降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

コミュニティを更新する仕組み

べてるの家発の集まりや当事者研究とも関わっている方がブログを見てコメントをくれ、やりとりをした。

 

場を単に人のコントロール下にあるものと考えず、どうあれば自律的な何かが浮かび上がってくるのかという視点を持っていて、何が「いい感じ」なのか、直観的に把握する感覚を持たれている感じ。

 

木村敏べてるの家の人たちの対談をそのやりとりのなかで紹介してもらった。そこにオーケストラの例が出る。自分が周りの人に影響されて出した音がまた周りの人を影響する。それが栄養の循環のようになって、バラバラにならず、一つの音楽になる。

 

 

べてるの家の話しの場がまさにそういう場だという。わいわいがやがやという言葉がでる。そのわいわいがやがやのなかで、自分の苦労や言えなかった本当の気持ちがおのずから出てくるという感覚。

 

 

わいわいがやがやは単にうるさくバラバラなものなのではなく、発せられる一つ一つの言葉やそれが直接に指す意味内容そのものが「音」や「曲」なのでもなく、言葉は単におこっていることの表面をかすったものにすぎず、そこでは耳では聞こえない音楽、何かの現れをもって間接的にしか把握できない一つの音楽があるのではないかと思う。

 

 

木村敏はいう。
私が生きているということを包み込んでしまうような非常に大きな「いのち」があり、それが私のなかに流れこんで私の「いのち」になっている。その大きな「いのち」をみんなでわかちあっている。それを実感することが「生活者の仲間になる」ことだと思う。何人かがいるとき、そこに大きな「いのち」が働いているというのか、生きているというのか、その時にみんなはそれに乗っかってわいわいがやがやになるんだろうと思う、と。
(※木村敏は治癒や寛解ではなく、私たち生活者の仲間になることが治療の目的だと考えている)

 

 

野村誠さんや沼田里衣さん、エスコーラの佐々木さんの場や音楽についてのお話しを思い出す。音楽をやはりもうちょっと体験しようと思っていたら、Ave Covoの公開練習の投稿があったので早速参加させてもらう。シンプルなパターンでも、なかなかできない。いろんなところに集中してない意識が散らばりすぎていたけれど、たまに、言葉のない演奏のなかで浮かび上がってくる何か震えるものがあったような気もする。

 

 

演奏後、店のFBをチェックせず、佐々木さんとソルに行くと臨時休業だった。でもとりあえず場所はお伝えできた。佐々木さんは秋に行われる東九条マダンに関心ありとのことでぜひソルのヤンさんに会っていただきたいなと思う。

 

 

佐々木さんと別れ、エスコーラへ。純さんとめぐみさんが話している。パンとかスープとか申し出のままに色々いただいてしまった。

 

 

純さんと話す。僕は、学びは環境を作り出すものであり、作り出された環境はまた学びを促進すると考えている。この循環関係にあるものを停止したり終わらせたりせず、持続的に育てていくことが重要だと思う。学びは自己更新であり、エンパワメントでもある。それぞれの場所で、エンパワメントのコロニーをつくる。そのことによって、多様性や人が人として生きられる環境は生み出され、作られていくだろうと思う。

 

 

ある程度の人間関係ができれば多くの人はその環境のなかで日々を送るようになると思う。特に出かけていかなけれいけない必要性が基本的にはなくなる。エンパワメントのコロニーをコミュニティと呼んでもいかもしれないが、あるコミュニティと別のコミュニティの間には、そんなに交流したいという欲求はないと思う。自分たちのなかである程度の自己充足ができてしまうからだ。

 

 

だがその自己充足ではコミュニティは弱っていく。外のものとの循環がなくなり、同じパターンを繰り返すことでは更新していけず、老化していく。青年協力隊か何かの活動に参加していた人が、ある村の個々の家庭に電気水道など生活インフラが完備されると途端に交流がなくなるという話しを聞いたことがある。自己充足は、他者と関わるきっかけや必然を奪われることでもあるようで、循環と更新を停滞させる。

