降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

5/12 自給農法を学ぶ2 作業報告

5/12 自給農法を学ぶ報告
<10時からお昼休憩を含み15時まで作業を行いました。主な内容を紹介します。>

 

◆畑の変化
一面にセイタカアワダチソウが生えていた草原が大分畑らしくなってきました。

 

去年11月の写真。これでも畑の半分以上刈っています。

https://www.instagram.com/p/BpwoqOlA5_z/

 

 

そして5月現在の畑↓

https://www.instagram.com/p/BxpH5pNgRDy/

 

雑草も勢いよく生えてきましたが、イグサのような掘り起こすのに相当苦労する雑草よりは、窒素も固定してくれるマメ科のクローバーなら全然歓迎です。

 

◆今回の作業

まず排水の確認・外周の草刈りから。

前回の作業後に、畑の低い場所(水がたまる場所)が川に近い南東角ではなく、西側中央であることがわかりました。わかったのは雨が降った後に、南東には水がたまっていないのに西側中央部分にはかなりの水がたまっていたためです。

 

対策として、畑中央に1m幅の東西にわたる通路を作り、ネットの内側、およびネットの外側の溝を掘りました。当初ネット外側の溝は30cmほどの深さでしたが、部分的に1mぐらいの深さまで掘る作業を継続しています。

 

ネットの外の溝掘りの様子

https://www.instagram.com/p/BxpIBpAg-kS/

 

 

外側の溝を深く掘ることにより、ネットの内側にたまっていた排水状況はかなり改善しました。土もかたくしまっていたものがややほくほくしてきたように感じます。

 

ネットの外側の草刈りは、タマネギやジャガイモ畝に肥料として雑草が欲しかったので、草は低めの位置から刈りました。ただ低めに刈ると反発して伸びる速さも速くなるので、風に揺れる部分だけを刈る「風の草刈り」というやり方もあります。

 

4人でやったので、広い畑の周りも1時間弱で草が刈れました。畑や周囲が草刈りされることは、畑を貸してくれる地主さんにとっては重要なことで、伸びっぱなしにしていると管理できていないと認識される場合が多いと思われます。

 

畑をかりるときは、草刈り作業にかかる時間もあらかじめ踏まえておくことが大切です。夏の時期はしっかり刈っても2週間、3週間で元どおりとなってしまいます。ただ自給農法においては、草は作物周りに敷いて、乾燥をおさえたり、肥料にもするので草が多いことにはメリットもあります。

 

刈った草をタマネギ畝の中央の溝にどんどん入れて足で踏んで土をかけたりして分解をはやめます。

 

下は土をかけたところ。草が白いのは作業後数日してからの写真だからです。ここ一週間は日照りで草もあっという間に乾いていました。

https://www.instagram.com/p/BxpHgTIg6i4/

 

先月植えたジャガイモも出てきました。

https://www.instagram.com/p/BxpIMowAdTh/

 

◆タマネギ・ジャガイモのケア

自給農法の基本のケアは日々の空気入れと土寄せです。畝の中割り部分や作物の根が張っていない部分、畝の間の部分などの土に、備中ぐわでヒビをいれます。このとき、土をひっくり返す(土の反転・耕起)ことはしません。

 

くわをいれ、少しヒビをいれて、くわをいれた角度と同じ角度ですっとくわを土から抜きます。反転させるとそこにできていた微生物体制も崩れてしまうと考えています。自給農法は有機農業と不耕起(耕さない)無肥料の自然農法との中間にある農法です。

 

やがて自然農法をやりはじめたいという方もいるかもしれません。それぞれのやり方をみて、自分のスタイルを見つけてもらえればと思っています。

 

土寄せは「土寄せ3回、肥料いらず」という言い方があるぐらいで作物が大きくなることに有効な作業です。自給農法は、省労力、省資材、お金のかからない畑との付き合い方なので、肥料などをあまり買わないのですが、その分を日々の土寄せや空気入れで補います。

 

次回の共同作業日は、6月9日(日)10時〜15時です。次回は、タマネギ、ジャガイモのケア、溝に八瀬の畑で使っていた枝などをいれて溝が長くもつ状態にする作業を行う予定です。

 

◆自給農法を学ぶ3 
日時:6月9日(日)10時〜15時
持ち物:軍手・飲み物・昼食・汚れてもいい靴・服
最寄り駅:京都精華大前
最寄りのトイレ(コンビニ)
セブンイレブン上賀茂二軒茶屋店 https://goo.gl/maps/qW7e9wJXxCs
申し込み:yoneda422@gmail.com

