降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

孤独と心細さ まとまりなく

西川勝さんとの熾(おき)をかこむ会がもうすぐ。

 

 

kurahate22.hatenablog.com

 

 

どのような話しの場にするか。場の設定、最低限の枠組みを用意するけれど、僕は話しの場というのは誰かの「状態」が伝わってできるものだと考えているので、細かな技術のことではなく、乱暴だけれど、自分がどの「状態」になるかを考えればいいと思っている。

 

映画「インターステラー」で気づいたことがある。

 

jimmys-nooker.hatenablog.com

 

農作物が次々とだめになっていく疫病が止められず、将来的に人間が絶滅するのが確実な地球を救うために主人公たちは宇宙に向かう。

 

最初に着陸したのは、そこでの1時間が地球の7年に相当する惑星。先にその惑星に来てデータを集めていたミラーの船の残骸がみつかる。そこからデータを回収しようとするヒロイン。

 

そこで遠くに見えていた山だと思っていたものが巨大な津波だったことがわかる。津波が押し寄せてくるなかで、ヒロインは回収をあきらめきれず、逃げるのが遅れる。主人公たちの船は津波に呑み込まれ、2人だけは生き残ったものの、浸水した船のケアで時間が失われる。星の上空で待っていた仲間に再会した時は地球の時間で30年が経過していた。

 

仲間は30年歳をとっているし、地球に残してきた息子は父の生存をもはや信じていない。父に捨てられたと深く傷ついた娘はもう主人公と同じ歳になっていた。 

 

このシーンに心が強く動いた。フィクションでないと、あの圧倒的な津波との対峙のリアリティは出ないと思う。ありえない高さで視界全体から押し寄せてくる津波に対する主人公たちの絶望的な無力さ。

 

僕が反応したのはそのシーンの心細さだった。もちろんこれは僕の読み取りであって、ヒロインは回収できなかったら死んでもいいという気概で臨んでいると思う。同じ絶望感でも無力感や悔しさに対して自分を前に投げ捨てる感じで、心細さは前面には出ていないだろう。僕は作品解釈がしたいのではなくて、自分の反応を追っているので、反応が出れば、その反応を手がかりとしてそこにあるものをなぞっていく。

 

大学の時の記憶も思い出した。夜になって大学から帰っているとき、正面にちいさな女の子が歩いてきていた。女の子は不安でどうしようもなかった感じで、本当に助けを求めていた。夜に小さい子に声をかけるとか、自分が怪しまれるようなことをしなければならない状況などに入りこみたくないのだけれど、大丈夫かどうか声をかけた。

 

すると女の子は安心したようにそばに寄ってきた。あの時ははっとした。どこのものともしれない自分のようなものにまで縋らなければいけないほど女の子の心細さは強かったのかと思った。そして自分を信頼してくれたということに驚いた。

 

すぐに前方から家族団欒の声が聞こえてきた。女の子はただちょっと家族から離れてしまっただけだった。しかし家族がいないと思いこんでしまったのだろう。

 

あれは心に強く残った。そのずっと後に付き合った人がいたのだけれど、自分はその人にあの時のちいさな女の子のような感じを持っていた。普通の境遇に生きているけれど、同時にあの女の子みたいに、打ち捨てられて孤独な人だという感覚があった。

 

失礼な話しで、全く勝手な感覚だけれど、そのように感じていた。自分のなかでは持続的な深い感覚だった。しかし、だからといって当たり前だけれど、その感覚だけで相手の求めを受け入れることはできなかった。関係性を続けることは無理だった。

 

お互い、相手自身を喜ぶという関係性になれなければ、僕には持続的な関係性は難しいだろうなと思う。相手をプロセスとしてとらえ、そのプロセス自体に本当に感嘆し、喜べるという感じにならないと、相手にとって僕は益がないだろう。それは自分が虚しくなる。

 

僕は自分として本当に役に立ちたいと願っているようだ。北海道時代に子供たちと関わったときに感じたように、本当の役に立ちたい。そうでないと虚しい。自分が本当に役にたつその世界との接点を求めてきた。

 

本当に役に立つときというのは、自分の閉じた既知の世界をこえた応答がかえってくるということであり、変化がかえってくるということだと思う。自分はそのことによって、世界と自分の関係を更新していこうとしているのだろう。

 

あるいは、役に立っていると感じられるときは、自分の否定性を忘れられるだけなのかもしれない。

 

お互いの深い応答ということかもしれない。自分の核から遠いところで応答しても(それがそもそも応答といえるのかどうかわからないけれど)自分は充たされないし、世界の感じられ方は変わらない。

 

自分のやってきたことが何かと思うと、僕は考えを凝縮してきたと思う。 同じことを何度も確かめながら、短い言葉に全てが凝縮されるように。通りすがりの、一瞬だけのかかわりでも、そうすれば同じことを同じ強さで考えてきた人が自分を見つけてもらえるのではないかと思って。何の根拠もないけれど、ただそれをやってきた。

 

一方で、それは迂回だったかもしれないと思う。見つけてもらうのを待っているというのはどういうことだっただろうか。出会いに行けばいいのに。

 

まだ知らない人に会いに行かないわけではないけれど、深く関われたという実感をほとんどもてたことがない。相手を前にすると話すことが思い浮かばない。

 

