降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

9/29 話しの場研究室 発表原稿 自分にとっての場とは何か?

発表1 
自分にとっての場とは何か?

 

【経緯と位置づけ】
心理カウンセリングを学ぶ学科にいた際、人が回復したり、変わっていく場はカウンセリングルームのなかだけではないのではないかと思った。四国遍路の体験、大学院での四国遍路をする人のインタビュー調査などを経て、適切な環境と媒体があれば専門家抜きでも人は自律的に回復したり、変わっていくと考えるようになった。つまり場づくりが重要なのだと思って、30人ぐらいで無農薬の米づくりをするイベントの企画をさせてもらったりした。
 
しばらくして、野外の場ももちろん変容の場になりうるのだけれど、そもそも自分は中学校や高校の頃から内面を静かに語れるような話しをすることが好きだったと思い、話しに焦点をおくところに戻った。少し当事者研究やオープンダイアローグの技法などを使って話しをするということをしたのち、治療や回復を意識しない設定のほうがいいのではと思うようなった。

 

回復ということと、学びということに本質的な違いはないという認識になった。学びがもっともおこりやすい環境を追究すると、それは回復の場に必要な環境でもあった。自分の思うことを言っても大丈夫な雰囲気、人格と意見が尊重されること、など。それらは現在は全く常識ではないので、学問の場で人の間違いを厳しく指摘したり、逆に厳しい目に晒されるのを「覚悟」して場に望まなければいけなかったりする。

 

しかし、それでは発見や洞察はむしろ停滞する。学びそれ自体を重要視するならば、「完成」されたもののみを価値とし提示しあう場ではなく、探究し、発見したり、気づいていくプロセス自体が促進される場が必要であると考える。

 

では次に自分がその場をやることとはどういうことか。

 

場をつくるとは、前回の話しの場研究室でも言及されたように、自分に必要な体験を提供するためだと考えている。他人が設定した場が、必ずしも自分のプロセスにフィットするわけではない。なので自分に必要なプロセスを呼び起こすためには、自分で環境を設定する必要がある。

 

たとえば、詩をかく友人は広告の裏のようなところにしか詩がかけないという。ノートなど、詩を書くつもりで書こうとすると出てこず、どうでもいい紙に詩など書いてないかのように書くとき、詩が出てくるという。どれだけ詩の教室に通おうと、広告の裏になら出てくるということを発見できなかったら、友人は詩を書いていくことができなかったかもしれない。

 

そのように、自分のプロセスがどのような環境条件で出てくるかを知り、それを設定することが、自分で場をつくることの意味だと思う。

 

パウロフレイレはもし他人が考えることがなければ、自分もまた考えたとは言えないと指摘している。自分一人の思考で変わっていくことはできない。自分の思考も、他者との感応(=対話=変容のプロセス)を経て変容していく。それは単なる言葉のやりとりではなく、自分と相手に実際に質的な変容のプロセスがおこるということ。僕が考えるに、相手のなかに動く質的なものがあり、それが自分のなかにはいってくると、自分の感じていたことや思考も変わってしまう。

 

言葉で認識するものは、関連しあい動いている一つの全体から切り取られたものであり、断片的で死んだものであると思う。仕方がないとはいえ、誤ったかたちでしか、言葉では認識できず、表現できない。

 

自分を自意識としたとき、自分とは殻であり、殻は言葉によって構成されている。殻は精神が変容するような、直接の体験をしないように出来上がっている鎧のようなものでもあると思う。

 

しかし、自分と相手の殻が一瞬でも機能を停止したとき、本来的には世界は一体であるので、否応無くお互いは混ざり合い変わる。お互いを響きとしてとらえるならば、それまでのお互いの殻に阻止されていた個別となっていたそれぞれの響きが、まとまった多重の響きのようなものになる。

 

自分が人と一緒に場をやっているのはそういうところ。思考が一人で変わっていくことはない。それぞれの人の自意識や思考、言葉とは独立して存在するプロセスそれ自体の動きに出会うことが自分を新しくする。

 

思考もまたそのことによって新しくなる。自分に着地していない話しを聞いてもプロセスが動いていないので、相手に影響を与えない。その話しには興味深さ、おもむきが伴っておらず、言葉が単に言葉として虚しく羅列されている。一方で、どのような思考や価値観をもっているかにかかわらず、話しの上手い下手にもかかわらず、その人自身が動いているとき、その人はその人が知っている自分でもなく、変容のプロセスとともにある。そのとき、そのプロセス自体が周りに影響を与え、興味深さや空虚でない確かな質感が提供されている。 

 

プロセスが動くこと、プロセスが動きやすくなることに焦点をあてて場を設定する。プロセスはプロセスに反応するところがあるので、まず自分のプロセスが動くことを軸にすればいいのではないかと考えている。

 

