降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

STAGEを読む

STAGEを読む。

特別寄稿をふくめると11人の人が文章を書いている。

 

こうしたい、というイメージがあり、一人ひとりにかけあい、関わりのなかで現実化された濃さみたいなものを感じる。

 

出版後のSTAGEに関わる話しを聞いていても、本の存在は薄まっていく感じがなくて、むしろ同じ濃さのものを呼び、つなげる力があるような感じがする。

 

手づくりのものというのは、こういうもののことかと思う。

僕がSTAGEを渡させてもらった人の反応も、頭で読んだ反応というよりは、心がほぐれたような、そんな感じで感想を伝えてくれた人が何人もいた。

 

「何かほっとした」とか。

「みんな生きづらさを抱えているみたい」という感想もあった。

 

https://www.instagram.com/p/BKf99XohqUz/

 

自分の文章を再読するときは、ちょっと抵抗が強い。なかなか読めなかったが、つい先ほど最後に読んだ。自分が意識して書きながら、同時に霊媒みたいに感じ取られるものをなぞって言葉にしているので、他人が言っているような、そんな新鮮な感じもする。

 

別の本の序章に「寄り合い」について書かれた文章があった。一般的に理解されているのと違って、寺社などで非日常の空間で行われる寄り合いは日常のしがらみや上下をたちきる場であったという。

 

「寄り合い」というと、それはとりもなおさず地縁や血縁にもとづく人々の結合の形式であると、われわれはかんたんに考えてしまうのだけれども、どうも、そういうことではないらしい。「寄り合い」は日常的な関係性を引き写した集会ではなく、むしろ、それを超える関係性をつくり出すための集会であったようだ。人々は家格や血縁の如何にかかわらず、対等な個人として発言した。誰はばかることなく、その所存を開陳した。そのためにも集会は、寺社という非日常的な、いわばこの世の結縁をたちきった空間でおこなわれることが必要であったのだ。「寄り合い」は、その言葉がこんにちよびおこすところの通念とは逆に、むしろ因習的な共同体の絆をたちきる行為であったのだ。 里見実『ラテンアメリカの新しい伝統』

 

 

ラテンアメリカの新しい伝統―「場の文化」のために

ラテンアメリカの新しい伝統―「場の文化」のために

 

 

寄り合いは、様々なしがらみや規範を無化した空間で行われた。自由を得るためにはそのための空間を作らなければならない。空間の構造がその中にあるものの運動のあり方を決定する。そこで人がどういう状態になり、どういったことを思いつき話すのか。それらは空間の構造に依存している。

 

ある空間は、人をある状態に縛るともいえるし、解放するともいえるだろう。運動が空間に依存するとはそういうことだと思う。

STAGEという舞台を提供された人たちが、その新しい空間での振る舞い方に戸惑いつつ、動き出せる空間を待っていた自律性、プロセスをそこにゆだね、反応をおこしていく。ここで、何かを終わらせていく。


9/28出版 「幸せをはこぶ会社 おふくろさん弁当:本当にあった! こんな会社~規則も命令も上司も責任もない!」

9月28日に三重県鈴鹿市の「おふくろさん弁当」の本『幸せをはこぶ会社 おふくろさん弁当:本当にあった! こんな会社~規則も命令も上司も責任もない!』が出版されます。

 

僕も一部考察を書かせてもらっています。amazonとかで買える本に自分の書いたものが載るのは初めてです。

 

幸せをはこぶ会社 おふくろさん弁当:本当にあった! こんな会社~規則も命令も上司も責任もない!

幸せをはこぶ会社 おふくろさん弁当:本当にあった! こんな会社~規則も命令も上司も責任もない!

