降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

錯覚の民主制のなかで

毎月、大家さんに家賃を渡しにいく日は、お互いの問題意識を話す機会にもなっている。

 

今日は宮城県大崎市の市民条例(大崎市話し合う協働のまちづくり条例)の話しを聞かせてもらった。大崎市の行政は、よくある他の地域の行政とは違い、積極的に主役を降りて、大崎市民を考える主体としてむかえ、市民条例も行政の官僚的言葉ではなく、市民が日常に使う言葉で作られている。

 

大崎市話し合う協働のまちづくり条例

http://www.city.osaki.miyagi.jp/index.cfm/10,377,c,html/377/hanashiau_kyoudouno_machizukuri_jourei_tikujoukaisetu.pdf

 

香港の人たちは民主主義とは自分たちが行うものと考えていたと思うけれど、こちらの社会では国がやるものだと思われている。仕組みを作るのは自分たち庶民ではない「えらい人たち」であるということがあまり疑問にも思われていない。

 

大家さんが調べたところによると、ギリシアでは、「市民する」という意味にあたる動詞があったという。市民は統治システムによって決められた、動かない名詞ではなく、動的なものとしてとらえられている。

 

動詞の名詞化については、たとえば「ひきこもる」という動詞が「ひきこもり」というように名詞化された時、その名詞に括られた人はあたかも檻に入れられたように自分が動いていく可能性を奪われてしまうという批判がされている。

 

「ひきこもり」という名詞は当事者を過程と見ない見方であるといえる。それは主体を奪う言い方であり、動きをあらかじめ奪うような効果を発揮する。

 

一方、「ひきこもる」という時、それは「ひきこもり」のようなもう決定されてしまった「病態」ではなく、あくまで主体があり、主体の意志があり、過程(プロセス、変わりゆく途中)であることが含まれている。

 

自分は「ひきこもり」なのだと名詞化してとらえるとき、自分は主体を奪われ、選択以前の無力な存在と認識されてしまう。しかし、「ひきこもる」のであれば、それは選択であり、過程であり、自分には選択の力があること、今の状況には必然的な理由があることが含まれている。「ひきこもる」という動詞には、その状況から出ていく糸口の存在も示唆されているのだ。

 

一方、「ひきこもり」という名詞にされてしまえば、その定義は専門家が決めるものであり、その対処法もまた専門家に任せるものとして認識されてしまう。動詞の名詞化は、その重大性が見過ごされているが大ごとなのであり、名詞化自体によって、実際に「ひきこもる」を過程が過程であることを見失わせることによって、なくてもよかった停滞や副作用をひきおこし、当事者から力を奪うものであるということが認識される必要があるだろう。

 

 

「市民する」という動詞が過程を奪われ、「市民」という名詞のみになっているところでは、また「市民」も権威が決めた定義のもと、主体性や自律性をあらかじめ奪われた存在として自身を認識してしまう。

 

だが「市民する」という動詞にあたるものがまた作り出されるなら、大崎市のように市民とは「市民すること」によって生まれてくるものであり、行政に思考をお任せするのではなく、奪われた思考する過程を奪い返していく必然が認識されるだろう。

 

皮肉にも、専門家がつける病名ではなく、自らが自分の苦労を名付けることによって、その苦労の本質を自覚し、受動化されたところから主体を奪い返していくものだった「当事者研究」が、当事者研究の「専門家」によって、専門家の不祥事への向き合いを避け、当事者の内面の問題にするために使われたという「当事者研究の悪用」の告発が今なされている。

 

専門家から主体性を奪い返すためのものであった「当事者研究」もそこに専門家や権威ができると、その人たちの出世や成功に都合のいいものとして使われ、当事者は提供されるツールに従う受動的な存在に固定されてしまうことがわかった。

 

誰かに作ってもらった枠組みに依存させられること、そもそもの枠組み考えたり、調整する体験過程を奪われることが問題なのであり、個々人が本来持っていた環境を変えていく力を無力化し、自身の評価を低いままにとどめてしまう原因になっている。このことに時代は気づく必要があるだろう。

 

国がやっている民主主義とは、選挙制度のようなことであり、それは民主と名づけるにはあまり不足であるだろう。自分たちの地域のことが行政の専門家によって決められ、自分たちにはわかりにくい言葉で決められ、自分たちが関わらなくても、一見まわるような錯覚に陥らされる。

