降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

南区DIY研究室読書会 フレイレ 鶴見俊輔 芹沢俊介 民間学とは親問題に向きあうこと

9月18日に発表した原稿の転載です。

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◆里見実『パウロフレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』 第3章後半〜

 

フレイレは、参加型調査というあり方で、調査に関わる人々の現実認識を変容させる実践をしている。自分と関わっている日常世界を対象化するには、いつも違った角度で関わっていくことが必要であり、認識の変容は派生的におこってくる。地元学(吉本哲郎←まだ未チェック)とも近いように思える。考えてみればそもそも一般市民に日常の場所の歴史性を認識する機会は自然には訪れないと思った。

 

実際に日常の見え方が変わる体験がおこることを活動のなかに盛り込むことが重要であると思う。自分が生きている日常世界が自分の知らなかった現実によって構成されている体験はこれからも探究していく大きな動機になるのではないかと思われる。またここでフレイレは人々に働きかける側の非対称性とその否定的影響にも意識的であり、人々に「お返し」ができてはじめて自分たちの立場も許されるものになるという認識を示している。働きかける側もまた自分の認識が更新されること抜きに対話がおこったとは捉えられない。それぞれの認識の更新があってそのやりとりは妥当であったとされる。


 社会学者のマリア・フェレイラは調査の準備をすすめながら、こんなことを呟いていた。「テーマ調査っていうのは、人びとがもっているものを人びとに返すことで、はじめて申し訳の立つものになる。あれって、人びとを知る行為なんかじゃない。人びととともに、人びとの上にのしかかっている現実を知ることなんだよね。」

 

フレイレの調査は、エクササイズであり、ワークなのだと思える。調査それ自体が目的なのではなく、調査という媒体にのっとるとき、派生的に現実の対する認識が更新される機会が提供される。

 

閉じた空間と連続した空間の違い。
→閉じた空間で完結するワークや学習と、ある地域の調査(多分自分が関わりをもつところがいいと思えるが。)のような企画者が想定しない他者と出会うワークや学習、アクションリサーチのようなことは得られるものに大きな違いがあるように思える。調査者と被調査者が共に変容することは「世界が変わる」ということを実感する機会であるが、前者はその実感はまだない。

 

以前、西陣ほんやら洞というカフェで、京都市のいろんな商店街をフィールドワークするという企画があった。通りいっぺんの売り買いだけのやりとりと違い、話しを聞くことで、調査者の世界の見え方が広がり、変わったように見えた。

 

◆科学主義と知識の死物化・非人間化・真に思考すること・参加型調査の意味・実存・変化

 

(里見)事実の認識が、あたかもそれを認識する主体の立ち位置や主観と独立に成立するかのように主張する科学主義は、「知る」行為やその上に築かれる知識を没人格化することによって、「人間なき世界」を仮構しているにすぎない、と言うのです。そういうものとして知識が伝達されるとき、その預金型伝達行為は必然的に知識の死物化と人間の非人間化を促すのだ、と。

 「人びとに見えている世界」を探ると言うこの視点は、二十世紀の現象学文化人類学が提起しているものです。右に述べたように、フレイレの場合、それは彼の対話論や対話的学習論の必然的な帰結でもありました。「我」が思考の主体であるのと同じように「汝」もまた知覚し、思考し、世界を、自ら「構成」している主体であることをふまえない限り「対話」は成立しませんし、「汝」が客体=モノと化し、みずからの思考をおこなっていないときには、主体になったつもりのの「我」もまた真に思考しているとはいえないのです。真の思考とは、客観的な現実をめぐって、異なる思考者である「我」と「汝」が相互にとりかわす相互主体的な認識のなかで生成し、発展するのです。

 学習プログラムの作成にあたっては、その「調査」はたんに地域の「客観的」な諸事実の調査に終わるものであってはならず、事実との関わりに置いて人々がかたちづくっている表象や信念の調査こそが決定的に重要なのです。学習を導く生成テーマは、そこから浮上するからです。

 それらは当然、当該社会のなかで人びとが抱えもっているイデオロギーを色濃く反映するものであり、また同時に、客観的な現実とのせめぎあいのなかで人々が感じている疑念、痛苦、希望を、生身の人間としての彼や彼女の実存を表現するものでもあります。
 しかしそれらはかならずしも不変の、固定したものではありません。新しい経験のなかで、また対話のなかで、人々の世界像は変化していきます。

 

フレイレの革命論
『被抑圧者の教育学』はなぜ社会革命論(第4章)によって締めくくられるのか? フレイレにとって教育は政治であり、政治もまた教育の過程(抑圧的な政治=抑圧的な教育の過程、自由を目指す政治行動=自由な人間を形成する教育の過程)。

 

『被抑圧者の教育学』はフレイレにとって社会変革の理論。
(→ある教員経験者が林竹二を批判していたのを思い出した。林竹二は部落解放運動と教育を別々のものにわけ、部落解放運動を事実上見捨てていたという。フレイレの日本での受容は部落解放運動界隈にとどまるなど非常に限定的だったらしい。)

 

フレイレは、革命家論を論じたが、革命が単に権力の奪取であり、また民衆を支配の対象としていくならそこに意味はないと考えていた。革命の過程においては、現実が、主体としての指導者と主体としての大衆の変革行為を相互に媒介し関係づけられるもの。

(→第三章識字教育で絵や写真の「現実」を媒介させながら対話が行われたように、対話(やりとり)の基本構造は全く同じなのだろう)。

 

フレイレの言葉→(この相互主体的な社会変革のあり方について)「一人称単数で、いや一人称複数でさえ、語ることを許さない。行為者は相互にコミュニケートしあう、間主体的な複数者」→対話とは間主体的、相互主体的な営為であり、誰かどちらか一方に属するものではない。

 

間主観性(相互主体性)

広義には、共同的・相互的な形でこそ成立する主観・主体のあり方を指す。 ... 例えばそれは、間主観性を間身体性として捉え直したメルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty 1908~61)の思考や、コミュニケーション的合理性をめぐるハーバーマスの思考などにも批判的に受容されている。 imidas

 


「指導者は彼ただひとりで言葉を発するのではなく、民衆とともにはじめて発語することができる」「被抑圧者の自己解放がなければ彼の解放はない。」

 

(里見)現状が不動のものとして絶対化され、個人が自分を無力と感ずるようになれば、その結果として「力」への憧憬や自己同一化も高まっていきます。無力であることの耐えがたさを代償するのが富や威信や権力への心理的イデオロギー的な自己同一化であり、なんらかの仕方でそれに連なることが「人間」であることの符丁になっていきます。まさにその「力」の暴走によって個人と社会の総体が破局に追い込まれているにもかかわらず。

 

 権力が不在に思われている場にも、権力は作用しています

 

→セイックラのオープンダイアローグで行われているのは政治的なこと(political things)であるというセリフを思い出す。

 

フレイレの言う預金型教育と問題化型・対話型教育の対立は、すなわち権力の行使をめぐる対立でした。人間をモノに変えようとする力と、それに抵抗し、人間としての自己実現を求める力との対立です。フレイレにとって、「教育の中立性」は神話にすぎません。教育には中立はありえません。ありえないはずの中立性を装うことで、支配権力はみずからを絶対化しているのです。

 ただの知識の伝達は、一見、ニュートラルなもののように見えますが、しかしそのニュートラルな訓練をとおして、被教育者は「学ぶ」ということの一定のイメージをかたちづくっていきます。学ぶということは自前の思考を放棄することであり、言われたことに従順に耳を傾け、記憶することであり、その学習成果を競うことであることを、彼らは「学ぶ」のです。

