降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

【案内の更新】7/26私の探究・研究相談室

本町エスコーラで開催させてもらっている私の探究・研究相談室の案内を更新しましたので、下記に転載します。

 

私の探究・研究相談室は、ジャンル難民学会(仮)の発表のための相談の場で、また発表というかたちを考えていなくても、自分の関心はどこに焦点をもっているのか、今感じていること考えていることなどを話してみるという場です。

 

僕は一般社団法人化に向けて、その枠組みと実際にどう準備していくかというところをまとめて発表しようと思います。

 

理想的には、今やっているDIY読書会のような場がそれぞれの場にできたらいいと思っています。しかし、いきなりあの雰囲気になるのは難しいのだろうと思います。マウンティングするみたいな人がやってきて、上から評価したり、アドバイスというかたちをとって自分の意見や価値観を押しつけたり、場を独占する人が延々としゃべったりするだろうと思うのです。

 

話しの場で、どういう感じが「いい感じ」なのか、その感覚を共有するが必要だと思っています。そもそも一般の場では、人の考えていることや話しを大切にするということがどういうことなのかということはまるで理解されていません。しかし同時に、その感覚がある場でははじめから何も「研修」しなくてもそれぞれの人の話しが聞かれもします。

 

話しの場、発表の場において、何が「いい感じ」なのか。まずそれを哲学カフェ的に話しあうことからはじめてもいいのかもしれません。

 

私の探究・研究相談室

日時:7月26日(金)19:00〜

場所:本町エスコーラ(東山区

アクセスはこちらから→ 一般社団法人 エスコーラ

 

 

人が本当に変わっていくということがどういうことなのかと思います。

 

ある人が本当に関心を持っていること、偽りなく問いをもっていることだけが、その人自身の保守性とか欺瞞性をこえていくために必要な亀裂だと思います。そしてその亀裂が自分にとって何であるかは、生きることを通して確かめられていく値打ちがあると思うのです。

 

自分に見えている風景を変えていくことは、他者である世界を既に知っているものだとせず、実際に触れて、思っていたものと違うことを目撃することであると思います。

 

精神にとっての贈りものは、既知のものを守り通したり、思い通りにする以上に、見えている世界が変わり、それまでの感じかたが更新されることなのではないでしょうか。世界が変わらない、とメリーゴーランドのような同じ風景に倦むとき、既知の外にある他者に触れにいくこともできます。

 

 

自分の関心のあること、調べてみたいと思っていること、探究したいことを持ち寄って話すことで、一人だけでは手につかなかったことが進んでいくかもしれません。

 

学校が終わっても、自分の探究や自分の研究をもってみませんか。

 

自由に、自分が一番関心をひかれること、既にある分野や学問に必ずしもこだわらず、自分の探究・研究したいことに取り組んでみると、思わぬ世界が開いていきます。

 

連続して参加する人、初めて参加する人、どちらも大丈夫です。前の回から自分の研究テーマをもって研究が進んだ人、あるいは行き詰まった人はそれをぜひシェアしてください。