 

※軍手はどのようなものでも構いません、土が手や爪に入るのを気にされるなら、綿のものを二重にしたり、ゴムのものでもいいかもしれません。
ショウワグローブhttps://www.askul.co.jp/p/1230355/
※前日に雨などあった場合、長靴やレインシューズがあれば万全かと思います。
※多少靴の中に泥が入っても問題ないなら、汚れてもいいスニーカー、軽登山靴のようなものでもいいかもしれません。

※そろそろ虫も出ていますし、直射日光もきついです。熱中症対策は万全にした上で、作業服は肌を露出しないものにすることをおすすめします。

 

前回の作業の様子はこちら。

kurahate22.hatenablog.com

 

山口純さんへの応答 南区DIY読書会番外編 イリイチのアイデンティティとルーツ 

前書き:南区DIY読書会では、読書会の時間以外でもメッセンジャーでやりとりしたりもしています。読書会メンバーの山口純さんとのやりとりが読書会内だけのメッセンジャーのやりとりだと勿体無い気がしてきて、まず僕の応答だけでも公開しようかと思ってこちらに書いてみます。

 

純さん 「DIYとギフトエコノミー」の建築協会の受賞おめでとうございます。

www.aaj.or.jp

 

アクター・ネットワーク理論の二元論が異種混交のネットワークを隠蔽するという話し、「生産者と消費者」とDIYの関係でもあるのかなと思いました。DIYはみんなが生産者になるということより、規格化、画一化されていくネットワークによって疎外されていく生を異種混交なものにしていく意義が大きいのかなと思いました。

 

みんなが生産者になるべきだとか、無前提に自分でできることや手作りがいいのだとか、そういうあるべき姿への強迫は世間に根強いなあと思います。ちょっと意識が「高く」なるとDIYしていない自分を恥じる、DIYすべきだ、DIYできない自分は駄目だと思考したりというふうになる感じがしていて、手段であるはずのものが目的化して悩みを一つ余計に増やしているなあと。

 

「あるべき姿」は普遍的で絶対的なシステムが前提されてないと出てこないと思います。昔、いい大学にいっていい会社に就職して、というようなことを信じた多くの人の間には「あるべき姿」はあったのでしょうね。しかし、それに同一化できず、はみ出る人たちがいて、その人たちは生きていくために、その時代の「あるべき姿」の信念を共有しない、別の環境に行こうとしたり、作ったりしていったのかと思います。

 

その際大変なのは、別の環境を求めながらも、既に内面化してしまった価値観があるので、それを変化させていく必要があることだと思いますが、その変化もまた既存の価値観が支配する環境ではない環境を自分が調整して作りだし、そこで体験していくことなのかなと思います。

 

英国の小児科医ウィニコットは、体験とは繰り返し到達することだと指摘しています。繰り返しの到達によって、古い価値観からの離脱と新しい価値観の身体化がおこるのかなと思いました。

 

イリイチアイデンティティとルーツの話し、興味深かったです。イリイチ、こんなこともいってるんですね。『生きる意味』、図書館で予約しました。僕は、イリイチの言っていることは現代に通じる正論をいってるように思うのですが、あんまりイリイチを本気にして取り扱っている人っていないことないですかね?(自分の狭い世界の印象ですが・。)

 

今、宇井純の『自主講座「公害原論」の15年』を読んでいます。東大で助手だった宇井さんは大学の不文律の規則によって、助手が独立して講義をすることができなかったのですが、「本当に納得のいく内容」を講義するために自主講座を立ち上げました。大学の施設を使用することには、工学部教授会の拒否にもあいましたが、新聞記事の後押しによって学長が動き、工学部教授会に圧力をかけて講座が実現しました。自主講座はテレビカメラも入るし、何百人もの人が押し寄せるものになって15年続きました。しかし宇井さんは、能力はあっても工学部の土木閥からは敬遠され、教授にも助教授にもならなかったそうです。

 

自主講座は宇井さんの非制度化、非組織化を望む志向によって、団体にはならないのですが、そこに集まる人の流れは、やがてチッソ株主総会に一株株主として意見をいう人たちの流れになったり、都市工学科の学生との団体交渉となったり、予想のつかないスピンオフを生んでいったそうです。

 

宇井さんの事例で言いたいことの一つは、実践的で意義があり、それに伴う内容があることであっても、組織(東大。)がフラットなものではなく自らのグループの権力の増大を目指すので、それ以外のものは抑圧されたり、無視されたりするということ。

