降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

当事者研究のグラデーション

昨日話していたこと。

 

当事者研究は今は精神福祉領域周辺のものとして受け取られているけれど、『みんなの当事者研究』でも上野千鶴子さんが言及したように、フェミニズムも「当事者研究」であったと思う。

 

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精神福祉周辺の当事者研究界隈では、ジェンダーの視点がほぼ共有されてなくて、よって抑圧に非常に無自覚なところがある。これはハラスメントではないかということがなあなあにされるところ、冗談の範疇にいれられて問題視されないところを散見するので、この雰囲気に耐えられず来れなくなった人たちはいると思う。

 

一方で精神福祉周辺の当事者研究に加えてフェミニズムにも関わっている方からは、ジェンダーだけが主題化されているとそれはそれで息苦しいところもある、精神福祉の当事者研究界隈でほっとするところもあるという感想も聞いた。

 

領域間の乖離は大きく、先の京都の文化庁抗議でも、問題は表現の問題だけではないのに、純粋に「表現」だけにしか反応しない、興味を持たない「表現の人」たちの姿には消耗させられたという声もあった。

 

自分たちの、他とは「独立」した経済圏、勢力圏に直接関することなら反応するけれど、そういう姿勢自体が同時に世間がマイノリティに無関心で普通に見捨てていくマインドの再提示そのものであるということなのだろう。動いている人ですらそうなのだから・・・とより深い失望を感じてしまうのは、その人の個人的な感性ということにおさめられるようなことではないと思う。

 

当事者研究は、精神福祉界隈に限らず、それぞれの分野、それぞれの場所で立ち上げられる必要があると思う。同じ分野のように見えるところでも、様々なグラデーションがあるのだから、それだけの当事者研究の場が必要だと思う。多くの人は、複数のマイノリティ性を持っている。それが一つだけに集約されてしまうとき、そこには抑圧が発生している。