降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

【感想】熾(おき)をかこむ会  「責任」や「個」の終わり

「責任」や「個」という概念が現実のプロセスとは乖離したものであることがより実感されてくる。それらは今の社会を回すための基礎的な概念であるけれども、社会が複雑化してきて、現実というものは今まで済ませてきたようなこれらの素朴な割り切りでは扱えないことがわかってきた。

 

たとえば、環境問題というのは、誰がその責任をもつ主体であるのかがわからない問題に対応するために作られた分野でもあるとも聞いた。

 

公害を撒き散らした企業であるとかは、明らかではないかと思うかもしれないけれども、社長より株主などの方が上だったり、公害に関わった人というなら社員全体なのか、というように、現実をより実態に即してみるならば責任の主体がだれなのかはより曖昧になってくる。

 

水俣病においても、加害企業であるチッソに対して裁判で勝てたのは、内部検証において有機水銀水俣病の原因であることが判明していたのに隠蔽していたことが内部告発によって明らかになったからその点において大きな非が認定できたところも大きいのではというようなことも聞いた。

 

「責任」や「責任を持つ主体」という古い考えかたがもはや成り立たなくなっているのだと思う。話題になったグレタさんの告発は主に国や企業のような大きな権力に向けてされたものであったかもしれないけれど、責任を持つべきなのは製造者であって、使っている消費側は関係ないし、などということは、良識のある人であればもう言えない。

 

それぞれの個人には厳しく「責任」を持つ範囲があり、その外では「責任」を持たなくていいという素朴な考え方で社会は動いている。だがその責任という考え方は、実際には責任の「外」をつくる機能を果たしてきたといえるのではないかと思う。つまり、ある範囲に厳しい責任を持つかわりに、それ以外の範囲に関しては全くの無配慮でよく、放縦であっていいという暗黙の許可のために、「責任」という言葉は生まれていたと思うのだ。

 

思いをもち、自分たちが割を食っても社会環境を変えようとしている市民の活動団体が行政の無責任さや放縦さを嘆くのをよく聞く。限られた範囲の「自分の責任」や表面上の辻褄合わせさえ果たせばいいということが横行している。知っていて高が括られている。これが「責任」「責任をもつ主体」という概念の限界なのだと思う。この考え方のままでは社会システムの機能不全は改善しない。

 

さて、かといって今の社会はその成り立ちの基礎部分からこれらの概念を前提にしているのであり、そうそうすぐには変わらない。一人の人が生きているうちに変わるかどうかはわからない。

 

切迫するニーズをもった一人一人の人は、自分が死んだ後に社会システムが変わって必要だったものが多くの人に提供されるようになっても仕方ないのであり、社会が変わるのを待っていられない。必要なものは誰にまかせるでもなく、自分たちの間で生み出すことが必要になる。

 

そしてこのことこそが、行政が枠組みを決めて一方的に提供する死んだ公共性、排除の組み合わせで作った公共性(「公園」で金銭をやりとりするてづくり市が認められないみたいに。)とは質的に違う生きた公共性とその意識を育むだろう。

 

正味のところ、一人一人の人は、主体意識を減少させられること、主体意識が育まれる体験から離されることで人間として疎外(本来持っている可能性を埋められ、ダメになっていくこと)されるのだから、一方的に決められ、提供される公共などは公共でもなんでもなく、むしろ逆のものだ。

 

(ついでにいえば主体意識といってもそれは周りとの人間的なやりとりによって生まれ育まれるのであり、一人のなかで育まれるものではない。自分だけに帰属するようなものは、健康的でも創造的なものでもないだろう。自分という捉え方自体が世界から自分を区切ることであり、閉じることであるのだから。)

 

「未来の社会」があるとして、そこからみれば今はそういうことが理解されない文化以前の社会、古代社会なのであるだろう。一人の人として生きるとき、大事なことは現社会で流通している理屈を真に受けない、信じこまないということなのではないかと思う。

 

前置きが長くなった。話しの場では、「責任」とか「個」という概念を真に受けていると人にも場にも変容のプロセスがおきない。そういうものへの意識や強迫が打ち消されているとき、自律的なものが動きだす。

 