 一見ニュートラルな知識の伝達は、選別と排除の過程でもあります。経済的にも文化的にも、それは規制の階級関係の再生産過程として機能しています。そこでは特定の言語習慣、特定の思考規範と行動様式が特権化され、その預金型的伝達の過程で、絶えず優位者とともに落伍者が産出・再生産されています。

 

→解放の神学

被抑圧,被差別人民の解放をキリスト教の福音の本質として説く現代キリスト教神学の一潮流。従来の欧米のキリスト教神学は,最も革新的なものをも含めて,白人の神学,ブルジョアジーの神学の制約を脱することができないとして,これを批判,拒否し,真に民衆の立場に立って聖書の神を解放する神として新しくとらえ直すことを説き,イエスの福音も必然的に社会的解放を指向するものであるとする。 1960年代以後アメリカの黒人キリスト教徒,中南米カトリック急進派,アフリカ教会などのなかに台頭してきたもので,特に中南米において大きな影響力をもつ。解放思想のイデオロギー化を排し,思想と実践の相互媒介と統一を強調するところにも特色がある。 ブリタニカ国際大百科事典


ヘンリー・ジルー(批判教育学)は、フレイレの教育思想は「解放の進学」を特徴づけているダイナミックな希望への信仰から「左翼が陥る絶望とシニシズムへの強力な論理的解毒剤をつくりだした」とする。

 

◆文化侵略と文化総合
文化侵略においては、行為者は自分の世界から出発して被侵略者の世界に入り込み、必然的に自分の価値とイデオロギーを基準にして活動のためのテーマ内容を引き出してくる。行為者は丸ごとの人間として被侵略者の世界に赴く必要はなく、彼の行為は、ますます技術と道具だけに媒介されたものになる。文化侵略においては行為者=演者のターゲットは観客であり、不動のものとして維持されなければならない現実である。一方文化総合には観客は存在しない。

 

文化総合は、単に革命運動が民衆の視点に密着し、その願望に追従すべきだということではない。例えば賃上げ一本に民衆の願望が絞られている場合。この要求を煽り立てることに終始することも、この要求をタナに上げて民衆にとって身近に感じられない問題を持ち込んでくるのも誤りである。前者は迎合、もしくは取りこみ行為であり、後者は願望無視の文化侵略である。


民衆の賃金要求に寄り添うこと、そしてもう一方で、その要求そのものの意義を問題化していくことが文化総合になる。それは賃金要求をそのひとつの側面としてふくんでいる歴史的状況の全体を問題化することにつながっていく。


鶴見俊輔『教育再定義への試み』

目次 Ⅰ 教育とは何か II 痛みによる定義 Ⅲ 教育と反教育 Ⅳ自己教育の計画

 

神戸児童殺傷事件。鶴見は校長の言葉に官僚のような型通りさを感じた。教育は疎外されていないか。戦時中であれ、そこ反逆する教師の姿があった。芹沢俊介が指摘するように、学校は戦中から戦後へとファシズムを温存するトンネルの役割を果たしているのではないか。鶴見は自身の母親との関わりにおける強烈な傷を終生持ち続けた。それは彼の仕事として反映された。痛みこそがその人が生を切り開く力になると鶴見は指摘する。

 

自分の傷ついた部分に根ざす能力が、追い詰められた状況で力をあらわす。自覚された自分の弱み(ヴァルネラビリティvulnerability)にうらうちされた力が、自分にとってたよりにできるものである。正しさの上に正しさをつみあげるという仕方で、人はどのように成長できるだろうか。生まれてから育ってくるあいだに、自分のうけた傷、自分のおかしたまちがいが、私にとってはこれまでの自分の道をきりひらく力になってきた。 

 

鶴見は親問題、子問題という概念をあげる。親問題とは、自身にとっての根源的な痛みに根ざした生きることへの問いであり、生きることを通して問われる問いである。それは同時に自分自身のものとしての生を充実させ、社会にそれまで存在しなかったものを小さくつくりだす。一方、子問題とは、場当たりの現状適応の追求であり、いい学校に入って、いい会社に就職する、あるいは学校や会社の環境のなかでだけ通用するような適応の追求になる。子問題の追求で生きる人たちは新しいものをつくりだすこと、その場の基盤自体を変えるようなこと、環境や社会変革をしようとはしない。それはあからさまでなくても、現状のなかで得られるものの奪い合いという様相を自然と帯びるものになるだろう。

 

鶴見はヘレン・ケラーとの出会いをふりかえり、学びほぐしという言葉を提起する。

 

一九四一 年夏、わたしがまだ一九歳でハーヴァード大学の学生だった頃、図書館で本を運ぶアルバイトをしていたんです。そこにヘレン・ケラーさんが来たんですね。ケラーさんは、目が見えない、耳が聞こえない、しゃべれない、三重苦の人です。...その時ケラーさんがわたしに質問したんです。自分はハーヴァード大学の兄妹校のラドクリフ女子大学で勉強した。そこでたくさんのことを学び、自分の学んだたくさんのことを振りほどか なければならなかった。彼女は、“I learned many things, and I had to unlearn many things.”と言ったんです。いや、なるほどなと思いました。ラドクリフ女子大学はハーヴァード大学の兄妹校ですから、そこでの講義は、耳が聞こえて、本が読めて、しゃべれる人が 対象で、概念の組み立てもそうなっている。しかしケラーさんは、そこから離れて生きるようになって、自分の身の丈に合わせて概念をたちなおさなければならなかった 。 この「 概念をたちなおす 」、 つまり “ l learned unlearn”というのは、一度編んだセーターをほどく、 ほどいた同じ糸を使って自分の必要にあわせて別のものを編む、そんな感覚ですね

 

自己教育、学ぶということにおいては、いかに蓄積するかではなく、すでに自分と一体化しているものを解体していくことが重要になるのだろう。

 

◆サークルについて


鶴見は自分の身体と自分の家庭から学んだことが教育の基本であるとするが、家庭の外においては職場、男女関係、自分のつくる家庭、自分の子どもから受ける教育、近所の人たちとの付き合いから受けるもの、社会活動から引退したものとしての孤立ともうろくから受ける教育、死を待つことから受ける教育があるとするが、それらと平行してサークルが大切な役割を果たしてきたとする。

 

 サークルは、お互いの表情を見分けることのできる形の集団であり、拘束のゆるい非定型集団であり、学校とちがってはじまりと終わりとがさだまっていない集団である。
 サークルは、私にとっては、自分の頭蓋のように感じられる。ものを考える場であり、そこで思いつくことが多い。

 

鶴見は「転向」という主題を思いつき、共同研究をすることを呼びかけ、週に1回、8年間行った。メンバーの大方は大学3年生、4年生であり、自分の興味がわきおこってくるに連れて必要な資料をあつめ、自分の手で整序していく過程を披露した。

 

「家の会」は自他の家の問題をもとに話し合うもので鶴見の代だけで37年間続いた。のちに中心は安森ソノ子となり、彼女の実生活上の体験がこのサークルにあって想像力の源泉となった。

 

小林トミ姉妹とはじめた「主観の会」は大形スケッチブック絵や文を書き入れて回覧雑誌を作り、これは60年安保のなかで、「声なき声の会」に転生し、ベトナム反戦運動にあたっては「ベ平連」の出生の一つの契機となり、「ベ平連」以後も樺美智子の命日その他に集まる市民運動として30年余り続いているものもある。鶴見は、サークルには記録に残っていないものが数知れずあるだろうと指摘する。谷川雁の「サークル村」は2年の活動だったが、その影響は、40年後にも石牟礼道子中村きい子森崎和江の著作にあきらかだとする。