 

 

一つ一つのコミュニティがそれほどは交流の欲求は持たないのなら、循環をおこすためにはどうしたらいいのか。僕はコミュニティとコミュニティを巡る人の動きをつくることによって、それを補うことができないかと考えた。四国八十八か所めぐりのように、巡る人の存在がコミュニティの循環をおこす。巡る人がいるところに様々な派生があり、出会いがあり、何かが生まれ、世界が再編されていく。

 

 

人は、生活に必要なもののために動く。それが満たされれば基本あまり動かないようだけれど、それぞれの人が持つ自己更新の欲求とつながれば積極的な動きをはじめる。だからコミュニティとコミュニティとを巡ることの必然性は、自己更新の欲求、つまり学びの欲求によって担保できるのではないかと思う。学びを媒介にすることによって、コミュニティ間の交流や循環が派生する。派生こそが豊かなもの、持続的なもの、信頼できるものを生み出す。

 

 

巡ることによって生まれるもう一つの大きなものは、限定的なコミュニティ内に限らないインフォーマルな人と人との関係性だ。行政がつくる公共は一次元的なものだ。そんな一つの主体がつくるようなものは結局いびつで行き届かない。

多種多様な人たちと友達になっている友人がいる。

 

何か問題があったりしたら知っている人のなかである程度色々と取り組めるような。何か面白いことを思いついたら、その友人たちの誰かが一緒にやろうと反応が来るような。ビジネス上の関係ではなく、極端な話し、深夜であっても困ったら連絡できるような、融通がきき、しかしお互いに自由で、主体性があるインフォーマルな関係を持っている。

 

 

それはその友人がもつ特別な才能による、特別な状態で、特殊な事例であるに過ぎないだろうか。僕は必ずしもそのようには思わない。もちろん何の仕組みもなければそれは特別な才能や個性によるものであるかもしれない。

 

 

だが、エンパワメントのコロニー、コミュニティとコミュニティの間に、学びを媒介させて巡る人の流れをつくる仕組みができれば、個人と個人のインフォーマルな関係は派生的に多様化し、重層化していくのではないかと考える。

 

 

人の流れは、個々のコミュニティを随時更新し、巡っている各人は、巡るなかでそれぞれにインフォーマルな関係を増やしていく。友人としての信頼関係だ。

 

個々人がその関係をつくることには、別に何らそれ以上の目的はないし、自発的に行われる。一個一個の関係性はそのようなものに過ぎないが、それがどんどんと重なっていく状況を作ればどうなるだろうか。学びを媒介とし、インフォーマルな信頼関係のネットワークを個々人の水準で増やしていく。

 

 

するとある問題がおこったときに、つてのつてぐらいまでの間で、信頼できる人と繋がることが可能となり、即応できるようなことが増えてくる。何かやりたいことがあれば、一緒に応じてくれる人と出会う可能性が格段に増える。この状況が作れればいい。

 

 

学びの欲求(自己更新の欲求)を媒介とし、コミュニティとコミュニティを巡る人の流れをつくる。このことが個々のコミュニティの硬質化や定型化による停滞を防ぐ。巡る個々人は自然とインフォーマルな信頼関係のネットワークを個々につくっていく。その状況で、学びの環境は育ち続け、人が自立的な主体となっていくことが可能になっていくのではないかと思う。

緊張感

スマホにいれていたゲームが面白くなくなって削除した。

最後の方は義務的にやっていた。今までやっていた分の蓄積があるから勿体無いというのがあるので少し削除するのが延びただろうか。飽き飽きしてたのはそれまでもあったけど、もういいやとふとやってきたタイミングで。

 

あらためて、必要だったのは何だったろうかと考える。普段の緊張感の高まりを逸らすのが理由だろうなと振り返りながら思う。

 

