降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

【報告と考察】11/12星の王子さま読書会

星の王子さま読書会、次回は12月10日(火)18:30〜@茶山kpハザです。

 

今回のチラシはこちら。

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月1回のペースで27回目ということで、2年をこえた読書会。

 

今回あつかった範囲は、王子がへびと話しているところに遭遇したパイロットと王子のやりとりで物語はかなり終盤です。

 

案内役の西川勝さんは、中井久夫さんの言葉から、オンリーワンからワンノブゼムへ、唯一の一人から多くのうちの一人となることへの移行の重要性について焦点をあてられていました。

 

物語では、王子が別れを拒絶するパイロットに対し、自分が満点の星のうちの一つになることで、パイロットにとってはどの星をみても王子が笑いかけているというふうに感じるようになると伝えていました。

 

モンゴメリの『赤毛のアン』においてもアンがもし自分がある一つのものを本当に好きになったら、たとえその場所から離れても、周りのものからそのものを見いだすことができるようになるというふうに話しているくだりがあったのを思いだしました。

 

王子は死ぬにさきだって、パイロットに対し、君は羊をくれたし、羊をいれる箱も、鼻輪もくれたと伝えます。王子はパイロットに最初にあった時に、それらのものを書いてとお願いしていました。王子は自分の星に帰るとき、それらのものが必要であるといいました。

 

もちろん描いたものは絵であって、現実にはなりませんが、王子にとっては実際のものになるのです。ここで、王子はパイロットとは生の位相が違う存在とされていると思いました。

 

位相の違い。たとえば墓参りする際に線香に火をつけるとき、死者は煙を食べるなどと言われます。煙は生きものに燃焼するエネルギーを与えることはできませんが、死者はそれによって存在を持続させるエネルギーを与えられます。生者と死者は存在の位相が違うと設定されているのです。

 

王子は別れるときにも、パイロットが描いた絵を王子の世界において、現実に存在するものとして語っています。王子とパイロットが出会ったのは、パイロットが砂漠に不時着し、生と死のまさに間にいるときです。そういうときに位相の違うものと出会うことができるのでしょう。

 

王子には不思議なところがあります。パイロットの質問には直接答えず、いつも一方的に語りかけること、パイロットの考えていることはパイロットが発言する前から知っていることなどです。パイロットはそういうことに戸惑いながらも、王子に教えられ、王子を深く愛するようになっていきます。

 

ヘビと王子が話すところで、パイロットにはへびの声は聞こえず、王子の声だけしか聞こえません。物語において王子は花や動物と話しますが、パイロットが人間以外と話す場面はありません。

 

へびと王子の会話のシーンからは、外の人からみると、実は王子は花や動物と話していると妄想しているだけで、実際は妄想の世界で独り言を言っているだけなのではないかと思われるのではと思います。

 

同様に、王子も実は存在するものではなく、死にかけたパイロットのイメージとして現れているというふうにも考えられるかもしれません。もしパイロットの姿を外から見ている人がいたら、パイロットは延々と一人で、誰かと会話をしているような独り言をつぶやき続けているのです。

 

パイロットは幼いころにうわばみにのみこまれた象の絵を描いて、大人たちがそれを理解しないことに絶望して、絵を描くことをやめました。そして王子はパイロットにまず絵を描くことを求めて現れてきたのですから、王子はパイロットの内側の、パイロット自身の止まったままになっていた「幼な心」であったのではと思うのです。

 

(このあたりの解釈は西川さんによると、ユング派のフォン・フランツが『永遠の少年』で書いているらしく、僕は読んでいませんが、心理学科を卒業して、心理っぽい中途半端な見方にとらわれているかということかもしれません。まあそれでもそう思ったのだから、思ったことをベタに書きます。)

 

パイロットが生きものも水もない砂漠に不時着したとは、つまりパイロットが本来自分にあった幼な心を見捨てて、魂の危機にあったということと重ねられているとも思えます。砂漠で実際に水に飢えるように、パイロットの幼な心は自らの絶望によって水を断たれたままで今にいたり、いよいよ危機に瀕していたのです。

 

王子はパイロットが「大人」として固まってしまった部分を揺り動かして、もう一度幼な心を再発見していくように、やや強引に導いていきます。

 

王子は旅を続けるなかで、馴染みになったものに責任をもたなけばならないと気づき、自分が自分の星に見捨ててきたバラを捨ててきたことを後悔します。そして王子はそのことをパイロットに伝えます。

 

「馴染みになったものに責任を持たなければいけない」とは、まさにパイロットに対して、自分と馴染みになったのだからその後も責任を持たなければいけないよというメッセージでもあるのでしょう。王子とパイロットはそもそも一体のものであったのに、王子が花を見捨てたように、パイロットは自分の幼な心を今まで見捨ててきたのです。

 

王子がパイロットに語った旅の物語は、幼な心を失うことがどういうことなのか、王子自身が取り返しのつかない悲劇に自分を捧げることによって、その犠牲をもって、パイロットに認識させるものだったのではないかと思います。

 

王子は犠牲になることによってしか、パイロットを揺り動かせませんでした。誰かを犠牲にすること、傷つけることによって、人が人となっていくということは、僕自身も最近認識するようになったことでした。もちろんそれは放縦に人を傷つけていいと高を括ることを意味していません。

 

しかし突き詰めていくと、誰かを犠牲にし、傷つけること、誰かが自分の代わりに傷ついてくれることによって、自分の心が心となっていったことは否定できないことだと思うのです。そしてそのような加害者性の自覚のもとに、人を、自分を、ゆるすということがはじまるようにも思うのです。