自分のプロセスがもっとも動きやすい設定をつくり、それを他者と共有する。商業的な効率を優先すると、プロセス優先は犠牲になる。プロセスをもっとも優先させると考えたとき、場の設定は自然と決まってくる。自分が参加者に提供するのは知識や思考など有形のものではなく、自分のプロセスの動きそれ自体だと考えている。それしか自分は提供できないし、それで割に合う(=自分のプロセスが動く)と思う人がくる、ということでいいと考えている。自分のプロセスが動くなかで、他者との間に(お互いの)変容の接点が生まれる。意味のある世界の変容はそこから生まれるのだと思う。

世界への信頼の回復 探究と希望

明日19時からは本町エスコーラで私の探究・研究相談室です。

 

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世界への信頼の回復とは、世界が自分にとっていい意味で未知であり、応答的な存在であるという実感が出てくることかと思います。

 

自分にとっての世界像が変わらないのに、自分の価値だけがなぜか高まっていくのなら、常識的に考えて、それは自分が見えなくなっているということなのではないかと思います。世界像の変化の反映として、自分像も変わるのだと思います。

 

世界はこのように危険で荒野なのに、そんなものが信頼できるはずがないと思うかもしれませんが、世界全部を信頼する必要はなく(それも自分のイメージにすぎませんが。)、自分の感じかたが更新される世界との「接点」があり、それを見つけ、そこと関わり、やりとりを続けていけば、それで世界像は更新されうると思います。

 

自分はこんなに素晴らしいと確認できるようになる必要はなく、世界には自分が知らないことがあるのだとあらためて知り、知らなかったその精妙さを驚きとともに実感するということがあれば、精神の新陳代謝は動きだしており、絶望に追い込まれるのとは逆の方向にいきます。

 

パウロフレイレは『希望の教育学』という本を著しましたが、「希望」という言葉がこの世界の現実に対しては、やや純朴すぎるのではないかという批判がありました。しかし、希望というのは、自分のなかにあった古い世界像が更新されることなのだと思います。

 

その逆で、絶望とは既知のもののなかに閉じ込められ、決して変わらないと信じてしまうことであるのだと思います。

 

自分が知っているものが、自分が思うかたちで、良いように変わることによって希望が生まれると思われがちです。もしそういうことでしたら、フレイレに対する批判も理解できそうです。

 

しかしそういうことではないのです。ニュースを聞いて、ああ、いいことが何もないなと思ったとしても、自分のなかの決定された古い世界像が更新されていく接点をどこかでもっているなら、希望は生まれてくるというわけです。希望とはそもそもそういうふうに生まれるものだと、フレイレは指摘しているのだと思います。

 

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もちろん、すぐ自分のものの見方が変わっていくような接点を見つけられるわけではありません。その手がかりをもっていたとしても、それは自分の知っているものの少し外にあるからです。だから探究していくことが必要です。そしてその接点を見つけたならば、それに応答していくことです。

 

応答もまた、今までに自分がもう知っているやり方を繰り返すようなことではありません。応答も知っていることの少し外にあるのです。応答の仕方も探究していく必要があります。

 

探究ばかりではないか、いつゴールなんだ、ゴールに着かなければ意味がない、と思うかもしれませんが、そのゴールは古い自分が決めたものであって、ものの見方が更新された時にはもうゴールではなくなっているのです。むしろ、それをゴールだと思っていたことが、自分の停滞の原因だったという理解さえその時にあらわれるのではないかと思います。

 

自分がもう知っているゴールに着かねばと思うから遠く感じ、しんどいのであって、精神の新陳代謝をしていくことに目当てを変えて、それを探究していけば、楽になっていくと思います。それは過程を生きるということでもあります。

 

探究とは、自分のなかでもう決まってしまったゴールを変えていく営みともいえるかもしれません。決まってしまったゴールこそが自分の息をつめていくのかもしれません。

 

探究するとき、自分の感性や直感がもっとも働く状態をもってこようとすれば、自然と自分に着地し、地に足が着きます。自分が無理して頑張ったりしても意味がないことがわかり、現実的な歩みが生まれてきます。

自分の価値を高めるのか ゆるすのか

畑の共同作業日だったけれど、雨がひどく降ってきて土もべちょべちょに濡れたので、作業は中止して午後から第4回関西当事者研究交流集会へ。

 

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ある分野のマイノリティが、別の分野のマイノリティに対して差別や軽視を持っていないかというと、全くそんなことはないということはよく言及されている。

 

自分が何かのマイノリティだからといって、他のマイノリティにもやさしい価値観を持っていたりということはない。むしろ世間的には自分の価値が低く扱われるために、自動的に他のところで補おう、盛り返そうとマッチョになりがちですらある。

 