 

もう一つは、それにも関わらず、自主講座がマスコミを巻き込んで大きな展開をみせ、しかもそれは様々な流れを派生させていったことです。そしてその展開は「組織化」の方向ではなかったことです。

 

(組織とは、本来即興的なものであるのだと思っています。それは生まれてきた一時的なプロセスだと思います。しかし、その本来性を無視して、ずっと維持しようとしたり、強制的にある目的を達成しようとすることがいわゆる組織の歪みや個人の疎外としてあらわれるのではと思っています。)

 

さて、イリイチが指摘するのは、アイデンティティが境界によって外部と内部を区別する存在のあり方や認識の仕方であって、一方、ルーツは辿って行くこと、結びつけることによって、多様な流れの結節点としてものごとが存在するあり方認識の仕方ということですね。

 

アイデンティティにおいては個が外部と切り離されて確立し、実体化するのに対し、ルーツは単に文脈と文脈の結節点であるので、外部と切り離された個は存在せず、個としてあるようにみえても、それ自体として実体を持たないものになるのかなと思いました。

 

また、民俗学では柳田国男のような先祖崇拝を重視する見方と、折口信夫のようなマレビトを重視する見方があるけれど、学問的に扱い易いのは形式化できるアイデンティティの方で、ルーツの方は流動的で扱いづらいとも純さんは書かれていました。

 

これは、僕の言い方でいえば、止まった時間としての時間と、プロセスとしての「時間」であるように思います。アイデンティティ、先祖崇拝、学問の現在のあり方は、止まった時間としての時間です。

 

一方、ルーツ、マレビトのほうは、恣意的に時間を止めない限り、個別化・実体化しない変化のプロセスそのものです。時間を止めることによってしか認識できない一方、時間を止めたプロセスはプロセスの本質を失った偽物です。止まったものはコントロールできますが、プロセスは自律的であり、抑圧はできても、コントロールはできません。

 

今の学問は、プロセスを存在しないものとしていると思います。そうすることで、自らの権力性を担保しているのでしょう。真実を知る方法を自分たちに囲い込む体制をつくっているのだと思います。

 

止まったものとしての時間は、意識・認識・操作・人間中心主義と関わっています。一方、動いているプロセスそのものである「時間」は、意識の支配を打ち消すこと、結論づけたものと付き合うことをやめること、操作ではなく応答すること、環境との生の躍動性(アライブネス)の高め合いと関わってくるものだと思います。

 

「時間」の話しはなかなか人に通じないのですが、止まった時間を打ち消すとき、「時間」が現れます。無心になるとき、時間を忘れるときなどが「時間」が現れているときです。ウィトゲンシュタインの語りに無時間性という言葉がありました。「時間」とは無時間性のことといえばわかりやすいですかね。時間は本来動き続けるプロセスなのに、止まった偽物のほうを本物だと思わされているのです。

 

 

 

クセナキスが時空の認識について、人間がそこにとらわれ、今がいつでもあるような存在であることを失っているということを指摘しています。僕としては、認識自体を限界あるものとして主役からおろすということまで、色んな人と共有できたら楽しい世界がくるのになと思っています。

 

 

 

イリイチの生命観、生命の本質としてのアライブネスについて詳しくは『「時間」に応答する責任としての倫理』で 片山博文さんの論文を引用して紹介しています。

kurahate22.hatenablog.com

 

 

自主講座「 公害原論」の15年 新装版

自主講座「 公害原論」の15年 新装版

 

 

 

生きる意味―「システム」「責任」「生命」への批判

生きる意味―「システム」「責任」「生命」への批判

 

 

 

ウィニコット書簡集 (ウィニコット著作集)

ウィニコット書簡集 (ウィニコット著作集)

 

 

5/7南区DIY読書会発表原稿 奥野克己『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』第10章〜第11章

2019/5/7 南区DIY研究室読書会


奥野克己『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』


概要:ボルネオの狩猟採集民プナン(西プナン)はマレーシア・サラクワ州政府に属し、自動車などの近代的な道具に触れながらも、狩猟採集をベースとした自分たちの文化を維持していた。彼らの子どもは学校も行きたくなければ行かない。結婚はパートナーがいる状態をさすだけで、次々と別のパートナーに変わることも珍しくない。子どもは実子と養子が入り混じる場合が多い。プナンでは、ありがとうに該当する言葉はなく、また反省するという概念がない。


