降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

本の作成5 大学生時代

本の作成、思い浮かぶことがあれば、前の投稿に付け加えたりしている。

 

今日は古着を買いに行った。行って家に帰ってまた行ってとかしていると、財布を忘れて行ってレジで気づいて止めてもらったりした。財布がないので停めていた自転車も出せず、家まで歩いて帰ってまた電車で行って自転車を出して帰った。

 

服とかはもらったもので済まそうとしたりしていたが、何かチグハグで後ろ向きな気持ちになってもいた。店に行って買うとかは緊張するが、自分がいいと思うものを買って着ることにした。世界を少し広げていく。何もやらないで1日を済ませられるが、多分何かそれなりに程よい挑戦はしたほうがいいようだ。

 

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大学は京都の宇治にある大学で、当時は心理学科と文化人類学科の二学科だけのところだった。大学から紹介された外国からの留学生たちもいる施設に住むことになった。オリエンテーションで話した同級生から演劇部に誘われ、演劇部に入った。この大学はまだ4年生になって2年目だったので、上級生は2年生しかおらず、そもそも大学の規模自体も小さいので、演劇部は2年生が1人、僕たち1年生が4人といった具合だった。

 

演劇部の1年生4人は仲が良くて、一緒にご飯を食べたり作ったりなどしてかなりの時間を密に一緒に過ごしていた。あんなふうに仲間といつも一緒に過ごすことはなかなかないことだろうと思う。大阪にいたころ一人で瞑想してみたり、心理の本を読んだりしていても大して自分に変化はなかったのに、特に何もしていないのに一緒にいることで自分がだんだん元気になり、できることが増えてくる。今までしなかったしできなかったようなアクションを自然としている自分の変化はその変化が些細なものでも元気づけられた。演劇部以外にも友人ができ、彼とは内面的な話しもできるような間柄になった。人に自分が言葉がちゃんと通じて、その言葉の通りに反応が返ってくるというのは大学で初めて体験したと思った。

大学1年生の時に実家の友人たちと北海道に旅行にいったのだが、その時の写真をみると今と比べて大分弱っている表情をしている。廃人かと思うぐらいの雰囲気で寂しそうにちょっと笑っている。人間関係トレーニングという大学の演習をとっていて、そこのレポートにちょっとでも自分が失敗したり下手なことをしたら直ちに人は鬼みたいになって自分は見捨てられそうと書いていた。結構な状態だった。

 

3年生ごろに心や感情の揺れ動く幅がでてきた感じがあった。それまではもちろん嬉しいことなどもあるけど、ぱっと体験してその場で終わりという感じだった。平坦な感じがずっと続いていた。それが例えば嬉しいことがあるとその響きがわんわんわんと楽器が響くみたいに余韻をもって感じられるようになった。一方でショックなことがあったりすると、前の平坦な状態ではなかった水準で落ち込んだりとするような影響を受けるようにもなったが。大阪のころとか、感情が自分にはほとんど無いように感じていた。苦しいという感覚だけはあるけれど、それ以外の感情は一瞬ぱっと現れすぐ消える。何か物語などを見て、悲しみを感じられるようになった時は嬉しかった。

 

大学3年生になってそのように感情が楽器のように響く感じができて、心が戻ってきたと思った。1回生の頃、自分は何を感じているだろうと腹の感じを確かめた時、そこはただ虚ろな感じがあった。3年生になってもう一度感じてみると躍動する感じがあった。変わったと思った。1、2年生のころは、周りの人のコミュニケーションや行動の自然さにいつも感心していた。普通の人はよくあんなに自然に挨拶したり、次の行動に移行できたりするものだと思っていた。普通の人はすごいなと思っていた。だけれど、3回生ぐらいになると別に大したことのように見えなくなった。割とみんな不自由そうで、緊張は高くても自分のほうがこれと決めたことに対しては思い切って行動できるから自由なのではと思うようになった。

 

自分の変化があると友人に対する感じかたも変わった。それまでは何も否定的なことを感じず、面白いと感じていただけだったのに、どこかに欺瞞を感じはじめたりして、友人関係が変わっていったりした。

 

