降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

9/12 星の王子さま読書会 酒のみのシーン

第二水曜日の星の王子さま読書会。


月に1回のペースで今回で13回目。13ヶ月をかけて75ページまですすんだ。今日は王子が酒飲みに会うシーン。

 

酒飲みは山のような空き瓶と新しい瓶を前にして黙って座っている。子どもの頃に読んだ内藤濯訳の星の王子さまで一番印象に残っているのが、「酒のむのが、はずかしいんだよ」のセリフだった。残っているイメージでは怒鳴っているような記憶だったが、あらためてみてみると怒鳴ってない。

 

しかし、原文にはエクスクラメーションマークがついているようだ。 

 

―Honte de boire! acheva le buveur qui s'enferma definitivement dans le silence

 

 

稲垣直樹訳では「酒を飲んでいることが恥ずかしいのさ」と言うなり、酒飲みは黙りこくり、そのあとはもう一言も口を効かなくなりました。」

 

個人的には、星の王子さまで一番このシーンが印象に残っている。日本語訳で大きな声で言わないほうがより深刻で行き場がない感じがする。進行役の西川勝さんの読み方も、西川さんが紹介したYouTubeの仏語での朗読も怒鳴る感じではなく淡々としていた。

 

内藤訳では最初のシーンは『「酒のんでるよ」と、呑み助は、今にも泣きだしそうな顔をしていいました』とある。稲垣訳は、『「酒をのんでいるのさ」と暗い顔で酒のみは答えました』と違う。稲垣訳のほうが全体として深く絶望している感じがする。稲垣訳のほうが僕は味わえる。


西川さんは、飲むのはセルフコントロールであり、自分でコントロールしようとするからこそ飲むのだ、という。アルコールアノニマスなどでも、セルフコントロールという自負を諦めるところが回復のステップだという。自分の「意思」の強さにたのんでいるときは回復の契機は訪れてこない。

 

あれだけ辛いことがあったのに、なぜ忘れてしまうんだろうとも言われていた。

 

後の回でまた変わるかもしれないけれど、キツネやバラの話しよりもこの酒のみのシーンが一番自分に届いてくる。自分は酒はのまないが、酒のみの絶望の深さ、闇の深さは、僕には生きることに対しての、その身を挺した深い共感のように感じられる。その共感は、溺れて、力も意志も失って、水底に崩れていくものに、もう一度意思を与え、底を蹴る力を与えてくれるような共感だ。

 

飲むのはなにを忘れるためなのかと王子はたずねる。

 

「恥ずかしい思いを忘れるためさ」と首をたれながら、酒飲みは正直に答えました

 

 

酒のみは、なぜ正直に答えたのだろうと思う。無神経なことをどんどんきいてくるこの子どもに。腫れ物に触るような感じでもなく、自分そのままに関わってくれる存在だと感じられたからか。

 

酒のみのなかで動くものがあった。それは抑えをこえて表に現れた。一瞬であれ、王子との関わりのなかで何かをおこそうとした。と同時に、言動となって現れ出たものは、彼の自意識にとってはインパクトが強すぎた。反動で押し寄せてくる恥辱感、惨めさはまた彼の意識を暗い底に連れていった。

 

酒のみは3つ目の星にいるのだが、どの星にいる人もみな一人だ。孤独であるところに放り出され、行き場のないこれらの人は、それぞれ、「病」として存在しているように思える。生きるために、病として時間を中断し、殻として生きている。そしてそれでもなお少しずつすり減りながら、いつか殻が必要なくなる出会いを待っている。

 

僕には星の王子さまの物語全体の薄い空気感は死の世界として感じられる。パイロット以外は本当は最初からみんな死んでいる。パイロットもまた王子との出会いがなければ生きながら疲弊していく魂の死を避けられなかったのではないかと思う。

 

王子はバラを捨て、星々をめぐり、孤独な人たちを傷つけていったと思う。彼は人を傷つけ、その痛みをみせてもらうことによって、自分自身の痛みを取り戻し、回復したのではないかと思う。

 

次回は実業家の話しだ。