 

 

 

大学を出たあと、在野で人の変化や回復がどのような場所でおこるのか探り、自分なりに様々な場所や取り組みをみてきました。

 

人が回復するところは、フラットな人間関係があるところで、世間一般的な常識、あるいは意味や有用性の強迫や強制から離れられるところです。

 

自意識とはそれ自体が一種の防衛反応である側面があり、どんな肯定的なことであっても「自分が〜しなきゃいけない」「自分が〜するべきだ」とつよく強迫されていればその分変化のプロセスや行動のパフォーマンスは滞ります。

 

おふくろさん弁当のインタビューではっきり確認できたことは「自分が自分によって変わらなければいけない」とすることも手放していいのだということでした。これは投げやりになるということではなく、場を共につくり、場に委ねるということによって、「自分がやる」とか「自分が自分を変える」というような肩の力が入るような意気込みがもたらすマイナス要素を取り除くということです。

 

では委ねられる人間関係になるにはどうしたらいいのか。話し合いができなかったところから話し合いができるようになった鍵は、それぞれの人が自分で自分の心におこることを観察するということができるようになったことにあるだろうと思います。

 

話し合いができるようになった人たちの間ではどのようなことがおこるのか。働くということは、どのように成りうるのか。楽しく、同時に示唆深い事例が多く紹介されています。

おふくろさん弁当関連の過去記事

 

kurahate22.hatenablog.com

 

 

kurahate22.hatenablog.com

 

ピアの可能性

FB、1年前の記事がお知らせでくる。”回復のための演劇がつくりたい”と題してヴァイオラ・スポーリンや坂上香さんの「トークバック〜沈黙を破る女たち」から人の変化とそこに使えるものとして演劇という媒体について考えた。

 

 

kurahate22.hatenablog.com

 



今、タイトルを見ると、わざわざ「回復」とかつけると意識するから邪魔になるだろうと思ったけど、読んだら文中でもそれは言及していた。1年前の記事とかは既に他人が書いたのと同じような感覚になっていて、こんなこと書いてたんかと思う。


”公演で生計をたてる役者になるのだったら、どれだけ自由になれるか、どれだけ演じられるかが重要になるのだろうけれど、みんなが役者にならなくていいのであって、個人が自分の防衛からより自由になればいいし、人と人がお互いにより深い信頼関係をもち、人が変化しようとする時に支持的になれるようになればいい。これだけで十分革命的なことがおこるだろう。

演技がうまくなるためではなく、治療のためでもなく、成長のためでもなく、ただ個人のなかにあって動こうとしているものが動きやすいような環境をつくれればそれがベストだと思う。ある特定の価値観を至上のものとすると、それもプロセスの邪魔をする。


「回復のための演劇をします。」と言わずに実質的にそうするには、どういう設定が必要だろうか。たぶん、別の建前をつくり、主にそれに向かっているような錯覚をもつことによって、自由になると思う。四国遍路で88カ所の寺をめぐるという目的をたてながら、そのことによって「道中」をつくるように。四国遍路においては、遍路は道中にあり、と言われる。お寺ではなく。”

 


昨日、仲間内でちょっとしたロールプレイをやった。そういう働きかけをやってみたのは自分では初めてだったのだけど、意識に残るその時の状況で自分に何がおこっていたのか、そこから何が固められてしまったのかを見るのに有効だと感じた。

 

仲間内と書いたが、今、あらためて実感を強くしているのはピアの可能性だ。学校や講座、ワークショップで「できる講師・ファシリ」と「教えてもらう人」というかたちではなく、ピアの一人ひとりが学びと協働の主体であり、求める技能や状態を高めていく。このかたちで可能になるのは、主体性以外のところでは、時間・場所の融通性がまずあげられる。

 

個人が贅沢に焦点を当てたいことに時間とその場を使える。多人数一斉型ではここが犠牲になる。自分のなかで何かのトリガーがひかれ、プロセスがはじまる契機を逃さず、すぐにピアと共にやってみるということができる。

 

