或る闘病記というブログを知って、読ませてもらいました。
想像ではなく、現実のこととして、死が自分のやってこようとする時の感覚。
あの夏の日、僕は病室の窓から蒼い空を見上げて、もう本当に死ぬのだと思っていました。もっと生きたかった、当たり前に生きたかったと、何度も拳を握りしめては膝に打ち付けました。
「もっと生きる」とはつまり、何であるのでしょうか?
10年、20年、50年と時間の延長が続くことが「もっと生きる」ことになるのでしょうか。生きる長さが自分の生に満足をもたらすために必要なのでしょうか。人は長い時間をかけて何かをやる途中にいるのでしょうか。
あるいは、心の奥底にくすぶっているもの、言うならば、終わりを求めている疼(うず)きに歩みよってそれを認め、見つめることを、「いつか先」という未来を想定することによって、先延ばしにしているのでしょうか。
「当たり前に生きる」とはつまり、どういうことなのでしょうか?
当たり前に生きるという言葉には、明示的ではなくても、やがて死んでいくということが含まれています。生まれ、自分という意識をもち、そして死んでいく間に、人の心のなかで何かが育ち、そして一段落していくようなことがあるのでしょうか。自分の死を、どこか納得をもって受けいれるような心のプロセスがあるのでしょうか。
死という突然の終わりに直面するとき、「するはず」だったことはできなくなります。それは「いつかたどりつくもの」ではなくなります。その時、自分に迫ってくるものは実は納得していない生を生きてきたという現実のあふれかえりなのではないでしょうか。
僕は思うのです。「生きた」とは、自分の奥底でくすぶっていた何かが確かに終わったという解放の質感なのではないかと。それは、自意識をもってからいつも自分のなかでくすぶっていた疼(うず)きが消えていったということなのではないかと思うのです。
灰のなかにある熾(おき)火のように、眠っているくすぶり。それは保留され、動いていくこと、灰になっていく過程が止められている時間のようでもあります。
誰かがその人の「本当のこと」を表現するとき、その人は震えていると思うのです。その震えは、その人を、そしてその震えが伝わった人たちを変えていくように思うのです。
その震えは、表面が灰に覆われ消えてしまったようにも見えるその人の熾(おき)の「時間」を動かしているように思えます。止まっていた「時間」に、もう一度火がともり、熾(おき)を燃やしていきます。そしてそのことは、その火を共にかこむ人たちの熾(おき)にも火をともすように思えるのです。
僕は中学の頃に、これまでのかろうじて拠り所にしていた自分のあり方が壊れる体験をしました。耐え難い恥辱と混乱の底に叩き落とされるようなフラッシュバックが日々おこるようになりました。
電撃のようにやってきて、積み上げた気持ちを全部叩き潰していくフラッシュバックが終わらないなかで、僕は本当に自分が心から納得するものだけを手がかりとして、もう壊されてしまわないものを集めていこうと決めました。そして落ち穂拾いをするように、回復の手がかりを集めてきました。
そうして30年近くたった今は、もうあの時のように圧倒されることはなくなっています。自分として見つけてきたものがあり、僕は確かにあの時より回復をしたといえるかと思います。しかし同時に、僕はもうあのような時に決して戻らないように、危険なところから遠ざかり、逃げて生きてもきました。
一方に、あの時のまま、時間が止まったように、変わっていない自分もいるのです。もう決して絶望しないように、自分が本当の気持ちで伸ばした手が虚しい空をつかまないように、手を伸ばすことをあきらめたまま、死んだままで生きている自分がいます。
今、西川勝さんと一緒に、自分にとって本当のものをもう一度見てみようと思うのです。ともに熾(おき)を囲む人を募集しています。現在の自分がどのように生きているかからはじめ、灰の下で眠っている自分の熾(おき)に近よって、それを見つめ確かめていく探究をやってみませんか。
日時:4月10日より毎月第2水曜日14時〜17時 向こう1年ほど
場所:茶山kpハザ(京都市左京区春菜町34−4 白い三階建のマンション「洛北館」の西向い奥)
募集人数:4、5人ほど。5月以降からの参加も可能。
お問い合わせ:yoneda422@gmail.com(米田)