松本大洋の作品、好きなものが多いけれど、サニーがなかなか読めない。マンガ喫茶行ってもなかなか手に取れない。東京喰種とか進撃の巨人とかアカギとか、アイアムアヒーローとかは手に取れる。一歩とかも手に取れる。バイオレンスが必要なのか。でも戦闘シーンが長いとさっさと終わってほしいと思う。生と死の限界状況でおこるようなことが見たい気がする。

 

 

Sunny 第1集 (IKKI COMIX)

Sunny 第1集 (IKKI COMIX)

 

 

 

今いるリアリティから自分を連れていってくれるのは限界状況ものが多い。

 

普段、だんだん高まってくる緊張感が苦痛で、それを何かに没頭することによって、感じないようにしたり、逸らす。サニーは、日常のだらっとした感じが続く感じがして、緊張感の高まりが逸れない。

 

緊張が高まったからといって別に大声を出し始めるとか、どうにかなる水準ではないけれど、ただ苦痛だ。緊張感の高まりがあるから、なかなか落ち着いてぼおっとしたりできない。寝るときも緊張を感じないように、すごい眠気になるまでなかなか寝ないとか、そういうことになる。

 

文章を書いているときは、割とそこに集中しているから緊張感の高まりは感じない。2時間ぐらい平気で過ごせる。畑も行ってしまえばやりたいと思うことができるので緊張感の高まりという苦痛はない。

 

本を読むのが、中学ぐらいだろうか、あるときからしんどくなった。本はよっぽど集中できるものでないと、緊張が高まってくる。マンガの方がまだ緊張が逸れる。

 

この緊張に向き合うということで、このいたたまれなさをずっと感じるということもできる。何となく逸らそうとして逸れないより、仔細に感じとりどうなっているかをみる方がしんどくはない。基本それをやっていればいいのだろうか? 適当な逸らしに走らずに。

 

パーティーや飲み会の場とか苦手なのだけど、やることがないから緊張が高まる。人と話したらいいと言っても、割と話したいことは決まっていて、何かについてのテーマトークをしたいのだが、自分が最も関心を持っているポイントなどは、なかなか共通の話題とかにならない。読書会なりをした方がまだ話せるので、パーティとか飲み会の意味というのは、緊張感の逸らしというところではあまりない。

 

まああと、あらかじめ持っている疎外感とか、惨めさとかそういうのもあるから、人とやりとりできず困っている自分みたいな図が苦痛というのも大きい。

 

逸らそうと思って、フェイスブックツイッター見るけれど、あくまで代替行為という感じでいまいち。

 

 

魔女の宅急便を今頃 飛べなくなったキキ

友人が竹林で手製のほうきを作った記事へのコメントを見ていたらなぜキキが飛べなくなったのか気になってきた。

ジブリの作品というのもあって、すぐに検索候補が表示されてくる。

 

matome.naver.jp

 

宮崎駿は、聞かれてもこれが理由だと答えていないようだ。確かにあれが理由だとか言ったら面白くもないし、がっかりする人もいるだろう。それぞれが受け取ったものがあって、それが作品の狙いかどうかとかと関係なく、自分として受け取ったものに何かの意味がある。

 

さて、その上で自分はどう受け取れるだろうかと思う。

飛べなくなった直前におこった出来事は、一緒に頑張って作ったパイが届け先の少女ににべもなく必要ないのにと言われたことだ。雨で濡れねずみのキキ、しかし気持ちとしては肯定的な展開への期待に溢れた状態。自分のパーティに遅れることを覚悟してやったこと。労働者と裕福な家の子。ボロい服と高価な服。

 

キキの揺れ動きは、自分のコミュニティではみんなにとって称賛や憧れの存在である魔女という、自分が信じられていたステータスが、都会では古びていてもう求められないという現実への直面からのものではなかっただろうか。魔女である自分の価値とは、実は周りからの評価だった。