1回限りのワークショップ型では、その場の体験は残念ながら使い捨てになりがちだ。得たことも別の場では再確認とかエクササイズしにくい。演劇的ワークショップなどでは、ワークショップ後に調子を崩されたときに対応ができないので、必要だと思っても踏み込みができない。それは一回限りの関係性だからだ。だが、時間も場所も融通がきくピアなら、その問題をこえていける。やるだけやって後はケアできないということが回避できる。

学びとは何か サバイバルとエンパワメントの視点から

学べることは無限にあるけれど、では何を学ぶことを選ぶのか。


学ぶことは余裕のある人や、能力に恵まれた人、学ぶことが好きな人だけに関わることなのか。

 

僕は今まで特に学ぶという言葉に対して意識してこなかった。自分にとって火急なことがあり、自分が生きていくために世界から情報やヒントを得て確かめ自分のものとしていく必要があるだけだった。

 

もともとの能力的な限界もあるけれど、学問の世界とか行かなかったのは、人に証明するために膨大な時間を使っていくことはできないと思ったから。自分が理解し、今いる場所から先に進む。それが重要であり、人に証明する必要も必然も自分にはなかった。

 

あまり色々と能力を持っていない。自分の体や頭が動くところでいくしかない。自分はサバイバルをやっている。しかし自分が既に知っているものでは足りない。サバイバルしながら、新しい何かを獲得していくことが必要だった。

 

そのなかで気づいたのは、自分の体や頭が動くところを自分に提供していくと次が開けてくるということだった。エネルギーがたまり、認識や感覚が変わり、そして人や環境への関わり方が変わってくる。それはらせん状に動き、エネルギーを得ていくループ。

 

このループと共にあることによって、生きることはエンパワーされる。繰り返されるループだが、それがらせん状であるなら同じところをぐるぐる回っているわけではない。常に自分が変わりながら、必要なものも同時に変わってくる。必要なものはその度に探られ、発見される必要がある。

 

教育哲学者林竹二が被差別地区の定時制の学校(湊川高校)で授業をしたとき、他の学校では「不良」以外の何者でもないような生徒たちの変貌ぶりは林を驚かせた。同じことをやった他のどの学校でもここまでの変化はなかった。一体何が人をここまで変化させるのか。その原動力は何なのか。

 

教育の再生をもとめて―湊川でおこったこと

教育の再生をもとめて―湊川でおこったこと

 

 

学びとは新しくなること。生命が不必要になった外殻を破り出てきて自身を更新すること。この学校の生徒たちは他の地域の誰よりも強い抑圧や不条理のもとに押し込められていた。学びは他の誰よりも彼らこそに必要であり、彼らの身体は生きものとして切実に学びを求めていた。

 

学ぶことは、生きものが自身を更新し生きようとする力に動機づけられている。その身体に動機づけられている学びによってこそ、人はエンパワメントされていく。ここが学びの基軸。

 

自分の身体の奥に動機づけられていない学びは、学びとは呼ぶべきでもないと思った。紛らわしく、余計に人を混乱させるからだ。学ぶことは、即サバイバルであり、エンパワメントである。やらなくてもいいようなことが「できる」のは自分を脇においているのか、失っているようなものだ。

 

エネルギーを得て、変化し、エンパワメントされていくループにあるとき、学んでいる。そしてそのループにあるときに自分がある。

 

ではそのループと共にあることを求めるとき、要請されるものは何か。それは環境に働きかけそれを自分に必要なものとする力、環境に対して裁量をもち、調整する力だ。自立性とも言えるだろう。

 

湊川高校は貧しい非差別地域にある。彼らには環境を主体的に調整する社会的な裁量権は少ない。強烈な動機があっても、貧しさや社会的ステータスによって、環境調整をする裁量は少なく、自分に最も必要なものを自分に提供することによって動きだすループは動き出しにくい。彼らとは違う人が自分たちのために作った規範と抑制のなかで、彼らに必要な出会いの機会は多くない。

 