 

民間学事典 刊行のことば (鶴見俊輔

人は生まれてくるやいなや問題に投げこまれ、問題を背負わされ、問題を探りあてようとし、問題と取りくむ。学校はそういう自分の問題をかっこにいれる。人はやがて死ぬ。自分に近づく死をもかっこにいれる。自分の生と死、そのなかに含まれる問題をうけとめ、生涯それぞれの時期に形を変えてそれと取りくんでゆく仕事を、学校は学問の外におくようにしむける。

 学校制度は、問題をつくる力を教師のみに与えて生徒からはぎとる。学校を終えてからどれだけの人が自分の問題にもどってくることができるか。学校にいる期間が長くなればなるほど、そしてその後その人が学問を職業にする場合にはさらにむずかしくなる。専門家による学問がそうして成り立つ。

 私たちが生きていること、やがて死を迎えるなかに自分の問題を探しあてることを学問のひとつの道と認めるならば、そこに育つ学問は民間学である。どんな官吏も二四時間官吏であるわけではなく、一日の多くの時間、彼は民間人であり、自分としてすごすからだ。そう考えるならば、一〇〇パーセントの官学は、それをになう当人の暮らしからはみだしている。

 自分の生活を自分の問題の母体としてとらえ、問題を探りあて、それと取りくむことを学問(そのひとつの形)としてとらえるならば、これまでの学問の歴史では顧みられなかった女性の役割を民間学は重くみることになる。トインビーは、自分の歴史学のひとつの起源として自分の母をあげた。学問の形成をその動機からとらえるならば、女性だけでなく、男女を問わず古今無名の個人が学問の視野に入ってくる。民間学の源流にはことわざがあり、ことわざはしばしば、民間学の原初的形態だった。

 


芹沢俊介

民間学は、学校が学問の外におくように仕向けてきた問題を問題とする。その意味で、官学と民間学を分けているのが学校であることを知る。

 「親問題」はつねに自分にとっての、「いま・ここ」における最大の関心事であり、問いである。それと反対に、つねに学校という自分の外から、第一義的に要求されるのが「子問題」である。毎日通学すること、授業を静粛に聞くこと・・・・。学校はこれらの「子問題」を、子どもたちが全力で取り組むべき最優先課題として設定する。子どもは自分の「親問題」に取り組む以前に、超えなければならない「子問題」という壁にぶつかる。しかも、これら「子問題」が子どもの守るべき道徳律になっているのである。現在における道徳律違反の典型が不登校であり、ひきこもりであるということになるだろう。「子問題」の道徳律への変身によって、「親問題」と「子問題」の価値の逆転が生じる。

 字義通りに読めば、民間学は、「親問題」を探し当てる道として成立する、と述べられている。だが、そのためには、これまで述べてきたように「子問題」に専心させられてきた(現に専心させられている)没主体としての自分を認識し、その状態からの離脱を目指すことが必要である。自らが生きて「いま・ここ」において感覚している世界に軸足を置きなおすことが必要である。これを鶴見俊輔は「学びほぐし」という言い方で表現している。

 現代において、民間学とは、「親問題」の取り戻しのことである。右の鶴見俊輔民間学の定義は、自分という固有の経験(痛み=『教育再定義の試み』)を問題の起点として大切にするゆえに、このような主体の取り戻しを不可避のものとして要請せざるをえないのである。
 主体の取り戻しは、「子問題」第一主義から、「親問題」第一主義への価値軸の転換をともなっている。そして、この過程が、「子問題」を価値の主軸に形成されている学校という世界つまりは「学校的なもの」という枠組み=体制の解体を含んでいることが了解できるであろう。
 民間学という言葉が根底にはらむこのような反逆のダイナミズムを、私もまた、私の考える思想としての在野学において共有したいと思う。

 

 <これまでのまとめ>
 フレイレはあと、補章が残っているのでそれをやりたい。教育再定義への試みも、親問題、サークル、学びほぐしのあたりは抽出したが、もしかしたら次回も取り扱うかもしれない。今回、民間学事典や在野学の思想などを府立図書館で借りて読むというところまで行ったが、ぼちぼち整理し、まとめていけたらと思う。とりあえず親問題と自分自身の考えてきたことについては鶴見や芹沢の位置づけで、位置づけられるようになったと思う。昨日、当事者研究大会で配られた冊子に鶴見の親問題と人が回復することの連続性を書いたものを掲載してもらった。そこから大阪のフリースクールコムニタス・フォロの山下耕平さんと話し、その文章を小沢牧子さん(小沢健二の母)と不登校新聞の編集長に送付してもらうことになった。民間学として親問題を取り扱っていくということで、一つのジャンルやムーブメントを作れないだろうかと思っている。

関西当事者研究交流集会抄録 巻末の文章 お題「100年後の価値観」

関西当事者研究交流集会の抄録に書かせてもらった文章を転載します。

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どういうわけかわからないが、中学の時に強いフラッシュバックが始まった。自分の一挙手一投足を始終観察し、馬鹿にして粘着してくる同級生を強く憎み軽蔑し、気持ち悪いと思っていたが、あるとき実は同じなのだとなぜかわかった時があって、それ以後、その人に向けていた憎しみや軽蔑やらが自分に反転して、不意に、電撃的に襲ってきて打ちのめされるようになった。いじめられても自分は彼らと一緒じゃないと思って、自分をたのみにしていたが、そのたのみにしていた自分が壊れた。

 

フラッシュバックがどうやったら緩和するのか、そしてこの自分がどう回復し、生きていけばいいのか。回復するということはどういうことなのか。それを探って確かめてきた。大学は心理カウンセリングを治療技法として用いる臨床心理学の学科に入った。回復のヒントを集めようとしていた。だが、他人を治療することと、自分が回復することが繋がらないように思うようになった。周りの人は、どちらかというと、自分のことを抜きにして、他人を治療するということに意識が向いているようだった。僕は自分を含めて、人が回復するにはどう生きていくのかを知りたかったのに、そういう人はあまり周りにいなかった。

 

やがて思い至ったことは、そこには個人の回復、個人のリカバリー以上の視野がなさそうだということだった。個人の回復とは、社会的不適応の解消であり、それは今の社会の仕組みを前提している。だがクライアントは社会の歪みによってクライアントになっているのではないだろうか。歪みがあるのは社会のほうではないのだろうか。しかしそんなことは周りでは問われていなかった。ここでの回復とは、たとえ明言されなくても、実質は個人が会社であれ何であれ、すでにあるものにはまれるようなればいいというものだと思った。

 

自分の知りたいことはここでは知れなさそうだ。ではどうすればいいか。どこで知っていけるのか。四国八十八か所めぐりをし、旅人にインタビューをして、治療者やカウンセリングルームがなくても回復していく人たちの声を聞いた。人は適切な環境と媒体が用意されれば自律的に必要な行動を選択し、自分を回復させていく。そう思い至った。だから場をつくることが重要なのだと思った。だが自分で企画をし、交流の場を作ってみたりしたが自分の閉塞はそれほど変わらなかった。やりたいことをやっているはずなのに疲弊していった。

 

その時に出会ったのが自分の畑と田んぼで作った野菜や米を定食として提供するカフェの糸川勉さんだった。農に興味はなかったが、糸川さんの言葉に関心を持った。糸川さんは「一年分の米が取れて生きていける感覚と、一ヶ月ごとに給料をもらう感覚はまるで違う」と言った。

 

