる凄まじいエピソードがあったのですが、合気道はその後、武術として「出来る」という方向よりも、多くの人が親しめる武道の方向に向かっていきたいと思っていた私は、「本当に『出来る』武術の技は、このまま合気道の稽古を続けるだけでは身につけられない。これは自分で探究するしかない」と考え、前述したように松聲館道場を設立、独自の道を歩み始めたのです。
甲野善紀『驚くほど日常生活を楽にする武術&身体術』

 
映画「ネバー・クライ・ウルフ」の原作者であるカナダの国民的作家ファーリー・モウェットもまさに「生きた」ものを学ぼうとしました。ところが彼にとっての生物学は「死んだもの」を相手にするところでした。

私の個人的好みは、生きている動物を生息地の中で研究することに向かっていた。融通の利かない人間だったから、生命の研究を意味する「生物学」という言葉を額面通り受け取っていたのだ。同級生の多くができるだけ生き物から遠く離れ、死んだ動物、さらには、本当に命のない資料を用いる無菌状態の研究室に閉じこもる方を選ぼうとする逆説に、私ははなはだ当惑した。事実、私が大学にいた頃は、たとえ死んでいても、動物そのものを扱うことは流行遅れになっていた。新しい生物学しゃは、統計的、分析的な研究に専念し、生命の生の資料など計算機を養う飼料に過ぎなかった。
 私が新しい傾向に順応できなかったことは、専門家としての将来に好ましからぬ効果を及ぼした。ファーリー・モウェット『ネバー・クライ・ウルフ』

 

礫川全次編『在野学の冒険 』はしがきより。在野の職人が獲得した知と彼らの実践が近代の科学の誕生となったという言及があります。

 

編者が最初に、「在野学」という言葉を意識したのは、山本義隆さんの「十六世紀文化革命」という文章(『論座』二〇〇五年五月号所載)を読んだときでした。この文章は、本書に再掲されていますが、オリジナル版に対し、徹底的に手を加えていただいたものです。ここで山本さんは、近代の科学というものは、十六世紀に、在野の職人が、みずからが獲得した「知」を、日ごろ使っている「俗語」で記録したことに始まるという指摘をされていました。たいへん重要な指摘だと思いました。

なぜ、「在野の職人」だったのでしょうか。山本さんによれば、それは、彼らこそが、自分の仕事で行き当たった諸問題を、自分の頭で、科学的に考察できたからです。たとえば、当時の医者は、手術をする、包帯を巻くといった手を汚す仕事は、理髪師あがりの外科職人にまかせていたそうです。そうした職人たちが、学術用語のラテン語ではなく、ドイツ語、フランス語、英語といった「俗語」で本を書き始めたのが十六世紀でした。まさにこのとき、近代の科学が誕生したわけです。

この十六世紀の職人たちの研究成果、これこそが「在野学」です。アカデミズムの世界の外に(在野に)位置する研究者による研究成果で、アカデミズムも、その価値を認めざるをえないような研究成果。─ひとつには、これを在野学と呼んでよいと思います。

いま、「ひとつには」と申し上げたのは、別の意味での「在野学」というものも想定できると考えたからです。従来のアカデミズムが扱いきれない、あるいは扱おうとしてこなかった「在野」的な分野にこだわり、そうした分野で、何とか学問を成立させようと努力すること。─これもまた、「在野学」と呼んでよいのではないでしょうか。

神隠し」のような現象は、現時点では、科学的に解明することができない。記述から出発する民俗学だけが、それを解明する潜在力を有している。─高岡健さんは、本書所収の柳田國男論で、柳田がそのように考えていたと指摘しています。ハッとさせられる指摘です。

ここで柳田が捉えた「民俗学」とは、従来のアカデミズムが扱いきれない、あるいは扱おうとしてこなかった「在野的な世界」を扱う学問ということになるでしょう。ちなみに、柳田國男の関心の対象は、狩猟伝承、妖怪譚、山人譚、民間信仰、諺など、一貫して、「在野的な世界」に属するものでした。つまり柳田國男は、その立ち位置が「在野」にあったというよりは、むしろ、その関心領域が「在野」にあったという意味で、「在野学者」と呼ぶにふさわしい、と思われます。 礫川全次編『在野学の冒険 』

 

荒木優太さんは、アカデミーとは、大学とは対抗的な関係にある専門家集団だったと述べます。

直感的にいえば、在野研究とは、アカデミズムに対するカウンター(対抗)ではなく、オルタナティブ(選択肢)として存在している。そもそも、一八世紀のヨーロッパでいう<アカデミー>とは、大学と対抗的な関係にある、新たな知を切り拓く専門家集団のことを指していた。アカデミズムは元々、大学に飼い慣らされるものではなかったのだ。

荒木優太『これからのエリック・ホッファーのために 在野学研究者の生と心得』

 