必要なのは自前の自律的な空間をつくることだろう。エネルギーを得ていくループが動きだすことを可能にするために有効な手はそこにある。小さくてもいい。ループが動きだす最低限さえあればいい。何もかもがいるわけではない。

 

 

世界マヌケ反乱の手引書: ふざけた場所の作り方 (単行本)

世界マヌケ反乱の手引書: ふざけた場所の作り方 (単行本)

 

 

 

学びの自立があるときに、ようやく自らに由るということが可能になる。それまでは結局依存状態なのだ。エネルギーを獲得し、エンパワーされていくループを自分のものにし、維持する自立性をより確かにしていくとき、そこに必要とされていた自由が作り出されていく。

アズワン・コミュニティ 「自分を知るためのコース」に出る

鈴鹿で6泊7日の合宿。

「自分を知るためのコース」というのに出る。

コースは8種ぐらいあって、他は「人をきくためのコース」とか「内観コース」とか色々ある。

鈴鹿でおこっている人の変化のあり方に興味をもち、自分もとりあえず一通り入ってみるかと去年から時々入り始めた。前も書いたけど、コースは哲学カフェをずっとやっている感じ。「知る」とはどういうことかとか、「感覚とは何か」とか、テーマが出されてその場を囲む人で吟味していく。

 

kurahate22.hatenablog.com

 


アズワン・コミュニティのあり方を垣間みた僕の最初の感想は「へー、哲学カフェをずっとやってたら実際の感じ方や認知という水準で認識が変わるんだ」というものだった。哲学カフェって本当に意味ある効果を持っているんだ、と哲学カフェの再認識みたいな感じだった。

名前のつけ方とか、言葉遣いはちょっとどうかなあと思いつつ(「人生を知るためのコース」とか、人生って言葉がそもそも恣意的な前提を含む言葉だよなとか、知るっていいすぎやんなとか。話しをきくと「ための」というところが強調点らしく、あくまで考える契機を提供する場ということだったけれど。)、とりあえず体験してみようと入った。やっていることは自分の現在の認識をさらに吟味していくということで、最後に答えが出るわけでもなく、押し付けられるわけでもなく、自分としてのびのびと考えられる場だった。

アズワン・コミュニティの特長は、話し合いや対話ができなかった状態をできる状態にしていったというところにあると思う。なぜ対話ができるようになったのか。それは自己観察によって、自分に瞬時に感情反応を引き起こす自動的認識を見直す仕組みを体系立てたことによる。相手が絶対おかしいと否定したくなる強い気持ち。相手の言動から引き起こされる怒り。そういうものはどういうからくりでつくりだされているのか。

観察によって、そのからくりを時間をかけ明らかにしていく。
自分の受け取ったことはあくまで頭のなかで判断されたことであり、実際とは違う。どこまでいっても受け取ったことは頭のなかのこと。観察を続けるなかで、そのことが理解されていく。

このことは自覚と呼ばれていて、この自覚がはっきりとしてくるにつれ、自動的な感情反応に左右されることはなくなっていく。話しによると、自分の頭のなかのことだということが明確にみえるとパーンと認識の仕方がかわるという人もいる。

 

その体験を霧が晴れるようだとか、認識と認識の間がひろがって、あるパターンの刺激に対して、条件反射的に直ちに感情に圧倒されてしまうような感じがなくなっていくというような感じとも表現されていたように思う。

 

「自分を知るためのコース」は、その自覚を得ていくための基本的なコースと位置づけられている。


アズワン・コミュニティでの体験をふくめて、自分の経験を振り返ると、感情の自動的

反応は決め付けによる意味の重なりでおこっていた。

 

たとえば

たたんでない毛布がやや見苦しい=A という認知があり
毛布が見苦しいのは自分がだらしないからだ=B という決め付けがあり
だらしないことは強くダメなことだ=C という決め付けがあるとする。

 