「魔女は〜するものよ!」と無邪気に誇らしくいうキキは、魔女というイメージと自分を同一化させることに高揚していた。魔女という称賛される役割を演ずることと、自分自身であるということは、都会に出るまで分けられておらず、矛盾したまま同時に成り立っていた。だが今やそれは破綻し、自分を高めていた魔女というイメージ自体がもう下がってしまった。

 

トトロは大人になったら見えない。トンボを助ける時に飛べたということは、飛べる条件は大人と子どもというカテゴリーに起因することではないだろうと思う。

 

ただパートナーを見つけたジジとは言葉が通じなくなっている。ここは、身もふたもないが、幻想のなかで成り立っていた関係性、キキの心が違う現実を生きられるようになるまでを支える幻想が必要なくなったということなのではないか。林明子の「こんとあき」を思い出す。どんな時も自分の味方になって暖かく励ましてくれる存在。この幻想の存在が必要なくなったのは、飛べるようになった後であり、トンボの救出という出来事という達成によって、アイデンティティの更新がおきたからではと思う。ここにおいては、ある意味、大人/子どもという分類もあてはまるように思う。

 

 

こんとあき (日本傑作絵本シリーズ)

こんとあき (日本傑作絵本シリーズ)

 

 

それがよりシニカルに描かれた岡崎体育「FRIENDS」

 

話しは戻って、飛べなくなったのは、大人/子どもという区切りではなく、本来キキが持っている力が出ないような状態にされたということであるように思える。具体的には、キキが今まで知っている理屈の上では自分にはもう価値がないという状態だ。

森の画家、ウルスラとの対話が転機となる。ウルスラは原作にはいないらしい。ウルスラは自分でも気づかず器用に誰かの真似をして評価を得ていたが、ある時そのことに気づき、絵が描けなくなった。そしてやがて誰かの真似、想定する誰かの評価によるものでなく、自分として描くということにたどり着いた。

 

キキはこのことを聞き、そしてトンボの危機というきっかけを得てようやく誰かの評価のためではなく、自分として生きるということができるようになったのだろう。「紹介もなく初対面の女性に話しかけるなんて失礼よ!」と誰かが決めたイメージや役割を、自分に当てはめてプライドを高め、維持していた状態から、何でもない自分として生きることができるようになったのだと思う。

 

無邪気に無自覚に信じこんでいた自分のイメージが失われ、そして新しく再生していく。後者のハッピーエンドというよりは、前者の喪失が共感を生むものなんだろうなと思う。ハッピーエンドは、喪失を受け入れやすくするものにすぎず、薄っぺらだ。しかし、お客さんを元の状態に戻してあげるということが、多くの人がみる作品に必要なケアでもあるのだろうなと思う。

学びとコミュニティ

学びに適した環境とは、そこにいる人たちが防衛的にならずにすみ、自分の揺れ動きを安心して表明できる場だと思う。

 


こうしなければいけないとか、こう考えるべきだ、と強制されるところでは、変化へのプロセスはおきにくい。OSは更新されず、小手先のアプリが増えて不効率にエネルギーやメモリを消費していく。更新のプロセスへの直感的把握がおぼろげになり、向かえばいいところが見えなくなってくる。

 

お互いに規制を掛け合うこととと自由であることは違う。自由とは阻害のない状態のことであるだろう。ないものをやることで生み出すことはできない。既にある阻害物をとるということはできる。

 

完璧な状態をまず作らなければいけないのではなく、プロセスが進んでいくための必要最低限の環境を整える。環境が整えばプロセスが展開し、次の状態に移行する。また次に行くために必要最低限の環境を整える。基本的にはこの繰り返しでいいはずだ。以前に環境を整えるために必要だったものと、次に環境を整えるために必要なものは引続くものものあるだろうし、新しいものもあるだろう。

 

問題が起こった瞬間が学びはじめであり、それが更新のプロセスだ。プロセスは本人を変えるだけではなく、その人が関わる周囲も変えていく。

 

