降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

回復 世界の見え方を変えていくこととして

「人は、手に入れたものじゃなく、手に入れられなかったものでできている」(anone)

 

熊谷晋一郎さんは回復とは自分の有限性の意味を見出していくことだという。

 

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意味を見出すとは、手に入れられなかったものでできているこの自分の見え方、つまりこの世界の見え方を変えていくことなのだろうと思う。

 

 

小児科医ウィニコットは、子どもは母親を見ているのではなく、母親の瞳に映る自分を見ているという。自分の存在の意味は、母親の瞳へどのように映るのかによって決まってしまう。

 

 

自分の見え方は、「母親の瞳」にあたる、投げかけた自分を映す鏡のほうが変わることによって変わる。白雪姫の魔女も一人だけで自分の美しさを確信することはできない。

 

 

最後に魔女がはかされ、そのために死ぬまで踊り続けなければいけなかった灼熱の靴は、耐えきれない自己規定(=受容できない有限性)を持ったものがもはや存在しない鏡の肯定を求め、もしかしたら肯定されるかもしれないという可能性にすがって、永遠にあらゆる様態をとり続けなければならない苦しみを表しているように思える。

 

 

鏡は既にできてしまっている。だから回復は、自分の知らない世界へ踏み込むこと、既知の世界から踏み出すことを抜きにおこることはないだろう。



 

 

真っ暗な洞窟で

お遍路に関わるひとたちのことばや姿をみるなかで、私が強く感じさせられたのは、彼らが「かつて」と「いま」を同時に生きており、通常の意味では「いない」とされるものと、「いる」ものを同じように扱って、日々を暮らしているようにみえるということです。それは、もしかしたら「みえないもの」に対するひとつの態度ということかもしれませんし、私たちが現代を生きる中で失いかかっている、ひとつの感性のことであるのかもしれません。
 
過去は現在と共にあり、不在の人は存在するひとと同じように「いま」に佇んでいる。だとすれば、過去は変えられない、もはやないものなどではなくて、「いま」の隣に並んでいて、ここから再び「かつて」を生きることができるかもしれない。そして「いま」過去を生き直すことができるならば「かつて」の意味も変化するかもしれない。

 


midori-blog.hatenablog.com

 

実業家出身で僧侶でもあった吉本伊信が仏教の修行法を一般人でもできるように整えた内観療法という観察法がある。

 

子どものころから現在までの自分と母親との関係でしてもらったこと、して返したこと、迷惑をかけたことが何だったか、まずは小学校低学年の時のものを1人で1時間思い出しながら探って、1時間後にくる面接者に報告する。その次に小学校高学年の自分と母親との関係をまた1時間調べるというふうにして、それを現在まで続ける。母親が終わったら次は父親で同じことをやるというふうに1週間近くをかけて記憶を想起し、再整理する。

 

たとえば小学校当時の自分の記憶や体験は、その幼さで把握されたままで残っている。あの人にこうされたとか、傷つけられたということも大人になった現在の視点で見直すならば、それがその状況のなかではある程度不可抗力でなったものではというように認識が変わったり、あるいは被害を受けたと思ったこと以上に色んなことを支えてくれていたのだなと捉えるようになったりする。すると、家族なりその周りの社会なりに対する感じ方が大きく変わったりする。

 

これはつまり、10歳なら10歳の自分が体験し認識したこと、15歳なら15歳の自分が体験し認識したことが、放っておけばいつまでも当時の未分化な認識のままで残っていて、現在の感じ方に影響を及ぼしているということだ。それを現在の自分の視点で想起し、再整理することで、ようやく感じ方が変わる。心の世界の時間は止まっていて、そこにあえて光をあて、今の視点で捉え直すまでいつまでも影響を与え続けるようだ。

 

自分の認識のあり方をたとえるなら、自分は様々な物語が乱雑に記憶され散りばめられている洞窟のようなハードディスクに放り込まれている。そこでは記憶された時ままで残っている物語が相互の矛盾に気づかれないまま保存されている。物語はそれができた時の状況に近い状況に出くわすと当時の感情や認識を再体験させる。今ここでおこっているはずのことが、実質的に過去の物語の繰り返しとして捉えられ、反応がおこる。

 

 