マッチョの何が問題かというと、自分だけが勝手にムキムキ(厳しい価値観を持つなど)になるならいいのだけど、それではおさまらず他の人に対する蔑視が有形無形に表現されて周りに「被害」がおよぶところ。自分が高まるために、そうでない人や物事を何度でも否定しないと、自分の価値が確認できず、高めた価値を維持できない。

 

差別や蔑視の問題は根深い。関西当事者研究交流集会に綺羅星のようにあらわれて会場を沸かせる非モテ研の人たちの発表を聞いた人たちが、無自覚な上から目線や「モテるべき」といった価値観を非モテ研の人たちに示すことがあったというフィードバックがあった。

 

非モテ研の発表が面白く、人の心を動かすのは、傷つきやすさをあえて隠さないからなのであって、それをテレビの芸人を消費する気持ちみたいになって口をきいたり、お前は実際はモテるだろうとか、褒め言葉のつもりでも、人の価値を鑑定するような、点数をつけるような無礼をしてはいけない。

 

お前は何点ぐらいだとかいうようなこと、どの部分は一人前だとかいうことを、どんなふうに柔らかく言おうと、それは尊厳の踏みにじりであって、その人の時間を止めてしまう。残念ながらこの感覚は一般社会にはあまり浸透していないけれども。

 

こういうと厳しい社会の水準こそが普通=あるべき姿であって、お前が変わらないといけないのだというマッチョが普通にすぐ現れるほどだ。前述のように、マッチョは自分より下の人、批判する人を必要としていて、餌に食いつくように、居丈高に自分のムキムキ具合こそ普通だ、お前が悪い、足りないと言いにきて自分を高めようとする。(本人の意識的には本気で「教えて」あげているのだけれど。)

 

回復は、自分の価値を高めることではなく、内在化されたあるべき姿から解放されていくところにある。自分の価値を高めようとすると、相対的に何かや誰かの価値を下げなければいけない。

 

では、どの方向に行くのいいのか。ゆるす方向だと思う。自分の価値を高めるのではなく、無自覚だったあるべき姿を発見し、解放されること。それが自分をゆるすということになると思う。高めるのではなく、ゆるす方向に行く。ゆるしたら自堕落になると思うかもしれないけれど、まだ発見していなかった強迫が取れたとき、人はぐるぐるとした停滞から抜け出す。

 

そしてその発見がおこる場所は、人が人として尊厳をもって対応されるところだ。馬鹿にされるところ、下に見られるところ、そういうところでは、人はそのような発見をしていけない。

 

今の一般社会の水準がどうであれ、正の循環を自分たちの周りからおこしていけばいい。

 

僕自身の人間観は30年前からは大分変わった。今の人間観は、人は自動的に殻を作ってしまい、その殻に疎外されてしまう存在なのだというもの。ネガティブに思われるかもしれないけれど、自分や人の価値を高めるのではなく、ゆるす方向に視点が行くことで、今ある停滞を抜けていけると僕は思う。

 

ある集団もごく自然に他人の痛みに無自覚になっていきがちだと思う。自分たちの痛み以外のことには気づかなくなっていく。僕はその自動的な疎外が止まるには「亀裂」が必要なのだと思っている。その疎外によって傷ついた人が上に立たず、水平な位置からその傷つきを表現するとき、無自覚だった人も震える。

 

それは無自覚だった人にとっては、傷つきとして体験される。しかし、その傷つきが場を変える。奥田知志さんは、人は健全に傷つけあうことが必要、と指摘している。自分が無傷のまま、人だけを傷つけようとしてはいけない。しかし、自分の傷つきをもって、その傷つきを人を伝えるとき、それは人を人にしていくと思う。

 

関西当事者研究交流集会、もう一つ印象的だったのがライブ当事者研究の一場面。

 

会場からの様々な応答、アドバイス、意見などが寄せられていた。そのなかにはその問題を共有していない自分でも、とても心をうつものもあった。発表者は最後、もしかしたら言わないままですましたかもしれなかった心のつかえの部分を話せたのではないかなと思わせるところがあった。様々な方からの真摯な応答は、それだけ発表者に届くところがあったのではないかなと思う。

 

一方で会場とのやりとり、個人的な感覚だけれど、危なかっしいように思えるのもあった。〜だったら〜すべき、みたいなところとか、チャンスは今ぐらいしかないかも的な、応援というより本人にその意図はないがちょっと焦らせるようなものなど。会場の雰囲気でカバー、というようなことができない発言ももしかしたらされうるのでは、と思った。

 

大会場で多数の人がくるというとき、良くも悪くも統一的な意識が共有されていないので、あまりどう応答したらいいかとか慣れていない人が、無自覚に深い傷を与える発言はおこりうると思う。

 

自分もあまりこういう大きな場に慣れていないので、どうとらえていいかわからず。いや発表者は結構言われても大丈夫な人が上がっているとか、当事者研究重ねている人は、結構打たれ強くなっていたり、スルーできるとか、そういうこともあるのかもしれないけれど。