糸川さんの自給のために考案された農法(自給農法)では、農業として畑をやると出てくる高いハードルがどんどんクリアされる。薬を使わず、鍬と鎌などの最小限の道具で畑をやる。糸川さんの自給は「小さいものを間引く農業とは逆で、作物は大きく育っているものを先に間引きして食べる。すると小さいものが育って、全体として食べる総量が増える。」というように、お金を稼ぐための農「業」とは真逆の発想で、自分自身が生きることが中心だった。「自給の畑は労働と遊びの間みたいなものだ」という言葉にも印象を持った。しんどい労働とそこから離れた遊びの時間という二分法で生きるのではなく、労働と遊びの中間というようなものがあるのか、と。

 

僕は糸川さんの哲学には大きなヒントがあると思った。糸川さんを自分たちの畑に招いて、何年も実習をしてもらうなかで、糸川さんから学んでいった。自給農法を学ぶ前は、畑は大変で水やりも毎日ぐらい必要だというような勝手に想定されている「やらなければいけないこと」に圧倒されていた。ところが自給農法を学んでいくと、自分の求めや必要性に対して、それが満たされれば十分なのであり、むしろ自分に合わせて、このようにもできるし、あのようにもできるということが体験を通してわかっていった。自分自身を中心にするということがどういうことなのかが畑を通してリハビリされていった。

 

ある時、糸川さんに「ツクシを料理するのは、ハカマを取るのが面倒でなかなかできない」というと、糸川さんは「食べながらハカマだけを出せばいい」と言われた。考えてみれば、他の人は知らず、僕としてはそれで問題ない。だがそれまでは「こうでなければいけない」と勝手に自分で設定している思いこみに自分が縛られて動きが取れなくなっているのだ。自給は自分に軸において、自由に考えていくリハビリになる。他の人ではなく、自分にとって最低限必要なことは何かと考えるとき、それを遂行するための高いハードルはなくなっていくことが多い。

 

糸川さんの自給の哲学から学んだことは、自分の生活の実質を決めている枠組み(たとえば食べ物の得方、仕事やバイトの種類、住まいなど)に働きかけ、自分の必要に合わせたものにすることによって、自分がより元気になり、回復や学びのプロセスがよりすすみやすくなるということだった。そして畑であれば、作物を収穫することだけに意味があるのではなく、自分なりにその種まきから収穫、そして収穫からその利用までの過程は、自分が主体となり、自分の感覚や求めを繊細に感じるリハビリになるということだった。

 

前の自分は、どこかにいい場をつくることができれば、そこで人間が回復していけるのかなと思っていた。だが今はそうは思っていない。それぞれの人が、受動的な参加者としてどこかの場で癒されるという考え方だと人は自分で自分を回復していけない。ちいさいところからであっても、暮らしのなかで、自分で自分の必要が何かを感じとり、その求めを自分の持っているもの、関われるものを通して満たしていくことが、人に自分自身を回復させる力を与えていくと思う。そして自分の暮らしをデザインする主体に戻っていこうとすること、その試行の過程自体が他者との関わりをもたらし、生きることを充実させていくと思う。

 

そう思ったとき、今の社会のあり方を見ると、今の社会の個々の人の生活は、あたかもそれぞれがカプセルホテルのカプセルのように閉じ、孤立していると思う。お金を払うかわりに同じように与えられ、同じような決まりがある空間、自分の必要と関係なく、もう決められたことのなかで生きている。そしてお金をかけられて洗練された空間や施設やモノに比べれば、ぎこちない自分の手づくりのものなど価値はないと思ってしまう。あるいは専門家がやっていることに比べて、自分など何もできない、意味がないと思ってしまう。

 

自給やDIYで作ったモノよりお金をかけられてプロに作られたモノのほうが価値があるだろうか。もしモノによって自分の幸せが決まるというならそうかもしれない。だが、自給やDIYにおいて、モノを作ったり育てたりしていても、目的はモノ自体ではないのだ。自給やDIYにおいて、新しく作り出されているのは、モノ以上に「関係性」であるといえるだろう。今まで存在しなかった「私と世界との関係性」がそこに作り出されているのだ。

 

お金を通して得る関わりは便利であっても間接的な関係であるので、お金がなくなった瞬間になくなってしまう。だが私と世界の間に作り出された直接の関係性は、なくならない。信頼関係を育んだ友達のようにいつもそこにいけばある。作り出された一つの関係性はそこで止まることがなく、まるで一本の糸の先から網が広がっていくように、様々な新しい世界との関わりの接点を生み出していく。その接点は自分が育て豊かにしていくことができる。

 

 自分はより自分に必要なものを感じとり、自分なりの方法でそれを自分に引きつけることができるようになる。そしてその感覚が自分に自信や余裕を与える。僕が発見したことは、個々人は決まったものやことに従うもの、既にある枠組みのなかで適応を強いられる受動的存在から、現在の生活の実質を決めている枠組みに対して、自ら働きかけ、その変化を実感することによって、回復を自分で引き寄せる主体になっていくということだ。
 

僕は畑をやっているけれど、食べるものに関して、自分が主導権を持ち、自分の裁量で調整ができるようになると、暮らしのなかで変化することは大きい。食べもののために働く時間というのが減るし、畑を媒介させてイベントや講習を開くこともできる。自給というと、どれだけ自分でモノを得れるか、貯めておけるかというようなことだと思われてしまうことも多いのだけれど、先に述べたように、自給は新しい世界と自分の関係性をつくりだすところに意義がある。あれを100%自給して、次はこれを100%自給するなんて、自給自体を目的化することは、本末転倒だ。自分にとって必要な世界との直接の関係性を作り出していくことが自給の意義だ。

 

今の社会では実質的に多くのものごとが既にあるものから選ばされるようになっていて、それでは、この自分という色々な限界や求めのある存在を満たすことは難しい。そして自分が直接的に関わって変えていけるものがないということは、実は気づいてなくても不安の基盤となっている。しかし、この社会のなかで少しでも自分に必要なものを自分の裁量で引き寄せたり、調整したりできるようになると、それが自分を主体として勇気づけて、自然と世界が広がっていく。

 

環境に働きかけ、世界を自分にとってより直接的なものに変えていく。遠かった世界をだんだんと自分のほうに引き寄せていく。この繰り返しのなかに自然な回復があり、勢いづけがある。カプセルに閉じ込められて受動的になり、生活を変えられないと自覚なく思わされていることに、回復の停滞があると思う。自分の生活の実質を規定している生活様式や枠組みを自分で変えていくことは、周りの環境や社会を変えていくことと自然と連動している。社会全体を変えることはできなくても、自分がいる場所の周りの環境は変わっていく。
 
必要なものは、誰かが提供してくれる間だけ与えられる居場所や癒しではなく、自分が主体化し、世界と直接の関係を作り出していくこのリハビリ体験だと思う。だからこそ当事者研究のような、ちいさな場をそれぞれが考え、工夫し、運営することが重要だと思う。自分のリハビリを自分で調整設定するということをしていくことが、一番重要なことだと思う。

 

最近、ネットで不登校新聞という新聞の編集長の石井志昂(いしいしこう)さんという人のインタビュー記事をみた。石井さんは中学受験の「失敗」から自分を責めて万引き依存症になった。そしてフリースクールに通い、未経験なところから不登校新聞の記者として自分が興味ある人にインタビューをしていった。そのなかで石井さんが気づいていったのは、インタビューをしたそれぞれの人には、「どうやって自分が生きていくのか」ということに対してそれぞれの「答え」があるということだった。「答え」は一つではなかった。

 

bamp.is

 