次々に何かやることができ、明日のことも考えないといけない忙しい日常では、ハードディスクの暗闇のなかでそれぞれの場所に乱雑に置かれている物語のあちこちにぶつかって反応をおこすだけになってしまう。内観療法は、その真っ暗なハードディスクのなかでロウソクに火を灯し(お題を与えられることがこれに該当する)、物語と物語をつなげ、見比べたり、矛盾しているものを整理したりしていく作業なのだと思う。

 

 

光を当てられた物語は、日常のなかでぶつかって反応しているだけのときとは違ったものに変質する。お題や問いという光によって吟味されることによって、幽霊だったものは枯れ尾花になる。じっくりと一つのところに意識をあて手探りでかたちを捉えていくことができない日常は、どこに何があるかわからない真っ暗な洞窟を疾走させられてあちこちにぶつかることを繰り返しているようなものだろうが、日常の時間と切り離された時間と場所を持つことで、その洞窟自体がどうなっているかを調べることができる。

 

 

この記憶を保存している真っ暗な洞窟の素材は言葉だ。この真っ暗な洞窟は石ではなくて言葉でできている。ある言葉を意識に当てるとき、洞窟のなかでその言葉の周辺が光る。その時それは変更や更新が可能なものになる。

 

 

放っておけば幾つになっても10歳の時の把握と反応がそのまま残っているように、過去のもの、失ったものであっても、この真っ暗な洞窟のなかでは、その記憶と反応はそのままにされて残っている。現実にはその人が亡くなっていてもその人は現在に影響を与え続ける記憶としてその場所に残っている。この洞窟では付け加えられることはあっても、何も失われていない。かたちを変えるだけだ。

 

 

少女の飼い主を失った子犬が、悲嘆の時期を過ごしたのち、飼い主を想起する時いつでも飼い主のリアリティがそこにあることに気づく菊田まりこ『いつでも会える』のように、あるいはお父さんを失った子どもが一瞬だけ通り過ぎるようにであった男性をそれをお父さんだとわかっているよと語る長谷川義史『てんごくのおとうちゃん』のように、沢山の物語が失われたものとの再会を取り扱っている。

 

 

いつでも会える

いつでも会える

 

 

 

てんごくの おとうちゃん (講談社の創作絵本)

てんごくの おとうちゃん (講談社の創作絵本)

 

 

真っ暗な洞窟のなかでは、時間が止まっている。そしてそこでは今とか昔が同時にある。そのような洞窟のなかに自分がいる。そこでは失われたように思われるものも失われておらず、さらにはそれを想起するものと対話することによって、自分に必要な体験が与えられる。

 

 

失われたもののリアリティを想起するものとやりとりする。そのことで、自分は赦されたり、そして感じられることが変わってくる。その方法はお墓や仏壇に話しかけることでもいいだろうし、その人に宛てたかのような作品を作ることでもいいだろうし、演劇をすることでもいいのだろう。

 

発達障害のある人がボランティア側に立つことの意味

大阪ボランティア協会の発達障害を持つ人がボランティアする側に立つときを考える勉強会。

 

先日のバザールカフェ主催の奥田知志さんのプレゼンの内容の濃さには驚いて、今までその存在も知らなかった自分の関わる世界の狭さを実感してよかったけれど、今回のこの勉強会も想像以上に内容が充実していた。特に広野ゆいさんのプレゼンや見識に感銘を受けた。

 

 

ボランティアというのがなんであるか、特に自分が考える領域とも思ってなかったけれど、発達障害がある人がボランティアする側に立つということは単純に支援する側とされる側という枠組みの次元を変えるものだと思った。

 

 

自助グループにおける回復者が支援側になり、かつての自分の立場にいる人の回復を助けることでさらに深い回復を遂げることが様々な場所で確認されている。回復者は単に自己に閉じた幸せを求める次元を超えてより広い社会に働きかけ、その環境を改善する存在になっていく。

 

 

回復とは単に経済活動に再従事して平均かそれ以上の稼ぎを得られるようになることではなくて、自分の底にある願いや思いを社会と接続し、環境を変化させていくことであると思う。回復は自分の周りの環境、そしてまたその周りの環境を変えることとして続いていく。

 

 

