ジャンル難民学会
コムニタス・フォロの明日の催しを今日だと勘違いして大阪の天満橋まで来てしまった。不登校問題の本を書いていて最近若くしてなくなった常野雄次郎さんのことを話す会。
僕も不登校だったけれど不登校であることよりもその時期にはじまったきついフラッシュバックにどう向き合っていくかが切実で、そのあり方を探してきた。
生きている当事者にとって、探究と実践が実際に自分の生に変化をもたらさないと意味がない。限られた手持ちでは関連諸分野に関わりながらも、そのことによって自分に活力と循環更新をもたらす「生きる軸」をより明確にしていくことが必要で、その軸が曖昧になることは本末転倒だ。
不登校問題自体は自分の軸ではない。けれども不登校50年のサイトの内容の濃さを鑑みるにこの周辺には確実に何かある。
大学にいっていた時は、自分の軸と一致する分野は見つからなかった。もっと能力があれば別だったかもしれないが、自分の求めや相性に対して効率が悪い。当事者からみたら分野ごとに閉じる閉鎖性や馬鹿げた前提へのこだわりをまだ崩せずに保持しているように感じた。自分に必要な知見や体験は自分が直接確かめに行って見つけないと間に合わない。そう思った。
関連諸分野に横断的に関わって落ち穂拾いのように必要なものを取り入れていく。しかしこちらのやり方の難点は、個人作業になり、人から得られるものが得られないことだ。
ジャンル難民のサロンみたいなものがあればいいのにと思う。絶対確実なようなことを積み上げていくようなアカデミズム流ではなく、基本的にはある知見や仮説が妥当かどうかはそれぞれの実践者が吟味すればいい。アカデミズム流よりももっと大胆な仮説、分野横断的な探究ができる場。探究は社会に還元するためでなく、探究者自身が妥協のない納得に向かうためのもの。
ジャンル難民学会でも作って開けばいいか。
名古屋の応用哲学会はいい感じみたいだった。ジャンル迷子、ジャンル難民が集まり、考えていることを発表できる場所が欲しい。
今回は現代社会にアプローチする(私がイメージしていた応用哲学っぽい)回が多くて、分析哲学以外の人も大丈夫な雰囲気でした。(いつも大丈夫だけどちょっと肩身狭かった)院生・非常勤は学会費が2千円と破格なので、ジャンル迷子の思想っぽいことやってる人は良いと思います。 #JACAP2018
— Orika Komatsubara (@renrakufontda) 2018年4月8日