◆今回の発表

第10章 学校に行かない子どもたち

第11章 アナキズム以前のアナキズムを取り扱います。


 マレー世界では都市部を除き、今日でも食事は手を使ってされるが、プナンはスプーンを用いる。これはもともと道具を使って食事をしていたことの名残だと考えられる。プナンの主食はサゴヤシの澱粉であり、中華鍋にサゴ澱粉を入れ、水を加え熱してアメ状化させたものを食べていた。数人から10人のメンバーで共食し、ピックと呼ばれる箸でサゴ澱粉をくるくるまいて、汁物につけて食べる。


 プナンは、1980年代になると森の中での生活をやめ、川沿いの地に定住ないし半定住して焼畑農業をはじめると、サゴ澱粉に加えて米を食べるようになった。次第に米食の割合が多くなっているが食事のスタイルは引き継がれている。


 食事の際は一般的に人々はあまり多くを語らず、あたり障りのない話題や出来事や噂の情報交換がされる。身近におこった出来事に対する感じ方や見方が居合わせたメンバーに共有される。共食で築かれる社会的絆の最たるものが親子の親密な関係であると筆者はいう。


 プナンの父母と子どもたちは食事の機会を含めて、できるだけ一緒にいて行動を共にしようとする。親は実子であれ養子であれ子を慈しんで保護しようとする。プナン社会では子が親の膝もとで生きてゆくすべをゆっくり学び、巣立ち後も親の近くで暮らす傾向がある。


 人類学者マーシャル・サーリンズは、狩猟採集民社会の労働時間は近代産業社会よりずっと少なく、そこは余暇の多い「豊かな社会(affuluent  society)」であると捉え直した。


 子どもたちは、狩猟キャンプに同行することで、薪の選定や火のつけ方、肉のさばき方などをしだいに覚えていく。幼子や学童期の子どもたちはブラブラと戯れて遊んでいることも多い。女の子たちは時々食器洗いや洗濯、料理の手伝いをするが男の子たちは十代半ばでようやく3、40キロのヒゲイノシシを運ぶのを手伝ったりするようになる。


 プラガ川の上流域に小学校が建てられたのは1938年。そこにはプナンだけでなく、近隣の焼畑民クニャーも通っている。この30年でそこを卒業したプナンは20人そこそこであるが、町の中学校に通って卒業したプナンは筆者の知る限り皆無である。一方、クニャーはたくさんの中卒者、高卒者、大卒者を出している。


 プナンを優遇する州政府の政策にも関わらず、プナンは学校に定着しない。貧しくていけないのでも、働かなければいけないのでもなく、行きたくないから行かない。子どもたちは高学年にちかづくにつれ、学校を放棄する。しかし、親たちはそれを憂慮することはない。


 明治政府は1892年の「学制」により教育の義務教育化を図った。明治期末から大正初年には就学率は90%に達していたとされる。1950年代の教科書内容重視の教育から「詰め込み教育」批判がはじまり、1990年には「ゆとり教育」が提唱されるようになる。


 フーコーは、学校が監獄や病院と並んで、近代的な権力の典型であることを指摘し、教師の眼差し、試験制度など生徒を規格化するための「規律=訓練」のテクノロジーの中で大衆教育が出現したととらえた。


 マレーシア政府は、教育支援金制度における支援金の大幅な増額でプナンを釣ろうとしたが、通学率にあわせて支援金に傾斜をつけるやり方は、プナンの得たものは全てを等分する道徳原則からは考えられないものであり、反発を招いた。


 プナンのハンターの中心世代は40歳代である。筆者が若者たちが森の狩猟に興味を示さないこと、それによって狩猟が成り立たなくなることを仄めかしながらハンターの反応を聞くと、「大したことはない」「おそらく怖いのだろう」などと、若者の狩猟離れを気にかけている様子はなかった。プナンは、将来に備えるのではなく、その都度の状況にあわせてなんとかなるだろうと考える傾向にあると筆者はいう。

 

 筆者は小学校の校長と話したが、校長は教育を自明視し、プナンのあり方を嘆いていた。


 筆者はプナンの振る舞いをフランスの人類学者ピエール・クラストが紹介するパラグアイの先住民グアラニと重ね、プナンに見られるのは人間に不幸をもたらす世界の不完全さへの拒絶であり、それは森の民ならではの直感からのものではないかと推測する。グアラニは自分たちに不幸や悪をもたらしているものの本質から逃れるためにアマゾン河の下流域を放浪し続けていた。グアラニは、病気や不条理、歪みや矛盾、不幸を内含したり、帰結したりしてしまう<一>から成る近代の枠組みではなく、不幸の廃絶された<多>から成る神話的世界を求望していた。


