降りていくブログ

生き残りながら回復していくために

不登校50年プロジェクト 駒崎亮太さんのインタビュー

不登校50年プロジェクト。駒崎さんのインタビュー。

 

futoko50.sblo.jp

 

日曜にフリースクールわく星学校に8人でいってお話しをうかがい、共に学びについて考える時間を持った。そこで聞いたことや思ったこととつながることが多かった。

 

教えるとは何だろうか? 僕も正直教育という言葉には疑念を持っていた。「学び」ならわかるが、教育・・?と。

 

会社で働く人は1年半行けば、少なくとも建前上は21日の有給休暇がもらえることが法で定められている。一方、大人に比べて未成熟な子どもは年間で30日以上学校を休むともう不登校扱いになり「問題のある人」になる。大人に比べ未成熟な子どもがたった年間30日休むことを異常とみなすのは人権侵害ではないかという指摘があった。僕もそれは真っ当な指摘だと思う。

 

この時代におけるフリースクールオルタナティブスクールの存在意義は、「教育する」ことのずっと以前に、不登校の定義の一例が示すように、暴力的な環境に晒されている子どもたちをまず「守っている」ことなのではと思う。

 

「自分で考えるのが大事だ」というときも、他人の考えを自分の考えとして使っていては仕方がない。その考えは自分なのか。

 

「自分はどう感じているのか」に意識を持ち、その感覚との応答関係を確立していくこと。それが自分を自分として育てられる基盤になる。その基盤がないところでは、表面上適応していても、自分というほどのものはできていない。自分の感覚に応答していくことは、大人になっていたとしてもできてなければ、本当に一から始めなければ育っていかないと思う。

 

駒崎さんのインタビューのなかで、「こんなこと許せない」「これはひどい」という感覚がなくなってきて、感覚的なところで投げやりというか、70年代半ばから80年代以降、倫理や価値観が劣化しているんじゃないかと思います。正義なんか関係ない。人々が、やさしさとか自由を追求しなくなった。」というところがあった。

 

これがどういうことなのか。また考えてみたい。

 

駒﨑 そうなんだよ。教えるというのが教育ですよね。でも、通信制は学ぶ場で、こちらが教えられないという感じがしたんです。でも、それがよかった。

栗田 それで、「先生、教えないで、私、学びたいの」という文章を書くことになるわけですね(『世界』1989年5月号/岩波書店)。

駒﨑 そう、そうなんだよね。レポートを書いてくるなかで、「教えられないで自分で学ぶチャンスができてよかった」とか、「何も与えられなくて、教えられないなかで、学ぶことに気づいた」とか、そういう声をもらってね。そうだったのか、と。「なんだよレポートぐらいで気づいてくれるのかよ」って思ったけど、それはうれしかったね。

山下 上から教え込まれなくなること自体が、子どもにとって大事なことだったわけですね。

駒﨑 もつれた釣り糸を引っぱっても、かえって絡まるじゃない。ほぐすにはゆるめないといけない。そういう感じかな。
 通信制での経験は、2回目の生まれ直しだったかもしれないですね。1回目は洲本高校での経験。僕自身は、自分の中学高校で、勉強が苦痛だとかイヤだということはなかったんですよね。教えられることそのものがイヤだというのは、通信制に来て、わかったことでした。

駒﨑 だんだんね。80年代前半までは、学校の管理がイヤだとか、権力に反発するとか、そういう問題の延長で考えていたんだよね。管理教育が問題だと思ってたわけです。それが、だんだん教育そのものを問うようになっていったんです。80年代後半からかな。教育のあり方を、通信制の学びのあり方とあわせて考え直していったんです。

山下 教えることが成り立たないという感覚と、不登校の子どもと接する感覚は、通じるものがありますでしょうか。

駒﨑 そうだね。それまでは、ツッパッているヤツと、生徒会やっているヤツは、すごい仲良かったの。誰かが教員と対立したら、わっと立ち上がって、処分や体罰に対してみんなで守るという感じがあった。それが70年代前半ごろまでの雰囲気でした。僕は、自分で言うのも何だけど、両方の生徒から受けていたからね。いっしょになって、学校の管理とか権力に抵抗していた。それが74~75年ごろから、だんだん変わっていくんだよね。ツッパッている子と、生徒会をしてたり進学する子とが分断して、交流がなくなっていく。

駒﨑 あのころは、おもしろかったんだよな。通信制の子も4~5人、活動してました。でも、そういう感じじゃない子が来始めたわけです。学校でひどい目に遭ったからとか、そういう感じじゃない子が集まりだした。

山下 ハッキリと敵が見えていて、それに対して運動する、連帯するというのではなくて、自分でもよくわからない苦しさがあって、どうしていいかわからない。もやっとした苦しさがある。そういう「よくわからない感じ」が、だんだん広がっていった……。
 そういうなかで、先ほどおっしゃった「学校の軽量化」とか、脱学校論みたいなものも、だんだん通じなくなっていく感じはありましたでしょうか。

駒﨑 う~ん、難しいところですね。

山下 私もフリースクールに関わっていて、同じような難しさを感じるところがあったんですね。かつては共有できていたものが、だんだん通じなくなっていく感じというか。そのあたりは、なぜなんだろうと思っているのですが。

駒﨑 70年代の大学闘争がアウトになったあと、どうも日本全体の倫理のレベルが下がった気がするんだよね。他人の状況がどうだろうと関係ない。自分のことじゃなくても、これは何とかしないといけないと思って動くようなことがなくなっていますよね。社会問題で、「こんなこと許せない」「これはひどい」という感覚がなくなってきて、感覚的なところで投げやりというか、70年代半ばから80年代以降、倫理や価値観が劣化しているんじゃないかと思います。正義なんか関係ない。人々が、やさしさとか自由を追求しなくなった。
 学校の状況もひどくなっているでしょう。その背景を考えていくと、そのあたりから始まっているような気がします。脱学校というより、みんな脱力してしまっている。こういう状況だと、どこに手を打てばいいのか、正直に言えば、わからないですね……。