問題を解決する力を全て外部に任せることは、この更新のプロセスを捨てるに等しい。更新のプロセスを捨てれば、人は変わらず、信頼感は低く、鬱屈したエネルギーは無理やりでも放出されるところを求めだす。

 

この自意識としての私が何をやれるかではなく、プロセスが事をなすことが実感されていけば、私にしがみついて低い自信を奮い立たす必要もなくなってくる。既にあるものを生かすにはどうしたらいいのか。この発想になってくると、考えで自分を追い詰めることはだんだんしなくなってくる。

 

自分にとって学びとは何かを問い、学びのための環境を整えていく。終わりなく成熟させていく。それはやるべきことでもやらなければいけないことでもなく、そう動こうとしている自律性に気づくことだ。

 

学びは、コミュニティを派生させ、自ら学びに適した生態系、人と人との関係性を作る。学びは自己展開する自律性によるものだ。私は、それが動き出せるように通路を作ったり、阻害しているものをのけたりして整える役割だ。古い私が何かを蓄積していくことが学びなのではなく、古い私が更新されていくのが学びだ。私は学ばない。学んだ私はもう古いものとは質的に別のものになっているから。終わったとき、ただ新しい状態がある

学び 自律的な現出

学びの環境を整えるという時、自分のあるべきイメージを達成するために自分は黒子になって、という発想はよろしくないと思っている。

 


むしろ自分の学びのプロセスを展開させるということをど真ん中に置いてやり、それが逸れて虚しくなったり世間を恨んだり人に不満をもつようになったりしているシグナルが出たら敏感に見つけてさっさと軸を調整する。すでに知っているやり方が通じなかったら新しいやり方を模索する。

 

それは自意識が大きくなることではなくて、むしろ謙虚になることだ。心のフットワークは軽くなる。

 

自意識は元々の性質として、動かず変わらず、同じあり方、感じ方、考え方のままであろうとする。自分が変わらないでいいと高を括り、それを人にまで押し付けようとする。

 

だが学びのプロセスはそれだと停滞する。だから学びのプロセスを優先するとき、自意識はふんぞりかえっていられない。さらに言ってしまえば、ふんぞりかえっている状態は鈍感で不健康な状態だ。

 

しかしそんなふうに傲慢になれるのはなぜか?と考えると、そのような強烈な麻痺やそのための高揚をもって補わざるをえない自己否定を抱え込んでいるとも考えられるだろう。

 

生というのは、保守性であって問題がない限り同じ状態をとどめようとする。が、同時に変わらないことによって長いスパンでは必然的な危機が訪れる。厄年なんていうのは、老いて色んなことが変わっているのに若い頃と変わらない思考フレームでいて、さらに無理に補ってしがみつこうとしているから暮らしのあらゆる場面で不整合を導いた結果、もはやそれではどうにもこうにも成り立たなくなるような出来事を招くといったものだったりするのではないだろうか。

 

ともあれ、基本的に人にとって保守性、慣性の力は強く働いている。だが、同時にこの自分が根源的に救われるような希求もある。

 

事故、事件など、自分のコントロール外の他者に出会うと、同じところをぐるぐる回ることがもう成り立たなくなる。

 

虚しいことがわかる。もはや満たされないことがわかる。それはその場面だけを切り取るなら悲劇かもしれないが、長い目で見ればより本来的な自分のあり方に移行するプロセスの始まりだ。終わるかどうかは保証されていないけれど。

 

生命を同じように維持するために同じことを繰り返さなければならないというのは心がより死んでいく間違いであって、古いものを終わらせ、更新が重ねられることによって、心は死んだところから生きるところへいく。学びというのは、心に関わることだ。言語によって止められた世界、決められた世界にいながら、その世界を更新していくのが学びだ。

 

自分の体は老いていっても、学びによって認識フレームが更新されると、世界は新鮮に体験される。その新鮮さは恵みそのものだ。

 

