降りていくブログ

生き残りながら回復していくために

まるで埋まらない 福本伸行の「アカギ」と松本大洋の「zero」

『アカギ 闇に降り立った天才」は、福本伸行の麻雀マンガで、もともと『天 天和通りの快男児』で人気が高かった登場キャラの一人、アカギを主人公にしたスピンオフ作品。

 

 

アカギ 29 (近代麻雀コミックス)

アカギ 29 (近代麻雀コミックス)

 

 

 

5年ぐらい前に、知り合いと3人で2年だけカフェ経営をしていたことがあって、そこで『天』をみた。『天』の主人公は天貴史(てんたかし)なのだが、最終巻は1冊まるごとアカギの話しで、麻雀マンガなのに麻雀の話しでもなくなり、アカギが認知症になり、自分が自分でなくなる前に自死を選ぶのをみんなが止めようとするという話しになっている。ボリュームも他の巻よりおおかったし、いろんな意味で規格外。これは筆者のなかで何かが起こっているんだなと思った。

 

天?天和通りの快男児 10 天-天和通りの快男児

天?天和通りの快男児 10 天-天和通りの快男児

 

 

澤田徳子さんの児童文学で、よくある勧善懲悪の次元を遠く抜けた光と闇のファンタジー『きらめきのサフィール』にもそのような印象をもっているけれど、ある時だけ異様に研ぎ澄まされるのか、あるテーマが触媒となるのか、同じ筆者でも他の作品とは明らかに違うものがあると思う。

 

きらめきのサフィール (くもん創作児童文学シリーズ)

きらめきのサフィール (くもん創作児童文学シリーズ)

 

 

さて、自分もアカギが面白いのはなんでかなと考えてみると、同じく結構好きな松本大洋の『zero』とアカギがテーマがかぶっているんだとわかった。zeroは、ボクサーの五島雅(ごしまみやび)の物語だ。

 

 

ZERO―The flower blooms on the ring………alone. (上) (Big spirits comics special)

ZERO―The flower blooms on the ring………alone. (上) (Big spirits comics special)

 

 

五島はあまりに強すぎて、互角に闘える相手がいない(※zeroと呼ばれる所以)ままボクサーとしては高齢の30歳になる。その時、南米の若き天才トラビスの存在を知る。五島はこの相手が内なる狂気をもちながら、相手がいないためそれを解放できない自分と同じタイプであることを知る。

 

自分の最後をかけた試合で、五島は自分とトラビスの内に眠る狂気をより解放できる状態に誘っていく。解放のために闘いのなかで自分を壊し、相手を壊していく。トラビスが強ければ強いほど五島は狂気を解放していける。「もっと高くだ」「もっと高く、もっと高く」と五島はトラビスを誘っていく。

 

紳士的だったトラビスの内なる狂気、凶暴性を誘い、その狂気を媒体として自分の狂気を高めていく。五島の完全なる解放のためには、トラビスはより圧倒的な相手であるほうがいい。五島は過酷なダメージを受けつづけ、アタマも壊れていく。壊れることによって、狂気はさらに解放されていく。

 

同じタイプの狂気をもっていたトラビスだったが、五島の狂気のあまりの大きさに対して、圧倒され応じられなくなってくる。「ここは高すぎる」、「息ができない」と。トラビスは潰される。五島ももう一般人としての人に戻れるかどうかも不穏な状態のまま物語は終わる。

 

アカギの飢えや狂気と五島のものは同質のものであるように思う。アカギもまたその狂気を解放する触媒となる相手、状況に飢え、求め続ける。

 

アカギは、チキンレースの結果、深刻な障害を負った対戦相手の仲間からの呼び出しに応じる。アカギは当初角材で頭を殴られて流血しつつも、「多少の怪我ではお前らを殺す正当防衛にならない」とさらに相手の暴力を挑発する。相手が「キレ」たところで、ヤクザから入手したピストルを持ち出して両足を撃つ。勇ましいことを言っていた相手が途端に命の懇願者になる。アカギは、首謀者の男の口に銃をくわえさせ、トリガーをひく。弾はでないが、また一度、また一度とひくうちに相手は恐怖で意識を失う。

 

アカギはチキンランの後腐れを終わらせ、次の勝負に向かう。アカギは一貫して、自分と相手の破滅をかけた勝負しかしない。払えるわけがない巨額の金や自分の命と引き換えに、相手も負ければ破滅をもたらすものを賭けさせる

 

アカギの内面の独白。

アカギ「・・・偽の怒り、偽の言葉、偽の勝負・・・・、うんざりなんだよ、そんなもの。そんな戯言じゃまるで埋まらない。心が充ちないんだ。」

 

アカギはあまり自分の弱みを吐露するようなことは言わないのだけれど、ここは結構語っているなあと思う。言ってしまえば苦しいと言っている。「心」とかアカギが言うのかと思ったけれど、設定ではこの時はまだ中学生だから、語らせるならこの時だったのかもしれない。

 

この饒舌さは、アカギが揺れ動いていることを示しているのかと思う。中学生のアカギは、この果たし合いをもって、自分を、そしてこれからの生へ対峙するあり方を確認していたようにも思う。

破滅をかけて自分を最大限に追い詰め、そのことに自分の潜在性を解放させる。そんなギリギリの場でしか生の実感がない。「まるで埋まらない」のだ。深すぎる欠落。それを持て余している。そこでしか生きることができない。そこにしかリアルがなく、自分の苦しみを終わらせていく場所がない。

リアルと関わっていく。リアルを曇らせると自分も煙る。死ぬ。