ルパン3世の古い映画でルパンV.S複製人間というのがあって、最後に複製人間のオリジナルである脳が地球を脱しようとするとき、ルパンが爆弾を仕掛けようとする。しかしオリジナルは念能力という力を使う。ルパンは近づこうとするが暴風に吹かれるように弾き飛ばされてなかなか近づけない。

 


ルパン三世vs複製人間 予告編(海外ver

 

思うに自分はそういう感じになるような気がする。強い向かい風が吹いていて、それに飛ばされて、あるいは踏みとどまるぐらいが精一杯で何も思いつかない。実際には極限的な緊張のなかにあるわけではないのだけれど、何も思いつかない程度には緊張しているのだろう。何も思いつかないで相手といる状態はいたたまれない。

 

考えのような、構築物を持たないと関わりたいように関われないようだ。しかもその構築物も向かい風の影響を受けるので、即興的なやりとりよりマシというだけで、呼び水のようなものがないと出ない。

 

松本大洋『ZERO』の五島雅がボクシングを通してしか人と出会えないように、僕も自分のつくってきた構築物を通してしか、人と出会うことができないのではないかと思う。出会うとは、自分が変容のプロセスに入ることを意味している。そのプロセスが呼びおこされなければ、世界はただ苦痛と退屈として続く。「時間」は止まっている。

 

言葉の世界に入った人に見えるもの、認識されるものは、止まった時間としての世界だ。認識される世界は止まった「時間」としての言葉でできている。

 

パッチワークのように継ぎはぎされたステンドグラスに囲まれたスポットライトがある。スポットライトが照らす部分のステンドグラスが認識される。それぞれのステンドグラスには物語が描かれている。

 

継ぎはぎされたステンドグラスが世界であり、世界は記憶だと思う。記憶は過去であり、意味が固定化されたもの。変容更新がなければ世界は過去の牢獄だ。既知の世界は既に結論が決まった世界であり、そこに救いはない。

 

つまり、延々と1人で考えて悩むということは、考えているようで、結論の決まった世界をぐるぐるとまわっているだけだと思う。ピンボール台やパチンコ台の釘の向きが決まっていれば、球は同じ動きをする。多少弱く打ってみても、強く打ってみても、釘が決まっているのだから至らないところには至らない。しかし自由に考えていると本人は錯覚している。

 

釘を変えなければ変わらない。ステンドグラスの絵を変えないと感じられることも思考の経路も変わらない。

 

僕にとって自分を変容していく状態にいれるために、自分の確かめたリアリティで構築してきたものに対して応答してくれる他者が必要だった。自分が活動してきたこと、考えてきてことは、その他者と出会うためのものだといえる。

 

一方で、そのように自分の考えとしての構築物をつくっていくことで、みていなかったものがある。自分は自分の核心に向かっているつもりで、実は迂回している。そのようなことをやってきたとも思う。

 

誰に聞かれなくても、社会に流通する虚偽を自分なりに一つずつ明らかにして、棄却していくようなことをしてきた。それは欺瞞の犠牲になって、こんなふうになっている自分からの「間違った社会」への復讐であり、意趣晴らしだった。気持ちをぶつける対象としての欺瞞的な社会があった。

 

しかし、アプローチすべきは、インタステラーをみたときに感じたような、心細さであり、孤独の感覚であったように思う。なぜ心細さと自分と繋がっているのか、核心がわからない。色々推測してみても、まだこれだというところに繋がっていない。

 

構築物づくりは一旦脇におき、直接に自分が反応するところに向かっていくということが必要なのだと思う。

 

最近夢をみるときに、小学校の頃に好きだった女の子が出てくるときがある。自分は嫌われていると思い込んでいて、相手にたとえどんな態度を取られたとしても傷つかないでいれるようにしようと常時構えているのだけれど、相手はそれをこえて隣に座り、キスしてくれたりする。

 

フラッシュバックが始まる前の子どもの頃から、僕は自分が人から異和感をもたれる存在であり、自分の行動の以前に、生理的な忌避感や抵抗を他人にもたらす存在であるというような烙印が押されているような感じがあった。

 

かなりはやい時期から、素直な自分が傷つけられる前に、むしろ積極的に嫌われるような行動、敵対する行動をとって自分を守ろうとしていた。また自分の領域や殻を作って、その外で何を言われようが知ったことかという守り方も加わった。この領域だけで自分に意味があればいいというような「綺麗さ」で、自分の醜さを感じないようにしようとしていた。

 

だけれど、そもそもその小学校時代の女の子が好きだったのも、自分がひねくれて、人をそねんだあり方をしていても、なお普通に声をかけてくれて、人として扱ってくれる人だったからだと思う。

 

人の反応を通して自分が忌避されていることを確認したくない自分としては、彼女のあり方は眩しかったし、それは自分は絶対できないような感じを持っていた。

 

5年生か6年生だったころ、小学校の帰り道で、低学年の女の子をみた。その子は発車しようと扉を閉めたバスの扉の前に行って、扉があくことを何も疑わないように、顔をあげて扉があくのを待った。その姿に僕は衝撃を受けた。あのようにまっすぐに人を信じることができるのかと思った。

 

傷つきに対して何重にも防衛を張り巡らすのではなく、ただ素直に人に関われるようになることが単純に自分の求めであるかもしれないと最近は思えてきた。