第11章 アナキズム以前のアナキズム

 鶴見俊輔アナキズムを権力による強制なしに人間が助け合って生きてゆくことを理想とする思想であると定義している。

 

 18世紀までにヨーロッパでは専制政治体制が広く行われるようになった。その統治に不満を持った市民は革命をおこしたが、その結果専制政治がかたちを変えて戻ってきただけだった。そのような経緯のもと、共産主義国家の樹立を成し遂げる人々が現れた一方で、国家なき自律的コミュニズムの理想を抱く人々が活動するようになった。プルードンバクーニンクロポトキンなどの思想と活動によって国家統治の不要論を唱えるようになったのがアナキストであった。アナキズム共産主義とは一線を画する思想・運動としてヨーロッパに根をはることになった。


 森元斎は、ここ数百年で広がった<飼いならされる/飼いならす>とは異なる仕方で、他者と共同体と、そして自然と対峙してきた人間の共同体に目を向けるべきではと主張する。


 筆者は森元斎がモース、レヴィ=ストロース、グレーバーによりながら文化人類学に接近するのは、アナキズムを理解するためにはアナキズム以前のアナキズムをつかみとることが必要だと考えているからではないかと推測し、その社会がプナンの共同体であると考える。


 プナンは住んでいる地域を基準として東プナンと西プナンに分けられる。東プナンは1980年代に行われるようになった商業的な森林伐採に対して、抵抗運動をはじめた。スイス人探検家ブルーノ・マンサーノはプナンの窮状を世界に発信し、プナンは「闘う先住民」として世界に知れ渡った。東プナンは州政府や企業と折衝を進め、協定を有利に進めるために識字率を高め、大卒者を何人も輩出し、州政府や企業に対抗できる一勢力となった。


 一方で西プナンは、州政府によって遊動生活を放棄した上で、川沿いの沖積地に移住させられ、焼畑稲作の農法を身につけた後も、森の中での生活スタイルをほとんど変えることがなかった。西プナンは彼らが「王国」と呼ぶ国家のやり方を独自の文化の枠組みの中に無意識的に組み入れることで、これまで実質的にほとんど国家と関わることなく暮らしてきた。


 筆者はプナンがアナキズム以前を生きているのならば、その暮らしの軸になっているのは贈与交換の仕組みだとする。狩猟採集されたもの、その他の材は基本的には全て共同所有する。財は獲得に関わったメンバーで均等に分配される。プナンには「貸す/借りる」という言葉がそもそもない。何かモノを欲する時は「ちょうだい」という言い回しを用い、持つものは持たないものに惜しみなく分け与えられなければならない。モノを欲した側はふつう何の言葉も返さない。与えられた側もまた誰かに求められれば分け与えることが期待される。

 

プナンはケチであってはならない。独占しようとする欲望を集団の規範は認めない。それは共同体内に広く深く浸透している。


 筆者はプナンにおける贈与交換の仕組みを経済学者シルビオ・ゲゼルの「消え去る貨幣」になぞらえる。その制度において、お金が老化し消え去るように、プナンにおけモノも共同体をぐるぐる循環したり、外にいったり、朽ちたり壊れたりでやがて消えてしまう。


 石倉敏明は農作業の二次産物である藁で作られた神像が朽ちて自然にかえることを取り上げ、自然界に内在する価値の創出と滅却の循環の体系を人間社会に組み込むという意味で、ゲゼルの価値解体の家庭の理論に通じるものとして評価した。


 筆者はプナンがモノを共同体内で使いまわすことは、劣化を促しているのだとする。モノやお金も瞬く間に流れ、消えていく。これは資本の蓄積や増殖の原理とは本源的に異なる。


 プナンの贈与交換の仕組みのなかで特筆すべきは、ビッグ・マン(大きな男 lake jaau)の存在。共同体のなかで一番みすぼらしい男がリーダーである。彼は持ったものを次から次へと分け与えるため、何も持たなくなってしまう。すると尊敬が集まり、彼のもとにお金やモノが集まってくる。すると彼は以前にもまして分け与える。ビッグ・マンが私腹を肥やしたり、権力を握ったりしようとすると、人望は薄れ、皆が離れていく。ビッグ・マンであり続けるためには、「ケチであってはならない」という金言を体現し続けなければならない。