学びに向かうとき、自分に軸を置く必要がある。だが、学びということは自分のなかだけで完結するものではない。学ぶとき、その人は周りの世界も必然的に変えている。環境を作り出している。

 

こうも考えられるかもしれない。私ではなく、場や環境の潜在性が、私という媒体を通して、自律的に現出する。私はその自律性に使われているだけだと。だがその自律性に私が使われることは、他への服従とは違って、喜びと生の展開を生み出す。

旅としての学び 能動という反逆

学びを将来のアウトプットのためのものと考えるなら、明日なき今を生きている人たちにとっては学びは縁遠いものになるだろう。

 

先のためではなく、今ここ自体を面白いものにするために入る状態がむしろ学びの核心ではないだろうか。獲得するものは、結果として、派生的に生まれたものではないだろうか。

 

この私にただ付け加えられ、蓄積されるものにそれほどの面白さがあるだろうか。むしろこの凝り固まった私が変えられていくというところに面白さがあるのではないだろうか。

 

 

学びとは旅であると思う。そして旅の状態に入ることが生を私として生きるということなのでないかと思う。

 

学びの過程には2回の出会いがあって、旅がはじまるきっかけとしての出会いと旅が終わるときの出会いがあると思う。

 

最初の出会いは、これまでの自分が今までと同じバランスではいられなく出会い。バランスの崩れをもたらす出会い。変わるまいとする求めよりも変わろうとする動きが強くなる。

 

生の力は、崩れたバランスを取り戻そうとするときに動く。その時に大きな力や潜在性が現れ出る。統合失調症になっても、作品をつくるために治りたくないと治療を拒否した人の話しもある。大学時代の集中講義で、心理療法を受けている段階でものすごい絵を描く(実際にスライドで見せてもらった。)人が治療の終結とともに平凡な気の抜けたような絵になっていった経過を見せてもらったことがある。

 

論楽社の虫賀宗博さんが、鶴見俊輔の「親問題」(生みの親の話しではなくて、苦しみとして感じられる個々の問題をそもそも生み出すものという意味だと思う。)の話しを引用していたが、それぞれの個人にそれぞれの根源的な苦しみ、バランスの崩れがある。それは簡単には終わらない苦しみであるからこそ、崩れたバランスを取り戻そうとする大きな力も同時に生み出される。

 

この力を使い、生を場当たり的で受動的なものから、能動的なものにすることができる。学びとは、今の私が本来的な私に戻るための反逆でもあるだろう。能動とは実のところ反逆なのだ。この反逆は、崩れたバランスを取り戻そうとする生の力と同期させることができる。親問題があるために、いつでも選択的に学びの状態に入ることができる。
親問題という観点から見るならば、最初の出会いは生まれたことということになるだろう。圧倒的な無力さの実感。この世界の理屈に否応無く従わなければならない理不尽さ。苦しみを減らすためには、自分が変わらざるを得ない。生きるために変わる旅は、それ以上変わる必要がなくなる死によって終わる。

 

生まれてから死ぬまでという基層としての旅の上あるいは中に、個々の具体的な旅がある。私の旅がある。だがこの旅は、実のところ私としての苦しみ、私という苦しみを終わらせる旅であり、私の死に向かう旅である。私を私でないものにしていく旅だ。私という一種の牢獄を抜け出ていくための旅だ。

 

個々の旅に終わりがあるように、個々の学びにも終わりがある。きっかけの出会いから始まった旅は、私を変えてしまう次の出会いによって終わる。変えられた私はもう同じものではない。感じ方、体験のされ方ははもう違っている。そしてまたそこからその私を終わらせる旅をはじめる。私を終わらせる旅のなかに、旅の途中の状態にあえて入れる。

 

生が、崩れたバランスを取り戻し、本来と想定される状態を維持する動き、つまり変わらないこと、保守へのエネルギーの流れであるのに対して、このエネルギーの流れを逆手にとって、まるまると利用しながら変化していくという反逆をする。この反逆のなかに、固定的・静的なものではなく、プロセスとしての私がいる。この反逆、この転倒のなかに自由があり、能動があり、充溢がある。