 

歌があったりして、会場全体での一体感みたいなものも追求されたのかもしれない。個々で当事者研究をやっている人たち、そしてその人たちが集まるとこにきたいと思う人たち、支援者。そういう人たちが集まる時に、いいかたちとは何だろうとあらためて思った。

 

そうそう、あとちょっと非モテ研に肩入れしすぎかもしれないけれど、無自覚な上から目線に気づく演劇とか、ワークショップとか、そういうことを非モテ研にやってもらってもいいんじゃないかなと思った。

そろそろ「自己肯定感」を卒業しよう

 

 

信田さよ子 on Twitter: "気になったのが自己肯定感という言葉。大阪に続き仙台でも質問された。何度も言うが自己肯定感や自尊心が高い低いって自滅に続く道だ。他者やアートや読書など時には自然界からつまり自分の外部から備給されるものだから。親から愛されなかったんだから自分で自分を好きにならなきゃダメとか→"

 

信田さよ子 on Twitter: "自己肯定感を高めるワークに出たけどちっとも自己肯定感高まらない自分ってダメなんじゃないか?という人が居て「犠牲者」じゃないかと思った。新自由主義に貫かれた最後は自分に戻ってくる残酷なブーメランはビジネス書に溢れ時にはアディクションの世界にもはびこっている。臨床心理士の中にも→"

 

信田さよ子 on Twitter: "や専門家、時には教師たちが虐待の影響は自己肯定感を低めることだと言う。その度に蕁麻疹が出そうになるが、最後の1人になっても自己肯定感という言葉だけは使わない決意を固めた。→"

 

世間では、本当に存在するものみたいにまかり通っている「自己肯定感」。弊害の大きさは今まで何度か言及したけれど、多分、自己肯定感というようなものは存在しない。

 

自分に「自信」がないから何かがやれないのではなく、何かをやろうとするときに出てくる不安や自分の思う「安全」に退却しようとする恐怖が「加わっている」んであって、自己肯定感とかいうものがあったらやれるとか、「自信」がないからやれないのではない。

 

自然の動物は自己肯定感に溢れているだろうか? 自然のものの躍動性は自分がどうだとか、振り返らないところからきていると思う。切り立った断崖を登るヤギは恐怖を超える「勇気」に満ちているだろうか?

 

自分は大丈夫だからやれるとかいうように、振り返って高めるような肯定感は、恐怖を存在させたまま、無理やり自分を感じなくして乗り切ろうとするようなこと。

 

自己肯定感を高めて恐怖や不安に打ち勝つとか、やりたいことをやるとか、そういう感じで何かができるようになったと錯覚した人は、マッチョになって、人にもああすべきとか、お前は甘えているとか、厳しいことを言い出す。本来的な解きほぐしをせず、目をつむってこなしているだけだから、実のところは問題は何も解決していない。

 

自分に対する信頼ではなく、世界に対する信頼を回復させていくことで、感じ方は変わってくる。自分のなかにおこるプロセスに応答し、間接的ではなく、直接的に世界とやりとりすることが、世界への信頼を回復させていく。

 

世界との直接のやりとりの接点をどこに設定するかは、それぞれの人によって違う。しかし、その接点を得ないと、自分はイメージのなかにとどまり、感じ方は変わっていかない。

 

強迫的な状態がしばし退くようなひとときに、自分のプロセスは感じられる。そこに応答する。応答とは、管理でも指示でもなく、自分とそこにあるものをともに生かす踏み出し。

わたしという「止まった時間」とその付き合い方

友達に誘われて操体法的なお話し会に。

 

具体例を聞いて色々と腑に落ちるところがあった。

 

意志と感覚は相反する関係。
より意志で操作しようとするとき、感覚は消えてゆき、逆に感覚が優勢になるとき自分の意志は消えていく。

 

意志は、過去、記憶、止まったもの(死んだもの)に基づくものであり、感覚は現在動いているもの、生きているもの、変わっていこうとするものであり、プロセスそのもの。

 

感覚とプロセスは連動している、近しいものであるというより、感覚とはプロセスそのものだ、という理解のほうが妥当だろうと思える。痛みという感覚があるならそれはプロセスそのものだと理解する。

 

お話ししてくれていた方本人のエピソードで、自分自身の体へアプローチしてやろう、痛みを消してやろう、治してやろうとしているときは状況は停滞していて、気づいていなかったことを発見した時に、痛みが変わったという。

 

治してやろう、痛みを消してやろうは、意志の強制であり、意志を働かせて強制的に状況を変えようと考えているとき、プロセスは止まる。そういうふうになっているとき、自分は過去のものしか見えていない。

 