助ける人は自らの深い回復を求めて人を助ける。そしてその関わりにおいてこそ人は回復できる。つまり助ける人は自分に関わりをくれる存在に助けられている。

 

 

自らを助けるために人を助けているということを認められない支援者、自覚のない支援者はたとえ何を助けていたとしても相手から奪うために関わっている。実際にそういう人は相手からイニシアチブやエネルギーを奪う。自分の当事者性に気づかない状態の人は、それを自覚している支援される側の人より後方にいる。

 

 

発達障害を持つ人がボランティアをする側に立つことを認めることは、人は人を助けることによって自分を回復していくしかないと認めることにつながると思う。

 

 

その時ボランティアとは、やってあげることではなく、関わらせてもらうことになる。もちろん相手は助けを求めているからこそ関われるのだけど、自分はそこに関わることによって回復させてもらうのだから。

 

 

ここでようやくお互いさまの世界になる。助ける人は助けるという行為によって自らを回復させる。助けられる人は自分が助けを求め、相手の助けを受け入れることで援助者の回復を助ける。助ける人は助けられる人であり、助けられる人は助ける人だ。

 

 

自他への信頼を酷く傷つけられた人は、強固に安定して安全なものとの関わりで少し回復する。そして次にその状態で少しだけチャレンジングな人との関わりをさせてくれるところで回復が進む。回復は自分の今の状態に対して程よい人との関わり、程よい挑戦をすることによってすすむ。そしてそれが飽和するとまたその状態にあわせた程よい環境が必要になり、またそこでまた程よい人との関わりという挑戦をすることによってまた回復が進む。回復とはずっとこの繰り返しをしていくことだと思う。

 

 

この時ボランティアとは、助ける人つまり自分の回復のために人と関わる人とそれを受け入れる人のお互いさまの協働作業であり、お互いを育てあい、学びあうためのコーディネート、環境設定であるといえるのではないかと思う。

当事者研究 他人事メソッドについて

当事者研究

 

自分自身を他人のように実況中継する技法「他人事メソッド」を考案し雑誌などにも掲載されている大矢さん。FB投稿でも実践されている。実況することで自動思考と自分が一体化した状態を切り離す。

 

 

他人事メソッドは距離を取るための技法と思っていたけれど、これは対話なのだと気づいた。文字による他人事メソッドは特にそうだと思うけれど、暖かくかつフラットな相手に現状を報告し、フラットに返してもらう。

 

 

自分をどういう存在と認識するかは、他者という宛先に対して、自分が言って(働きかけて)それを相手に(あるいは世界に)応答されての繰り返しによってできているようだ。そしてどうやら自分が頭で想定して設定する相手とのやりとりであっても効果がある。その相手との対話で自分自身に対する実感が変わってくる。

 

 

だが自分がこれはあくまで役割であって自分ではないと構えたかたちで誰かとやりとりしたならばそれは実感を更新する体験にはならない。もちろんそれはこれ以上傷つかないためにやっているのだが、それは毒を吸わないために呼吸を止めるようなものだ。それが常態になれば心は循環ができなくなる。心の時間は止まり、崩壊しつつある世界の切迫のもとに変わらない悪夢が続くような苦しみに生は追い詰められていく。

 

 

どんなに安全な場を作っても究極的には他人は自分がコントロールできない。どんな反応を返されるかわからない。だがこの大矢さんの対話はその部分をクリアできる1つの方法だ。

 

 

去年、クリスチャンの栗田隆子さんが自分自身のプロセスについて書いた冊子を読んで祈りとは対話だったのかと知ったのだけれど、自分が設定した相手と対話して、自分自身に対する実感の更新することが有効であるためにもう一つ重要なことがあると思う。

 

 

それは真摯にそのままに相手に報告するとき、その把握の精度を上げていく感覚で、自分を探究状態にすることだ。より正確に、よりフィットした言葉を探しつつ報告する。この探究状態になることで既知のものではない新しいものが発見されていくだろう。百も承知のものをだらだら報告しても仕方ない。知っているものをさらにそれが本当にそうなのかを吟味していくことがこの祈り、この対話を実際の変化に導くだろう。