Bの毛布をたたまないことが自分がだらしないことに紐づいていることは無自覚。

 

Bが意識化されていない状態では、たたんでない毛布を見ただけで自動的に強い反応がおこる。

 

観察によってBの紐づけが発見されると反応が消える。


この場合、ABCのどれかが変化すれば毛布をみても反応は起きない。まず見苦しいと思わなければ起こらないし、「だらしない」のがだめだという認識がなければ反応はおこらない。

 

自分は、毛布以外の場合でもこのB(=無自覚な紐づき)を発見することにより反応をとろうと考えるのだが、そもそもAの段階で毛布が「見苦しい」のは自分の認識だという自覚ができれば、Bの紐づきなどあっても反応はおこらない。そもそもの初動の段階で反応から離れられる、らしい。

 

ふーん、そういうことがあるのか、みるということがちゃんとできればそういう状態にもなるのかなあと思いつつコースを受ける。

 

見ているものがまず自分が受け取ったものと認識しておらず、自分の受け取りと関係なくそこにあるものというリアリティのなかにいる。それが人であれば自分が受け取ったその人ではなく、そこにいる人から実際のものが感じられていると認識する。

 

リアリティは、現実っぽさという意味でのリアリティ。フィクションであってもリアリティがあれば条件反射的に感情反応がおこる。このリアリティは非言語なので、逐一の意識的把握が難しい。日常では言わばこのリアリティに翻弄されるわけだ。よく考えてもそんなことはないのに、圧倒的なリアリティが自分の前にたちはだかって圧倒され、行動ができないようなことは珍しくない。この受け取られる現実っぽさ、心的現実こそが現実だと感じてしまう。

 

漢の皇帝の話しがある。初代皇帝の仲間たちは荒くれ者で、身分が高くなっても言動が変わらず、皇帝に対しても礼儀がない。そこに礼節という仕組みが導入される。皇帝に対してはこういう言葉遣いで話さないといけないとか、ここではこういう行動をしなければいけないとか。それが徹底されたとき、荒くれ者たちが言った言葉は、「皇帝の偉さが初めてわかった」だったという。

 

ここには錯誤がある。荒くれ者たちが感じているリアリティは、彼らが守らなければいけない作法によって作り出されているのだが、彼らはそれを意識化できず、「皇帝が偉いから偉い」と感じてしまうのだ。

 


無自覚に「これはこうだ」となっている認識は、リアリティを派生させる。その認識はフィルターのように、認識の構造を投影したリアリティを派生させる。

自分が受け取ったものからリアリティが生まれ、この人はこういう人だというリアリティが迫ってくる。たちが悪いのは、言葉で迫ってくればまだわかりやすいし対応がしやすいと思うのだが、非言語でリアリティだけがせまってくる。把握しようとすると、そのリアリティを言葉にしなおさないといけない。意識化できないまま次々にくるリアリティに翻弄される。

 

ある人の見かけや言動、人一般に対してこれはこういうものという意味が投げかけられており、自分が投げかけているのに向こうの実際のリアリティだと受け取られる。

 

 

人にどのような意味を投げかけているだろうか。人から受けるリアリティは当然になっているがあえて言語化してみるとどんな感じだろうか。あらためて感じてみると、まず一人ひとりが存在感あるなあと思う。リアルに存在している。リアリティにちょっと圧倒され、押される感じがある。これは恐怖といえるだろうか? 恐怖という感じではないかもしれないがリアリティにちょっと、たじ、となる。

 

これが自分の人間観、人一般に投げかける意味によるものなのか、それともこれが自分の生物的なデフォルトの状態なのかわからないけれど。

 

しかしたとえばそれがパートナーとかになると、圧倒感はなくなる。これは意味付与によるものなのだろうか。でもここから想像すると意味付与によって他の人たちの圧倒感もなくなるかもしれない。またその圧倒感が「大きいもの」という意味から来るものであれば、逆に他人ではなく自分に対して「小さいもの」という意味付与をしている結果として他人がそう感じられるのかもしれない。