 筆者はビッグ・マンは悠々自適の役職などではなく、常に人々の監視の眼差しに晒され、人々にコントロールされるため、それはそれでかなりしんどいだろうと推測している。


 プナンにとって、統治権力や経済を含め、外部から入り込んでくる諸制度や力は、何らかのかたちで全て、自分たちのシステムのなかに組み替えられて取り込まれる。国家や政府とは何か、ということは日常においてほとんど意識されない。


 プナンと国家の直接接触は1960年代以降のプナンの定住化政策にまで遡る。将来的な森林開発を視野に入れたイギリス直轄統治政府の施策を受けてサラワク州政府はプナンを森から川沿いの沖積地に定住させた。それは強制的な移住ではなく、担当行政官による訪問と話しあいによって緩やかに進められた。州政府はプナンの定住のための土地を用意し、近隣の定住焼畑民の農法を授け、家屋を建てるための支援などを行った。行政は友好的だったため、プナンは当時の行政官を「バケ(友)」と呼ぶ。


 プナンの居住地はサラワク州の行政の中心地から離れているため、一種の「制外の地」である。森の周囲にはロギング・ロードが縦横無尽に張り巡らされている。プナンは森林開発や水力ダム開発によって得られた賠償金で車を買うこともある。彼らは無免許だが、プナンの地域で乗りまわすことは何の問題もない。プナンは道に出てきた獣をわざと轢き殺して食用にすることもある。


 プナンの地で選挙が行われる場合、プナンは一番多くお金をくれる人に投票する。ビッグ・マンが決まるのと同じく、惜しみなく分け与えるものが評価されるため。筆者が持ち込む財布も共有の財とみなされて使われる。筆者はプナンが鶴見俊輔の定義通り、権力による強制なしに人々が助け合ってくらす思想を生きているととらえている。

 

◆感想

 プナンが学校制度に対して自律的でいられるのは、マレーシア政府の管理がまだ緩やかだということがあると思います。だんだんと囲い込まれるように、真綿で首を締められるようにさまざな制度をつくり管理を徹底させていけば、やがてプナンも学校に行かざるを得なくなるだろうと思えます。

 

日本も産業構造が変わっていき、第一次産業がその地位を落とし、会社に就職してお金を稼がなければ生きていけなくなるまでは、漁師の子どもなどは別に学校にいくことなど問題視されなかったそうです。

 

なので僕がこの本から受け取り、ヒントとしたいことは、だんだんに近代社会に呑み込まれていく過程にあるプナンから、もしある環境を作り上げたなら、その環境における人はどのような感性や感覚を持ちうるだろうか、あるいは文化を持ちうるだろうかということです。

 

 もし生きることの自律性(衣食住・養生(医療)・学び)を近代社会の管理から再度取り戻したなら、そこにおける人間関係はどのようなものか、生きることはどのように感じられるかということをこのプナンのあり方から想像することができるのではないかと思うのです。

 

上妻世海さんたちは、現代人が消費者化した自らの身体や思考を逸脱してあり方を「制作」として提示しています。自給やDIYはつまり思考や身体そのものを変えていく時に必要な媒体であるといえるかと思います。

 

 アナキズムについては、プナンの贈与交換の仕組みが結果としてモノやお金の劣化を促しているという視点が新鮮でした。

 

気前よく分け与えることが何よりの道徳律として、それが全てにおいて徹底されているとこうなるのかという印象です。

 

お金があったところでその場で消尽されるので、財の運用のようなこともできない(すぐ破綻する)ために、共同体の本質は非常に変わりにくいのだと思いました。

 

水と絵の具のように 状態と環境の一体性

対話とは何かについて話しました。以前、対話とはするものではなく、おこるものではないかということを書きました。

 

 

kurahate22.hatenablog.com

 

 

意識的に何かをすることは、同時に壁をつくることでもあります。一方、もし対話という変容のプロセスがおこっているという状態があるなら、そこでは変容を阻害する壁は取り払われていると思います。

 

壁がないということは、自意識が予期して準備をしていないということであると思います。その無防備な部分、あるいは無防備な状態において、変容は自然におこるのではないかと思います。

 

絵の具のついた筆を水に接触させるとぱっと絵の具が水に溶けて混ざっていくように、接触したものがお互いの状態を変化させることを止めるものは何もありません。

 

意識的にすることが壁をつくるなら、何もしなければいいのかというとそうでもありません。意識的にすることは、より無防備になることを牽制し、引き戻すようなものを打ち消すことです。意識がやるべきことは、間接的なことです。意識自体が直接的にやるのではなく、意識は邪魔するものを止めておくのが妥当な役割だと思います。