退職記念講演

人類学を2年ほど専攻していたけれど、『儀礼の過程』のヴィクター・ターナーとか、関心の強いところしか読まなかった。橋本先生は講義をとったこともなかったけど、指導が厳しい先生というイメージだった。でもゼミ生は割と多かったと思うので魅力ある先生だったのだろう。

 

 

儀礼の過程

儀礼の過程

 

 

大学を出て大分たつけれど、10年とか15年とかたってから話しが合うようになる経験をぽつぽつする。同年代より当時いた先生たちの歳を増した姿をみるほうが時間がたっている感じが強くする。

 

 

修論提出後の口頭試問の際にある先生に「〜をこうしたら人類学的に面白かったのではないか」と言われた時、全然それをするつもりないなと内心思っていた。やりたいことしかやるつもりはなかった。興味のあることを取り入れにいっただけで、人類学が何であるかとか気にしないまま通り過ぎた。一体どういう思いで先生方はそれぞれの専門に取り組み、何をしようとしていたのかわからないままだった。


日時:2018年2月17日(土)13:00~(12:
30 受付開始)
会場:京都文教大学 弘誓館 G104教室
(〒611-0041 京都府宇治市槇島町千足80)
最寄駅:近鉄京都線 向島駅(徒歩20分)
■ 退職記念講演・シンポジウム 参加無料・事前参加申し込み不要

<プログラム>
第1部 退職記念講演 13:00~14:00
「『地域文化観光論』への思い」橋本和也京都文教大学

第2部 退職記念公開シンポジウム 14:30~16:30
『ホスト・アンド・ゲスト:観光人類学』再考
趣旨説明 東賢太朗(名古屋大学
報告1 福井栄二郎(島根大学
報告2 川崎和也(神戸学院大学
パネルディスカッション
東賢太朗(名古屋大学
木村至聖(甲南女子大学
山田香織(香川大学

問い合わせ先

橋本和也先生退職記念事業実行委員会事務局
E-mail : HashimotoKBU@gmail.com


主催:橋本和也先生退職記念事業実行委員会
共催:京都文教大学総合社会学部総合社会学科観光・地域デザインコース

橋本和也先生退職記念シンポジウム 「『ホスト・アンド・ゲスト:観光人類学』再考」

京都のらびと学舎 畑の計画2018

京都のらびと学舎 

<活動の趣旨>
自分を元気にし、生きていく勢いをもたらす軸は自分にとっては何か。その軸を確かめて近づいていくこと、そしてその軸の力を生かすために暮らしをデザインし、必要な環境を作り出していくことを自給的あり方と位置づける。そのあり方を身につけていくために、畑や作物との実際の関わりを通してアタマと体をリハビリしていく学びの場をつくること。

<去年の振り返り>

→モチベーション
 糸川さんが来られなくなった後の畑への関わり方や運営になかなか焦点が持てず、5月ぐらいまでモチベーションを失いかけた状態に。できないなりに考えられること、できることから一つ一つ整理し、畝立てのような単調な作業でもどうすればよりいい状態になるのか、自分の体に負担がないのかなどをひとときひとときを探究する向き合い方にしていくと作業に苦しさがなくなっていった。作業がしやすいように畝間やネット側のを広げていくなど、面倒と反応していたことの一方に、本当はこうしたいという自分の求めに向き合って畑のあり方を変えていくことはやりがいがあったし、畑と関わるモチベーションを高めた。

 →共同作業
 3人のシェアメイトの参加によって一点集中的にできる作業は格段にはかどるようになった。定期的に作業をすることで、畑にペースができて、作業も楽しくなり、意思疎通や情報共有もできた。

→野菜

 夏野菜は順調、一方キャベツ、ブロッコリーなどは慢性的に不足。これらは株分けによって増やせるかと思ったが、株分けしたものの生育はあまりよくなかった。きちんと種からやったもの、あるいは新しい苗を買うなどしたい。参加者が来年一人減るので、その分一つの畝を全部使ってキャベツをやるぐらい欲しい。勢いの悪い株は整理する。
 秋に白菜、春菊、青梗菜などの苗を買ったが時期が遅く、生育途中で真冬になってしまった。苗を買うにしても9月中など、夏野菜で整理するものは早めに整理して秋冬物を準備したい。 