人一般ではなく、個人に対してはどうか。
ある人に対して頑迷そうだという印象をもったとする。頑迷であることは、対応が難しい、何かのはずみで何かのとばっちりを受けそうだとか、色んな紐づきを持っている。紐づきは無自覚なものも多く、自動的な反応、認識におびやかされる。その人の言動によって意味付与が更新されていくとせまってくるリアリティも変わってくるのだが、それはしばらくかかる。

 

もし初見の段階でこれは自分の投げかけたイメージでしかないと認識できるなら大分関わり方も変わってくるだろう。

 

さて、コースを受けながらああかな、こうかなと見方、意識の焦点の向け方を変えたりしてみたが、劇的な変化がおこったということはなく、まあ一足飛びを期待せず、事実化のメカニズムを日々の観察のなかで地道に気づいていくということかなと思った。

 

自分を知るためのコースは実は2回めなのだけど、1回めのときは、まだどう受けたらいいかがわかっていなくて、特に意味なくぼーっと時間を過ごしてしまうときが割と多かったが、最近はそういう時間は少なくなったかと思う。テーマも一年前とちょっと違うのもあったかな?と割と新鮮に受けられた。

 

と同時に、コースというのはある程度まんべんなく一通りをやるものだと思うのだけれど、特に自分に必要なところに焦点をしぼってやったらもっと進むということもありそうだなと思った。コース出たあとで何か自分で工夫してそういうことができないだろうかなと思った。

差し出すものの足りなさ ゲリラであることとエンパワメント

自給の目的は金銭的節約でもなく、サバイバルだけでもない。自給の第一義は、自分のエンパワメントだ。そこがブレると何をやっているのかわからなくなる。


僕が自給農法とその考案者の糸川勉さんに学びたかったのは、生きものの理屈。生きものの身体が持つ動機。そして自分を軸とするとはどういうことかということ。
糸川さんが作物の育て方や生態の話しをするとき、僕はそれを作物の話しであると同時に、むしろ人間の話しとして聞き、自分を軸とした畑での作業のデザインを自分が生きていくあり方のデザインとして聞いていた。

 

自分の軸からズレることによって自分は疲弊していく。軸とはエンパワメントの軸。自給農法を学ぶことは、その軸を再吟味し、軸に戻っていくリハビリになる。
社会で流通している理屈は一見もっともらしくまとまりを持っている。しかしそこには無意識に取り入れると自分を弱めていくまがいものが入っている。

 

畑の現実、作物の現実は一片の意図的操作も妥協もなく現実そのまま。誰が何と言おうと、何を肯定し、何を否定しようと現実はそこにある通りだ。そのとき現実に対照されて露わになったまがいものが破綻していく。

 

「〜であってはいけない」「〜しなければいけない」と無自覚に思い込んで自分を弱めていたことから自由になっていく。

 

自分に責任を持つということがどういうことなのか。それは自分のエンパワメントに責任を持つということ。

 

社会はギブアンドテイクで出来上がっているようにみえる。ギブするものがなければテイクされるものは少なく、それが自分の「商品」としての価値だ。自分の価値とは他者にとっての利用価値だ。

 

生きものの世界はそうだろうか? 生きものの世界は一人ひとりがゲリラの世界だ。どこにも自分のものはなく、ゲリラとして必要なものを世界から奪い、いただく。ゲリラであることによって生きることは構成されている。

 

そして人間の世界に帰ってみる。人間の世界も実はゲリラの世界だ。出来上がった世界に従っているようで、それぞれのものは間隙を抜い、自らの危機を乗り越え、また欲求を達成している。用意されているものとは、表層的な、にわかのものに過ぎない。

 

そのとき、どれだけのもっともらしい理屈が、絶対的に強いもの、あるいは相対的に強いものが自分の都合のいいように弱いものをコントロールしようとする動機に基づいているのが見えてくる。