知らなかったもの、新しいものが状況を展開させる。自意識が自分を支配しきれないとき、新しいものであるプロセスが間隙を縫って動き出す。

 

プロセス(=感覚)を「時間」という言葉でとらえている。自意識、言葉を通して認識される自分は、止まった時間だ。

 

よって、その止まった時間が動いているプロセスを直接に進行させることはできない。止まった時間であるものが時間を動かすことはできない。止まった時間は動いているものを、自分と同じように止めることしかできない。

 

意志は、間接的に働かせる。そして意志の働きが打ち消されるように状況を設定する。街角、帰りがけ、サードプレイス、そういったものは意志の自動的な統制に干渉をかけ、統制を弱くさせる。そのような場、境界におもむくことは、意志によって、意志を打ち消す場にいくということだ。

 

自意識は言葉によって構成されている。言葉の支配は自動的であり、プロセス、変化は止められた状態になる。境界とは、言葉の意味の境界であり、どちらつかずのそこでは、意識の支配は弱められる。

 

止まった時間を成り立たせているものを止める。そのことによって、間接的にプロセスは動き出す。自意識を本当の自分だとか、動いているプロセスだと思ってしまうと、停滞する。言葉を通して認識されたものは、止まったものであり、過去のものであり、既に閉じているし、行き詰まっている。

 

自分の意志の力を働かせて、何かを強制的に自分にやらせて自分を変えようとするのはうまくいかないし、本質的な変容がおこらない。私はこんなに変わったのです、という時に、その人の価値観は変わっていない。頭のOSは古いまま。感じ方、思考も同じままなので、やがて同じ行き詰まりに入る。

 

意志での強制は状況を質的に変えない。自分は自意識でしかないのに、ならばどうすればいいのか、と思うかもしれない。間接的にやることが状況を変容させる。

 

確かなものを蓄積するように、決めつけていくように、知識や技術を身につけると、自分の殻を厚くする。ここも間接的にやるのが妥当だ。つまり確かなもの、これとわかっているものを蓄積していくのではなく、わからないものを探究するということが、学びの姿勢として妥当であり、そこで実際の展開はおこってくる。これが絶対だと思うものを積み上げていく勉強ではなく、探究をするというところに学びがあり、表面的でも、反動をおこすものでもない質的な変容がおこる。

 

学ぶとは出来上がってしまった今の自分自身に対する反逆であると思う。

 

治そうとしたらプロセスはとまる。知っているものとして何かを操作することは、自分に変化をおこさない。知らない、と現実を認めないと何も変容はおこらない。自意識自身が止まった時間なのだから、それを出し抜く必要がある。

 

どれだけ自分に蓄積できるか、能力を向上させるか、を求めるとそのこと自体によって変化のプロセスが停滞するというジレンマがある。獲得したものは、終わったものであり、それを自分の本質だとか価値だとか思うと、次のプロセスが停滞してしまう。

 

感じ方の変化は、よくも悪くも自分の予想をこえる。あるいはずれる。古い自分の思い通り変化していくことはできないし、そのことにそれほどの意味はないと思う。

 

そういう変化だと、社会はより生きづらくなるだろう。自分が変わる必要がないもの、強いものは、ずっと古いままで、新しく生まれて来ようとするものを抑圧する。

 

今の自分の価値観から、どれだけ自分が変わるかとか、獲得するかを求めても結局行き詰まる。気づいていないもの、既知のものに回収されないものとやりとりすることが重要であり、それが結局自分(という自意識)の見える風景、感じ方を一新する。

 

自意識が獲得や蓄積を求めているように思えるかもしれないが、結局は自意識は古い見え方自体に倦んでいるのであり、同じものを求め続ける古い自分が終わることがその自意識へのプレゼントなのだと思う。

 

 

 

罪の取り戻し 宇井純『自主講座「公害原論」の15年』

昨日のDIY読書会、「宇井純さんの自主講座「公害原論」の15年」を発表する。

 

修復的司法の研究をされている小松原織香さんがされている環境と対話研究会の読書会で知った本。

 

当時は公害に向き合える学問分野などなく、公害に向き合おうと思えば、自分たちでゼロからはじめなければならなかった。

 

東大工学部の教授たちにとっては、大学の教壇を助手や一般市民などに使われることは沽券にかかわるようなことだったようだ。圧力がかかったが、協力的な新聞記者が記事を書き、その加勢で大学が動き、自主講座が認められた。

 

自主講座なのは、宇井さんが工学部助手という立場であるために、大学の正規の講座とは認められないため。当時は助手差別もひどかったようだ。自主講座は70年10月から86年2月まで続けられた。工学部は宇井さんを昇進させず、辞めるまでずっと助手に据え置いた。

 

自主講座からは市民エネルギー研究所をはじめ、様々な自律的活動が生み出された。しかし、宇井さんの処遇をみると、東大の体質や姿勢自体は変わらなかったということだなと思った。

