大阪は富田のカフェコモンズでのジャンル難民ミーティング終了しました。
先の見えない時間を生き延びてきた人には「時間」が止まること、「時間」が動くことという言葉は直感的に把握され、そのまま自分の言葉として使われていました。僕がむしろ自分が発表した「時間」という言葉の意味を教えてもらっていました。
相田みつをは、「瞳の色が深くなる」と表現していましたが、どうしようもない苦しさを自分なりに引き受け、経過させた人は、社会適応とかいう文脈には乗らなくても、世界の感じ方が深くなるのだと感じます。
しわのない紙がくしゃくしゃにされてまた広がったとき、紙に残ったそのしわは誰かを受けとめる感受性のひだになるのだと思います。
「時間」と表現している、動いているそれぞれのプロセスは、目に見えませんが、連動し、お互いに影響しあいます。自分にとっての本当のことをあらわす時の心の震えが別の人の「時間」を動かしはじめることもあります。
2/8「時間」の発表原稿