 

民主という言葉を使うなら、思考の主体であり、自分たちが枠組み自体を考える主体性の回復こそが、民主化とよばれるに値するのであり、思考の過程を奪われ、枠組みを調整する資格をあらかじめ奪われているところは民主化されていないと認識する必要があるだろう。

 

さらに根本的に考えるなら、民主という言葉がどういう原義なのかも気になる。作家の赤坂真里氏が「日本人にとって「民主主義」のリアリティはあるか」という投稿において、democracyの由来について調べた経緯を紹介している。

 

gendai.ismedia.jp

 

英語圏の感覚を持った赤坂氏の友人たちによれば、democrcyという英語の「cy」は、外来語に用いられる時によく使われるものであり、英語ですらdemocracyは外来語的で、土着感覚がない言葉であるらしい。

 

ギリシア語までさかのぼれば、「ギリシャ語 demokratia の構成は、demos“common people(一般的人々)”、その語源としては”district(地区)” + kratos(支配、力)」となり、「demo はさらに古い形は da であり、「分ける」の意。英語の divide の語源の一部」であるとのことだった。

 

赤坂氏はさらに問いかける。

「なぜ「人々」が、「地区」と同義であり、より古くは「分ける」から来るのか?」と。

 

そこにあったのは、奴隷制という前提だった。

 

「ただ漠然とした集落単位というものはなく、人の集団の単位はいつも、その「管理」と結びついている。」

 

赤坂氏は、日本における小学校区や氏子の範囲などが、市町村区の区分け以上に生活に根付いた実感的な概念であることに言及し、「「管理しやすいように分けた、人々の単位」、それが demos であり、時代が進むと「民衆(common people)」の意味になったのではないだろうか。」と推測する。

 

民衆とは人である以前に、ある地区区分に従属する管理対象、管理資源としてあったのだ。そしてアテネにおいて、民主主義は民衆から生まれたものではなく、皇帝が与えたものだったという。

 

赤坂氏は、democacyと質の良い労働力および士気の高い戦士の大量獲得には密接な関係があったと指摘する。

 

皇帝のために戦うと考えるより、自分たちで自分たちを守ろうと認識したほうが士気は上がる。それは日本における大正デモクラシーの実態とも一致するし、兵士として男性に劣ると位置づけられた女性の選挙権獲得が遅れることとも符合するようだ。そして現代においても、民主制は支配者が行うものである。

 

民、民衆、それぞれに生きている人を一まとまりにし、管理することが前提であった民主主義は、いまだに管理するものと管理されるものを前提に存在するものではないかと思われる。一人一人は、はたして「民」であるのだろうか。

 

動詞が名詞化されるときに主体性が奪われていたように、統治するシステムによって、「民」と名づけられ、「民」であることが本来だ、当然だと信じさせられることによって主体は奪われているのではないか。そのように思わされる。

 

そうかといって、現状を全否定しても何も展開しない。そこで表と裏をただひっくり返す革命のようなことではなく(結局それは支配と管理の発想が変わらない)、思考の主体、環境との関わり方の枠組みを考え調整する主体をそれぞれに取り戻していくことが転換に向かう一歩一歩となるのではないかと思う。

 

皇帝(統治システム)が民衆をして自分たちが主体だと錯覚させながら支配する仕組み。それがいまだに続いている。「民主主義」は到達点ではない。いやもしかしたら到達などというものはないのかもしれない。しかし、この体制内にあっても、様々な水準で、いまだ奪われている主体をそれぞれに取り戻していくということができるだろう。

 

人が主体性を取り戻していくことは、実際上は奪われている主体性、自律性を奪い返していく反逆として現れる。事を荒立てないことは現秩序を補強するが、権力が必ず腐敗するように、そのことは自身が生きている世界の牢獄化をすすめる。現秩序を維持することに加担するのもまた暴力であり、実際は「事なかれ」などではないのだ。

 

しないことが非暴力だと高を括ることなどできない。現秩序の維持と更新のどっちを選んでも、それが暴力性を伴うことは否定できない。だからこそそこに単純な割り切りではない繊細な倫理性が要請され、それが育まれていく歴史的必然がある。