2年前(2016年12月16日)のFBにジャンル難民学会的なものを作りたいと書いていたようで、こちらにも転載します。自分にとって探究の原動力となる切実な問題、それは今なら親問題と書くと思います。今は、「研究」よりも「探究」ということを軸にしたいと思っています。当時は在野学という言葉を知らず、「野良研究」と書いています。

 

<野良研究のススメ 「面白さ」はどこにあるのか?>
学校を否定しているわけではないですとまず断って、自分に必要なこと、ライフワークになるようなことは、必ずしも既にある学校に行かなくても研究していけるということがあると思います。あまりにピンポイントだったり、多領域にまたがっていたりして、既存の評価体系にマッチしないものだったりすると、大学にいたとしても孤独で、それだったらもっと話しが通じる環境にいたほうが探究も進むんじゃないのというようなことがあると思います。

 

大学は万人共通にシェアできるものをやっていると思うのですが、学びの動機というのは、万人に共通なことをシェアしたいというところから始まるかなと思うと僕はそうは思えない。探究する動機は、それがどう派生するかは置いて、もともと個人的なものであると思います。他の人があることに対して、どこか問題に思っていても、取り組むほど関心やエネルギーは払えないものだけれども、自分にとってはそのことのありようは切実で、曖昧なままでは捨て置けない。誰に理解されなくても、関心はそちらに向いていて、体がそちらへ向かってしまう。そういうものは深く探究できる。

 

でも素人が研究するといっても、それは一般的な共通認識ではないので、きちんとした教育機関とか権威とかに認証されないものは素人のいい加減なものだとか、相手にするほどのものではいとか。

 

僕は、今まで人に触れてきて、ピンポイントであれば人はその実践において時代を超えているという実感があって、それが時代の流行に合わないとか、既存の制度にあわないとか、万人向けじゃないとかでシェアされるべきところにつながらないのが非常にもったいないと思っています。

 

それに自分で考えはじめる人の集まりになれば、どこかがちょっとおかしかったりするとわかるし、「教科書」に載せられる正しいことに固執することより、そういうリテラシーを育ていくほうがいいと思います。完成品を目的にするのではなく、個々の人の探究の進み、育ちのほうを目的にした「研究」の場があってもいいのではないか。そっちのほうが面白いし、びっくりするような知見が生まれる場合があるのではないかと思います。

 

当事者研究という、浦河べてるの家がはじめた方式の研究は、自分で自分の困りごとの研究をしていきます。そこでは既存の発想を超えた鮮やかな困りごとへの対処、それこそ専門家でも参考にできるようなことが発見されたりしています。しかし、これは「より優れた研究」を目指しているというよりは、自分で自分にとって切実なことを探究するということ、仲間と信頼を育むということ、この場自体を楽しむということが同時に行われていることに、意義があるだろうと考えます。自分が主体的になって、周りとの関係性を育てながら、探究をすすめていく。これが面白いのだと思います。

 

今まで僕は、人の変化や回復とは何かということをずっと探ってきました。それは自分がいわば生きづらさや「不適応」の当事者でその状況をどう変えていくかというところから始まりましたが、大学に行っても、自分の知りたいことをそのまま伝えてくれる場所や領域というのはなかった。関連しそうな幾つかの領域を探り、得られた情報や体験したことを自分なりに編集して、仮説をたて、妥当であろう知見を抽出していくということが必要でした。実験の企画も被験者も自分。抽出した知見が妥当でなければ状況が変わらない。

 

一旦導き出された知見も位置づけは更新されていきます。たとえば最初は変化とは「成長」であると思っていましたが、何かあるべき姿が前提されている「成長」というのは、今の自分が「成長」していないという前提・否定があってこその概念です。前提に否定を盛り込んでいるから、緊張し、「成長」できない自分を見ないようにするという自動的な動機が生まれ、結果的に変化は停滞する。なので、今は「成長」とかいう言葉は自分では使いません。

 

たとえわかったと思ったものでも、常により妥当な位置づけというものがある。それをずっとしていくのは面白いです。面白いし、そこをしなくなったら自分が困るのだから他人が厳しく検証しなくてもある程度の切迫はある。更新しない認識というのは、結局無理やり抑圧しようとしているのか、あるいは本当はあまり自分にとって大事じゃないんじゃないかなと思います。

 

という問題意識のうえで、当事者研究をやろうと思っていたのですが、困りごとや「不適応」に限定していなくても、自分としてはその理解を深め、更新したい動きがもうあるんだ、探究していきたいんだということがあればいいんじゃないかと思って、あえて困りごとや「不適応」に絞らない「野良研究」を仲間うちでもやるし、流行らせていくことができないかなと思っています。

 

当事者研究大会が来年も行われるということですが、野良研究発表大会もやりたいなと思っています。