ハンセン病

岩倉の私塾、論楽社で主宰の虫賀さんにお話しを聞いたとき、ハンセン病の方との出会いが活動に与えた影響が大きかったとのことだった。

 

ハンセン病に関しては、もともと興味もあった。

 

ハンセン病ほど多くのことが奪われる病気があるだろうか。ハンセン病は弱い感染力を持つとはいえ、特効薬が出来たため完治できるのでもはや隔離される必要はないのだが、特効薬がない時代に、顔や手足が崩れ、伝染する病気への世間の恐怖や抑圧は想像にあまりある。

 

公害病は、一応感染しない。(しかし、啓蒙が行き届かず、そのように扱われることはある)しかも、国や企業が十分な保証や責任を認めないとはいえ、明らかな加害者がいる。ところがハンセン病は人によって無いところから生み出されたものでは無い。病気になったことで、誰に怒りを向けられるわけでも無い。

 

本人は苦しむ。そして家族も苦しむ。家族は他の家族への影響のため、泣く泣く縁を切ったり、戸籍を抜いたりする。それでもなお調査され、結婚が破談になったり、離縁されたりということがおこる。

 

療養所に入れられれば、そこで病者同士が結婚するなら断種され、それが失敗すると、7ヶ月の胎児でも堕胎され、まだ動く幼児の口にガーゼをあて殺すところまで見せつけられた人もいる。その上にかけられた言葉は、以下のようなものだったという。

 

「ぜいたくだ。あんたは園の規則に背いたんだよ。国のやっかいになっていて、妊娠したことをどう思っているんだ。恥ずかしくないかっ!」

『証言・ハンセン病 もう、うつむかない』村上絢子 p164

 

 

証言・ハンセン病 もう、うつむかない

証言・ハンセン病 もう、うつむかない

 

 

この『証言・ハンセン病』は、多くの人の体験がその肉声で書かれており、長い本が読みにくい僕でも読みやすい。

 

人間の尊厳とは何か。生きることとは何か。それを彼らの苦しみが問いかける。

 

僕は、自分が生きていくためのヒントを人の苦しみから得てきた。直接的に奪わなくても、苦しむ人の体験を読み、聞き、自分の生きる指針を探ってきた。人の苦しみの上に乗っかって今の自分がある。

 

まだ全部読んでないが、心に残ることがある。

 

ハンセン病の後遺症のため、人前に出ることやその後遺症の影響が見えるようなことを避けていた人が、自分よりひどい後遺症の人が、たどたどしくお茶を出してくれたことに衝撃を受け、変わったという話し。

 

医師や弁護士、療養所の園長などが出ているシンポジウムで、会場から、らい予防法が憲法違反であり、自分たちの尊厳を回復するため裁判をおこすが金も支援も何もないと思いのたけを表明した患者の志村康さんに対し、壇上の弁護士がおそらく国で初めて「らい予防法は憲法違反です。一緒にやりましょう」とその妥当性を認め、応答した話し。

 

出会いなのだと思う。どうしようもない迫害によって、所詮人はこんなものだ、自分はこんなものだという自分の内の認識があるだろう。だが自分を守るため、固くそこに閉じてしまうなら、このような出会いはおこらない。認識の変化はおこらない。

 

自分の内に出来上がったその認識を終わらせるには、自分を賭すことが必要なのだと思う。他者の姿に思わぬ出会いを贈与されることもある。しかし、それ頼みに待つということは、たぶん、自分が生きるということを無くするだろう。

 

自分の内のイメージ、信念を終わらせるために、人が完璧であり、完全に善良である必要はない。ただ、自分の内にあったイメージとそこに現れるものは、たとえそれがその人一人だけのことであっても、明らかに違うということがわかれば十分なのだ。