それまで石井さんは大人が持っている正しい「答え」がある世界しか知らなかった。そしてその「答え」にどれだけ近づけるかという狭い世界しか知らなかった。このことを知って石井さんはほっとした。石井さんは取材という、いろんな大人が、いろんな「答え」を提示してくる場で、石井さん自身は何を「答え」とするのかを考えさせてもらったという。こうしてインタビュー取材は閉塞していた世界に入れられていた石井さんに新しい「開け」を提供した。石井さんが自分を閉塞から抜け出させたインタビューをしようと思った起点は、自分のなかの違和感であり「問い」だったという。石井さんは、その「問い」はとても尊いものであり、自分の後に続く不登校でありながら記者もする後輩たちに自分なりの「問い」を掛け値無しにぶつけて欲しいと思っているという。

 

「どうやって生きていくのか」、誰しもが問われる問いでありながら、多くの人がこの問いを直接に問うことなく、脇において、目先の適応ばかりに没入してしまう。だがそのような問いを持つことなく、多くの人が目先の適応に没入することは、社会をいびつにして、社会からより人間らしさを奪っていくことになっていないだろうか。


哲学者の鶴見俊輔は、問題づくりの主体を自分に取り戻すことが重要であると指摘し、そのための根本的で答えのない問いを「親問題」とよんだ。「親問題」とは、先の石井さんの「どうやって自分が生きていくのか」、「なぜ自分はここにいるのか」というような、答え切ることができない、一生をかけて問われるような問いだ。一方、鶴見は場当たり的な適応のための問いを「子問題」とよび、「子問題」に専心する没主体的状態から出ていくためには、個人のなかにある痛みが必要であるとしている。鶴見はまたこのように言う。

 

自分の傷ついた部分に根ざす能力が、追い詰められた状況で力をあらわす。自覚された自分の弱み(ヴァルネラビリティvulnerability)にうらうちされた力が、自分にとってたよりにできるものである。正しさの上に正しさをつみあげるという仕方で、人はどのように成長できるだろうか。生まれてから育ってくるあいだに、自分のうけた傷、自分のおかしたまちがいが、私にとってはこれまでの自分の道をきりひらく力になってきた。 鶴見俊輔『教育再定義への試み』

 

先の不登校新聞の編集長の石井さんはまさに鶴見の指摘する「問い」である親問題に取り組み、自分の痛み、自分の違和感をもって没主体的状態から抜け出す起点とし、自分の道をきりひらいてきたのだと思える。

 

さて、100年後の価値観というとき、僕は素朴にそれがだんだんによりいいものになっているのかどうか確信をもてない。国の不正や腐敗が大手をふって横行している日本社会で、嫌韓本が売れるようになっているような社会で、もしかしたら時代的な価値観はむしろ後退するかもしれないと思う。だが、もし時代が後退しても、人間は個人としては時代を超えた存在になりうると僕は思っている。100年後の価値観をもっている人も今どこかに存在しているだろう。そして当事者研究のような、自分たちが自分たちの間に作り出した関係性をもっている空間もまた時代の価値観をさきがけ、超えていけると思う。

 

当事者研究でもし自分がある程度「回復」したとしたら、その後、どうしたらいいだろうか。回復には終わりがない。次は石井さんのように、自分の違和感、自分の「問い」をより生きることへと移行することがより大きな回復への道をすすむことになるのではないかと思う。

 

深い痛み、深い傷つきは「問い」を生む。それは痛みを抑圧して向き合えなくなっている人たちが構成するこの社会を変えることができる「問い」であり、自分を支え、生きることを切り開く力を与えてくれるものだ。その力を使い、自分なりのあり方で、世界と関わり、より自分を取り戻しながら世界と直接の関係性を作り出し広げていく。世界がより自分たちに取り戻されたその自律的な空間のなかでは、人は今の時代のずっと先の価値観で生きられるだろう。自分の深い傷つき、痛みこそ深い回復の道をひらき、自分自身と社会を回復させる。そして自分がもつ「問い」に近づき、応答して生きる。その価値観が「100年後」の価値観になればいいと思う。

2018関西当事者研究交流集会へ

大阪大学の関西当事者研究交流集会へ。

 

会場で配られる抄録に鶴見俊輔の親問題、子問題という考えを引用しながら、自分のもっとも深い痛みや苦しみこそが、生きることを切り開く力になるということを書かせてもらった。自分のような、何の肩書きも誇るような実績もないものを見つけ、声をかけていただくこと、世間一般の「普通」ではないことだと思う。

 

当事者研究である程度の回復がおこったなら次はどこにいくのか。回復が自分の内部にあって止まっている時間を流していくことであるなら、少なくない人がその時間を流すために、かつての自分のような人の回復を助けようとする。

 

それは本来自分がどのように尊厳を提供されるべき存在であったのかを他人を介して確認する行為であるともいえるだろう。他者を助ける時に、そこにもう一人の自分、かつての自分が重ねられている。相手というかつての自分に対して、本来提供されるべきだったものを、今その人の影となった自分が提供するのだ。

 

今回の大会で、当事者が自らそれまでの枠から踏み出し、場をもつという事例がいくつもあった。決められた小さな枠組みのなかで生きていた存在が、そこから踏み出して自分が枠組みをつくる存在になった時、世界の見え方、感じられ方、体験のされ方はまるで違うものになるだろう。

 

僕はそれが回復の続きだと思っている。個人内で完結したり終わったりするリカバリー、回復などない。そう思っている。自意識をもつ限り、回復には終わりがない。それは、今まで感じなかった充実や救いをこれから生きていくなかで感じられる可能性があるということでもある。

 

人は回復していくなかで、世界とより直接に関わり、世界との応答関係を増進させていく。

 

また今回の大会で、いわゆる診断名を持たない人も当事者として研究を発表していたり、恋愛と自分の回復の関係の研究や、「モテる/モテない」ということがひきおこす現象を通して、無意識のままに内在化されてしまった規範が人をいびつに周縁化し、疎外をもたらす構造を可視化していく研究など当事者研究が関わる対象範囲の広がりも印象に残った。

 

べてるの家向谷地生良さんも、非モテ研や恋愛と回復の研究については、ぜひチームを作ってやってほしいとか、全国に紹介したいとかなり積極的に推す発言をされていた。

 

当事者研究の多様化・重層化は、民間学、在野学といったものにも通じ、もしここが発展するならば、世界はかなり面白くなるだろう。鶴見俊輔は学問が陥る大勢順応の傾向とそれを補う存在としての民間学の意義を指摘している。

 

精密な学問、大規模な実験装置と調査機関を必要とする学問は、国家の補助をうけずには成り立ちにくい。しかし、あらゆる種類の学問がその手本に近づこうとすると、当然に学問のなかに大勢順応の傾向が生まれる。 

この一三〇年の日本の民間学を実際以上に大きく見ることを戒め、しかしとにかくこの期間を通じて民間学の流れがつづいてきたことによって、官学にしのびこみ易い大勢順応主義に別の色合いをそえていることを認めて、これからの時代に対して、ゆっくりと、学問の気風の転換をもとめる。『民間学事典』 鶴見俊輔

 

 

民間学事典 事項編

民間学事典 事項編

 

 

 

イグ・ノーベル賞などの存在は、本来どのような発見であれ、上下や貴賎などのないはず学問的探究に実際は上下があり、序列があるということを皮肉っていると思う。そのような偏りは、例えば精神科の薬物偏重のような現象にも通じていると思う。アカデミズムはその体系単独で自律的に自分の歪みを矯正したりはできない。

 

