降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

【8月の催しもの】話しの場研究室・熾をかこむ会・お金についてのお話し会・DIY読書会ほか

8月は催しが多くなります。

 

8月11日(日)13時半 話しの場研究室 場所:ちいさな学校鞍馬口

8月14日(水)14時 熾(おき)をかこむ会 場所:茶山KPハザ

8月15日(木)16時 お金についてのお話し会 場所:キッチン・ハリーナ

8月19日(月)20時 DIY読書会 場所:ちいさな学校鞍馬口

8月23日(金)19時 私の探究・研究相談室

8月25日(日)13時半 話しの場研究室 場所:ちいさな学校鞍馬口

8月26日(月)13時半 『パウロフレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』読書会 場所:フォロ・オープンスペース(地下鉄谷町線・京阪「天満橋駅」徒歩5分

 

【8/11日話しの場研究室】

時間:13:30〜

場所:ちいさな学校鞍馬口(北区)

内容:

第2、第4日曜日の話しの場研究会は、どのような話しの場であれば話しが成り立つのか、あるいは成り立たないのかを実際に経験されたケースを当事者研究するかたちで毎月ずっとやっていくつもりです。蓄積されたことは冊子か本かにしていきます。

 

これは自分の探究や研究を発表するジャンル難民学会やDIY読書会の雰囲気が多くの人に共有されるものにすることを趣旨とするものです。自由かつそれぞれの人が尊重される場の重要性はこのブログでも何度も述べてきたことですが、それがどういうことかは世間ではまるで共有されていません。

 

求められていないのに、自分の知識を相手に「教え」たり「指導」するような動機で人と話すと、話された相手は自分で考えたり探究したりしていくそもそもの気が失せます。そのように人に関わるのではなく、今その人にどんなプロセスがおきているのかを感じとろうとする尊重の態度を関わり方(聞きかた、話しかた)の基盤におきます。

 

相手をいかに自分の思う状態に持っていくかではなく、相手のプロセスは相手の自意識をこえた自律的なものなのだという理解を持ちます。そのプロセスがいこうとしているほうのつゆ払いをするつもりで、たとえば氷上で自分からどちらかへと動こうとしているカーリングのストーンがあるとして、そのストーンが行こうとしている前をはいてあげるような気持ちで聞いてみると「新しいこと」がおこっていくのがわかるかと思います。

 

「新しいこと」がおきないと、結局前と同じ考えをし、同じことの繰り返しをします。それはお互いにそうです。なので、その古い繰り返しの殻から新しいものが脱皮していくように、お互いにその「新しいこと」がおこる状況を与えあうということが、自分の変容に伴う話しの場には必要なのだと思います。

 

自分が変わらないで状況だけ変えようとする話しの場もありますし、何を趣旨とするかによって、それはそれで妥当性もあることだと思いますが、それは自分たちがやらなくても色々検討されていると思うので、僕は自分の感じられていること、見えている風景が変わるということを趣旨とした話しの場のあり方を探究したいと思っています。

 

14日は今回で5回目の熾をかこむ会です。西川さんがお仕事の都合で来られなくなりましたが、なんとなく場の感じの共有もできてきた感じになっています。初参加の方もどうぞ。

 

【8/14(水)熾をかこむ会】

時間:14:00〜17:00

場所:茶山KPハザ(京都市左京区田中北春菜町34−4 白い四階建のマンション「洛北館」の西向い奥)

内容:

話しの場では、今まさに自分におこっていることを話すような場もあれば、記憶の遠くにあるようなこと、ずっと昔から自分のどこか
にあった感覚や思いを確かめるような場もありうると思います。

焚き火があり、まきが燃えて崩れ、細かくなっていきます。しばらくの時間がたち、一見して火が消え、全て灰になってしまったようにみえても、そこに熾(おき)が残っています。そこに空気をあて、何かを燃えるものを置くなら火はまたおこります。

誰もが生きてきたなかで、心の奥底に残ってくすぶっている熾(おき)を持っているように思うのです。それは忙しい日常では背景にひいていて、しかし実は自分の生の基調低音に影響を与えているようなものではないかとも思うのです。

人の話しを聞いていると、そして自分にある熾が感じられてくることもあります。話しを「する」という気持ちよりも、話しが「おこる」感覚で話しをしてみましょう。

 

【8/15(木)お金のお話し会】

発案者 境 毅
日時:8月15日16:00〜20:00
場所:キッチンハリーナ(左京区
急に暑くなり、暑い日が続いていますが、みなさまお変わりありませんか。
昨年ハリーナで連続3回のお話し会をやりましたが、はや1年が経ちました。参加してく
ださったみなさまのこの1年はいかがでしたか。みなさまがたからの報告を聞きたくて、このお話し会を企画しました。
私からは、今年の初めに商品とお金の弁証法精神分析をテーマとすることにし、慣れ
ない精神分析関係の本を読んできましたが、その経過を報告させてください。
SNSの時代で、オンラインでのコミュニケーションが中心になってしまっていますが、
私は、フェイスブックの自分の投稿が規定に引っかかる、ということで没にされたことがあり、それ以降フェイスブックはやっていません。でも、メールにはフェイスブックの友達の情報が入ってきて、それは見たりもしています。そんな状態ですが、やはりサークル的な集まりで顔をつきあわせて話し合うことも大事ではないかと考えています。
また、初めて参加される方も歓迎です。お金の話がメインテーマです。
お話し会詳細
話題:みなさまからの報告
なお、食事しながらの交流会も予定しています。交流会参加希望者は、ハリーナに連絡
してください。