 

また40年前、50年前の人の感じと現在の人の感じがまるで違うことに驚く。

 

自主講座には、時には千人の人が参加した。どのような人気の分野であっても、現代でこの講義やりますからといって、市民千人が集まるものだろうか? 60年代後半、70年代を境に一般の人あり方が変わっていく。それがなぜなのか、知りたい。

 

人の変化は、不登校界隈の現場でもおこっていたらしく、不登校証言50年プロジェクトのなかでもそのことについて言及されていた。

 

駒﨑 あのころは、おもしろかったんだよな。通信制の子も4~5人、活動してました。でも、そういう感じじゃない子が来始めたわけです。学校でひどい目に遭ったからとか、そういう感じじゃない子が集まりだした。

山下 ハッキリと敵が見えていて、それに対して運動する、連帯するというのではなくて、自分でもよくわからない苦しさがあって、どうしていいかわからない。もやっとした苦しさがある。そういう「よくわからない感じ」が、だんだん広がっていった……。
 そういうなかで、先ほどおっしゃった「学校の軽量化」とか、脱学校論みたいなものも、だんだん通じなくなっていく感じはありましたでしょうか。

 

山下 私もフリースクールに関わっていて、同じような難しさを感じるところがあったんですね。かつては共有できていたものが、だんだん通じなくなっていく感じというか。そのあたりは、なぜなんだろうと思っているのですが。

 

駒﨑 70年代の大学闘争がアウトになったあと、どうも日本全体の倫理のレベルが下がった気がするんだよね。他人の状況がどうだろうと関係ない。自分のことじゃなくても、これは何とかしないといけないと思って動くようなことがなくなっていますよね。社会問題で、「こんなこと許せない」「これはひどい」という感覚がなくなってきて、感覚的なところで投げやりというか、70年代半ばから80年代以降、倫理や価値観が劣化しているんじゃないかと思います。正義なんか関係ない。人々が、やさしさとか自由を追求しなくなった。

 学校の状況もひどくなっているでしょう。その背景を考えていくと、そのあたりから始まっているような気がします。脱学校というより、みんな脱力してしまっている。こういう状況だと、どこに手を打てばいいのか、正直に言えば、わからないですね……。
不登校50年証言プロジェクト#39 駒﨑亮太さん  

 

futoko50.sblo.jp

 

読書会では、酒井隆史の『暴力論』も発表された。そこで、かつて社会の改革を目指して活動や運動していた様々な組織が、その政治性を失い、今にちかづくにつれ、ただ自分の経済のための組織になっていくという現象が指摘されていた。

 

このことは、宇井純さんの本や、不登校証言プロジェクトの駒崎さんの指摘する「倫理や価値観の劣化」と通じることであるように思える。

 

国の経済成長第一主義のなかで、公害を引き起こす企業を止めようとする力は弱かった。それぞれの地域の人々は、生活や健康を破壊されながら、被害に見合う保証もされず、捨て置かれた。

 

そのなかで、高知の漁民が有毒な排水を垂れ流す排水管をコンクリートで詰めるという事件がおきた。実行者は有罪になったが、その行動は社会に衝撃を与え、現状を変えた。

 

現在の国による暴力を映画にしている方の子どもが親に対し、なぜそんな世間が嫌がるような、事を荒だてるような事をするのかとなじったという話しを聞いた。法律には守られているが多くの人を抑圧し、破滅に追い込んでいる暴力があって、それに対する直接行動は犯罪になる。

 

消費社会における一般人は市民であるよりも、単なる消費者になっていく。暴力も振るう必要がなく、綺麗に、無責任に生きられる。東京オリンピックで使われる木材は、現地の住民の生活を破壊していて、その反対運動をしているリーダーは殺されたりしている。その暴力は、ちょっと口で批判したぐらいで変わらないものなら、どうするのか。

 

旅客機に車椅子で乗ろうとした方が拒否される事件があった。その時、本人の頑張りで、素直に引き下がらず、問題化させることで、社会はしぶしぶそのことの正当性を追認した。もし問題化させなかったら人権が守られる状況はさらに後退していっただろう。

 

おかしなことを問題化させることは、この世間では「迷惑をかけること」だととらえられて抑圧される。上で見たように、どうやら今の世間には思想も哲学も消失しているので、個々人の都合を邪魔する奴は悪い奴ということで合意が取れる。ストライキも交通の邪魔になって悪、保育園うるさい、薬物依存症の人の回復施設などとんでもないということで、現在強くて抑圧的なもの、見えない大きな暴力を振るっている存在はフリーパスなのに、実際にそれを止め、現状を変えようとする人を自分にも迷惑がかかるからと敵視し、攻撃までする。

 