熾(おき)をかこむ会では、自分のなかで動きだそうとしているものをたき火のなかに残っていて空気にあたって燃焼するのをまっている熾とたとえる。

 

身体教育研究所の野口裕之さんは精神は忘却の過程であるという。僕が思うに、精神とはたとえば煙突のようなものであり、その煙突には物心がつく前からススがたまっている。

 

僕はある人が生きることを通じてしたいこととは、つまるところ、その煙突についたススをとることなのだと思う。そのススは、自分なりのやり方でしかとることができない。

 

精神は獲得を求めていないと思う。あたかも獲得を求めているように見えても、その獲得がすでに持っていた不安や痛みを打ち消すから求めている。抱えている不安や痛み自体を取り除きたいという動機で動いていることが、見かけ上は獲得しようとしているように見えるし、つい自分でもそう錯覚してしまう。

 

その精神という通路に残っている「スス」をたき火に残っている熾(おき)とたとえているのだけれど、それはたとえば深い川の水面下の層にたとえることもできるだろう。表面のほうで水がはやく動く層があり、その下にゆっくり動く層があり、さらに深くなれば、ほとんど動きがみえないような層がある。

 

下の層のことはなかなか意識には上がらない。しかしその層に影響されていることは生きているなかでなんとなく把握されていく。会のなかで「風景」という言葉がでた。言葉や具体的エピソードにはならないのだけれど、「風景」として記憶されているものがある、と。

 

その風景が自分の底にあり、なぜだかわからないけれど、その風景にもう一度出会いたいという気持ちがある。そのような動機もまた、止まった時間として精神にとどまっているものを動かし、消していこうとする求めであるのではないかと思っている。

 

既にあるものを完全に守ろうとして、「責任」で自分や人を雁字搦めにするとき、人は自分に必要な体験もできなくなってしまう。「責任」は意思(による世界の完全なコントロール)とセットであるのだけれど、台風のように、どちらかというとコントロールできないものによって世界は成り立っている。

 

意思によるコントロールをどこまでもすすめることは、結局は人間から生きることを奪ってしまうだろう。だから「責任」ではなく、「救い」を生きるというあり方に移行してもいいと僕は思う。

 

浅い、ごまかしの救いを生きるときは、人は自分に閉じ、他の人から奪うようなことに熱心になるけれど、自分の深い「救い」に生きることは、そのイメージとは裏腹に周囲に影響を与え、公共的なものさえ生み出す。深い救いを生きようとするとき、世界に関わること抜きに生きることはできない。

 

深い救いを生きる人は、周りには「責任ある人」「私を捨てて生きる人」のような印象さえ与える。

 

自由放縦であること、できる限りの享楽と安定を自分の周りにかき集め、所有を維持することが幸せであると思える人は、逆にそこへのこだわりが絶対化しており、強迫的に生きている。

 

自分のなかにずっとあった強迫性から解放されたときの気持ち。それを感じたとき、人は自分はこれを求めていたのだと思うのだけれど、それはあくまで結果的なことであって、多くの場合は自分の強迫性に従い、その強迫がなくなるまで獲得することが幸せだと思っている。

 

社会や他の人の有用性のために生きなくていい。自分の深い救いを生きていい。世間は「意思」や「責任」を絶対化するけれども、それらで世界はまわらない。むしろそれで支配しようとすると世界は閉じ、いびつになり、こじれていく。

 

自分の「意思」や「責任」の限界を認めるところで、別の質感をもった新しい世界がひらけてくる。社会制度が何も変わらなくても、自分の感じる世界は変わっており、そのことによって、自分は以前の自分とは違う質的な変容を経ている。

 

その変容自体が、自分の周りの強迫を解きほぐし、環境を変えていくだろう。人は一人だけでは回復しない。周りとともに回復していく。「個」は便宜的な区切りであり、見方であって、実際の影響を見るならば、一人は一人でなく、世界と一体として存在している。

 

そこでは範囲を限定し、強制される「責任」ではなく、世界と自分をともに活性化させる「応答」が生きることの基礎になる。応答には義務がなく、罰もない。しかし、どこかに責任をもって、どこかに無責任になるようなことは、確実に自分に影響を与えることは当たり前のように理解されるだろう。