 

【8/19(月)DIY読書会】

時間:19日20時

場所:ちいさな学校鞍馬口(北区)

宿題なしで、自分が読んできた本を任意で発表したい人が発表する形式の読書会です。毎回3人ほどが発表します。僕は奥野克己さんのプナンの続きをやります。

 

【8/23(金)私の探究・研究相談室】

時間:19時

場所:本町エスコーラ(東山区

内容:

自分の関心のあること、調べてみたいと思っていること、探究したいことを持ち寄って話すことで、一人だけでは手につかなかったことが進んでいくかもしれません。

毎月第四金曜日の19時から本町エスコーラにて相談会をやっています。

学校が終わっても、自分の探究や自分の研究をもってみませんか。

自由に、自分が一番関心をひかれること、既にある分野や学問に必ずしもこだわらず、自分の探究・研究したいことに取り組んでみると、思わぬ世界が開いていきます。

連続して参加する人、初めて参加する人、どちらも大丈夫です。前の回から自分の研究テーマをもって研究が進んだ人、あるいは行き詰まった人はそれをぜひシェアしてください。

 

【8/25(日)話しの場研究室】

時間:13:30〜

場所:ちいさな学校鞍馬口(北区)

内容:8月11日に開始した話しの場研究室です。

 

【8/26(月)『パウロフレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』読書会】

時間:13:30〜

場所:フォロ・オープンスペース

内容:

パウロフレイレ(1921〜1997)という人の名前を聞いたことがあるでしょうか。フレイレは、エンパワメントという概念を提唱した人で、既存の社会から抑圧された人たちが自らの状況を解放していく実践的なあり方を提示し、世界中に大きな影響を与えた人です。

 

といっても、亡くなられたのはもう20 年以上も前です。わざわざそんな古い人の思想を学ぶよりも、今ならもっと発展した思想やアプローチがあるだろうにと思われるかもしれません。私自身も里見実さんが書かれたこの著作『パウロフレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』を読むまでは、フレイレの著作を読むこともなく、それ以上の興味を持っていませんでした。

 

ですが、この本を読んだとき、これは今の日本の状況に見事にあてはまるなと衝撃を受けました。自分が世間や社会に対してなんとなく感じていたリアリティが、ここではもう既に、明確に言葉にされていました。

 

「抑圧」という言葉がやや大仰に聞こえるかもしれませんが、ここでいわれる被抑圧者とは、世間やマジョリティの価値観を内面化した、大勢の「普通」の人も含まれます。マイノリティはマジョリティ(社会の強者)の価値観を内面化してしまうものなので、自分は劣っていると感じ、社会の強者に憧れ、強者の思想や判断基準を取り入れて自分を補おうとします。その結果マイノリティ同士がお互い自覚のない部分ではマッチョであり、攻撃しあってしまったりするのです。

 

どうすれば人は内面化してしまった抑圧的な価値観からも解放されうるのか。それこそが今も変わらず問われるべきことではないかなと思います。フレイレはそこにおいて核心的な領域まで到達した人だと思います。

 

この本は単にフレイレの本をわかりやすく、やさしく解説しているだけではありません。それと同時に筆者である里見さん自身も同じ一人の実践家、思想家として、今まで吟味し続けてきた経験と思想をもって、フレイレと「対話」をしているのです。正直なところ、私はフレイレ以上にこの対話を行っている里見さんという人の存在に感銘を受けたといっても過言ではありません。

 

里見さんは、フレイレの実践は、「支配」の装置として作動している「教育」を人間の解放の行為に反転させていくあり方を探り続けたものなのだといいます。「教育」は、反転させてこそようやく人間を人間にしていく対話になりうるのだ、とさらっと書く里見さんですが、読んで理解すれば当たり前のこのスタートラインは、フレイレの死後もいまだに日本の公教育では実践されていませんし、その問題性は一般にはまるで共有されていないようです。

 

The more things change, the more they stay the same.(多くのことが変わる一方で、それよりももっと多くのことが変わらずにそのままだ。)という言葉があります。様々なことが発見され、新しい理解が生まれても、社会は全く新しくなっていないようです。里見さんが紹介するフレイレの分析を知ると、現代の日本の状況、SNS上でおこっているようなことなどがそのままあてはまることに驚かれるでしょう。

 

社会では、先人が既に深く分析していることがまるでなかったように忘れられ、見過ごされて、またゼロから同じ問題が議論されているように感じます。石が積み上げられては崩されゼロになる、賽の河原のようなことがこの社会で繰りかえされていますが、この本はそんな現代の日本の社会のなかで生きる一人一人に、特にそれに疑問をもち、違和感を感じている人に、一つの確かな視座を提供してくれるものではないかなと思います。みなさんと一緒にこの本を読めることを大変嬉しく思っています