 

それらは「人は〜あるべきだ」「人は〜しなければならない」と言いながら、それに従った人がたどる末路に責任をとるつもりなど毛頭ない。強いものは他人にギブアンドテイクを強要しつつ、実は自分はギブするつもりなどないのだ。力で自分で作った理屈を無効化する。

 

その時自分を弱めているのはギブアンドテイクだと気づくだろう。ギブしてもらうためにはテイクされなければならない。その取り引き、コントロールを無自覚に信じているからこそ差し出すものの足りなさにおびやかされる。

 

自分が生きること、自分のエンパワメントを誰かや何かに預け、放棄しない。生きることは本質的にゲリラであり、そこを否認することはできない。そしてそのことを知る時に戻ってくる力がある。

修復的司法講演録②『被害者と加害者の対話から生まれるもの〜個人から関係へ〜』を読む

修復的司法というのはどんなものだろうと気になって冊子を取り寄せる。

 

みんなで作り上げたテープ起こしの文章が冊子になりました : ピアサポートネットしぶや



「司法」という言葉から、まず国の制度の話しなのかというイメージを受けていたけれど、そうではなく真逆で被害者と加害者の処遇がすべて国家に管理されるところを当事者主体に引き戻し、被害者と加害者の対話によってお互いが納得する地点に向かっていくという考えのもとにある仕組みだった。


修復的司法は1970年代以降に西洋諸国で広がったもので、北米で少年事件の加害者が被害者と対話したことが最初の実践であるとされる。何度も窃盗を繰り返す少年が一人ひとりの被害者の家に行って、謝って賠償の約束をした。被害者の顔を見て話しをすると少年たちは真剣に自分の罪に向き合うようになった。ここから加害少年の更生には「被害者と対話すること」が役に立つと考えられ、加害者更生プログラムが生まれた。
ただし、世界各地ではこのプログラムだけでなく、刑事司法の制度の枠組みを超えるような考え方が広まっていった。それらは大きくは3つほどの考え方になる。

 

(1)市民による紛争解決
法律家に頼らず、市民が自分たちで紛争解決をしていこうという考え方。問題に直面した市民同士で「トラブルを起こした人をどうすればいいのか」「自分はどう関わるのか」を相談していく。

(2)癒しのための紛争解決
刑事司法では被害者は蚊帳の外に置かれがちで心の傷も放置されてきた。また加害者も刑務所に入れられても自分の罪になかなか向き合えないとい状況があるなかで、被害者の心の傷を癒し、加害者が心から反省して謝罪することを重視。被害者と加害者の対話の中での心理的な問題に取り組もうとする考え方。

(3)伝統的な紛争解決
マオリ族は、トラブルが起きた時に集会場で対話することによって紛争を解決してきたが、植民地支配によってその文化が破壊され、刑事司法にとってかわられた。元々あった文化を活かすという紛争解決の考え方。
以上の考え方は、どれも専門家でなく当事者が主導で紛争を解決をめざそうとすることで共通している。もちろんいきなり被害者と加害者を対話させるのではなく、あくまで当事者の気持ちを尊重したうえで入念にスタッフとの対話を繰り返した後に対面での対話が行われるとのこと。

 

修復的司法では、犯罪やトラブルは個人の問題に帰するのではなく、コミュニティや周りの人との関係の問題と考える。ある人だけの問題として片付けるという見方はしない。

 

個人が自分の責任で自分の権利に干渉してくる他者と交渉しながらやっていく個人主義と助け合いがあると同時に縛り合いを生んでしまう要素をもつ共同体主義という観点からみると、修復的司法はどちらかというと共同体主義に属するようにみえる。

 

共同体主義主義は、時に全体のためと称してマイノリティの声が抑圧される傾向や同一でないと認められないことがおこりうる。修復的司法はそこに対話という仕組みを設定し、共同体の既存の規範と外れる個人がいるならば抑圧ではなく、相互に納得のいく着地点を探すということを組み入れたものと考えられる。

