降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

関西当事者研究交流集会に

べてるの家から生まれ、各地に広がりつつある当事者研究

 

大阪では去年にその全国交流集会があって、参加した知り合いからとてもよかったと聞いていた。今回は全国ではなく関西地区の交流集会ということで行われたようだ。

 

npo-sone.jimdo.com



集会のだいぶ前に、今回の交流集会の実行委員の第一回目のミーティングに参加させてもらったが、場はすでにいい感じにゆるくあたたかく自由な雰囲気があった。当事者も支援者もいたけれど、来ている人が萎縮せず、いいたいことがあれば自由に率直にいえている感じがあった。べてるでは場を肥やすという言葉があるそうだが、これは既に肥えた場と思った。コンポスト感みたいなのがある。


僕は家も遠いので実行委員会には入らなかったけれど、実行委員会は月1ぐらいで何度もミーティングを重ね、直近まで何も決めない(決まらない?)まま思うことを言う話しあいを続けていたそうだ。そこではいろんなものが育っていっただろうなあと思う。何かやろうとしていることが先にあり、それを考えるというのは話しの場をもつ方便でもあったんじゃないかなと思う。

 

話し合うために話し合うのもいいけれど、何かをやるという体で話すとそれとはまた違った質の経験と交流が生まれる。何かを一緒に作る過程では、人と人の関係性は横並びになり、流動状態になる。普段とは違った役割や関係性に移行しやすい。

 

フルーツバスケットという椅子取りゲームがある。鬼がフルーツバスケットと言うと、全員が立って別の場所に移動しなければいけない。わーっと立ち上がって、元の椅子ではない、別の椅子に移動する。

いつもいる椅子を普段の自分、普段の役割だとするなら、いつもはその椅子から人とやりとりしている。わりに安全性とか安定性はあるのだけれども、同時に型にはまって自由な動きがしにくい。相手も自分の椅子に座っている状態でのやりとりなので、回数を重ねても、その関係性で型通り以上のことはおこりにくい。

何か新しいことを一緒にやるということは、お互いにその安定している椅子から離れるということだ。不安定だが思わぬ豊かさがあり、次に落ち着いて座る椅子は前の椅子ではなくなっていて、関係性も質的に変化する。

交流集会は朝10時からはじまっていたが15分ぐらい遅れていった。最初は浦河から来たべてるの家のメンバーが壇上にいた。司会者は、メンバーの当事者研究の関わりとか、その人の個性とか苦労とかを来た人にもわかりやすいように場をリードし、質問したり、メンバーの発言の補足をしたりしていた。

その後、関西で当事者研究をやっている団体の紹介があり、それぞれ壇上に登って自分の自己病名や活動の紹介などをしていた。京都で表立って当事者研究をしているところは1つか2つだけれど、大阪は10団体近くあってこんなにやっているのかと驚いた。弱さを交流の手段として反転させるということは、もしかしたら大阪的で馴染みやすいのかなとか思ったり。

 

来年の名古屋の全国大会の紹介もあり、その紹介の歌とか、なかなか名曲で、感動的ですらあった。当事者研究ってやってるけど結局なんだかわからないよね、みたいなことを歌うのだけど、まるで格好のつかないそのまんまさとか身もふたもなさをユーモアとして生かす技術?の高さがある。ここに向かってさあ頑張って行こうという感じではなく、壁にでっかい穴ができちゃったなあとか、どうしようもないこと、無力であることを笑って一緒に確認してそこに着地してみると、感じられてくる世界が変わる。

会場に多分10年ぶりぐらいの知った人がいた。向こうが僕に気づいたかどうかはわからない。当時も苦労されている感じで、多分その後も苦労されているのだろう。でもこの場に来ているということは、生きていく場があって生き延びてきたんだなと思った。これから当事者研究は、様々に生きづらい人が生きて回復していくための大きな受け皿になるだろうと思う。

何年も前、浦河べてるの家に見学に行った時に、メンバーの一人に「あなたはスタッフですか? それとも当事者ですか?」と尋ねられたことがあった。僕は自分は見学者なのでどちらでもないと答えたけれど、相手はその答えに怪訝そうな感じだった。あとで、別にカルテは持ってないけれど当事者だといえばよかったなと思った。自分は当事者だ。当事者として生きてきたし、当事者として生きていく。そして誰もが生きている当事者だ。自分という状況を引き受けることは、自分にしかできない。