生きづらい人たちは、自分があまり働けないとか、税金のお世話になるとかで、蔑視され、抑圧される。しかし、むしろ自分は何の問題もおこさず生活していると思っている人こそ、否認している罪を取り戻さなければいけないのだと思う。罪を感じないのがいいのではなくて、否認している罪を取り戻し、罪人に戻ることがもう一度人になっていくために必要なのではないだろうか。

 

生きづらい人たちは、他人に言われてなくても罪の意識を持っている。同様に、自分は誰にも迷惑かけていないし、自立していますという人に罪が取り戻されなければならない。生きているのに、罪なく存在できるという与えられた幻想を終わりにしなければ人間に戻れないのだから。

 

想像してほしい。全員に罪の意識のなくなったところはユートピアだろうか?そこはディストピアだと思う。生きづらい人に罪の意識を感じなくていいよというより、罪が社会全体に取り戻されることが必要だろうと思う。

 

 
(その欺瞞を鋭く突いた松岡宮さんの詩「謝れ職業人」を松岡さんの許可をいただいて、ブログに転載させてもらっています。)

kurahate22.hatenablog.com

 

ナラティブコミュニティを学ぶ第一回 亀裂と開け

ナラティブコミュニティを学ぶの1回目へ。非モテ研の西井さんとウィークタイの泉さんのお話しを聞きに。

 

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場には、当事者、支援者、親、当事者かつ場を持っている人などが来られていた。

 

本を読むのが苦手で不勉強なので、レジメなど人が簡潔にまとめてくれたものが大変ありがたい。ナラティブ・コミュニティとは?、ナラティブ・コミュニティの意義、分類、自助会の歴史、12ステップ、12の伝統など。

 

細かいところで興味をひかれたのが、自助会で12ステップを通して多くの参加者が回復していくというところで、50〜70%の回復率という数字が妥当性を検討されることもなく引用され続けているのも現状といった注的なところ。

 

仮にちゃんと調査されて、自助会では何年から何年の間に何人の人が参加し、継続的に参加した人のたとえば50%の回復が実証された、となったとしたら、それはいいことなんかなあと思った。

 

むしろわかってないまま、曖昧なままでいいんじゃないかと反射的に思ってしまった。回復する人は〜%とも言われている、ぐらいでいいんじゃないかと。明らかにされることは重要かもしれない。でも、これだけの数字で回復しますから自助会に行ってくださいとか、もし言われるようになると、なんかもう、問題となっている依存を深刻化させた当の社会の効率化のシステムに自助会が接続されてしまっているように感じる。

 

12のステップとは別に、12の伝統というのもある。グループはメンバーによる自発的な献金だけで完全に自立すべきであるとか、外部の論争に意見を述べてはならないとか、グループは職業化されずあくまでアマチュアでなければならない、等々。

 

12の伝統を読んで思ったのは、外の社会がこの場を利用するようなこと、あるいはこの場で何が重要であり、何が重要でないかにかかわって、外の社会の価値観がここに侵入してくるような要因を断固として拒絶し、場の自律性を確保しているようだということ。

 

ここまでしないと、外の価値観は入ってくるし、場が利用され、回復の場として機能しないということがおこってしまうのだと思う。里見実は「寄り合い」について、日常の関係や格差を持ち込むものではなく、むしろ打ち消すための場が用意されていたと指摘する。そうでないと意味がないのだと思う。外の世界の価値に接続された場ではおこることは滞る。

 

「寄り合い」というと、それはとりもなおさず地縁や血縁にもとづく人々の結合の形式であると、われわれはかんたんに考えてしまうのだけれども、どうも、そういうことではないらしい。「寄り合い」は日常的な関係性を引き写した集会ではなく、むしろ、それを超える関係性をつくり出すための集会であったようだ。人々は家格や血縁の如何にかかわらず、対等な個人として発言した。誰はばかることなく、その所存を開陳した。そのためにも集会は、寺社という非日常的な、いわばこの世の結縁をたちきった空間でおこなわれることが必要であったのだ。「寄り合い」は、その言葉がこんにちよびおこすところの通念とは逆に、むしろ因習的な共同体の絆をたちきる行為であったのだ。

 

連句の原型である連歌茶の湯は、農村ではなく、都市で成立した。連歌の座や茶会につどう人々は「三界に身の置きどころのない」都市のアウトサイダーであった。彼らは故郷喪失者として、その寄る辺なさをいささかでも心慰めるために、茶室につどい、連歌俳諧の座をかたちづくったのであろうか。それとも、共同体的な絆をたちきられた個人によって構成される都市のアナーキーを憂い、サギやカラスの集団と化した都市の群化社会のなかに、擬制的にせよ、第二のムラをかたちづくる、その秘かな実験として連俳の座を選んだのであろうか。そうではあるまい。彼らがその場合にもちいたモデルは、農村の共同体的な関係性そのものではなくて、その「寄り合い」であった。