 

打ち消しがきいたときに、変容のプロセスは止められることから逃れられます。

 

対話がおこるような状態をのぞむなら、変容のプロセスを止めるような恐怖、不安、強迫などが打ち消されるように場を整えるということができると思います。

 

その整えは、これこれをやったらそれでいいみたいに、高をくくることはできません。高をくくっているという状態自体が、場に否定的影響を場に与えるでしょう。逆に何が何でも高をくくってはいけないと過度に強迫的に自分をコントロールしようとすると、その状態もまた、場に否定的な影響を与えるでしょう。

 

水と絵の具のように、誰かのある状態はその人だけに留まるのではなく、環境と一体化し、環境の状態を作り出しているからです。

 

 

意識して何かやらねばという強迫が程よく打ち消される環境をつくり、自分自身についても、意識的に何かを強制しない状態、恐怖や強迫が打ち消された状態がくるようにする。単純なことであって、同時にその状態を持ってくる工夫にはどこまでも終わりがありません。

「文化」は人の尊厳より重要だろうか? 台湾タイヤル族の宜蘭クレオールと多文化主義の欺瞞

クレオールの動画、見ました。

 

 

www.youtube.com

 

日本軍が台湾に攻め入り、少数民族の人たちに日本語を教えました。少数民族にとっては、日本語は少数民族間の共通語のようにもなりました。日本軍は去りましたが、日本語は残り、現地の言葉と混ざって、クレオール語になりました。

 

クレオール言語クレオールげんご、英: creole language)とは、意思疎通ができない異なる言語の商人らなどの間で自然に作り上げられた言語(ピジン言語)が、その話者達の子供たちの世代で母語として話されるようになった言語を指す。公用語や共通語として使用されている地域・国もある。

ピジン言語では文法の発達が不十分で発音・語彙も個人差が大きく複雑な意思疎通が不可能なのに対し、クレオール言語の段階ではそれらの要素が発達・統一され、複雑な意思疎通が可能になる。クレオールピジンと違い完成された言語であり、他の言語に引けをとらない。

また、日本語も北方系言語(アルタイ語族)と南方系言語(オーストロネシア語族)が混合したクレオール言語から変化したという説もある(日本語の起源を参照)。それとはまた別に、漢文訓読の場合は元々中国語であるはずの書記言語である漢文を、語順を変えたり助詞を加えるなど日本語の文法に合わせて解釈するのである。単なる翻訳のレベルを通り越し、別々の言語である中国語と日本語が混ざって、かつ文法的に完成されたという点では、訓読も一種のクレオール言語と見なすことができる。

Wikipedia 

 

タイヤル族は日本軍がきたために、今では老人以外はなかなかタイヤル語が使いこなせなくなっています。老人より若い世代は日本語が混ざったクレオール語が自然な言葉として定着し、さらにその子どもの世代になると、クレオール語は民族の文化と認められないため、子どもたちは中国語を教わって、クレオール語からは離れていっています。

 

まじりっ気のない「純粋な」文化でなければ正当性を認められず、クレオール語を話す人たちが社会体制に置いていかれる様子をみると、多文化主義という考え方も欺瞞に満ちたものに思えました。

 

多文化主義は、つまるところは個々それぞれにあった自律性を奪い、自らの経済体制に組み込み、生産されるものを吸い寄せ呑み込んでいくためのグローバル化を正当化するための方便ではないのかなと。

 

資本主義経済に呑み込まれた社会は、外見上がどうであれ、それまでの自律性は半分以上奪われているのではと思いました。中身は同じだけれど、衣装はそれぞれ違うという程度のものにされているのではないかと思います。

 

動画に卑屈を感じるという言葉が出てきました。東京に対して地方の方便を使う人たちが恥ずかしいというようなことも底で通じることなのだろうなと思いました。

 

フレイレは、「人間」であるために人々は同じ社会のなかでも劣位のものの存在を必要とし、そういう存在を背景として自らを「人間」であるとしていたと指摘していたように思います。

 

人というのは、「一人前」という言葉が示すように、ただ生きものとしてのヒトでは足りないものですね。「人」というのは、後ろめたさを抱えていない価値ある存在であり、その代償として「人」以前の「半人前」とか、「税金を納めていない人」とか、「空気を読めない人」とか、「男になれない男」などがその背景に必要とされるわけですね。日本では女性も事実上「人」ではない位置を押しつけられていますね。

 

