降りていくブログ

生き残りながら回復していくために

フロイトの実験 「逸らす」という自我機能

フロイトの催眠術を使った実験で、催眠術にかかった被験者が指示された行動を実行する際に、成り行き上フロイトの指示を軽微に破らなければいけないように状況を設定するというものがあったと思う。意地の悪い実験だけれど、興味深い結果が出た。

 


被験者に、どうして指示どおりにしなかったのかと訊くと、催眠術にかかったままの状態にも関わらず、窓の外に何か見えたからなどとごまかす。催眠術にかかっているのに、なお嘘をつく。自分で嘘をつこうとか選べない状態であるはずなのに。

 

自意識で選んでないのに嘘をつくということがどういうことかというと、選ぶ選ばないという自意識の関与の前に決定は下されているということ。自我機能の役割は圧力を「逸らす」ことだという。「解決」ではなく、逸らすのが主な役割。

 

体のデフォルトの機能としては、逸らせば十分であって、それ以上のことは備わってない。自我機能は文化的生活のためにあったものではない。もともとあったものを転用して自意識は成り立っている。口や舌や喉や肺が言葉をしゃべるために出来ているのではないように。

 


転用。既にあるものを違う使い方で使う。無理やりなのだ。だから「良心」とか「理性」とかいうものも、文化的なものであるだろう。そもそも「良心」的なわけでなく、それは文化的に作りだされる。

 

実験では、心に圧力がかけられた。指示に従わなければいけないのに、従わなかったという矛盾。この矛盾を解決するために「事実」は捏造されざるを得なかった。心は受け止めきれないのだ。

 

元々あったものの転用によってできた心、自意識。違う使い方をしているので無理がいきやすい。そこが高い圧力が直接かかるような状態まで追い詰められるならば、圧力を逸らすための行動は自動的におこり、そこに善悪や倫理は関係なくなるだろう。
そして極限の状況でなくても、そもそも逸らす役割を主機能として持っているものなのだから、何かにつけ逸らすのが中心になっているのは日常での様々な現象をみてもうなずける。

 

大人になれば、ある刺激に対する決まった反応というかたちで心の中は圧力がかかる内部構造が出来上がっている。ある意味内部構造に支配されているともいえるだろう。危機に対する対応として成り立った内部構造だが、その固定的、自動的な反応のあり方は融通が利かず、長いスパンを生きるにあたっては、かえって邪魔になりやすい。自動反応は重なりあう複数の文脈を踏まえることができない。

 

言葉が持つスポットライトのように光を当てる焦点化の機能は、過去のある瞬間に起こった自動反応のありようを意識化することができる。そこで何が起こっていたのか、どのように反応の連鎖は続いていくのか。それに気づくことによって、自動反応は変化していく。

 

鈴鹿アズワン・コミュニティではこのやり方を採用していて、ここではコミュニティの規模での変化が個々に実感されていた。東京の今井純さんもインプロのクラスのレッスンで、小休止をいれるたびに俳優に対して、その動きの瞬間に何がおこっていたのかを想起させていた。その瞬間に何がおこっていたのかを言葉にする際に強い集中と焦点化がおこる。何が自分をうごかしていたのか。一瞬で深く海に潜り底にある絵柄をみてくるような感じ。地味だがこのやり方は表面的ではなく、質を変える。

 

瞑想などの本をちらっと読むと、おこっていることを今ここ、リアルタイムで観察して変わっていくようなことなんかなと思っていたけど、現在でなくても、過去のある場面の焦点化と観察で変化はおきる。これは内部構造を構成している要素の一つ、歯車の一部が変わると全体も何がしかの変化をおこさざるを得ないという感じかと思っている。
ある刺激に対し、それが危機にかかわることだと認識され、決まった反応の連鎖がおこるのだけれど、観察の結果現実の危機ではないことが確認されると自動反応は消えていく。心に直に圧力がかからなくなるためだろうと思う。それまでは直に圧力がかかっていく通路になっていたところを通路として成り立たせなくさせたことによって。

 

あっちこっち行ったけどまとめると、デフォルトの自我機能は圧力を逸らすという特性・偏りをもっていて、もともとの限界を持っている。

 

危機を契機に出来上がっていった内部構造は無意識化されていて、レンジの広い曖昧な刺激であっても決まった反応のトリガーがひかれ高い圧力が心に直にかかる。すると決まった自動的な逸らしの反応がおこる。

 

現実において重なりあう文脈を無視しておこる自動反応は大抵生きていくにあたって不都合にはたらく。

 

内部構造を変化させる方法として、過去のある時点に焦点を絞り、その時何が自分の中でおこっていたのかを言葉にすることを通した観察が有効性を持っている。

 

その観察によって、光をあてられた部分は意識化され、そのことによって内部構造の歯車が変化する。一部の変化であってもそれまでの状態が変わる。刺激に対して圧力を心に直通させていた通路が成り立たなくなってくる。

 

自動反応に支配される状態はいわば奴隷状態だから、反応が緩やかになっていくことは喜びとして感じられるだろう。