降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

親問題

ずっとそこに引きつけられること。

自分でも本当には何をしようとしているのかも知らないこと。

 

10年も20年も経ってみえてくるようなこと。そうであるとも気づかず、わかってもないのに動かされていること。

 

 

こないだ歩いていて、自分の研究の原点が何か、やっと明確に言語化できた気がした。

 

ある二つの集団がいるとき、片方が他方をあまり気にかけずに生きていけることがある。そうした力の不均衡が生じる過程とそれを生じさせる構造を理解したい。

 

そうした構造はどこでも反復していて、バリエーションの例として「文系と理系」「女性と男性」「非西洋と西洋」があったりする。これらは皆同じではないがどこか似ている。その場合、どちらの集団にも「知」はあるのに、一方の知が他方を圧倒する。

 

博士論文で自然科学者の専門職業化を調べたのも、それまで顧みられなかった知が表舞台で脚光を浴びていく過程への関心があったと思う。

 

その力の不均衡は、一見したところ単純に経済的なもの、あるいは軍事的な暴力で説明が付きそうに見えるが、そう簡単ではない。その簡単でない部分を細かく見ていきたい、と思ってる