降りていくブログ

生き残りながら回復していくために

マジックポイント

平田オリザ「暗愚小傳」を見に伊丹のアイホールへ。

電車で1時間半ほどでまあまあ遠いけれど、アイホールは、ダンスの公演を2回観に行ったことがあるので3回目。

 

駅からそのまま続く歩道橋を降りるとき、冬の平日の昼さがりに人が歩いているのをみて何となく、「世界は終わっているけれどそれに関係なく人が動いてる」ような感覚を受けて、ちょっと疲れがとれたような気になる。日常で「世界の終わり」が感じられるとほっとして救われる。

 

ここ数ヶ月は、気持ちが忙しかった。レポートを気にしながら、週末はいつも何かあってという感じで、日常に変化はあったのだけれど、ちょっといい加減な選択で何かやってしまっていたのだと思う。今疲れているので、たぶんそうしてしまったのだろう。

 

ロールプレイングゲームで、マジックポイント(MP)という概念がよくあって、体力ではなく魔法を使う精神力が数値であらわされる。魔法を使うと減っていく。

 

この精神の疲れをマジックポイントでとらえてみようと考える。

 

ゲームのなかでは、マジックポイントは宿屋などに泊まると回復する。が、リアルでは寝たぐらいでは回復しない。リアルのマジックポイントは、基本減らしてはいけない。減らすことは厳に戒められる。

リアルでは、水が満たされたコップのように、ある水準をこえて初めてマジックポイントがマジックポイントである意味が生まれる。満たされた状態からが魔法が発動していく。満たされてないと魔法が動いていない。「自分がやる」んじゃなくて、満たされたマジックポイントそれ自体が行動や選択のもとになる。そしてそのときマジックポイントは減らず維持される。

 

満たされたマジックポイントは、体のそとに溢れ出ながらそこにあり、世界との相互作用を引き起こす。

 

ゲームでは、敵が不思議な踊りをおどったりして、マジックポイントが減らされることがある。リアルの世界でもマジックポイントを奪いにくる人もいるし、何か正しくない選択に自分を投げうっていると減っていく。

 

マジックポイントの減りに敏感になり、そこに対して責任をとろうとしはじめると、日常が変わっていくだろうなと思う。気持ち的には、仏閣や神社の門の仁王ぐらいの鬼の形相でそこには向き合うべきなのだ。油断してはならない。惰性や放縦すらもマジックポイントの減少をまねく。振り返ってみえる「わたし」や「わたしのやりかた」がわたしなのではなくて、マジックポイントが主体なのだ。