エンカウンターグループという手法の対話の合宿に行ったり、過呼吸を意図的にやって変性意識状態に入るような激しいワークとか、小学校低学年から現在までの自分と親や近しい人との関わりを一週間かけて想起していく内観療法など行けそうなものは何でもいっていた。だが他の臨床心理の学生はあまりそういうことを熱心にしている人は見当たらなかった。自分の精神的な問題をどうにかしようと色々やっている人はみなかったし、そういう話しも通じなかった。臨床心理学科にきているのに、なぜ周りはあまり心のことに興味が無いのだろう?と思っていた。話しが言葉通り通じたと思っていたけれど、今まで自分の考えてきたことを話そうとすると、そこで話しが通じる人が誰もいなかった。

 

フラッシュバックをどう軽減できるのかをずっと考え、少しでも自分の状態をマシにしていくにはどうしたらいいか考えてきた。それは人間がどう生きたらいいのか、心というものをどういうふうに考えたらいいのかということでもあった。そういう話しが通じる人がいない。そこを話しあえる人が必要なのに、全然足りなかった。飢えていた。まるで酸素が薄い高山で過ごしているようで、吸っても吸っても十分な酸素が足りないような感覚があった。自分の考えていることが通じる場を切実に求めていた。

 

3回生から卒論ゼミに入ることになって、秋田巌さんという精神科医のゼミに希望し、入ることができた。臨床の先生のなかで最も言っていることが深い感じがしていた。ゼミで卒論構想を発表した時、「修論レベルです」と秋田さんに言ってもらえた。『うしおととら』とシルヴァスタインの『ぼくを探しに』とグッゲンビュールというユング派の分析家の『魂の荒野』という、サイコパスについての本を扱った発表だった。その時初めて自分のそれまでずっと考えていたことがまるで見当外れのことではなく妥当だったと思うことができた。

 

哲学書などの難しい本を理解することはできないが、自分なりにできる範囲で心とは何かに関連しそうなあらゆることを考えてきた。ユング的な分析に触れて、自分なりに絵本とか漫画などを含めた物語からそこに描かれている構造や複数の物語に共通するパターンを読み取り、解釈するようなことをしはじめていた。

 

『魂の荒野』では、サイコパス(精神病質という表現だったが)は、残酷なことができるがそれは彼が残酷な感情をもっているのではなく、ただ感じないのだとグッゲンビュールはいう。だがサイコパスは自分のその特性に欠陥を覚え、それを補償するような教師や聖職者のような職業につくような傾向もある。そしてグッゲンビュールはそのように何も感じない場所、魂の荒野はどんな人にも存在すると述べる。自分に魂の荒野があることを多くの人は気づかないか、あるいは認めない。だがその魂の荒野の存在をお互いに認めることこそが真に人間を人間たらしめるとグッゲンビュールは指摘する。

 

僕は人の不幸に共鳴しないところがある。愛着が薄く、久しぶりに出会った人などに相手と同じテンションで反応することとかはできない。人への感情が淡白だ。今日会った人が明日死んでも心があまり動かないかもしれない。映画「レインマン」を見たとき、主人公の兄であり自閉症者のレイモンドの面倒をみていた施設職員が「彼(レイモンド)は俺が明日どこかに行ったとしても何も気にしないだろう」といったようなことを言う。映画をみていて、自分もそういうところがあると思った。

 

 

 

大学の友人の実家に遊びに行った時があった。自転車をかしてもらって移動していたときに駐車場から出てくる車にあたった。怪我はなかったが、自転車にはダメージがあった。それを電信柱にぶつかったと友人に嘘をついた。その後、友人は自転車屋に自転車をもっていって、これは明らかに事故だと指摘され、僕が彼に嘘をついたことを知り、傷ついたと僕に伝えた。自分の保身のために長い間付き合った相手の心などないかのように嘘をついていた。

フラッシュバックで自分が世界で一番最低で気持ちの悪い人間だと打ちのめされる。それに対して、まっとうな人間でありたいと願い、そうなろうとするが、自分の感情は必要ならば人を平気で切り捨てられて、それを苦しまない。自分はただ生きづらいフラッシュバックなどの被害者なのではなく、人として欠落した加害者だ。そういう自分がどのように回復していけるのだろうか。いつも欠落に苛まれながら、同時に我が身可愛さに支配されていて、人を捨てる、そんな自分がどうやってと思った。人間としての強い欠損感。だがそれがグッゲンビュールの指摘をみたときに救われる思いがあった。誰もが自分と同じように魂の荒野をもっているのだと思った。

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