 

連歌や茶は、日常の彼方に、虚構の関係性を創出する一つの〈技術〉であった。因習的な関係をこえて、いまだあらざる集団的な磁場を拓く、その技術がすなわち芸術であった。花田清輝が『日本のルネッサンス』(朝日選書)のなかでえがいているのは、そういうものとしての芸術のイメージであったと思う。

 

〜「古沼抄」からのメッセージーーはじめに〜
里見実『ラテンアメリカの新しい伝統』"

 

 

『負債論』のグレーバーは狩猟採集社会は打算と記憶を拒絶すると指摘している。プナンの人々について書かれた本、『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』を読みながらプナン社会でもその態度は本当に徹底されているなと思った。

 

プナン社会ではモノの独占所有が不徳とされているだけでなく、人が死ねば関係するモノは全部焼かれ、死者の名を口に出すこともできなくなる。

 

死んだものとの関係(記憶)もまた所有できない。そのように非所有が徹底されると人は未来に支配されない、義務をもたらす「明日」のないリアリティに戻ることができるようだ。プナン本の筆者が確認する限り、プナン社会には心の病のようなものがないという。

 

回復の場は、狩猟採集生活空間ではないけれど、そのように個人の所有や蓄積を前提とした社会の価値観を意識的に拒絶し、しりぞけた結果、外の価値が打ち消された空気感を持つ場として浮かびあがる。

 

そこで人は外の世界で自分自身からも他人からも明に暗に鑑定される自分の「商品価値」から解放され、そしてまた自分自身をも明日のための道具として使用しなければいけないことからも解放される。そこは明日なきところであり、昨日の所有物をもう持ち越さなくていいところであると思う。

 

そういうふうなことを考えると、自助会が外の社会に取り込まれたり、外の社会の価値に接続されるようなことは、場の根底が破壊されることでもあるように思ってしまう。

 

さて、非モテ研の活動では、「解決しない」ということが理念にされているとのことだった。そしてそのことに感銘を受けた支援に関わる人の声が複数あった。

 

「解決」とは、自分の意思の力で問題を無化することであると思うけれど、実のところは自分の意思の管理力の全能性を信じているような、孤立し肥大化した自意識の「自重」に精神は喘ぎ、限界をうったえている。

 

「自分の意思の力で克服する」は前世代の考え方で、古い自意識をさらに肥大化させる。最近は「自分自身を管理操作することができない。あるべき姿に強制的にはめ続けることはもうできない」と認め、降伏して、おこったことの手柄を自意識の管理操作に帰さなくなることが回復にとって重要だということが少しずつ理解されてきている。

 

ウィークタイがどうしてはじまったかという質問がされ、それまでみんなが集まっていた息継ぎの場所がなくなったとき、傷害事件がおきたり、首を吊る人が現れたりして、場所の必要性が痛感されたからだとのことだった。

 

その話しにはツーンと伝わってくるものがあった。それほど大事とも思っていなかった場所がなくなることによっていとも簡単に死の方向へと追い詰められる、思いもよらなかった人間の軽さ。

 

勝手な想像であるけれど、その認識はそれまで人間というものに感じていた確かさを奪いとって、足をつけることができないような虚空に放り出されるようなことだったのではないかなと思った。

 

無自覚に確かなもののように感じているものは、同時に自分を動けなくしているものでもあるような気がする。それが突如、身からもぎ取られるように奪われること、喪失することを代償として、自分に新しい開けがもたらされることがあるように思う。

 

多くを人に与えるものは、揺るがないもの、本当のものは、たとえそれが衆人の目には見えなくても深い喪失を代償として生まれてきているのではないかと何となく思っている。

 

成果だけが見える時がある。しかし、その光の強さの分だけ、同時に失われたもの、犠牲にされたものがあり、闇の深さがあるのではないかと思う。だから手放しで喜べる「いいこと」はなく、逆に凄惨でただただ酷いだけに思えるようなことでも、そこにはまさにそのことを経過してしか生まれない光の萌芽があるのではないかと思う。本当に失わなければ、本当には気づけないように。失った重さの分だけを、人は得ているのではないかと思ったりする。

 

参加者の人たち、震えながら懸命に言葉を発する姿もあった。その震えが伝わってきたとき、自分の思考や感じ方もその数秒前とは変わってしまうことに気づく。

 

人はどう回復していけるのかという問いをずっと持ってきた。しかし、その問いの軽さを実感する。どうにかする、などというみなし自体の軽さ。どうにかできるものは、もともとどうにかできる程度のものでしかないのだった。

 

人は、生きるものは、もっと突き放されていると思う。と同時に、人為で糊塗することのできない深い亀裂、苦しみの存在によってこそ、人が人たるために提供されるべき尊厳の重みが理解されるのではないかと思う。