休みとは何かとふられて、自分が今は余生だと思うと言った。
そこに、のんびり気楽ですみたいな意味は全くなかった。
休みというのは、仕事に対するもの。主たる活動や目的があって、それがない時の時間が休みということになる。しかし、生きていてするべきことなどあるのだろうか。こう生きなければならないということがあるだろうか。
個々の人は、自分で生きたいとも思ってなかったのにこの世界に放り出されただけだ。その上でなお生きるべきこと、するべきことなどは何もない。
「(今考えるなら)生まれたときから余生なのだと思っています。生きることに目的などないのだから。」
そう言ったときに強い気持ちが湧いた。しかし、そう言ったことは場には拾われなかった。
世間は、当然のような顔をして人を騙す。自ら騙されているのかもしれないけれど。何かを当たり前のように思わされて言うとおりやった結果がひどいことになっても、何の責任もとるつもりもないのに、こうすべきだなんて、言うだけは言い、押し付ける。
その嘘や欺瞞に対する怒りの気持ちが高まったのは中学校のころぐらいからだろうか。いや、それまでもあった。中学校のフラッシュバックが全ての始まりと思っていたけれど、よく考えるとそれ以前に端を発するのだと最近気づくようになった。
親が留守の時に、同居のおばがやってきて無理やり組み敷かれて臭い口でキスされていた子ども時代。あの屈辱と親が子どもに正しいことを押し付けるのに自分はおばを正せない言行不一致の欺瞞への怒りと不信。そして自分はそんな扱いをされてそのままにされていていいような存在なのだ、と歪んだ。
もうその時から復讐するように世界と向き合っていた。欺瞞的なものを憎み、攻撃する。惨めさのなかにいた。そして欺瞞にみちた世間に攻撃する。そうやって復讐して惨めさをぶつけていた。そこでは強く出れるが、そうでなければ自分の素直な気持ちなどは出せなかった。自分の価値が低いと思いこみ、身体化しているので、被害者としての(つまり正当な理由がある)上からの立場でしか気持ちを表現することができなかったし、素直に出すという選択肢が思いつかなかった。
今もそれを続けているなと思う。世間や社会の欺瞞をみて怒り、間違いを断罪するようにただし、意趣返しをする。回復の理屈を探すことと、間違った世間をただすというかたちで断罪し復讐することは今まで同時にあった。
しかし、本来はどうありたいのかと考えるなら、そもそも惨めさと否定を抱え込み、歪んだ位置から復讐し続けるのが求めではない。そこに居続けることは、絶望のままにとどまることだ。
小学校のあの時、出発しそうなバスの扉の横にたち、自分の意思が通じて扉が開くことを少しも疑わず、まっすぐに顔をあげて運転手のいるほうをみていた女の子の衝撃を受けたように、ひねくれて攻撃的にしか関われない自分に対して、自分が否定されて傷つくこともいとわずに自分を人として相手をしてくれた同級生のように、そこにもどることが自分の底にある求めなのだと思う。