降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

通り過ぎる

南北の終戦宣言。

それを聞いたら喜ぶだろうがそれが出る少し前に亡くなった人もいるだろう。

 

歴史と個人の関係。どんな個人も歴史の影響を受けるが、一人の個人として死ぬときに歴史はあまり関係のないものになる。「世界平和に一歩近づいた」というような出来事がいかに社会においては大きくても明日死ぬ人にはそれは自分個人にはもはや関係がない。

 

しばらくずっと生きると思っている人は、そう思う他の多くの人と物語を共有している。だがその物語はあるとき突然自分と関係がなくなる。本気にしていたらその分だけこれまで一体なんだったのかと思うのではないだろうか。

 

持っていると思っているけれど、何も持っていない。それは風景だ。見える風景を通り過ぎていく。生きることは通り過ぎていくことだ。