ホームレス全国支援ネットワークの奥田知志さんは、当事者たちが医療の実際のありようを研究し、「ヤブ医者」を知り、そこにいかなくなることによって健全な淘汰がされるという指摘をされていたように思う。権力は必ず腐敗する。国にしても本来であれば三権分立の仕組みをもつように、権力や権威を持つものの健全性は単独では維持されず、妥当性を異にする他者との健全なせめぎ合いによって健全性は成立するのだと思う。

 

僕は、大学院で今後ここで進んでいっても自分が探究したいことが探究しにくいと感じ、そこから出た。人はどうやって生きていけばいいのか、どのように変化し、回復していけるのか。僕は自らを実験台とし、そのことを直接探究したかった。僕だけではなく、自分の必要な探究のために、学問以外のあり方を選んだ在野の探究者たちがいるだろうと思う。

 

当事者研究は、既成の学問のあり方がカバーできないために、存在しているのに研究をすすめていけない問題群にアプローチしていける。幻聴を幻聴さんと名づけてみたり、忌み嫌うのではなく、お茶を出してあげたり、存在を肯定し和解するやりとりを重ねていくと、幻聴さんは以前より悪さをしなくなる。当事者にとっては、これが学問的にどういうことなのかを知る必要はない。学問がこの現象がどういうことかを言葉にするまで待っている必要はない。先にすすめるあり方を研究し、リテラシーを培い、こちらはこちらで探究をすすめていけばいい。既成の学問と当事者研究はお互いを生かしあい、健全にしあうものになりうるだろうと思う。

 

また自分自身が探究することをやめた人間は疎外のなかにあると思う。向谷地さんが精神障害者が奪われているのは苦労をする権利だと指摘されるように、人は探究する存在であることを奪われている時も、散歩が許されない犬みたいになっているのではないかと思う。研究や学びが誰かの専売特許になって生きることと無関係なことにされてはいけない。この意味だけでも民間学、在野学としての当事者研究は必要だと思う。

 

懇親会のとき、抄録の親問題と子問題の話しに、思った以上の反応をもらった。苦しみと向き合う人は哲学的になる。べてるの家では、専門の勉強をしたわけではないのに、哲学者の木村敏に共感する人が多いという。書かれていることがどういうことなのか、自分の体験を通し、苦しみと対話してきたことによって、書かれていることが直接わかるのだ。苦しみに向き合い、確かめられることを確かめ尽くした人は、この迷路を抜ける手がかりの接近を感じとる感性を研ぎ澄ませている。

 

今回の関西当事者研究交流集会では、回復が作られた枠を踏み出して続くあり方や、当事者研究の対象とするものが多様化し、医療や福祉に限らない学びや研究を在野の個々人のものとして取り戻されていくものになっていくはじまりを感じた。

 

またこの多様化は、その求めを一回の集会でみたすには足りなくなるかもしれないとも思った。特に恋愛と回復の当事者研究、恋愛が社会においてどのように人の周縁化や疎外に関わっているかなどは、独立した一ジャンルとして成り立ちうるのではないかと思った。

世界の更新 イメージを喚起させること 時間を動かすこと

過去の世界、記憶の世界の時間は止まっている。放っておけば、どんなに時間がたってもある対象や物事に対して、同じ見え方、同じ感じ方が維持される。自意識に認識される世界はこの止まった世界を通したもの。自意識は時間が止まった世界、違う言い方をするなら、全てがすでに決定されている世界にいると思う。

 

その時間はどのように動くか。世界の見え方はどのように変わっていくか。普段、時間が更新されているように感じるのは、たとえばアナログの時計の秒針が動くのを見ていると、これは時計だということ(アイデンティファイされる、頭のなかにある「それ」のイメージと自動的に結びつけられる)が喚起され、そして何時何分何秒だという過去(たとえば1秒前の状態)がありありと更新されるためだと思う。

 

春の空にツバメがやってきたり、秋の木々の葉の色が変わっていくのをみて季節の変化を感じるのは、過去の対象(空、葉)に対するイメージが喚起された状態で、情動や反応をともないながら、それが否定され、更新されるからだろう。

 

過去の世界はもう既に決まってしまった世界だ。よって退屈であり、もしそこに閉じ込められてしまったと思うなら、絶望の世界といえるだろう。パウロフレイレが「希望」という言葉を、空疎でない、リアルな言葉として使う理由はここにあるだろうと思う。

 

自分にとっての世界の見え方、感じられ方が更新されるには、特定のイメージが喚起された状態で、かつそれが棄却されていくことを目撃する必要がある。

 

犯罪の加害者と被害者が対話を通してお互いの状態の回復をめざす修復的司法という手法がある。全ての場合というわけではないが、少なくない被害者がやがて加害者と再会し、対話することを求めるようになる。それをなぜかと考えるなら、自分のなかの「それ」と結びつき、喚起されるイメージが固定的で変わらず、その変わらなさを終わりにしたいと思うようになるためだと思う。

 

性暴力と修復的司法 (RJ叢書10)

性暴力と修復的司法 (RJ叢書10)

 

 

それを変えるためには、まさにそれだとアイデンティファイされるようなリアリティを喚起しながらイメージが更新される事態が必要なのだ。加害者本人という強烈なリアリティを求めるのは、それだけ日々の苦痛が苛烈だということを表している。

 

と同時にこのことは、対象が二度と会えないような存在であっても、「そのリアリティ」さえ喚起できればそれなりに更新可能だということでもある。墓参りで、墓石の向こうに話しかけることなどはそれに該当するだろう。

 

リアリティを喚起するものを設定してあげること、目の前のその場所に置いてあげることによって、止まった時間は動き、更新されうる。物語において、失った親族、失った恋人にそっくりで、そのリアリティを喚起させる対象が現れるということはよくあるが、それはこのことを示している。心の時間を動かす際に、対象は必ずしも本人である必要はない。ただ記憶にあるイメージと目の前のものや状況が自動的にアイデンティファイされてしまうようなリアリティは必要なのだ。

 

 

kurahate22.hatenablog.com

 

 

ゲシュタルトセラピーにおいて、ホットシートという技法があり、空白の席がつくられ、そこに自分にとっての誰かがいると想定して対話するということが行われる。

 

上岡陽江さんたちの女性ダルクにおいて過去の体験を差し替えていく行事は、当事者によって「思い出づくり」と呼ばれた。

 

”私たちのハウスにいるのは、誕生日やひなまつりのお祝いとか、一緒に食事をつくって食べるということをやってもらったことのない人たちです。あるいはそういうたびに暴力にあっていたとか、ひどい思い出しかなかった人たちです。それをみんなで、安心であたたかい体験に差し替えていくわけですが、あるメンバーがそのことを「思い出づくり」と言いました。私はまさにその通りだと思います。そしてこの「思い出」の中身って何かなと考えると、「出会い」と「生き抜く知恵」ではないかと、私は自分のことを振り返ったときに思います。 上岡陽江『その後の不自由』”

 

 

kurahate22.hatenablog.com

 


自意識から見える世界は既に決定されてしまった世界だ。だがそれは更新しうる。更新の方法を体験し、知ることは自分が自分の見え方、感じ方を変えていけるという希望になる。今知っている世界、みえ、感じている世界が全てでもないし、本当の世界でもない。決まってしまった記憶としての世界に人は閉じ込められている。完全に抜けることはできないかもしれないが、それを真に受けず、距離をとっていくことは可能だろう。

9/18南区DIY研究室 卒論ゼミのような形態の提案 民間学としての当事者研究

火曜日の読書会で、これからの読書会のかたちを提案しようと思う。

DIY読書会初参加の方はcasaludens@gmail.com へご連絡をお願いいたします。


<テーマ探究型発表の提案>


→卒論ゼミのように、自分の持っているテーマ、探究していきたいテーマをもって、読書する感じで発表していくスタイルを提案します。また知識や知見の蓄積だけにおさまるのではなく、実践するなかで、それらの知識や知見が問われること、新しいものが発見されるということを含めてワンサイクルではないかと思われます。