 

ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマスは、人はそれぞれ大事にする価値観が違い、コミュニティのなかでもそれぞれが違う価値観について語り、対話していくなかで「妥協」するための能力をもっていると考えた。すべての人が発言し同時にそれが尊重される機会をもち、相互理解に至ったうえで「妥協案」として出てくるものを重要視し、それを「対話による正義」とした。この時この正義は絶対的なものではなく、規範を破るものがいればまたコミュニティのメンバーは対話して合意に至ることを繰り返す。修復的司法は、このハーバーマスの考えを実現しようとするものともいえる。

 

修復的司法の実践例として紹介されたのが車泥棒の14歳の少年と車を壊された被害者の事例。被害者は当初少年に賠償を求める意思があった。だが対面したときに思っていた以上に小さく不安気な少年に対して怒りの気持ちは変化し、賠償費用をとるという気持ちが消えていった。

 

一方、少年は責められるつもりで対話に臨んだが親身になってもらい驚き、感情を揺さぶられる。その後対話は、少年の母親も参加することになり、少年がもう犯罪を繰り返さないために今の環境から引っ越すことが決まった。

 

これは上手くいった事例ではあるが、被害者と加害者が隔絶されることによって、被害者は加害者の貧困の状況など関係なく賠償を求め結局は意味のない無理な要求を押し通し、それは社会からは妥当なことと判断されるかもしれないが、大きくみれば状況の根本的な解決にも理解にもなっておらず、人を追い詰め、犯罪が繰り返される可能性は高まる。

 

また心理的な面についても、相互の赦しということも生まれず、単に損しただけの時間があり、そこから人が回復の契機がおこるということもないだろう。そこには「処理」しかない。

 

冊子をみながら思ったのは、紛争の当事者やその周りの人が共に話し合うという点など、オープン・ダイアローグのやり方とよく似ているということ、対話はやはりお互いの認識と関係性を変えていくということ、先日投稿した「個の尊重と調和」の場で検討されたことと共通するなということなど。

 

鈴鹿コミュニティの「話し合いのできるお互いになりあうこと」が重要だなとあらためて思う。「お互い」ということが大切でどちらかだけの「傾聴」とか、「専門家」の調停がありきでは決定的に不十分だと思う。

 

僕は鈴鹿でいう「話し合いができるお互い」を「対話ができるお互い」と言い換えられるのでは思っている。対話とは相手が自分と全く違う価値観をもっている他者であること、そしてその相手に自分の理屈や価値観を強制せず、お互いの存在を尊重しながらやりとりすることによって両者は変わっていき、既知の答えや状況ではない、第3の場所に向かうと思う。

 

専門家でなく、対話できるお互いになれるかという点が問われる。オープンダイアローグを実践しているケロプダス病院では、全ての職員が対話のトレーニングを受け、対話できるお互いになっているため、職場では上下関係や職種による隔たりが消えていき、組織は有機的で即興的であるようだ。

 

僕は「オープンダイアローグを実践するため」でなく、対話できるお互いになるためにオープンダイアローグの実践というものが利用できるのではないかと考えている。自分の周りの関係性をケロプダス病院の人たちのようにしたとき、暮らしのあり方はどのように変わってくるだろうか。

 

斎藤環さんによると、フィンランドでは、オープン・ダイアローグにピア制度というのが作られていて、医療従事者以外の人がオープン・ダイアローグの場に入っているという。それが日本に導入されるかどうかは全く保証がないが、この指とまれの人たちとともに、その場に入れるピアに勝手になっていくというのは面白いんじゃないかと思う。そんな「たいわのがっこう」を考えている。

 

『開かれた対話』フィンランドにおける精神病治療への代替アプローチの (Open Dialogue, Japanese subtitles)