 育苗やポットの育成が難しいことを確認。ポットのものを定植すると復活の兆しがあった。8月の段階からハクサイや他の葉物などはネットがけで直播きしたい。必要であればネットも潤沢に買う。

 土が十分でないところの苗は生育が芳しくなかった。余った苗はすみれやさんにお分けするなど生かす対策を考える。

 

◇シェアメイト
 →計画表の作成
 あと必要なこととして、年間を通してある時期に畑に何が植えられるのかを知り、色々な選択肢を自分でイメージできること。これがないと見通しが持てず、自立的な働きかけや計画も立てられないので、畑において主体的になることがそもそもできない。年間を通した作物づくりの計画表を自分たちで作ってもらうことによって、そのイメージを持ってもらう。
 →畑や作物の状態の判断
 草刈りなどの管理に加えて、畑や作物に今どんなケアが必要かを自立的に判断できることが必要だと思われる。定期的な作業で伝えていく。

見ていくこと お好み焼き屋の話し

数年前に何回か行ったお好み焼きの店、高齢の女性がやっていて、しばらく閉まっていたのでもうやめたと思っていた。だがやっていることがわかって驚いた。行こうと思った。

 

 

来月で90歳になるそうだ。店に入ったとき、店にいたお客さんの持ち帰り用の焼きそばを作っていた。立て続けの作業は辛いそうで、僕が店に入ったときに断ろうかと思ったとのこと。だが僕を見たことがある顔だと思ったそうで「時間がかかるけどいいですか」と訊いてくれて受け入れてもらえた。

 

 

強盗が入って頭をビール瓶で殴られ、4週間入院したということだった。店には警察によって黒い薬が撒かれて犯人の手がかりを見つけだそうとしたそうだが、結局犯人は見つからず、黒い薬は自分で1年間かけて掃除してようやくとれたそうだ。

 

 

65歳で夫と生き別れたとの事。お世話になった人の借金の保証人になったが、その人に逃げられ、その借金を返すために3時間の睡眠で夫婦で頑張ってきたそうだ。そのせいで夫は早く亡くなったらしい。年末年始も無休で夕方から深夜まで働かれている。

 

 

何もなかった時代、東急のホテルが近くにたって、他に食べ物屋がなかったので、松平健とか様々な芸能人がこの店にきたとのこと。色々なエピソードを話してくれる。

 

 

自分は幸せだと繰り返し言われる。この店にずっといたいと。店にまたきてくれたと何度も感謝される。

 

 

世間の人から見れば、夫婦は他人の作った借金のせいで、別にやろうとも思ってなかった店をやって借金を返すために生きてきたようなものだと思う。「自分の人生」というものをあるとき以降はもう持てなかった。

 

 しかし「自分の人生」というのは生をあたかも所有しているような言い方だ。戦争があったり、そうでなくても自分の思うような状況にはならない人もいる。先日観たドキュメンタリー「ライファーズ」の終身刑者は、両親に恵まれながら家にやってきた知り合いに性的虐待を受け、身を持ち崩した。生は自意識に所有されるようなものではないのだろう。所有すると考えるならそれはあまりに割りに合わない。

 

 

映画ブレードランナーの人造人間のセリフを思い出す。
「俺はお前たち人間が信じないだろうものを見てきた。オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦。タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム、そんな思い出も時間と共にやがて消える。」

 

 

作り出された時から死ぬまで翻弄された生。その孤独。だが人造人間は最後にそのことを受け入れる。何故なのか。

 

 

与えられた白のキャンバスに自分の好きな絵の具を使い、思ったものを描いていくような生ではない。投げ込まれた状況に自分としてただ対応していくだけだ。

 

 

自分であることの意味を作り、楽しみを謳歌し、何かを達成するために生があると考えても、生はそのようなことを許さない時もある。生を所有することはできない。

 

 

その時、生とは見ていくことなのだろう。時間を通過しながら見ていく。自分に降りかかることを見ていく。目の前に現れてそして過ぎ去っていくことを見ていく。見て、何かが変わるわけではない。何かが救われるわけではない。

 

 

そのままに見ていく。無力さと小ささを。何もできない。何も変わらない。だが、そのままに見ていくことは、向き合い生きる姿勢そのものであって、存在への共感だ。