降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

学びに含まれるはずのもの 応答とプロセスをすすめるための状況づくり

<18日19時南区DIY読書会(ちいさな学校鞍馬口)>
*初参加の方はcasaludens@gmail.com へご連絡をお願いいたします。

 

それぞれ継続的に自分が考えていきたいテーマを持ってきて、進展の報告をできるかたちを並行(見学も可。)します。

 

今日はうちの大家さんと話していました。大家さんはマルクスの研究をされていて、本も今年出されていますが、自分たちは古い世代であって、社会に対する活動としてこれまでやってきたことを同じようにするのではないあり方が必要だろうと言っていました。

 

それに対して僕は、これまで考えてきたこと、関わりを持ってきたことは、自然に生かされると思うこと、ただ今までと同じやり方ではなく、新しいあり方で考えてはと提案しました。

 

新しいあり方は、現在自分が直面していること(たとえば老いとか、健康など)を学びの中心にすること、そして学びを媒介させて自分と人、自分と社会の関係性を再編していくことです。

 

僕は学ぶことと、自分と社会の関係性を再編していくことは一体のものであると考えています。なぜなら自分のうちにある求めに応答し、その変容更新のプロセスがすすむようにするための状況をつくり設定すること(たとえば勉強会をすること、場所やインフラを作ることなど)は、実際上避けることができないからです。プロセスがすすんでいくかどうかをなおざりにした場は停滞します。プロセスがそれ以上進んでいかない場になり、自分の更新や変容という事態はおこりにくくなります。結果、その場を解散したほうがむしろいいというようなことになります。(それは自然なことだと考えますが。)

 

あることが満たされれば、より深い求めがあらわれます。鶴見俊輔が指摘した、自分にとってのより根源的な問い(鶴見俊輔はそれを「親問題」と呼びます。実際の親の話しではありません。)に応答し、生きていくことは、自分の感じかたや認識が更新されることを続けていくということであり、新しい自分になったときには、今の自分のプロセスをすすめるために新しい状況をつくり設定することが必要になります。

 

自分にとっての根源的な問いは、生きることを通して、明確化されていきます。しかしただ生きていても、応答しなければ無視し続けることもできます。そのとき世界は倦まれ退屈になり、自分は受動的になり、不満や諦めはたまり、その不満や諦めを発散し、より弱いものをいじめたり、自分より良い状況にあるものの足を引っ張ったりしはじめます。

 

老いのような、どちらかといえば困難な、できれば入りたくない状況、今までの自分では対応できない状況に入ってしまうことは、自分にとっての根源的な問いを生きることとむしろ直結しているといっていいと思います。逃げられない状況だからこそ、向き合える機会になりえます。常に後ろから圧力をかけられて逃げ場がないという状況を逆手にとることで、自分にとっての根源的な問いは明確化され、深められると思います。

 

僕は、自分にとっての根源的な問いに応答していく試行錯誤(つまり対話)をすることで、自分のなかでおこっているプロセスは、周りに実際の影響を与えることを指摘したいと思います。もっとこうしろとか、あのようにありなさいとか、直接的に人を操作しよう、働けかけようとするのは、一時的にいいように見えても、長い目で見れば反動で後退させてしまう悪手だと考えています。

 

そうではなく、自らが自分におこるプロセスに応答し、生きていること自体が、強制的ではなく、間接的に周りに伝わり、いい影響を与えていくと思います。いい影響とはつまり、周りの人がその人自身の根源的な問いに応答したくなってくるような影響です。周りや社会の持続的な変化は、間接的に伝わっていくことでおこります。

 

自分にとってもっとも必要性が高いところ、後ろからきている圧力が強いところが、応答のスタート地点となりうると思います。それが老いのような、避けることができない、むしろ進行し、新しい状況に直面せざるを得ないことなら、なお学びがおこるという事態をひきおこしやすいと思います。

 

今の自分にとって圧力が強いところで、自分にとって必要なDIYをしていく。必要に応じて、今、そして今後の状況を、場当たりではなく根本的に変容させていくような、新しい取り組みをはじめてみる。今の自分を押してくる逃げられない圧力こそ、そこに自分と周りを変容させていくプロセスをすすめる力に転用できる。そしてそのことが周りも変えていく。

 

一斉に周りや社会を変えようとする啓蒙や大勢を一律に直接導こうとするシステム設計ではなく、それぞれの場所で自分にとっての根源的な問いを深めていくことが、今の社会状況に変容しうるものだと思えます。そして自分のプロセスを進めようとすることには「失敗」や「無駄」というものがないということも付け加えたいです。それはリハビリであり、次を導く自分を整えているものになっていると思います。