クレオールの人たちを見ていると、僕は民族文化というもの自体が大切なんじゃなくて、人間が卑屈や後ろめたさや自分の劣位性を感じず、あるいはそういうものが打ち消された状態で、自律性と卑しめられない尊厳を持って生きられるかということが重要なのではないかなと思います。森との関わりで生きていける西プナンの人たちが学校に行かなくても卑屈を感じないように。

 

民族の文化もつまるところは自律性と尊厳を守るため、あるいはそれを回復するためにあるのではないかと思うのです。個人個人はたまたま出会った環境を内部に取り込み、そこを通り過ぎていくだけなのですから。

勝ちについて

負けるということがどういうことなのか、何度かこのブログでも考えてきました。

 

 

kurahate22.hatenablog.com

 

 

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熾(おき)をかこむ会に参加してくれた方が、ブログでの負けることについての投稿に言及してくれました。

 

自分で書いたこと、考えたことも人から聞くことによって、今まで気づかなかったことに気づかせてもらうのだなと思いました。

 

自分のなかに強く根付いている、生きていかねばならないのに、生きていける力が足りないという恐怖。またこの社会の仕組みをいかに逸脱していくかという考え。

 

これらもまた勝つことなのだと気づかされました。生きていくこと、うまくこの世間をすり抜けることもまた勝つことでした。気づけば当たり前なのですが。

 

苦しみから楽になるのも、思い通りに事が進むことも勝つことです。

 

何かを望むことも、勝ちを得ようとすることではないかと思います。

 

自分は勝ちを求める亡者だなと思いました。勝つことへの強迫ばかりが頭を占めています。

 

負けることを受け入れたいと思うことも、また望みであり、そこにおいて勝とうとしているのです。

 

一日のうちで、どれだけのことが思い通りになっていて、勝っていることでしょうか。水道のレバーをあげたりさげたりして水が出るというのも勝ちです。

 

普通にしているだけでどれだけ多くの勝ちを重ねていて、それでもなお加えて勝ちを求め、その勝ちが得られないことに嘆き、苦しむのでしょうか。

 

あの勝ちが欲しい。あの勝ちが得られたら自分はどれだけ幸せなことか、あの勝ちを得られない自分はどれだけ不幸なことか、と。

 

求めること、望んでしまうことを止めることはできないかもしれませんが、自分が勝ちの亡者になっていることへの意識は、勝ちの正当性を疑わず、巻き込まれていたところから少し距離をくれるように思えます。

 

今日の報告と次回の南区DIY読書会(6/1(土)19:45〜)

南区DIY読書会次回は6月1日(土)19:45〜、場所はちいさな学校鞍馬口です。

 

DIY読書会は、主宰はカサルーデンスという団体のものなので、自分の催しという感じでなく、一参加者として参加していた感じでした。

 

自分が催しするとなると何人かは人に来てもらう必要がありますが、自分以外の人の催しだと主宰の人たちは確実に来るわけなので、安定しているというのもあります。

 

自分一人でやる催しよりは、誰かか、あるいはどこかと組んでやる方が面白いし、その方が自分にはいいなと思います。

 

DIY読書会が面白いのは、知識のやりとりではなく、それぞれのフィールドなり、体験や感覚に根ざしたやりとりになるところです。しかもそれはただ横へ横へと世間話しのようになったり、拡散的になるのではなくて、むしろそこで提起されたことに対する思わぬ深い応答が現れてくる手応えがあります。

 

つい昨日の学びの場で話されていたことがまさにこの場に出てくるとか、このことが今旬だなということが不思議と出てきます。

 

みなさん割とジャンル横断的な話しを受け取って面白いと思う懐の深さがあります。

 

人と関わるのに「操作しない」ことを眼目とするとか、そのことと中動態的な視点との関わり、三砂ちづるの「身体知は三代で消える」と野口整体の「整体は三代かかって完成する」とか、イリイチのいうオーラと路地の奥のホームレスの人たちが醸し出していた質感の話しとか、今日もいい感じでした。

 

自意識は止める働きをするものだから、それをまた止める工夫を施すことでプロセスが動き出すとか、そういう話しが通じるところはなかなかないと思います。ありがたい場です。

 

いつも読書会にも来てもらっている身体教育研究所の角南和宏さんが、6月22日のソマティック関西フォーラムで「カタと同調ー動法入門、あるいは操作願望との訣別」というワークショップをされます。

 

somaticjapan.org

 

他分野と関わることが、自分のフィールドの深い理解に繋がるというのがDIY読書会周囲でよくおこっているように思います。