降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

10/16 DIY読書会発表原稿 宇井純『自主講座「公害原論」の15年』

【はじめに】
 小松原織香さんが開いている環境と対話の会で扱われていた本。1970年から1986年まで東大で行われた自主講座の講演録。公害を扱う学問がないなかで、自ら学ぶ場を作った活動。野外で行われた講演には1000人がきたこともあった。1970年からこんな大きくユニークな活動がされていたのかと驚いた。公害の問題の構造(企業寄りの行政、専門機関である企業の隠蔽と改ざんなど)は現代とまるで変わるところがないように思える。時代に対して、変わらない問題に対して、自分たちで学びの場をつくるとはどういうことかをこの本を通して考える。

 

【読んだところ】
第一部
Ⅲ 現場からのレポート 

1、銚子火力反対運動から 2、イタイイタイ病論争 3、高知生コン闘争 4、白杵・大阪セメント反対運動 5、マンション建設反対運動 6、高知生コン闘争、その後 7沖縄アルミ工場進出阻止の運動から 8、東京都の公害現場にて
Ⅳ 1、国際人間環境会議報告 2、海洋の物質循環と人間への影響 
Ⅴ 1、カネミ油症の患者として 2、カネミ油症の最初の認定患者 3、豊前火力と闘う作家 4、四日市公害の証人として 5、渥美火力と自主調査 6、よみがえれ石狩川

 

第二部
座談会 自主講座を生み出したもの
自主講座が生まれたころ 自主講座開講前後 公害原論との出会い 自主講座と私

 

【感想】
 当時、地方の都市は行政だけでなく、住民も大工場誘致に賛成だったという。実際に空気が汚染され、川が汚れ、魚が取れなくなるということもおこるが、四日市などでは喘息はもともと喘息だった人が工場のせいで喘息になったと嘘をついているなどと、非難する街の住民も出てくる。利害関係が住民同士の分断もうんでいる。

 

 行政は基本的に工場誘致の推進派なので、企業側にたっている。住民を黙らせようとして、これは基準値以下だとか、工場や発電所のせいではない、ということを嘘を捏造してでもやる。反対ができたらいいけれど、ただ単に被害を受け、黙らされて死んでいった人もいるだろう。住民たちは、企業や行政の嘘をあばくために、自ら専門家を雇ったり、調査方法を身につけていった。そうでなければ現状は悪化するばかり。作物や魚が取れなくなるという現状があったとしても、エビデンスをもってこなければ相手にされない。環境庁もわざと汚染の数値が下がるような方法を用いて調査をしたりしている。

 

 嘘の発表、データの改ざん、汚職構造の温存など、今の原発の問題と当時の問題は変わらないように思えた。自主講座では、驚くほど多様な人たちが講演した。革新自治体の長であったり、それを批判する市民団体であったり、行政内部の人であったり、被害者であったり様々だった。被害者の行き場のなさは身に迫ってくる。カネミ油にPCBが入っているとは知らず、それを利用し続けて一家でカネミ油症になった家族。中学生の娘は顔にできた黒ずみを取ろうとして爪で肉ごと除去しようとしていたとのこと。自然に治らない新しい病の恐ろしさ。1968年におこったカネミ油では今なお被害者は苦しみ、なぜ自分たちがここまで苦しまなければならないのかという思いに苛まれている。 

 

this.kiji.is

 

 講演の発表者たちの意見は現実的で、深く考察されたものであると思った。もし彼らの意見を国が受け止めるなら状況は本質的に改善されるのだろう。しかし、そうはならない。提案したことも骨抜きにされて意味のないものにされてしまう。

 

 自主講座を主宰した宇井純さんが、この組織をずっと続くものとしなかったのはとても興味深い。初期はよかった組織が代を経ることに本質を失っていく事例は事欠かない。組織とは即興的なものであり、生きているプロセスであるとするならば、そのプロセスを生かし続けることはできず、なお維持しようとすれば、そこには死に切れない別物が生まれるだけなのかもしれない。

 

 前回の『暴力の哲学』の発表でもあったように、かつては公共的な理念があった組織もやがて自己利益の追求が目的になっていく。また世間も幼稚園が近くにくるのは反対し、薬物依存症者回復施設が立つことも反対するように、市民も公共的な存在を担っていたところから、他者から邪魔されない自分の享楽と安楽のみを追求することにはばかりなどなくなっている。かつてかたちがあったようなもの何もかもが、ドロドロと溶けていくような現状のなかで自分たちはどう生きていくことができるのかと思う。

 

 僕は今までのいわゆる社会運動とは少し違ったアプローチがあるのではないかと思っている。現代において、人は自分が感じていることを乖離させたほうが生きやすい。しかし、その乖離によって、その人は自分を現状から回復させていくことも、自分の力を増幅させていくこともできなくなっている。

 

 現代の人は自分の考えや感じ方を持った自立した個人ではなく、自分の考え以前、自分の感じ方以前の状態にいると思う。それをまず取り戻していく必要があると思う。DIY読書会をひろめようと思ったのだけれど、読書会はまだ敷居が高いかも、と思い直し、鶴見俊輔のリードインを各地でやっていくのはどうかと思っている。

 

 リードインは、参加者が他人と自分の言葉(文章)を持ってきて、それを紹介するという非常にシンプルなもの。しかし、まず他人の言葉という導きがあり、そこに自分の感じていることを添えるという行為のなかで、自分の思考と感受性がリハビリされていくと思う。意見以前、感じていること以前の状態では、まずはそこからはじめていく必要があるかと思う。

 

 色んな場所でリードインをやっていきたいと思っています。皆さんも自分のスペースや関わりのある人の場所など、リードインをやってみるのも面白いと思われたらぜひ一緒にやらせてもらいたいと思っていますので、お声がけください。

 

後記:リードイン、次回11月5日(火)19:30〜の読書会の時にやってみましょうかと提案があり、次回にやることになりました。