 

 PDCA(計画・実行・評価・改善)サイクルは、もともと製造業で用いられてたものがそれ以外の領域についても使われるようになったものとのことですが、細かな改善点に意識が集中し、ダメ出しのようになったり、大局観を失うといった弊害が指摘されています。ここでは、企業として安定的に利益をあげることや製造業の場合なら既にある設備や業務形態などは前提にされていると思います。おそらく問題は、その前提が問われないままの細部の最適化がなされるといったものだと思います。
 

 一方、学びというものは、むしろ今まで意識下に沈んでいた前提こそ、変わることが求められるものではないかと思います。学びのサイクルは、螺旋運動のように垂直方向にポジションがずれていって、続けていくともう同じところにはいないといったイメージがあります。それまでもっていた前提を変えていく学び、得た知見が日常や実践によって再吟味され棄却・更新されていくことはまさにDIY的であるとも思います。

 パンク・カルチャーのDIY思想はシステムのなかにはめ込まれている自分たちをそこから逸脱させ、他人のものとなった世界を自分たちのほうに引き寄せ、とりもどすことを意図していたと思います。社会にある規範・抑圧は外にあるだけでなく、個々人に内在化されています。その状態から出て、自由な存在に戻っていくための媒体がDIYなのではないかと思っています。

 

<自分自身のテーマについて>
人の変化、回復というものは何か。そしてそれはどのように遂行されうるのかということを考えてきました。得た知識や知見はそのまま自分に利用し、また自分を実験の被験者にしてきました。
 
今まで小さなグループをつくって対話をしたりということをしてきましたが、現在、小さなグループの周りの社会環境を変えていくことで、人の変化や回復のプロセスがより自律的に動きだす基盤が生まれると考えるようになっています。望ましい社会環境とは、それぞれのコミュニティの間にやりとりが生まれ、個々のコミュニティが自律しながら同時に全体としてメタ・コミュニティとしてあるような社会環境ではないかと思います。

 

そのようなメタ・コミュニティにおいては、顔をもった個人と個人の実質の関係性が基調とされながら、その自然な延長として、友人と友人同士との関わりとしての公共が生まれるのではないかと思います。それは、国のようなシステムのなかにあったとしても、同時に自律しており、自分たちの秩序を持ち得ると思います。

 

パイロット・スタディ(研究の初期段階で,研究計画が適切かどうかを確かめたり,修正の必要がないかを調べるために行なう,小人数の被験者を対象とした研究)的に、いくつかのコミュニティ(学びの場)を少人数でめぐり対話する学びの場めぐりをやってみています。学びの場は、もともとより多様な人が集うことが前提とされた場であり、個々人が個々人として尊重されやすい場です。また来年に複数の学びの場の「カリキュラム」をA3一枚のフライヤーに載せる「みなの学びの場」構想もすすめています。加えて今年11月より「防災にも生きるDIY」として、畑をはじめ、それを防災食堂という学びの場を兼ねた場所で提供する構想をすすめています。


これらの活動は大変小さな活動ですが、これは観光家の陸奥賢さんが提唱するような「コモンズ・デザイン」として、同じような活動を個々が勝手にやっていくことをうながすことを意図しています。自分たち自身が巨大組織になるのではなく、自分たちは自分たちでそれぞれにほどよい自律環境をつくるということ、それに並行して、個々のコミュニティ間に循環を必然的におこす第三の仕組みをつくり導入するということができればいいと考えています。

 

さて、以上のような実践を想定しながら、その基盤となる理屈をつくれればと思っています。基本的に今まで自分が見聞きしてきたものをブリコラージュしていくかたちで思考してきました。入手やアクセスがしやすい、手近な材料で自分の考えたいことを考え、必要なあり方ややり方にたどり着くことさえできればいいと考えてきましたが、これをより多くの人が受容できる文脈に変換していこうと思っています。フレイレの対話の思想、鶴見俊輔の親問題、民間学、在野学、当事者研究などを自分自身が学びながら(←自分にとっての読書会の位置づけ)、これら既にある共通言語を再編成するかたちで理屈が示せればと考えています。


<現在の位置>
フレイレは抑圧そして対話がどういうものであるかをかなり詳細に描いてくれている。僕の考えは、ざっくりいって、一般市民が既に抑圧を内在化させているし、自分という主体を奪われているので、その状態を「学びほぐし(鶴見俊輔)」て、織り直していく必要があり、そしてその学びほぐしの媒体としてDIYが効果的だというもの。

 

世界(人やモノ)と直接的な関係性を作り出していくことが資本主義や国家というものをこえていくことになりうる。DIYは世界と直接的な関係性を作り出していくにあたって、欠かすことのできない媒体。食肉うさぎ工場(イエルク・シュタイナーの絵本)のうさぎのように個々のケージ(生活空間)にバラバラに孤立させられ、お互いをエンパワーできないように疎外されているのが現代。

 

うさぎの島 (ほるぷ海外秀作絵本)

うさぎの島 (ほるぷ海外秀作絵本)

 

 

必要なのは関係性の変化であり、直接的な関係性、関わりのあり方を自ら作り出し、そちらへ移行していくこと。その際、大きな社会を一斉に変える革命ではなく、小規模に個々が実質上の自律度を高めていく、個々それぞれに小さく資本主義や国家の支配度を下げ、実質抜けている状態に近づけていくと考える。

 

自分の立ち位置としては、民間学、在野学といった文脈が今のところ近いかと思える。特に芹沢俊介が指摘するように、在野学、民間学鶴見俊輔のいう親問題(自分の存在のもっとも深い傷・痛みに対応する問い=なぜ生きているか、などの根源的な問い、生きる間を通して問われる。それは自分の生を切り開く力をもつ(鶴見))。僕は今まで根源的な苦しみがあり、それは同時に自分に力と充実をもたらすものだと言ったり書いたりしてきたが、それを「親問題」「民間学」のように、既に提示され受け取られている文脈に翻訳していく。 

 

現在では当事者研究がアカデミズムと補完しあうものという認識が生まれてきているように思う。アカデミズムと民間学・在野学としての当事者研究がお互いを相対化し、健康化させるものとして、認識される方向にいくように思う。

 

民間学・在野学は、自分自身を相対化することができなくなったアカデミズムを相対化するものとして必要とされる。生きるために必要なことをどんどんと外部委託し、何でも専門家にお任せするということが、そもそも人間の疎外(無能力化・無責任化・自信喪失・受動化・保守反動化)を生むものであり、経済自立さえすれば後は考えなくていい無責任な大衆消費者を基礎とする社会が衆愚化し、ポピュリズムに陥るのはシステム上の必然であると思われる。それも思想としてのDIY論を探究していくなかで自明になっていくように思う。とりあえずその方向にむかって概念を整理していく。同時にどのように実践していけばいいかという視点から考察していく。

9/12 星の王子さま読書会 酒のみのシーン

第二水曜日の星の王子さま読書会。


月に1回のペースで今回で13回目。13ヶ月をかけて75ページまですすんだ。今日は王子が酒飲みに会うシーン。

 

酒飲みは山のような空き瓶と新しい瓶を前にして黙って座っている。子どもの頃に読んだ内藤濯訳の星の王子さまで一番印象に残っているのが、「酒のむのが、はずかしいんだよ」のセリフだった。残っているイメージでは怒鳴っているような記憶だったが、あらためてみてみると怒鳴ってない。