 

kurahate22.hatenablog.com

 

 

 

中学時代からはじまったフラッシュバックが弱まってきても、そこに残ったものは、弱いし能力も根性もなく、人に優しいかというと、別に人への共感性もないし、適応もしにくいどうしようもない自分だった。まるで生きていける気はしなかった。そこからこの自分がどうやって生きていけるのかをずっと探ってきた。一人でやっていたけれど、自分は当事者研究という言葉を知る前から当事者研究をやっていて、いわば今もそれを続けている。

 

自分という実験台で、探り探るなかで一つ一つ確かめてきた。ヒントを得て、必要なものに近づき、出会い、閉塞していく状況が閉じきる前に、かろうじてその場その場を通り抜けていく。

 

わかったこともある。人は自分の既知の世界に閉じ込められていて、そこから出るということを繰り返すものだということ。生きていくのに必要なことは、自分自身で自分が閉じ込められている古い世界を更新していくための自分なりのあり方を知っていくことだということ。閉じ込められている古い世界の更新が、生きることを支える充実やエネルギーを自分に流れ込ませる。

 

この社会では、お金があれば、何もできなくても、何に関わらなくても、身体が維持できる分のものは用意してもらえる。多くの人は、水を自分で引かなくても貯めなくてもいいし、電気を生み出す装置を作る必要もないし、塩を海水から作る必要もない。狩りにいく必要もないし、自分自身が作物を育てる必要もない。自分自身が医療の知識をもつ必要もないし、学びたいなら教えてくれる学校に行けばいい。


しかし、そういうところでは誰にでもある程度合うようとりあえずのものはあっても、自分にぴったりフィットしたものはない。だが生きていくとき、自分にまさに必要なもの、フィットしたものでなければ、先に進めないことがある。それらはどう得たらいいのか。用意された環境で生きることは、自分に必要なものを自分で探し、そこにたどり着く力が育つきっかけを提供しない。自分で生きていく力、自分で自分を更新していく力が奪われている。

 

専門家やシステムに完全依存すると、本来活性化するはずだった力も奪われてしまう。でも誰もそういうことを言ってくれない。そもそもそれを知っている人も少ない。ある特定の問題が解決するという短期的なことではなく、ずっとこの自分が生きていくという時には、あらゆることはある程度自分でケアしたり、工夫したりする力を持つことのほうが重要だし、必要なことの一つ一つを自分で見つけ、新しい状況を自分自身で導くことこそ生きものとしての人に充実を与える。

 

日本で流通している「普通」という言葉は、「平均的」とか「通常の」を意味するのではない。それは、社会が要請してくる個人が到達すべき水準のことである。  熊谷晋一郎編『みんなの当事者研究』p56

 

苦労を奪われた人たち、問題を奪われた人たちは、知らないうちに生きる力を失うだけではなく、人としての充実もまたあらかじめ奪われている。だがそのことに無自覚なのは、当事者研究をしている人たちではなく、むしろ社会で生きている「普通」の人たちのほうであるだろう。「普通」という到達すべき水準を与えられ、それに従う「能力」があるゆえにより盲目的になる。言われるまま合わせることはできても、自分で自分をどうしたらいいかわからず、自信を失い、混乱を深める。あるいは自分を許さないように他人を許さず、自分を痛めつけるように他人を痛めつけて自分の痛みを忘れる終わりのない繰り返しのなかに自分を沈める。

 

当事者研究は、生きづらさをもつ人たちが苦労との向き合いを自分に取り戻すことによって、生きていること、生きていくことを自分たちに取り戻す取り組みだ。だが本当の病理は当事者研究をしている人たちにあるのではなく、それを生み出す社会の構造にある。当事者研究は、この社会においてこの病理を担うことができない「普通」の人の代わりに、人が人として生きるとはどういうことなのかという根源的なリテラシーを社会に取り戻していく運動であるともいえるだろうと思う。

 

 

 

臨床心理学増刊第9号―みんなの当事者研究 (臨床心理学増刊 第 9号)

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