 

しかし、原文にはエクスクラメーションマークがついているようだ。 

 

―Honte de boire! acheva le buveur qui s'enferma definitivement dans le silence

 

 

稲垣直樹訳では「酒を飲んでいることが恥ずかしいのさ」と言うなり、酒飲みは黙りこくり、そのあとはもう一言も口を効かなくなりました。」

 

個人的には、星の王子さまで一番このシーンが印象に残っている。日本語訳で大きな声で言わないほうがより深刻で行き場がない感じがする。進行役の西川勝さんの読み方も、西川さんが紹介したYouTubeの仏語での朗読も怒鳴る感じではなく淡々としていた。

 

内藤訳では最初のシーンは『「酒のんでるよ」と、呑み助は、今にも泣きだしそうな顔をしていいました』とある。稲垣訳は、『「酒をのんでいるのさ」と暗い顔で酒のみは答えました』と違う。稲垣訳のほうが全体として深く絶望している感じがする。稲垣訳のほうが僕は味わえる。


西川さんは、飲むのはセルフコントロールであり、自分でコントロールしようとするからこそ飲むのだ、という。アルコールアノニマスなどでも、セルフコントロールという自負を諦めるところが回復のステップだという。自分の「意思」の強さにたのんでいるときは回復の契機は訪れてこない。

 

あれだけ辛いことがあったのに、なぜ忘れてしまうんだろうとも言われていた。

 

後の回でまた変わるかもしれないけれど、キツネやバラの話しよりもこの酒のみのシーンが一番自分に届いてくる。自分は酒はのまないが、酒のみの絶望の深さ、闇の深さは、僕には生きることに対しての、その身を挺した深い共感のように感じられる。その共感は、溺れて、力も意志も失って、水底に崩れていくものに、もう一度意思を与え、底を蹴る力を与えてくれるような共感だ。

 

飲むのはなにを忘れるためなのかと王子はたずねる。

 

「恥ずかしい思いを忘れるためさ」と首をたれながら、酒飲みは正直に答えました

 

 

酒のみは、なぜ正直に答えたのだろうと思う。無神経なことをどんどんきいてくるこの子どもに。腫れ物に触るような感じでもなく、自分そのままに関わってくれる存在だと感じられたからか。

 

酒のみのなかで動くものがあった。それは抑えをこえて表に現れた。一瞬であれ、王子との関わりのなかで何かをおこそうとした。と同時に、言動となって現れ出たものは、彼の自意識にとってはインパクトが強すぎた。反動で押し寄せてくる恥辱感、惨めさはまた彼の意識を暗い底に連れていった。

 

酒のみは3つ目の星にいるのだが、どの星にいる人もみな一人だ。孤独であるところに放り出され、行き場のないこれらの人は、それぞれ、「病」として存在しているように思える。生きるために、病として時間を中断し、殻として生きている。そしてそれでもなお少しずつすり減りながら、いつか殻が必要なくなる出会いを待っている。

 

僕には星の王子さまの物語全体の薄い空気感は死の世界として感じられる。パイロット以外は本当は最初からみんな死んでいる。パイロットもまた王子との出会いがなければ生きながら疲弊していく魂の死を避けられなかったのではないかと思う。

 

王子はバラを捨て、星々をめぐり、孤独な人たちを傷つけていったと思う。彼は人を傷つけ、その痛みをみせてもらうことによって、自分自身の痛みを取り戻し、回復したのではないかと思う。

 

次回は実業家の話しだ。

スポーリン『即興術』

スポーリンの本を購入。

 

www.miraisha.co.jp




注釈が丁寧で、章の終わりなどでまとめて書かれているのではなく、そのページのなかにコラム的なスペースをとってすぐに説明されている。たとえば、本文中の「関わり」はinvolvement の訳で、これはrelationshipより強い関わりを示す言葉だが、これと混同しないように【取り組み】【関わり】と併記している部分があるなどとそこで説明されている。

 

スポーリンは、個人の体験することに対する受容能力は、あたかもその個人があらかじめもつ「才能」のように思われているが、その受容能力を高めることができると考える。直観を特殊な人のみに備わるものととらえない。

 

「私たちは、自発性によって本来の姿に再形成されます。それは単に先人から譲り受けただけの思考の枠組み、古い事実や情報、他人の発見による未消化の理論や手法のいっぱい詰まった記憶から私たちを一時的に解き放つ爆発を生み出します。自発性とは私たちが現実に直面してそれを見つめ、探り、それに応じた行動をとる個人の自由の瞬間なのです。ここにおいて部分のよせあつめにすぎない私たち自身が一つの完全な有機体として機能するのです。」

 

自発性はspontaneityの訳語で「意識的におこなうのではなく、自然に生まれてくる行為や行動、その様子をさす」とある。意識的操作ではなく、自律的なものとされ、本書では場合により、「自然発生」とも訳される。

 

主体性とか、自発性とか日本語で言うと普通は、意識的な操作をイメージすると思うが、現れてくるもの、現れてくること自体に自律性があり、それが引き出される体にするということは、面白いし、意識的努力で疲れきった人には救いだと思う。

 

スポーリンはゲームによって、自発性を引き起こす状況をつくる。そして自発性が個人を導いていく。スポーリンいわく、「私たちは経験し体験することから学ぶのであって、誰も何も誰にも教えなどしないのです。」

 

体験とは、「環境に入りこむこと、有機体として丸ごと環境と関わることです。これはすべてのレベルで、つまり知的、身体的、直感的という3つのレベルにおいて関わるということ」であり、「このうち学習の場できわめて重大な直観がおざなりにされている」とされる。

 

直観は即時的にしか、つまりこの瞬間にしか反応できません。直観は自発性の瞬間、つまり私たちが移ろい変化し続ける周りの世界と関わり、そして働きかける自由の瞬間の贈り物としてもたらされるのです。

 

 

自発性がおこるための環境整備として、ゲーム、賞賛と否定、グループ表現、観客、演技術、日々の生活に学習プロセスを移行する、身体化、が挙げられている。

 

自発性がおこっている状態のなかで、直観が生まれる。直観は、断片的な知識、過去へのとらわれなどを排し、人前で身をさらす恐怖に縛られたエネルギーを解放する。本来の意味で個人を統合的な行為を導き、同時に個人を再更新、再体制化する

 

このサイクルを繰り返すことによって、自分とともにある自然が発見され、そこへの関わり、通路がひらかれていく。世界との関わりにおける、詰まりをとっていけるということなんだろうと思う。

 

芸能などにおける型は、個人が陥りがちな癖をとるものでもあるということだけれど、スポーリンにおいてはゲームがその役割を果たすものなのだろう。

 

スポーリンの前提では、たぶん、1日とか2日とかの、その場限りで終わるグループではなく、長期的に関わりをもつグループが想定されているのだろうと思う。

 

どういうグループをつくるか考える。公演が目的ではないけれど、純粋に練習だけするというグループが、グループとして続くのかなと思う。大人の演劇部さんとかは、稽古だけといっても、リピーターもあり、初回もありの混在グループでコンセプトを設定していると思うのでそれでいいと思うのだけれど、スポーリン的なほうの成果を求めるなら、一度決めたらしばらくはそのメンバーでずっとやるほうがいいだろう。他にアイデアがないのなら、公演や発表をするということをいれたほうが必要な張りをもって歩みを進めるにはいいだろうと思う。

 

学ぶ場を維持するためには、やはりそれが一種のナリワイというかたちにつながるのがいいのだろうかと思う。あることを成り立たせるためには、そのあることの周りの環境をつくって成り立たすことが必要なのだと思うけれど。